地域や地元企業の「困った!」に独自のアイデアと技術で応える
四国最東端に位置して四国で最も早く朝日が昇り、発光ダイオードの一大生産地であることから「光のまち」として知名度を上げる阿南市。徳島県南部のこの町にプラント建設・電気機械製造の藤崎電機株式会社は本社を置く。太平洋を望むリアス式海岸の変化に富んだ景観を楽しみ、内陸にクルマを走らせると県民の胃袋を支える穀倉地帯が広がっている。その奧へ視線をやると、山際に横たわる緑の竹林が目に飛び込んできた。
太陽光、水力、風力、地熱、バイオマスといった再生可能エネルギーの固定価格買取制度がスタートしたのは4年前の2012年7月のこと。同制度を追い風に、太陽光パネルの設置を早くから手掛けていた同社は、2011年に18億円だった売り上げを、2012年24億円、2013年40億円、2014年67億円、2015年75億円へと飛躍的に伸ばしてきた。
もちろん、同社の業績を支えるのは、再生可能エネルギー事業だけではない。「地元の困った!」や「取引先での相談」に、全力で応える姿勢とアイデアを生かした独自製品の存在がある。地元に豊富にある竹を燃料とするバンブーバイオマス発電所の計画もこうした取り組みのなかで生まれ、建設・稼働を間近に控えている。世界初の竹専焼発電所は山口県山陽小野田市を皮切りに、阿南市に2号機を建設し、そして世界へ羽ばたく。
藤崎電機株式会社
1973年の創立以来、工場などの産業系電気工事や生産設備の設計・施工を本業に成長。同時に地域ニーズに応えるなかで独創的な機械製品を次々と誕生させ、地元企業を中心に信頼を厚くする。また現在、1997年に掲げた「人と地球に優しい技術で社会に貢献する」という企業コンセプトのもと、太陽光や風力そしてバイオマスといった再生可能エネルギー事業を推し進め、同社の売り上げの80%を占めるまでに成長させている。そして今、同社が次の一手として最も注力するのが、バンブーバイオマス発電所である。地元・阿南市をはじめ全国的にも豊富にある「竹」を燃料として利用できるため、太陽光や風力といった他の再生可能エネルギーに比べ、安定した発電が行えるメリットがある。安全で効率のいい専用ボイラーの設計など、竹を燃料とするために越えなければならないいくつかのハードルもあるが、一つひとつクリアし、世界初となる竹を燃料にできるバンブーバイオマス発電所の第1号機建設に向け準備を進めている。
- 住所
- 〒774-0001 徳島県阿南市辰己町1番地38
- 設立
- 1973年2月15日
- 従業員数
- 168名(女性:38名、男性:130名) ※2016年10月時点
- 資本金
- 8,345万円
1973年02月 |
創立 |
1974年07月 |
藤崎電機有限会社設立 |
1983年07月 |
小松島第一工場設立 |
1984年07月 |
株式会社に組織変更 |
1985年01月 |
小松島第二工場設立 |
1987年04月 |
資本金3,045万円に増資 |
1996年03月 |
中小企業創造活動促進法の認定を受ける |
1997年03月 |
辰己工業団地用地取得 |
1998年04月 |
阿南市辰己町に本社新築移転 |
1999年02月 |
第2回ベンチャーフェアJAPANで審査委員会優秀賞受賞 |
1999年10月 |
「HEST装置」で徳島ニュービジネス大賞優秀賞受賞 |
2001年03月 |
ISO9001取得 Q19554 |
2001年06月 |
3V-COGEIM社と業務提携 |
2001年08月 |
Comi-Condor社と業務提携 |
2002年08月 |
徳島県経営革新支援制度の認定を受ける |
2002年11月 |
資本金を3,420万円に増資 |
2003年12月 |
ISO9001:2000へ移行 |
2004年10月 |
「ルミネカンバス」で徳島ニュービジネス光環境創出賞受賞 |
2006年10月 |
マイクロミストドライヤー1号機ヨーロッパへ輸出 |
2007年01月 |
ベンチャーフェアJAPAN「イケてるベンチャー」選出 |
2011年10月 |
株式会社ガイアパワー設立 |
2012年12月 |
ISO14001:2004取得 |
2014年08月 |
資本金を8,345万円に増資 |
2014年10月 |
藤崎耕治 代表取締役に就任 |
2015年06月 |
ランビォン社と共同開発正式契約 |
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やっかいものの放置竹林をどうにかできないか
電気機械の製造やプラント建設などを主軸に成長してきた藤崎電機株式会社だが、現在、同社の事業のおよそ80%を占めるのは太陽光発電などの再生可能エネルギー事業である。「人と地球に優しい技術で社会に貢献する」という企業コンセプトのもと、地球環境の保全が人類共通の重要課題であることを認識し、同社は再生可能エネルギー事業に注力するようになった。
地球温暖化が問題視されるなかで、世界的な環境意識の高まり、また石油や石炭、天然ガスなど90%以上を輸入に頼っている日本の現状から、太陽光や風力といった自然エネルギーへの期待は大きくなる一方だ。
同社が最初に産業用太陽光発電、風力発電を手掛けたのは1998年。太陽光が出力10kW、風力が同9kWだった。「四国における産業用太陽光発電設備としては最大の出力と注目されました」と近藤雅也エンジニアリングカンパニーCOO執行役員は振り返る。
現在は1件あたり出力100?200 kWというから、当時は草分け、まさに手探りでの出発だった。そんな同社が、次の自然エネルギーであるバイオマスエネルギーに出会ったのは2008年ごろ。地域の特産品であったタケノコの生産農家の高齢化などで管理できなくなり、放置される竹林が増えて付近の土地に広がって困っているとの相談がきっかけだった。
ドイツ・ランビォン社との共同研究で専用ボイラーを開発
再生可能エネルギーには大きく、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスの5つがある。このうちバイオマスは木や食品廃棄物などの生物資源をいい、これをエネルギー源とするのがバイオマス発電である。
竹もこのカテゴリーに入るが、高温で燃やすと含有成分のカリウムが溶け出してボイラーに付着し、ボイラーを傷めてしまうためバイオマス発電の燃料には使えないとされてきた。だが、阿南市、小松島市を中心に徳島県内のタケノコの生産量が10分の1以下に激減する中、タケノコ農家の衰退や地元の困惑を見過ごせない思いから、バイオマス発電プラントの製造技術で先行するドイツにアイデアを求めた。
そこで出会ったのは90を超える国々で100種類以上のバイオマス燃料を扱うランビォン社だった。しかし、ボイラーを造って90年の歴史を持つランビォン社も竹を燃料にした実績はなく、両社共同での地道な開発が始まった。ボイラーの構造を再考し、燃焼温度の調整を繰り返す作業。訪問から1年が過ぎた2015年、ついに竹を燃料とする製造にめどがついた。
そこでバンブーバイオマス発電プラント1号機の建設地に同社が選んだのは、藤崎電機創業者の藤崎稔氏のふるさと山口県山陽小野田市。山口県の竹林面積は全国4位で燃料の竹の調達にも適していた。2017年早々の着工、2018年の稼働を視野に、現在は準備を進めている。出力規模は約2MWで、ほぼ4,000世帯が消費する電気を年間を通じて生み出す。
国内50カ所の発電所建設を目指す
原料となる竹は、温暖で湿潤な気候を好むことから、世界の竹林面積の80%をアジアが占め、インド、中国、ミャンマー、ベトナム、タイ、そして日本が主となっている。あとは南米やアフリカの一部にも繁殖している。ちなみに上記アジアの6カ国で1,762万ha、日本は16.1万haの竹林がある。さらにはボイラーに入れるため、竹を加工することも必要だ。そうした原料調達のノウハウも同社で提供を行う予定である。
再生可能エネルギーの固定価格買取制度は、自然エネルギーで発電した電気を、電力会社が一定価格で一定期間、買い取ることを国が保証する制度だ。期間も20年と最長だ。さらに再生可能エネルギーの中でも、バイオマスは天候の影響をほとんど受けないため、安定した発電が望める。
しかも、同社の独自技術により展開するバンブーバイオマスは、地元のみならず全国の放置竹林対策にも有効だ。地元の声に耳を傾け、独自のアイデアで応えていく同社の新たな再生可能エネルギー事業の可能性は無限大であるように思える。
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産業用電気工事の技術を生かし、みんなが喜ぶメーカーへ
「義理の父で創業者の藤崎稔が自宅の土間と車庫を使い、13年間勤めた会社の退職金など50万円を元手に始めた電気工事の事務所が当社の出発点でした」と藤崎氏。折しも、独立した1973年は第1次オイルショックの年で景気の冷え込みも逆風となった。
創立当初、技術はあっても営業のノウハウはなく、やっとの思いで請け負った高知県東洋町の甲浦灯台工事も結果的に赤字を出してしまったという。とはいえ、続けるうちに香川県の坂出発電所の工事や地元・阿南市の橘湾火力発電所の下請け工事なども手掛けるなどして産業用電気工事の基礎力を培い、今では伊方発電所など四国各地の発電施設のメンテナンスなども請け負うまでになった。
そうしたなかで、地元の食品会社や木工会社の工場の電気制御盤の製造にも着手したが、これらは業界でワンオフ物といわれる、開発から納品まで1回限りの仕事である。一緒に働く仲間も加わり、さらなる成長を図るためには、繰り返し製造販売できるメーカーになることが必要だと考えるようになっていった。地元や取引先のニーズに敏感な社風は、こうした思いも下地になっているのかもしれない。
地元や取引先の声をアイデアに取り組むモノづくり
メーカーとしての最初の成功例は栗重量選別機。「食品会社さんから栗を大きさで分けたいが、上に載せて量る既存のはかりは洗浄が難しく使いづらいという話がありました」。思いついたのは栗をぶら下げることでサイズ分けする自動化ラインだった。これが売れた。国内のシェア90%以上を占めるまでになった。
シングルミクロンという非常に細かい粉末を精製できるMMSD(マイクロミストスプレードライヤー)も世界規模のヒット商品だ。「薬の吸収効果を高めるため原料をより微細にしたい」との製薬会社からの相談が開発のきっかけになった。より小さな粒子にすることで表面積が大きくなり各種反応効率が向上する。医薬品をはじめ化粧品やセラミックス、リチウムイオン電池などですでに活用され、シイタケから抽出したオリジナル粉末の商品化も進めている。
そして地元の特産品であるタケノコの生産農家が直面している窮状を察し、実用化が目の前に迫っているのが竹を燃料とするバンブーバイオマス発電だ。1号機プラントの稼働が2018年に予定されているのに続き、阿南市に2号機が建設される予定である。地元や取引先の声に応えることで、みんなが幸せになれる──そんな世界を実現してくれるのが同社であるようだ。
チャレンジ精神と創造力を備えた社長10人のグループ企業に
「創業50周年の2023年までに、グループ会社を10社に、つまり社長を10人創るのが夢です」と藤崎氏。同社はカンパニー制を採っており、社内にプラント建設カンパニーとエンジニアリングカンパニーの2つのカンパニーと、社外に子会社の1社(株式会社ガイアパワー)を置く。これを将来、ホールディングカンパニー制としてグループ会社10社体制にするという計画だ。
プラント建設カンパニーは、太陽光発電所の建設を請け負うPV工事部門、電気計装設備の設計施工を行う電気計装工事部門を抱える。エンジニアリングカンパニーにはオリジナル製品の開発、製造、メンテナンスに取り組むエンジニアリング部門、MMSDの設計製造販売に加え粉末製品の受託生産を手掛けるSDケミカル部門がある。バンブーバイオマスの開発はエンジニアリング部門が担当した。
ちなみにエンジニアリングカンパニーのトップである近藤氏は、同社オリジナルプロダクトの太陽光発電システム向け接続箱の開発者でもある。「取引先様を訪問した際に気づいたんです。もっと喜ばれる接続箱が必要だって」と近藤氏。客先に足を運ぶことでニーズが聞けるという近藤氏が開発を手掛けた太陽光発電の接続箱は、防水・避雷に優れ、塩害にも強くコンパクトな設計で、現在も海外製品が多い中、ヒット商品だ。藤崎氏が目指す10人の社長に最も近いひとりで間違いないだろう。
藤崎電機株式会社 代表取締役
藤崎 耕治
1983年、国立岐阜大学工学部土木工学科卒業。1983年、株式会社大林組に入社。1989年、マサチューセッツ工科大学に入学。1991年、同大大学院建設経営コースを修了。1997年、藤崎電機株式会社に入社。2011年、同社子会社GAIA POWER(株式会社ガイアパワー)を設立、代表取締役に就任。2014年、藤崎電機株式会社代表取締役に就任。
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期待される社員になりたい
「入社したのは昨年2015年7月なので、1年を過ぎたところです。現在、山口県山陽小野田市に予定しているバンブーバイオマス発電プラント1号機の建設に向けてボイラーの設計、微調整、法的な稼働条件のクリアに向けて一つひとつ取り組んでいます」と田野氏。
2001年に阿南工業高等専門学校の土木科を卒業した後、東京に本社を置く建設会社に就職。一人前になると空調設備や水道の配管工事の現場監督を任せられた。「全国に支社を置く会社だったので、最後は名古屋支社に在籍していました」。入社から13年、中堅社員となった田野氏は、先に勤めていた会社で期待されていることを感じていたが、「いずれはふるさとに帰って仕事をしたい」という思いをもっていた。ちょうどその時に出合ったのが藤崎電機だった。
同社への入社を希望したのは、お客さまのニーズをじかに感じ取ることができる現場での経験を重視する現場第一主義と、グループカンパニーの社長10人体制を目指すという社長メッセージに、この会社で期待される人材になりたいと思ったからだった。
コミュニケーションの円滑化で実験効率をアップ
入社から半年がたった2016年1月。バイオマス課で、バンブーバイオマス発電のボイラー設計に携わっていた田野氏に出張命令が下りた。共同開発を進めているドイツのランビォン社でボイラーの燃焼実験をやってこいというものだった。ドイツの南、オーストリアと国境を接するスロベニアとドイツの工場にそれぞれ1週間ずつ滞在しての燃焼実験であった。
「それまでは、インターネットを介してビデオ会議をしていました。何度も打ち合わせをするなかで、お互い信頼関係は深まっていたのですが、やはり文化が違うというか……」。ドイツでは素材となる竹が自生していないため、日本から竹を送り、実験を繰り返していた。そこで得たデータ等の資料をすぐにほしいのだが、ドイツと日本とでは働き方も違えば、環境も文化も違い、思うように結果が出せないでいたという。
そこで、実際に現地に足を運び、実験結果を持ち帰るのと同時に、コミュニケーションの円滑化を図るための出張だったのだ。帰国後のビデオ会議はそれまでのものとは違いスムーズになった。
そして全くの畑違いの会社に入社して半年。同社が今、最も注力する事業の基幹となるボイラーの燃焼実験に海外出張して参加するまでに成長できたのは、バイオマス課をはじめとした社内の風通しの良さもあったから。「課のメンバーは5人なのですが、それぞれ中途採用でいろいろな経験を積んでいます。問題に対して、何かしら専門的なアドバイスをくれます」と田野氏。
1号機の稼働に向けて、課題をクリア
山口県山陽小野田市に建設予定のバンブーバイオマス発電プラント1号機は現在、早期の着工を目指して、準備を進めている。そのため、バイオマス課は忙しい日々を過ごしている。ふるさとで働きたかったという田野氏だが、建設工事が始まれば、長ければ1年ほど現場に転勤となる。
「出張は少しも苦ではありません。本社が徳島県内にあって、拠点として、ふるさとに住むことができれば」と、朗らかに語る田野氏のお気に入りの場所が社内にある。それは、本社屋正面にある円形の白い建物、カフェテリアだ。日替わりのランチや麺セットなど、おいしくてボリュームのありそうなメニューが300円で提供されている。田野氏はもちろん社員みんなの憩いのスペースであり、1号機の稼働を見据えた会話も弾んで、アイデアも膨らむという。
山陽小野田市に1号機が完成すれば、次は阿南市の2号機が、そして全国に順次展開していくことになるだろう。そのすべてに関わりたいと願う田野氏は「まずは1号機を完成させて、稼働する現場に立ち会います。ひょっとすると、感動のあまり泣いてしまうかもしれませんが(笑)」と、目の前の課題を一つひとつクリアしていくことに視線を向けていた。
藤崎電機株式会社 エンジニアリングカンパニー バイオマス課 課長
田野 雅浩
徳島県池田町出身、1981年生まれ。2001年、阿南工業高等専門学校(土木科)を卒業。同年、東京に本社を置く建設会社に入社、配管工事の現場監督等を13年務める。2015年、藤崎電機株式会社へ入社。現在、山口県山陽小野田市に建設予定のバンブーバイオマス発電プラント1号機のボイラー設計を担当。35歳。
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