北海道旭川市。旭山動物園やラーメンで知られる町に、「勝負する市場」のステートメントを掲げ、「食のライフライン」を目指す会社がある。水産物・農産物などの卸売、加工、物流まで一手に行う「キョクイチホールディングス」だ。1,000人の社員を率いる社長・角谷靖氏は「東京のビジネスモデルを見たからできた発想」と言う。北海道共創パートナーズ代表取締役社長・堀口新氏が、「旭川におけるビジネス」「旭川で働くこと」について角谷氏から話を聞いた。
海のない旭川の「港」として成長
キョクイチホールディングスは1949(昭和24)年、旭川市場で営業開始したキョクイチが母体。海のない旭川だが、北海道のほぼ中心という地理的メリットを活かし、日本海・太平洋・オホーツク海からの海産物や道内の農畜産物を集荷集散してきた。販売・流通の他、加工部門や物流などの機能に特化したグループ会社を率いる。ホールディングス化により、「港」としての存在感はさらに強まった。
マイナス20℃の土地に道内2位の町ができたわけ
堀口 旭川という地名は知られていますが、実際どんな土地でどんな気候なのかをまず解説してください。
角谷 人口では札幌に次ぐ34万人です。冬はマイナス20℃以下まで下がり、日本の寒さ記録マイナス41℃をまだ保持しています。そして夏場は30℃を超えるという、寒暖差が激しい地域です。
堀口 その過酷な気候の町が、どうやって発展してきたんでしょう。
角谷 明治23年頃、北海道で屯田兵の開拓が始まり、旭川も拠点のひとつとなりました。小樽や札幌が先に発展し、次に内陸に開拓が進み、旭川は道内の物流拠点として発展してきたんです。人口が増えるにつれ市場ができました。海のない町なんですが、太平洋、日本海、オホーツク海の海産物が集まってきますから。もちろん農産物も豊富です。
堀口 北海道自体、水産物や畜産物、農産物の生産能力がとても高いですからね。
角谷 はい。カロリーベースでいくと、消費カロリーに対して200%の生産能力を持つと言われています。水産物だけだと300%ということです。道内では消費できないから、道外や海外に販売しなければ、と物流拠点である旭川も重要な場所になりました。あと、国立の医科大学もあり、医療や介護に関しても充実しています。最近では、医療ツーリズムでインバウンドが非常に伸びていますね。
「食」カテゴリーをすべてカバーする、キョクイチという会社
堀口 キョクイチは旭川でどのような歩みをしてきたのでしょう。
角谷 戦後、食糧難の時代に東京の築地や大阪に市場ができました。旭川にもそういった市場がありました。1949(昭和24)年に設立された、旭一旭川魚菜市場株式会社がキョクイチの前身です。ほぼ70年の歴史があります。当時、北海道の水産物は300万トンくらいの生産量で、それらを本州に販売するルートを広げてきたのが、今までの歴史ということになります。
堀口 消費しきれない食糧を、エリアを越えて販売して商圏を広げてきたわけですね。角谷さんが社長に就任する前から商売の性格も大きく変わったと聞きますが。
角谷 市場は最高額で商品を競り落とす場所です。店でたくさん売ろうと思ったら、仕入れはそれなりの金額になります。でも、量販店の出現で大量に安く仕入れたいというニーズが生まれました。そういった構造変化の中、キョクイチは販売だけでなく生産や物流にも業務範囲を広げ、一気通貫で卸すビジネスモデルに変えていったんです。東京の会社も含め、M&Aでいろいろな会社を買収していきました。拡大志向の経営でしたね。
堀口 そして角谷さんが社長に就任されたのが6年前(2012年)でした。会社の動く方向を変えられたんですね。
角谷 2015(平成27)年に、総合物流センターを併設した新社屋をつくりました。市場で空いていた、駐車場にするしかないような敷地でした。量販店の加工部門や集配センターにも入ってもらって、土地を有効利用したんです。同時に、物流の動線も見直し、短い距離で効率よく流れていくよう改良したり、安心で安全な商品を送り出せるよう温度管理も徹底しました。
堀口 設備投資の金額もかなり大きかったと聞きましたが、その決断の理由は何でしたか。
角谷 東京のビジネスを見ていたからです。5年ほど東京勤務をしたんですが、北海道との違いを実感しました。東京は、例えば牛乳でも野菜でも肉でも、それぞれの配送システムができあがっていますが、北海道だとそれらをいっぺんに積んで配送しないとコストがかかって成り立たない。東京の反対のことをしなければいけないんです。
東京と正反対のビジネス特性をしっかりと受け入れる
堀口 その「東京と反対」をもう少し掘り下げたいですね。よく「東京をお手本に」「地方を反面教師に」と言われることもありますが、そうではない?
角谷 北海道って少子高齢化の日本最先端エリアだと思うんです。さっき言ったような一括でやるビジネスモデルは、みんなが困っていることを束ねて便利屋のようにやってみようということでした。不自由なことを10個ぐらいまとめると、また新しい仕事ができるんじゃないか。ひとつに特化している東京と、反対の商売っていう発想です。
堀口 それは東京のビジネスモデルを見られたからこそ、ですね。新しいモデルを発展させる刺激になったというか。
角谷 まあ旭川だけにこもっていると視野がすごく狭くなります。旭川の町に夜飲みに行ってもほとんど人もいません。このままだと食料品の商売は成り立たなくなるんじゃないかと気持ちが萎えます。でも東京で、例えば新橋に会社員が40万人いるとして、100人に1人がお昼にサバ味噌定食を食べたら4,000切れ売れることになる。そういう世界がここにあるんです。売り場所を変えたら商売になっていく。できるできないは別として、頑張ろうって気持ちが湧いてきます。だから東京に来るのは刺激があってとても好きです。
東京と同じ土俵ではなく、地域ならではを追求する
堀口 そういった想いでビジネスモデルを確立しました。次世代に向かってキョクイチホールディングスをどういう方向に成長させていくのでしょうか。
角谷 キョクイチは創業70年ですが、100周年を目指してどういうカタチで生きていこうかって考えます。でも将来的に北海道の大きな経済発展はたぶんなかろうと。その中で価値観や幸せ度合いをどう見つけていくかだと思います。市場ですから当然うちは朝早いんですが、他の会社なんかで夜まで煌々と灯りがついている状態にとても違和感を覚えます。東京にいるとき住んでいたマンションの向かいがオフィスビルで、灯りが夜中の2時になっても消えないんですよ。あれって働いているんだよなと思ったら気持ちが悪くなって、毎日カーテンを閉めきるようになってしまいました。それくらい、北海道の人間と働き方が違うんです。東京の人は田舎の人の二倍は働いてるんだなとも思いましたが。
堀口 都心では当たり前のことが、他の地域ではそうじゃないことをわかった方がいいですね。
角谷 我々は家から会社までクルマで10分や20分くらい。飲みに行ってもタクシーですぐ帰れます。電車はないですからね。東京とは違う幸せ感があると思います。
堀口 旭川と東京を両方ご存じで、それぞれの違いを理解していますよね。東京と同じルールで同じ土俵に共存するのではなく、地域に合った働き方があると思います。キョクイチホールディングスとして、どんな人材を求めていますか。
角谷 旭川は気候的に非常に厳しいところなので、まずはうちの会社に興味を持った方、ではないでしょうか。
堀口 地方企業はスキルの高い人たちを求めていることは間違いないんですが、旭川の厳しい気候を拒否されるかもしれないとすると、全面的な採用にはリスクが発生します。だから優秀な人を共有財産として保有できればいいという考えもありますね。
角谷 東京に住んでいてもそのままうちの会社の仕事に参画して、高いスキルを発揮していただく。その人を例えば札幌にある別の会社と分け合ってもかまわないですし。こういう新しいカタチの転職なら、閉鎖的になりがちな地方企業でも受け入れてもらえるんじゃないでしょうか。
地方の仕事で最大の特徴は「緩さ」
堀口 「閉鎖的」とおっしゃいましたが、そうなんですか?
角谷 北海道自体、地元の人ばかりで外からの転職者がなかなかいないんです。だから、従来型の転職者は受け入れづらい側面がありました。でもコンピューター関連も含め、部署ごとに切り分けて、兼業もあり、旭川には夏に仕事に来てもらえばいい、というのでも全然かまいません。その中でいろいろアイデアを出してもらい、高いスキルを提供してもらえれば。
堀口 柔軟な働き方でもいいから、一緒に仕事をしようということですね。
角谷 その方が合っていると思います。東京と地方の企業で、最大の違いは「緩さ」なんですね。うちの会社は従業員1,000人のうち地元の大学や高校出身者がほとんどで、非常にのどかです。「東京に転勤したい人、手を挙げて」と言っても、誰も挙げない(笑)。そういう中でやってきているので、非常に緩やかなんですよ。
堀口 許容できる範囲であれば何度失敗してもいい、という社風もその一環ですね。
角谷 100戦100勝というのはもともとあり得ませんし。勉強が足りなかったから失敗したんだったら、それだけでその人を放り出さず、もう1回くらい失敗できる機会を提供してあげる。今、海外からの輸入額が100億円くらいあるんですが、流暢な英語を話せる人間はいません。せいぜい片言が4?5人。「ほどほどに」という感じでいいんじゃないかと思っています。ほどほどに面倒で手がかかって、あまり儲かりすぎず、東京の会社が見放すような仕事をやっていくのが地方企業の役目です。
堀口 でも、ここまで発展してきてニーズもあるので、しっかり工夫してやっていくことで大きな発展はないかもしれないけれど生き残っていくのは確実だと思っています。
柔軟性を持ったやり方で地域を支えていく
堀口 旭川の地理的環境を活かして企業活動をやるとしたら、どんな可能性があると思いますか。
角谷 活断層がないので、クラウドサーバーを置くとかどうでしょう。でも、最大の地理的環境は、東京と北海道は陸でつながっていないことです。だから物流は船便。他はコストが高いので、同じものをつくってもかないません。これが弱点です。
堀口 先ほどのクラウドもそうですが、IT産業はどうかなと思いますが。
角谷 付加価値の高いものは場所を越えますね。ただ、我々の業種と他業種とのコラボレーションには、向き不向きがあり一緒になれないものもあると思います。旭川は、やはり食に関する産業に特化すべきです。水産、畜産、青果に加え北海道でも温暖化のせいか桃や柿も穫れるようになりました。お米もおいしくなりましたし。ちょっと自慢させていただくと、このくらいの面積の島で、魚も野菜も果物も穫れて、牛や豚、羊もいるところは世界でもなかなかありません。柑橘類以外はほとんど穫れるんです。グルメアイランドとして、すべてが1個所で完結できます。ある程度人口もあって、他の産業も発達しているという……。もうちょっと世界的にアピールしなければと思います。
堀口 北海道に転勤になった旦那さんに奥さんが「私もそんなところに行くの?」と文句を言ったものの、4年くらいして東京へ帰ることになったら「もう帰るの?」と言われた話を聞きました。それほど魅力的な土地なんです。旭川はマイナス20℃の冬もありますが、柔軟な働き方を採り入れれば、新しいスキルを持った人たちによってもっと変わっていくんじゃないでしょうか。キョクイチホールディングスにはその先頭を走り続けてほしいと思います。
株式会社キョクイチホールディングス 代表取締役社長
角谷 靖氏
北海道大学水産学部漁業科卒業後、旭川地方卸売市場(現・株式会社キョクイチ)入社。鮮魚営業に従事し、1998(平成10)年取締役就任。首都圏事業拡大を遂行した後、2012(平成24)年株式会社キョクイチ代表取締役。2017(平成29)年に株式会社キョクイチホールディングスを設立し、初代代表取締役就任。「勝負する市場」をスローガンに先進的な取り組みに挑戦する。
株式会社キョクイチホールディングス
1949(昭和24)年、旭一旭川魚菜市場株式会社として営業開始。1982(昭和57)年より青果部門、水産加工部門、営業倉庫部門などの会社を設立。2017(平成29)年、株式会社キョクイチホールディングスに商号を変更し、食のライフライン企業を目指す。企業理念は「一口の感動」。