長野を拠点に世界に翔ける先端テクノロジー
アルティメイトテクノロジィズ株式会社 代表取締役 内海 哲さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2019/09/24 (火) - 15:00

アルティメイトテクノロジィズ株式会社は半導体・デジタル家電開発事業者に、先端の解析ツールを活用した高品質の設計サービスを提供しています。次世代自動運転ユニットの先行開発や、総務省の5Gプロジェクトの一角を担うなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの同社について創業者の内海哲代表取締役に伺いました。

就職、倒産、そして起業へ

アルティメイトテクノロジィズ株式会社の創業者、1972年、内海哲さんが初めて就職したのは、船舶の発電機を開発する会社でした。しかし時代の流れと共に造船業が衰退し、入社して6年後には倒産。内海さんは、「会社は時代の変化に付いていけないとダメ」だと学んだといいます。そして、この倒産をきっかけに、自分で何かを始めようと考えた内海さんは電気の部品に目をつけ、起業を決意することになりました。

「電気には、“プリント基板”という電子機器部品の頭脳部分、“トランス”という家庭用電源をコンピューターなどに使えるように変換する部分、それから“ハーネス”という電子機器同士をつなぐ部分の3つの大切な部品があります。そのうち当時“プリント基板”は未成熟な分野でした。そこで一旗上げようと考えたのです。」

内海さんは、とある大手電機会社の出資で、子会社という形で1978年に起業することになりました。

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表情の奥に優しさと寛容さを感じさせる内海代表取締役

「半導体」は、電子機器、スマートフォンやゲーム機、パソコンやTV、そして自動車にいたる、さまざまな情報を記憶して数値を計算する、いわば人間の脳にあたる役目を担っているものです。しかし、半導体が機能するためには、正しく作動させ指令を送る装置が必要です。それを担っているのが「プリント基板」です。

内海さんが起業した当時は、ちょうど機械が“重厚長大”から“軽薄短小”に変わっていく時。プリント基板の形が次々と変化していくなかで、この分野に可能性を感じたのだといいます。

「1980年頃から国際間での競争も激しくなりました。プリント基板の開発には、電機を集約する技術や、熱を放熱する技術など欠かせない上、日本は安全のための保険(装置)をいくつもかけなくてはなりません。その分、小型化・軽量化が難しいのです。日本の進んだ化学製品の分野などと融合しながらそれを実現していくのが、弊社のミッションでした。」と内海さんは語ります。

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半導体をはじめ、様々な精密機械を搭載したプリント基板

順調だった内海さんの会社は、1998年頃、自動車産業が大不況に陥ったことで解消せざるを得なくなりました。ただ、その頃には資金的にも技術的にもある程度貯蓄ができていたことから、完全に独立資本として立ち上げることに。2000年、(株)アルティメイトテクノロジィズが誕生したのです。

長野に起業し長野にあり続ける、その訳とは

内海さんが長野に拠点を置く理由はシンプルなものです。「スキーが大好きだったからです。東京出身なのですが、週末ともなればよく長野へスキーしに足を運んでいました。長野に住んでしまえば、行きたいときにすぐに行けるようになりますから。」

「それに、アメリカでもエンジニアオフィスはNYなどの都心部にはなく、大体はカリフォルニアのオレンジカウンティやサンノゼなど地方にあります。静かな環境の方が開発に集中できる。余計なノイズが少ないので、エンジニアにとってはストレスが少ないのではないでしょうか。経営面からいってもランニングコストは大きいです。立派なビルにオフィスを構えながらも家賃は安いですし、その分、開発に投資できます。」

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山々に囲まれ、善光寺を中心に栄える長野市の空撮写真

内海さんは起業した頃からインターネットが普及し、いずれどこにいても仕事ができる時代になることを予測していたといいます。

「工場を持たずに製造業としての活動を行うビジネスモデルをファブレスといいます。我々の場合はプリント基板のデザイン・開発・設計は自社で、実際の製造はコストの安い海外でというファブレス形態をとっています。実は日本において我々のような独立したファブレス企業は珍しい。ほとんどが大手電機メーカー内の“インハウス”という形で、開発から製造までを担ってきました。インハウスでは、どこかの部門が厳しくなると、研究開発コストが重荷になってカットされやすい。その結果が今の多くの電機メーカーが陥っている実情なのです。」

次々に海外へ進出。2001年にマレーシアに支局設立

アルティメイトテクノロジィズ株式会社はその後も、勢いが留まらず2001年にマレーシアに支局を設立しました。日本は教育機関でのエンジニアの教育が発達しておらず、学校では理論しか教えません。一方でマレーシアでは、技術を使ってものづくりをするという実地の教育をしているといいます。

「我々のような会社は優秀なエンジニアを雇うことが生命線ですから、マレーシアの優秀な人材を囲えることは魅力でした。当時、技術を生業とした企業で、現地の技術者を雇ってくれる企業に税金を10年間免除するという特区制度をマレーシア政府が立ち上げたため乗り込んだのです。そんな日本企業は、前にも後にも私共だけでしたが。」

2002年にはハワイ支局も設立。「アメリカでは大学の教授もビジネスに関わることが多く、ハワイ大学には米軍と共に飛んでいく武器の技術を共に開発するイノベーションセンターがありました。そこのオフィスに空きが出たので事務所を構えたのです。アメリカの賃金の相場が高騰で2008年には撤退をしましたが、今でもまた機会があればハワイ支局を立ち上げたいと思っています。」

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ローカルモデルを目指して奮闘したい

アルティメイトテクノロジィズ株式会社には、3つのコア事業があります。1つは、大手自動車メーカーとの次世代自動運転ユニット開発。もう1つは、ゲーム機のプリント基板を開発。そして、経産省や総務省の国のプロジェクトなどです。

「長野だからこそここまでやってこられたと思っています。人や開発に投資ができますし、この自然に囲まれた長野の環境は研究開発にはもってこいです。また、国内メーカーさんにとっては国内企業であるということも重宝いただいているポイントだと思っています。」

ものづくりは海外でやるとしても、デザイン・開発・設計面だけは国内企業が担うべきだという内海さん。「弊社のような中立的な立場の会社が担える役割というのは大きいと思っています。都会に集中しすぎず、もっと地方に分散しながら、多様な生き方ができる社会になっていくと良いですよね。」

長野を拠点に内海さんの今後のますますの活躍が期待されます。

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