地域内外の人とのつながりが地域への誇りと愛着をつくる。「あまちゃん」のまちづくり
岩手県久慈市 市長 遠藤譲一さん
取材・文・撮影:NATIV.編集部
2019/03/28 (木) - 08:00

久慈市は2013年朝ドラ『あまちゃん』のロケ地で知られ、北限の海女が今でも潜りながらウニやアワビを採っています。2011年東日本大震災の際には、津波によって漁港や街なかが壊滅的な被害を受けましたが、被災地の中でもいち早く復興し注目を集めました。2016年には台風10号によって再び街が浸水被害に見舞われます。津波や豪雨など自然災害を何度も受けながら、すぐに復活するといった地域のレジリエンスはどのように生み出されているのか、愛着を持つまちづくりを目標に掲げる久慈市を取材しました。

岩手県久慈市 遠藤譲一 市長

  • 統率(リーダーシップ)78 
    久慈市では代々、保守系世襲によって首長が歴任されてきたが、2014年に地元出身で県職員を経験した遠藤市長が初当選、2018年に再選され2期目が始まっている。東日本大震災からの復興と地方創生を組み合わせた地方版総合戦略を策定し、バランスを取りながら独自路線を打ち出している。
  • 武勇(行動突破力)88 
    地域活動やイベントには積極的に顔を出し、また東京や他の地域においても地元出身者の集いを開催するなど、地域住民との繋がりを重視している。住民のネットワークこそが久慈の宝と位置付けて、地域活動や防災、福祉などの住民主導の取組みに対して支援を進めていく考えである。
  • 知略(ビジョン)82
    北東北の沿岸部という地理的な制約にとらわれず、外部からの情報提供や企画提案を好む。人口減少を与件としつつも、地元出身者との繋がりを濃くすることで持続可能なまちづくりを進めていくビジョンを提示し、先取的な取組みを常に模索している。
  • 政治(内政外交)86 
    就任2期目となり、新しい施策を積極的に展開できる体制となってきている。実務派の部課長を揃えつつ、経済、環境、教育など多面的に地域の魅力を再構築するための取組みを進め、国政や県政にも目配せをしながら国内外の姉妹都市連携を拡充していく段階にある。

仕事さえあれば若い人が残るわけではない

ー地方版総合戦略「あまちゃんのまちづくり戦略」の中で、久慈に愛着を持ってくれるまちづくりをしたいと掲げられています。

久慈市も少子高齢化と人口減少が進みます。若い人たちに久慈で生活してもらうためには仕事がなくてはいけませんが、仕事だけがあれば残るというわけでもないと思います。仕事は全国、それこそ東京をはじめとする大都市にたくさんある中で、どうして久慈を選ぶのかが重要です。

岩手県久慈市 遠藤譲一(じょうじ)市長

あえて久慈に住みたいという選択は、久慈が良いところだと思ってもらえること。自然環境だけでなくて、自分の住んでいる地域内外との「人の繋がり」が大切だと考えています。東日本大震災や豪雨災害でその価値を実感しましたが、何かあったときには隣近所で支え合って「大丈夫」「お互い様」だと言えるような地域づくりを大事にしていこうという想いがあります。

秋祭りや、伝統芸能も地域に愛着を持つ重要な要素です。小さな頃から大人に倣って参加して、自分が大人になれば次の世代に渡していく。秋祭りは大人になって、山車を製作できるようになったら一人前です。たとえ他の地域に住んでいても、祭りのために戻ってくる人たちがこんなにたくさんいるのは、愛着という概念において非常に大きな事実ですね。

子どもたちや次世代のために安定した仕事をつくるだけじゃなくて、良いまちだなと思ってもらうためには何が必要か。それには今の大人たちが自信を持つことが重要だと感じます。久慈には何もない、遠い、不便、寒い、閉鎖的だと、そういった話を大人たちはしがちなのですが、まずは自分たちから地域の見方を変える必要があります。

自分たちが自分たちのまちをどう思っているのか

ーあまちゃんフィーバーの影響はあったのでしょうか。

実際にあまちゃんをきっかけに久慈市のファンになってくれた人たちは、「こんな良いまちは日本でここにしかない」と言ってくれます。そう言われることが多くなると私もうれしくなって、もっと良いところ、プラス面を子どもたちに語っていこうと考えるようになります。そういった施策を行政としても進めていきたいと話をしています。

市民と話をすると、「若者たちが流出していって困っている」と言われます。「市長、どうするんだ」って。「何とかしてくれ」と頼まれるんですが、「まずは自分の地域、自分のまちをあなたはどのように思っているのか、一緒に考えましょう」という話をします。自分たちが地域を愛さなければ若者たちに伝わることはない。重要なのは市民参加です。

誰かに何かを要求したら良いまちができるわけではありません。夏の盆踊りも秋祭りも、各地で地域住民がやります。敬老会も50ヶ所以上やります。各地域でそれぞれが計画して、お料理を作って準備して、当日を迎える。このエネルギーはすごいと思っています。また地域の草刈りもあります。みんなで早朝からボランティアで草刈りをするんですよ。こうしたことを守るのは非常に面倒くさいですが、先祖代々続いているからこそ人間関係が形成されています。

こうしたことを通して自分たちが住んでいる地域を自分たちで作っていく手応えは、実は強みになるのではないでしょうか。ここでの子育ても、年をとっても安心して暮らせるのも自分たち次第。みんなで考えて地域のことを決めて、これから何をやるかを創っていくプロセスこそが重要です。みんなで汗かいて、終わったら反省会して、次に向けてどうするか。もちろん状況は厳しいですが、何もしないで他人任せにして誰かに文句を言って何も生まれないじゃないですか。前向きに明るく暮らしている姿を、若者たちも訪れる人々も見ています。

震災や豪雨災害の経験が、強い地域をつくっていく

ー2011年に東日本大震災で津波が来て、一昨年には大雨の被害もありました。災害の前後で変化はありましたか。

もちろん変化はありましたね。それまでは大災害が来ると思っていませんでした。人は忘れる生き物です。100年前にも大津波があったそうだって言い伝えられていても、何か聞いたような気がするなって感覚になっている。でもよく聞くと、60年前にも洪水があったとご存知の人がいらっしゃって、やっぱりそういうときには隣近所に命を助けられたそうです。

その時に市役所に苦情の電話を入れても、何ともなりません。行政はあてにならない。自分のことは自分で、町内のことは町内でやらないといけない。あそこに足の悪いおばあちゃんがいて、こっちに一人暮らしで逃げるのも大変なおじいちゃんがいて、誰が手助けするのかを普段から決めておく必要があります。

地域の連帯が住民の命を救うということを、行政は支援していきます。災害を通じてより強く感じていますので非常に重要だと認識しています。隣近所の人間関係を良くしましょうってあまり派手さはないですが、それぞれの人生、生活にはやはり地域の繋がりが大事じゃないかと訴えてきました。

ー敬老会で片足悪くなっちゃったんだねとか、草刈りに出てた人が来なくなったねとか、やっぱりそういう隣近所の情報共有、変化を見逃さない日頃の付合いが重要ですね。

お年寄りには外に出ることを推奨しています。認知症にならないためには外に出なくちゃいけない。外に出て地域の公民館に集まって体操したり。私も市内各所を回って手作りのお料理を食べながら、笑ってこういう話をしています。「うちに引きこもっちゃだめですよ。」って。でも特に男の人が出てこない。人付き合いが苦手な人が多いし、これをどうするかが課題ですね。

まちとしては100年のビジョンも必要ですけど、それよりも毎日の生活が大事です。やっぱり人間関係ですよね。家族は仲良く、子どもを可愛がって、隣近所のおじいちゃん・おばあちゃんにも優しく声かけて、そういった付合いがなくなってしまうと寂しいですよね。お金があれば何とかなるけど、いざとなったときに隣近所が手を貸してくれない。

一人ひとり住んでいる人の問題です。優しい人がいっぱいいるまちにしましょう。そうすれば若者たちはもっと地域に住んでくれます。ちゃんとここで生活してもらえるように、一人ひとりが人格を磨かないといけないと、話をしています。

人が住むためには医療体制も必要だし、介護体制も教育水準も上げていかないといけません。トータルで久慈に住んで良いなって思ってもらえるまちにするにはどうするか。そのためには制度面でのアピールももちろん必要ですが、そこに住む人たちについてどう感じるかが決定的に重要です。

住民参加+外からの刺激でまちは変わる

ー震災後にどうして市長になろうと思ったのですか?

震災復興のプロセスに対して、地域住民の不満が溜まっていたんです。行政は、それを上手く拾いきれずに、トップダウンでモノゴトを進めようとしていました。わたしは、もっと市民目線で市民と話しながらボトムアップで進めていく必要があると感じました。できることできないことを市民と率直に対話することこそが地方自治だろうと考えています。そういったことを訴えて選んでいただきました。

実際に市長になってみると大変です。市民目線だ、住民参加だということを愚直にやっていくには時間も体力も要ります。100万都市じゃ無理でしょうけど、久慈市くらいの規模はちょうどよいと思っています。あまり小さすぎると逆に制約がありすぎて厳しいですよね。3万人程度の人口ならば、住民参加で言いたいこと言えるし、実際にやる際には一緒に汗もかいてもらうこともできる。

震災に関わらず、今まで通りのやり方ではだめだと思っています。市民参加はもちろん重要ですが、もっと外の人たちから協力してもらわなくちゃいけないし、井の中の蛙だとまちは停滞してしまいます。幸いなことに、地域おこし協力隊制度や地方創生シティマネージャー制度で良い人たちに入ってもらってますので、外からの刺激をどんどん取り入れていきたいですね。

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土曜日に会議室に集い、シティマネジャー千田良仁さんや、在京久慈出身者が集うふるさと会をホストした、居酒屋くろきんを営む株式会社ゲイト代表取締役五月女圭一さんの話に耳を傾ける久慈市役所幹部のかたがた

ーあまちゃんのおかげで、外からの刺激が増えましたか?

朝ドラは画期的ですよね。それまで岩手の久慈ってどこにあるの?と言われてばかりでした。ドラマになって「じぇじぇじぇ」も有名になって、久慈市も知名度が上がりました。たくさんの人たちに来ていただいて、良いまちだって言ってもらって自信が出てきました。

もともと先祖代々、親からもこんなところは何もないと言われてきました。北三陸は米が取れないから貧しかったのですね。米文化がなければ余所に出稼ぎに行ったり、遠洋漁業で生計を立てるしかないわけですから、地元への愛着とか歴史とかが育まれる機会もあまりなかったと言えます。

でもあまちゃんで、宮藤官九郎さんが素晴らしい脚本を書いてくれて、地元の良さであるとか人の繋がりによってまちが成り立っている様子を見せてくれたんですね。それを活かさない手はないと考えてます。主演ののんさんも毎年久慈に来てくれていて、第二のふるさとだと思ってくれているのも有り難いですね。

ファンづくりを軸にした観光&産業振興に注力

ーあまちゃんのブレイクがあって、どういった方向に発展させていく考えでしょうか。

観光を伸ばしていきたいと考えています。今はインバウンドの話もあって、国は4000万人といった目標を掲げていますが、久慈市の観光客はそれほど増えてないです。ですが、そもそもホテル自体がそんなにないので、数を伸ばせば良いということではないと思ってます。

むしろ久慈のファンを増やしたいですね。何度も来てくれるような濃い人を増やす。そのためには設備投資をするのではなく、もっと地に足の着いた取組みが重要です。何回も来ていただけるような愛着心を持っていただく、そういったまちづくりをしていきたいです。

新しい人が来るなというわけでは当然ないですけども、久慈に来ればゆとりを感じられるようにしていきたいですね。東北と言っても冬は雪がほとんど降らないですし、寒暖差もそれほどないし、海もあるし山もあるし、本当に良いところですよ。ここで食べていける、生活していけるっていう気持ちのゆとりを市民が持っていられれば、訪れる人々にも自然に伝わるでしょうね。

ー観光振興よりもファンづくり、そうするとふるさと納税なども重要ですね。

ふるさと納税は以前に比べたらだいぶ増えましたが、全国ではまだまだ下の方です。これは伸ばさないといけないと思っています。やっぱり地元の特産品を使って産業振興に繋げたいので、どこかの自治体のように、たくさん集めれば良いという姿勢は違うと思ってます。久慈にある良いものをどんどん提案してくださいと、地元で話をしています。

ファンづくりですから、一回買ってもらって、今年度は売上げがいくらであっても、来年も買ってもらわないと意味がありません。できればふるさと納税ではなく、その特産品のファンになってもらって、事業者から直接買ってもらいたいです。

そのためには地元の事業者が頑張らなくちゃいけないという話もしています。ふるさと納税はあくまできっかけであって、あとはマーケティングや販路開拓をもっと勉強してもらいたいと言っています。本音としては税収ほしいですけどね、地に足が着いた、地域としての収入増があれば回り回って豊かになっていきますから。

地元に愛着を持ってもらうために重要なのは教育

ー愛着のあるまちづくりをするために、子どもたちにはどのような教育をしていますか。

重要なのは歴史と文化を知ってもらうことだと思ってます。久慈は歴史を大事にしないまちだとよく言われます。まちの成り立ちが分からない。どんな人が出たのかも分からない。それでは駄目なので、もっと調べたいと考えています。久慈は琥珀が取れますから、縄文時代から人が居たはずなんです。北はアイヌ、南は大坂や京都と交易していたという話もあります。実際に江戸時代には、南部藩の特産品として琥珀が流通していた記録もあります。

津軽藩の始祖である大浦光信公も久慈の出だと言われています。その縁で青森県鰺ヶ沢町と友好協定を結びました。でも市民はほとんど知らないんですよ。今の津軽を築いた人が久慈から出たというのは凄い事です。そういう土地柄であることを、大人がしっかり勉強して、子どもにも伝えていきましょうって言っています。

文化は、なんといっても地域の伝統芸能。これを小・中学生にはできるだけ体験してほしい。何も知らないと愛着が湧かないですよ。先祖代々続いてきたものがあって、それをぜひ継いでほしいです。伝統芸能を守りつつ、それを基盤にして他の地域と交流すればいい。久慈の秋祭りなんて、東京に持っていったらすごく面白いと思いますよ。

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秋祭りで太鼓をたたく子どもたち

ー最近の教育は、自ら疑問を持って調べる、主体性を育むものが主流になっています。

久慈のことを自分で調べて、こんなにも面白いまちだったのかと気づいてくれたら良いですね。そういった話をどんどん他の地域や海外に行って発信してくれれば、それが一番の宣伝になります。久慈には高校が2つあって、それぞれ地元の活動もよくやっています。大学に入ると外に出ていきますから、久慈の良さを発信しつつ他所の良さを吸収して戻ってきてもらいたいですね。

戻ってきたときにちゃんと仕事ができる場を用意しないといけない。それは地元の責任ですよね。今までそれがなかったので流出する一方で、戻りたくでも仕事がなかった。大学を卒業した久慈出身者たちが誇りを持って働ける、それなりの職種を用意できるまちにしないと。それを意識して力を入れていきます。

ーまさしくそれはあまちゃんのストーリー通りですね。

住みやすいまちであると同時に、一人ひとりが活躍してもらえるまちを目指しています。それは久慈だけでは考えられないので、多くの地域のたくさんの人々と繋がって連携していきたいですね。若者たちには是非、その接点をどんどんつくっていってもらいたいです。

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