ワクワクを止めない、止まらない。老舗酒造が打ち出したリブランディング戦略
株式会社 三宅本店
鳥羽山 康一郎
2018/05/22 (火) - 08:00

♪千福一杯いかがです?♪ という日本酒のCMソングに耳覚えのある人は多い。しかしそれには「懐かしの」というフレーズが付く。このように「千福」という名前には、古くささが付いて回っていた──が、ここ数年積極的にその巻き返しを図っているブランドでもあるのだ。2018年4月東京で開かれたイベントを訪れ、変革を支えるキーパーソン、さらに次期社長となる予定の人物に話を聞いた。

老舗を生まれ変わらせるための2つの戦略とは

「ウルトラの父母(ちちはは)」がポーズを取る。小さな子どもからリアルタイムのウルトラマン世代までのファンが、目を輝かせながら一緒に写真に収まり、握手する──これは、特撮ファンのためのイベントではない。日本酒とウルトラの父母とのコラボレーションイベントだ。ウルトラの父母のスペシャルラベルをまとった、「千福 ウルトラセット」。株式会社円谷プロダクションとフィールズ株式会社が展開する「A MAN of ULTRA(ア・マン・オブ・ウルトラ)」ブランドの新ラインアップとなる。2018年4月19日、東京・豊島区の西武池袋本店で開かれた発表イベントは大いに話題を呼び、大勢のファンが時間いっぱいまで行列をつくり交流を楽しんだ。
千福といえば、一定以上の年代はダークダックスが歌うCMソングを思い浮かべる。オンエアは1970年からという通り、記憶の中にしまい込まれているメロディーと名前でもある。

「日本酒市場が縮小を続け、若者や女性を含め日本酒を飲む人も少なくなっています。会社全体がその問題意識の元、変わらなければという意思にまとまりました」 千福の醸造元である株式会社三宅本店の田部井智行氏は切り出す。三宅本店は1856(安政3)年の創業。広島県呉市に本社を置き、普及タイプの普通酒をメインに日本酒をつくり続けてきた。旧日本海軍の御用達となったり、戦前には生産量が日本一を記録したり、1980(昭和55)年には紙パック酒を本格的に商品化する先駆けとなったり、全国レベルの知名度を獲得。しかし、日本酒全体の販売は1980年代をピークに下落を続ける。三宅本店も例外ではなかった。千福とは何か、三宅本店とは何かをもう一度見直すことが必要だった。
「大切なのは160年以上の歴史の中でつくり上げてきた我々のお酒を、改めてしっかり伝えること。その方法を模索し、2つのラインを打ち出しました」
それが、ブランディングと商品企画だ。

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ブランド資産は「100年間、大事なひとを想い続ける」こと

ブランドに価値を与えるためには、心を動かすストーリーが欠かせない要素だ。田部井氏はじめ社員たちは千福の由来をひもとき、改めて「これはすごいことだ」と思い直した事実があった。1916(大正5)年新たな酒を売り出すにあたり、初代三宅清兵衛(二代目当主)が「女性は内助の功を称えられるだけで報いられることが少ない。せめて酒銘だけでも」という想いから母(フク)と妻(千登)から一文字ずつ取って千福と命名したことだ。このエピソードが、貴重なブランド資産となった。100年以上前に、大切な女性たちを想い商品名とし、それをずっと受け継いできた。これが「百年 大事な女(ひと)を想い続けたお酒」というコンセプトフレーズに昇華した。

このフレーズをコアとして、2017年には15年ぶりとなるテレビCMを制作。実在の夫婦が登場するストーリーは、世代を問わず高い共感を獲得することができた。そして「夫婦」というモチーフが、今回のウルトラの父母と結び付いた。
「コンセプトフレーズをつくってリブランディングすると同時に、新しい商品もいろいろ企画していました。その中で、円谷プロさんとのコラボレーションも浮かんだんです」と田部井氏。ウルトラマン一族の中で夫婦と言えば、ウルトラの父母だ。円谷プロにオファーし、「千福 ウルトラセット」実現に向けてスタートが切られた。

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生まれるべくして生まれた「よい夫婦」の酒

キャラクターとのコラボレーションで王道の手法は、商品ラベルやパッケージにそのキャラクターを載せることだ。しかし、ウルトラマンのイメージ戦略上、アルコール飲料との同時存在は慎重を期さなければならない。オファーを受けた円谷プロからは、そのレギュレーションを守りつつ世界観に合ったデザインを求められた。

「とてもハードルの高い宿題を解決したのは、弊社の若いデザイナーでした」 入社3年目の女性社員によってつくられたのは、曲線で構成された中にウルトラの父母のアウトラインを入れ込んだエンブレムだった。円谷プロサイドでも絶賛された。さらに、プレミアムセットのボトルには呉市在住の名匠によるエッチングを施す。デザインした社員自らが見つけ出し交渉して実現した。千福のブランドストーリーとウルトラの父母が、夫婦愛というカタチで開花した商品となった。発売は、「よい夫婦の日」である4月22日。「11月22日=いい夫婦の日」に比べるとまだ浸透度合いは浅いが、そこにはしたたかな計算が潜む。
「5月と6月に、母の日と父の日が続きます。それに合わせて何度もプロモーションをやり直せるんです」と田部井氏。ブランディングから商品企画、そしてプロモーションまでが一気通貫でつながった。

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「ワクワク企画室」発、たくさんのワクワク

さて、ブランディングとともにもうひとつの戦略となる「商品企画」。「千福 ウルトラセット」を生み出した部署が、その重責を担っている。部署名は「ワクワク企画室」という、職務の重さの割りには拍子抜けするカジュアルさだ。しかしこの部署こそ、現在の三宅本店の原動力と言ってもよい。発案して率いるのは、次のトップとなる予定の三宅清史(きよふみ)氏だ。三宅家の長男として生まれ、まずは大手酒類メーカーに勤務。営業職として3年間揉まれた後、2017年4月三宅本店に入社した。

「七代目となる清史氏は、小さい頃から跡継ぎとしての自覚を持っていました。だからこそ、今会社を変えなければ生き残れないと実感したんです」と田部井氏は語る。
ワクワク企画室は若いメンバーを中心に、思い切った商品企画を考える部署としてスタートした。最初のヒット作が、「激熱」という燗用の酒だ。真っ赤なボトルとネーミングが目を惹く。広島カープを持ち出すまでもなく、広島人にとってはソウルカラーとも言える色だ。従来の燗用酒に比べ6倍の売上を記録した。2018年シーズンからはカープの公式戦に合わせてテレビCMもオンエアする。

次に手応えを感じているのが「鬼嫁ごろし」という何だか物騒な名前の酒だ。「奥さんのことを『鬼嫁』と言う人ほど、奥さんを大切に想っているのではないか」というスタッフの気付きから始まった。千福のブランドストーリーとも共通イメージがある。日本酒度はプラス18という超辛口。ラベルには鬼嫁のイラストがあしらわれている。手に取ってもらえるように、との狙いからだ。現時点では飲食店などの業務用限定販売だが、お店での受けは非常にいい。初回ロットは完売したという。

その他にも、お酒の初心者用にアルコール度数を5度にまで下げた商品や、日本酒の新しい飲み方を提案する飲食店を東京・銀座に出店する計画なども控えている。
「いろいろな企画を発案していきますが、社内で否定意見もある。激熱の赤いボトルは当初日本酒らしくないと言われました。他にも、タブーとされているようなアイデアも出てきます。でも今のところ否定意見が多い商品ほど売れているんです。若いスタッフには、『迷ったらとりあえずやれ』と言っています。行けると思ったら私が出ていって、社内を説得します」と田部井氏。
スピード感を重視し、しきたりには縛られない。変革を旗印に掲げるからには、とことんやる。

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普通酒を美味しくつくる杜氏を育成

その傍ら、日本酒づくりに欠かせない杜氏の育成にも注力する。三宅本店は、大吟醸のような高級酒をつくる一方で、普通酒でも高い評価を得ている。かつて「一級酒・二級酒」と呼ばれていた手頃な値段の一般向け日本酒だ。実はこの普通酒を美味しくつくることができるのが、腕のいい杜氏という声もある。現社長もそこにこだわり、「杜氏育成課」という部署を新設した。今、40代の杜氏が2人所属している。若手と言われる40代が2人いる酒蔵は、まれだ。
「完全に機械化して成功している酒蔵さんもありますが、弊社はまだ昔ながらのつくり方も残しています。そして後継者を育てる試みも始めました。20代、30代の若手社員を兼務というかたちで配属しています」

「激熱」の新発売プロモーションでは、担当した杜氏を漫画タッチで描いたイラストを使用し、話題に。地元テレビ局から何度も取材を受けた。
「若くてチャレンジングな杜氏ですから、『自分がつくった』というアピールが効果的でした。テレビにも出て、彼も去年一年間は激動の年だったと思いますよ」と田部井氏は笑う。2018年8月には激熱にも純米酒が登場する予定だ。
「引っかかりのあるネーミングや目立つパッケージで若干ふざけたように見えるかもしれませんが、裏のラベルで『あ、あの三宅本店か』『千福の会社か』と気付いてもらい、納得してもらうことが大事です。そのためには、しっかりした酒づくりをして、地に足を着けていなければ」

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2割のシンパを大切に大きく育てていく

では、ワクワク企画室からリリースされた従来にはない商品たちを、どう売っていくのか。営業戦略にも新機軸を打ち出している。
「通常は卸売業者さんへ営業に行くのですが、我々は特販部隊をつくって直接飲食店を回りました。『今度こんな酒をつくりました』と説明して、ファンになってくれるところを開拓します。卸にはそこから注文が行くわけです」

田部井氏は、「2:6:2」の法則を教えてくれた。10軒に説明し、面白いと思うのが2軒、様子見が6軒、拒否反応が2軒だという。好反応の2軒はファンだ。ならば、その2軒に千福の取り組みをしっかり理解してもらえるよう情熱を傾ける。激熱前掛けをしてもらったりポスターを貼ってもらったりできれば、しめたものだ。そのお店からお客さんも巻き込んで、ファンの拡大を図ることができる。様子見の6軒も、それを見てこちらになびいてくれる。この営業施策が功を奏し、広島県全体に広まりつつあるという。
ワクワク企画室から営業チームに相談を受けることもあり、現場からの貴重なフィードバックを伝えている。そんなやり取りを通じてワクワクは会社のあちこちに伝播し、組織全体がワクワクし始めている。

社長と社員の間での「通訳」として

次期のトップとなる予定の清史氏を支え、社員との間に立って調整役を務めている、田部井氏。実は現在は社外取締役という立場だ。日本人材機構に籍を置く。
「現社長から日本人材機構に、『副社長を紹介してほしい』というオファーをいただいていました。社内を取りまとめて変革を起こせる人物を求めていたんです」
ところがなかなか人材紹介のタイミングが合わない。金融機関出身でさまざまな事業経験を持つ田部井氏が、経営課題を解決する役どころとしてひとまず送り込まれた。

そして、清史氏の入社。
「清史氏は、意欲があって現場にまみれることができる人物です。みんなと同じ目線で仕事ができる。だから私は彼の家庭教師のような役割を受け持つことにしました」
田部井氏はまず全社員と面談し、上にまで届かないさまざまな問題を吸い上げて組織変革に活かした。現社長の右腕となって清史氏とともに戦略立案のサポートを行い、「通訳」のように社内を調整する。そして2018年12月に社外取締役の肩書となった。

稿を締めるにあたり、三宅清史氏の言葉を紹介しよう。
「日本酒の右肩下がりを打破するには、固定概念にとらわれず何でもやる、何にでもチャレンジしなければなりません。海外からも日本酒に注目が集まっていますし、どこまでできるかやってやろう、やったもん勝ちという気持ちです」

そしてワクワク企画室の室長としても付け加える。
「仕事もプライベートも、ワクワクしていないとダメでしょう」
トップに立ってからも、どれだけのワクワクを生み出してくれるのか。多ければ多いほど、日本酒の未来は明るくなるのではないだろうか。

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株式会社三宅本店

1856(安政3)年創業。屋号を地名にちなみ「河内屋」と名乗る。みりん、焼酎、白酒を製造。1902(明治35)年、清酒醸造を開始。千福は5番目の商標として1916(大正5)年に誕生。以後日本国内、満州に支店を設立。1939(昭和14)年、株式会社三宅本店となる。海軍御用達の日本酒として戦艦大和にも納品された。1959(昭和34)年、壜詰め工場をオートメーション化。1970(昭和45)年、ダークダックスの歌を使ったTV-CM放映開始。2017(平成29)年、創業160周年を記念して15年ぶりにTV-CMを制作。ワクワク企画室スタート。

住所
〒737-0045 広島県呉市本通七丁目9番10号
設立
1856年7月2日
社員数
61名 ※2017年9月現在
資本金
3,500万円
会社HP
http://www.sempuku.co.jp/

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