【今までしなかった福岡市のヒミツ/第1回】都市発展の「なぜ」は今ではなく、50年、100年前から学ぼう
木下 斉
2018/02/15 (木) - 17:00

2月16日に「福岡市が地方最強の都市となった理由」(PHP研究所)を上梓するにあたり、福岡市がコンパクトシティになった理由、若者が多い理由、といった、注目されているポイントの「なぜ」を調べてきました。今回からは、今まで知らなかった福岡市のヒミツ、という内容で、今だからこそ学ぶべき都市発展の鍵について迫りたいと思います。

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「今」を真似てはならない。

国家百年の計などと言ったりしますが、都市発展をみていく場合には少なくとも50?100年前に目を向ける必要があります。例えば、今、周辺都市から人を集めているからといって、今やっていることを真似ても人は集まりません。むしろ50?100年前にとった都市政策や産業発展が今となって都市の優位性を築いているわけで、過去に目を向けて、今の時代に置き換えて考えることが求められます。

成功事例の模倣でもよく起きることですが、結果として生まれた成果を見に行って、その成果自体を真似ようとする人が少なくありません。一部の市長さんとかもテレビや新聞でみた今話題の事業を「なぜうちでもやらないんだ」といった具合に、その結果を真似るように部下に指示してしまい、大変な間違いを引き起こすこともあります。

成功事例というものは、その成果にたどり着くまでに多数のトライ・アンド・エラーを繰り返しており、成果を生み出すためには「必要となる時間」があります。その時間を省いて、結果だけを真似ても、全く地域にとっては全く適合せず、成果を生み出すことは出来ません。真似るべきはプロセスで、同じだけの時間をかけたプロセスは、その地域に必要なモデルを生み出すことに繋がります。

また、成功のきっかけとなる出来事は、決して良いことばかりではなく、むしろその地域、都市が抱える「制約条件」であることも多くあります。ダメだからこと、自分で考え抜いて、どうにか新たな活路を見出す努力をし、制約を克服することで、逆に大きな成果を得ることがあります。

特に福岡市の発展の背景には、この制約条件が強く作用しています。他都市のような都市発展戦略を取らなかった、のではなく、取れなかった。しかしながら、その制約条件があったからこそ、他都市と横並びの都市発展を目指さず、独自の発展戦略を自分の頭で考え抜くことで、他とは異なる優位性を築くことにつながっています。

このような制約克服パターンでは、同じような制約がない地域で、制約がある地域が克服したようなプロセスは作り出すこと自体が困難だったりします。

制約を克服することで得られた「優位性」

福岡市は他都市と比較しても、様々な制約条件を抱え、それをクリアするために独自の都市戦略を構想するに至っています。有利で、強かったから今のようになったのではなく、むしろ不利で弱かったからこそ、自らの戦略について考えたからこそ、他都市と異なる発展戦略を作り出しています。

例えば、明治維新の際に福岡藩の贋札事件など様々なトラブルがあったこともあり、多難な新時代の船出となっています。熊本市には熊本鎮台、第6師団、さらに第五高等学校も配置されるなど、九州の中心的機能が次々と割り当てられ、発展するものの、福岡市には政府関連機関が設置されない情勢にありました。

そのため九州帝国大学設置が政府内で検討され始めた際には、福岡市はいち早く誘致検討に乗り出します。熊本市、長崎市、福岡市の3都市が誘致に参戦する中、福岡県・福岡市だけでは財政面でも誘致することが厳しいと考え、すぐに地元財界に打診、地元財界の雄である地元呉服商の渡辺与八郎が巨額の寄付を申し出て、その後も寄付金集め、用地確保など積極的に推進します。政府に対して地元からこれだけ予算を出すので、ぜひ福岡市に帝大を設置してください、といった営業を官民あげて行うのです。結果、第五高等学校があった熊本市が当初は優位と見られていたものをひっくり返して、福岡市内への誘致に成功します。

これにより福岡市は九州帝国大学の設置により九州全域の優秀な若者を熊本市ではなく、福岡市に集めることに成功。さらに帝大設置を契機にして様々な私学、先進的な女子教育学校なども次々と設置され、戦後も様々な重層的な教育機関集積により、人口に占める学生数は京都市に次いで二番目に多い学都となりました。これは福岡市には学生が多くいて人材確保が容易なことは、近年の企業誘致にプラスに作用しています。

周辺都市と比較して政府機関が設置されない不利な状況であったものを、行政だけでは力不足だと行政側も危機感を持ち、民間側も巻きこんで積極的に誘致に必要な資金、土地などを提供するという官民連携をもとにした他都市と異なる誘致戦略を展開したことが勝因となり、さらにそこから教育機関集積が進み、それが今の多方面での優位性につながっていくのです。

今だけを見れば大学が集まっていいよね、大都市だから若者が集まるよね、と言いたくなりますが、実際には不利な状況を克服するために他都市と異なる戦略を官民の先人たちが講じたからこそ、今の成長構造が実現されているのです。

福岡市におけるこの打ち手から得られる示唆は、「うちの都市は周辺より国が何もしてくれないから」と恨み節を述べるだけだったり、「自治体の財政力がないから」ということで役所のせいにして民間側が地元の発展に投資する意識がないのであれば、その地域の発展は厳しいということです。逆に国に何をしてもらうかではなく、自分たちで何が出来るか、行政の力が乏しくなっているなら民間として出来ることは何か、を積極的に考えることができれば、活路はいくらでもあるということでもあります。

次回は戦後、九州一の商業集積へと成長した天神。その発展の背後にある、他都市がやらなかった民間による交通事業開発と時代による技術転換、さらに商業集積間競争について解説します。

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書名:福岡市が地方最強の都市になった理由
著者:木下 斉
判型:四六判
ページ数:304
発売日:2018年2月16日
価格:本体1,600円(税別)

>>>こちらもあわせてご覧ください。
【木下斉】隣近所で戦い衰退する都市、敵は外にいると団結し成長する天神/今まで知らなかった福岡市のヒミツ〈第2回〉

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