20年勤めた大手企業を退職後、山口県萩市の道の駅「萩しーまーと」の初代駅長を経て、現在は同専務理事を務めながら、「地域活性化伝道師」として全国各地を飛び回る中澤さかなさん。地域再生のために、ゆっくりじっくりと向き合い、ともに歩むそのスタイルは、自称「伴走型アドバイザー」。そんな中澤さんに「萩しーまーと」の成功の理由と、次なる目標を聞いてみました。
第二の人生は港まちで
――大手企業を退職してまで、縁もゆかりもない地方の道の駅の駅長に就任したのはなぜですか?
東京で2年半、関西で17年半、朝早くから夜遅くまで働き、休日も接待や社員の結婚式などで、家族とコミュニケーションを図る時間もあまりない、前職はそんな状況でした。ぼんやりとですが、いつまでも続けられる仕事ではないなと感じていたこと、そして、子育てをするにはやっぱりのどかな田舎がいいと考えたことから、勤めて15年目には「いずれは退職し、港まちで第二の人生を始める」と妻には宣言していました。会社を退職したのは42歳のとき。いわゆる早期選択定年です。
ちょうどその頃、萩市では道の駅の駅長を全国公募していました。ある程度の計画は進んでいましたが、まだ建物も立っておらず、まだまだ更地の状態でした。他の地域や業態も考えなかったわけではありませんが、完成したものを運営するよりも、立ち上げの段階から関われることに大きな魅力を感じ、さらに私の大好きな海と魚がすぐそばにある環境に惹かれました。手をあげた結果、初代駅長に就任が決まり、家族で萩市へ移住しました。
計画は白紙に。一からのスタート
――初代駅長就任後、まず最初にこれまでの計画を白紙に戻したそうですね
着任後、すぐに基本プランに目を通しました。大手コンサルタント会社が立てたものでしたが、内容は建物ばかりが豪華なもの。具体的には、商品に競争力がなかったり、開業後の減価償却費が収支試算に考慮されていなかったりと、このままスタートしたらいずれ赤字になると容易に想像できました。成功させるには、しっかりとマーケティングを行ない、コンセプトから見直すこと。そのため、白紙に戻すことにしたのです。
当初の計画では、「萩しーまーと」は全国各地にある観光海産市場「おさかなセンター」をモデルにしていました。それを受け、私は全国10カ所の「おさかなセンター」、そして30カ所以上の道の駅を視察して歩きました。そこでこういった施設に共通した課題を見つけたんです。それは、平日と休日、そしてハイシーズンとボトムシーズンの売り上げの差。売り上げが乱高下する観光市場は経営を安定させるのが非常に難しい。それをクリアにするにはどうすべきかを考えました。
経営を安定させるには、安定した収益が不可欠。そこで私は、それまでの観光市場や道の駅では考えられなかった、「ターゲットを地元住民に絞る」という策に出ました。魚介類を売るだけでなく、青果店や精肉店などの個店も集約することで、地元住民も足を運ぶ「公設市場」をコンセプトにしたのです。地元住民に愛される施設は観光客にも愛されるはずと、まずは「萩の台所」を目指したんですね。
もちろん白紙に戻すことに関して、反対される方もいらっしゃいましたよ。しかし、よくある「おさかなセンター」や道の駅では面白くない。旅行会社との提携もプランに組まれていましたが、旅行客を連れてくるのに1人当たり150円?200円の手数料が必要になってきます。それが勝算と言えるのか。果たして回していけるのか。私が白紙に戻す決断をしたのは、自ら儲ける仕組みを作らないと意味がないと腹を括ったからです。ここで、市や事業体の幹部を説得するのに、前職で培ったプレゼンテーションのスキルが大いに役立ちました。とは言っても、私の場合は味方してくださる人の方が比較的多かったですけどね。
――「おさかなセンター」や道の駅とは別物と考えたとき、競合はどこを想定し、対策したのですか?
ターゲットが地元住民となると、競合は地元のスーパーマーケットです。しかし、値段や量など、同じ土俵に上がっての勝負はせず、スーパーマーケットがやらないことを探しました。そこで目をつけたのが地魚。250種類にものぼる萩産の魚に着目したのです。スーパーマーケットに並ばない地元の魚を多くそろえることで、客をひきつけることに成功しました。「萩しーまーと」の商品比率は、地元産8割、県外他地域の生産物2割です。これはスーパーマーケットでは絶対にできない割合です。日々の買い物はスーパーマーケットでいいんです。ただ、息子が帰省するとか、親族が集まるなどのハレの日に買い物に来ていただける存在。私たちが目指したのはそんな施設です。
スーパーマーケットとの差別化として徹底したことはもう一つあります。それは、対面販売です。陳列された商品を回って歩いてレジに進むスーパーマーケットとは異なり、販売者と顔を向き合わせて買い物をしていただく。そこでは自然とコミュニケーションが生まれます。挨拶程度のものから、食材の良さや調理方法など。人と人とのふれあいがあることも「萩しーまーと」の魅力です。
初年度で年間売り上げ8.6億円の実績
――初年度から想定以上の売り上げだったと聞いています
開業前から「萩しーまーと」は失敗するといわれていました。人口や立地などいろいろな要素からそう考えられたのだと思います。しかし、いざオープンしてみると、予測を超えた数字でしたね。3年ぐらいで安定飛行となり、5年目で単年度黒字を達成しました。売り上げのピークは大河ドラマの舞台になった2015年で約12億円、現在は約11億円です。「萩しーまーと」は、坪効率だけでいうと、平均値の2倍強です。これは都心のスーパーマーケットより高い数字です。地元住民をターゲットに商圏を半径50km以内と想定した場合、山口市の北部が入っても人口は15万人程度です。この人口で10億円超えは普通ではありえない現象です。ちなみに、道の駅の年間売り上げの平均は2億円とされています。
地魚を使った独自商品を積極的に開発
――地魚を使ったさまざまな商品開発、ブランド化の取り組みについてもお聞かせください
「萩しーまーと」の営業を始めてから、私自身に地魚の知識が不足していることを痛感する出来事がありました。アマダイは煮たり焼いたりして食ベるものだという認識でPRしていたところ、地元の方から萩では普通「刺身で食べる」という事実を聞かされたんですね。「萩のことを何も知らないくせに偉そうなことを言うな」というような口撃を受けまして。そこから私は地魚について、萩についてもっと知るために漁師さんのもとを尋ねたりしていろいろと情報を集め、勉強しました。
その収穫の一つがマフグです。小ぶりなマフグはトラフグの10分の1程度の価格で売られていたのですが、地元の漁師さんに言わせると「トラフグに匹敵するおいしさ」と高い評価だったんですね。だったらそのおいしさをPRしようと、「ふぐの王様」がトラフグならば、「ふぐの女王」がマフグだと、萩市を代表する魚としてさまざまなイベントで打ち出しました。すると、今では高く評価され、県外にも多く出荷されるようになりました。きっかけは、地元の方しか知り得ない情報です。それをどう活用するのかを考え、提案するのが私の役目。地域の資源発掘に積極的になったのはこれがきっかけの一つです。
もう一つご紹介したいのは、「オイル・ルージュ」ですね。オイルサーディンの金太郎バージョンです。金太郎は、萩市では年間60?80トン水揚げされ、雑魚と言われていた地魚です。地元住民の方にとっては普段使いの惣菜魚。しかし、よそから来た私にとっては、他ではあまり見かけない可愛らしい朱色の、ちょっと気になる魚でした。そこでいろいろと文献を調べたところ、実はフランス料理で使用される地中海の高級魚「ルージュ」の近縁種であることがわかったのです。
その事実がわかってからは、金太郎が持つ美しい朱色と旨味を生かした商品の開発のため試行錯誤しました。その結果、たどり着いたのが「オイル・ルージュ」です。「オイル・ルージュ」はすぐに人気商品となり、県外から求めて来られる方もいるほどに。金太郎自体もメジャーとなり、飲食店で扱われるようになりました。その結果、1kg当たり200円台で取り引きされていた金太郎は、500?600円台の価値に跳ね上がり、今では萩市の名物となりました。地元にとっての雑魚が、今まで知り得なかった魅力を発掘し、打ち出し方を変えるだけで名物に大出世です。探せばヒントは見つかるものです。
商品開発の他には、鮮魚売場で好きな魚を選んで、館内のレストランで調理してもらう「勝手御膳」、毎週金曜は水揚げしたばかりの鮮魚をトロ箱単位で売り出す格安販売会なども実施しました。こういった他にはない取り組みをすることで、メディアに何度となく取り上げてもらえ、話題となり、「地元に愛されている道の駅」というイメージが伝わり、観光客にも集まってもらえるようになったんです。
地域活性化のために何が必要か
――「萩しーまーと」での成功も踏まえ、地域を活性化するために必要となるものは何だとお考えですか?
とにかくマーケティングです。基本に従った忠実なマーケティングを遂行することです。私が考えるに、道の駅の成功・失敗に立地は関係ありません。きちんとマーケティングを行い、競争優位性を確保すればどこでも成功できる。地方ではまだまだマーケティングが重視されませんが、ここさえ押さえれば私じゃなくても誰でも成功へと導くことができる、と私は考えています。たとえ不利な立地だとしても、他にはないものに取り組むこと。差別化する要素は探せば必ず見つかります。私は特別なことをやったわけじゃありません。基本のマーケティングを行なったのです。
首都圏でマーケティングの知識をしっかりと身につけた人は地方でも絶対に輝ける、私はそう思っています。その知識は地域を活性化し、人々の生活を豊かにする宝物です。Uターンや移住を考えている人の多くが抱える問題は、働く場所がない、ということだと思います。でもそんなことはない。むしろ、地域の役に立てる人財となれるはずで、そういった人物を求める自治体や企業は多いはずです。
今や萩はホームタウン。自分らしい生き方がここにある
――今後、中澤さんが目指しているものは何ですか?
ここ10年の間、全国の市町村の道の駅や水産物直売所の開設、水産資源開発のプロデュースの要請を受けるようになりました。これまで関わったプロジェクトは約50あります。おかげさまで、愛媛県の道の駅「みなとオアシス宇和島 きさいや広場」や岡山県の「笠岡ベイファーム」は、売り上げも来場者数も初年度で目標を大きく上回る数字を達成できました。私の関わり方は、教師のような立場ではなく、一緒に取り組んでいく、いわば「伴走型アドバイザー」です。間違った方向に進みそうになったとき、軌道修正するような関わり方で、主体はやはり地域の方々という考え方です。なので、1つの自治体に平均で3年、8年通っているところもあります。割とゆっくりと時間をかけて、意思の疎通を重視して進めるタイプです。
ただ、今年の年度末で60歳の一年が終わり、一般企業でいえば定年だなと、ふと思いましたね。2017年に弟子に駅長を譲り、現在は専務理事という立場となったことですし、約50の市町村とはつながりつつも、ゆるやかに仕事は手放していきたいなと考えたりもします。人生も最後のステージが近づいている、だったら大好きな海と魚にもっと関わりたいと。理想は1年の半分は漁師、みたいな悠々自適な暮らしですね。まあそんなことを言いながらも、まだまだ「地域活性化伝道師」として全国を飛び回りますよ。
道の駅「萩しーまーと」専務理事・地域活性化伝道師
中澤 さかな(なかさわ さかな)さん
1957年滋賀県生まれ。関西学院大学にて水産地理学を専攻。株式会社リクルートに入社し、勤続20年で早期選択定年により退職。その後、全国公募で山口県萩市に移住し、道の駅「萩しーまーと」の計画・開業に関わり、国交省選定の全国モデル駅に育てあげた名物駅長として知られる存在に。現在は同道の駅の専務理事であるとともに、内閣府認定の「地域活性化伝道師」として全国の市町村の道の駅や水産物直売所の開設、水産資源開発のプロデュースなどを行なう。全漁連プライドフィッシュプロジェクト企画委員会運営委員長、萩市観光協会副会長、水産大学校非常勤講師、青森県東北町観光アドバイザー、沖縄県うるま市農水産アドバイザーなどの役職も務める。