復興のその先を見つめて。地域ニーズに応える新しい医療介護の仕組みをつくる(前編)
ロッツ株式会社
GLOCAL MISSION Times 編集部
2018/05/14 (月) - 08:00

少子高齢化が将来に暗い影を落とす日本。この国の未来を担う子どもたちが、健やかに夢を描ける社会をつくりたい。そのためには高齢者が健康でいることが大切と、社会保障における医療介護の分野で次々と新たな取り組みを打ち出す株式会社ロッツ。代表の富山泰庸さんはアメリカとイギリスの名門大学で国際関係学を修め、お笑いタレントとして活躍するなど異色の経歴の持ち主。「やらずに後悔したくない」と立ち上げた事業についてお聞きしました。

私的な「勉強会」から、100名を超える「災害支援団体」に

―まずはじめに、事業立ち上げのきっかけについて教えてください。

東日本大震災が起こる7年ほど前から、若い人たちと日本を良くしていきたいという思いで勉強会を重ねていました。国民にのしかかる国の借金、なかでも膨れ上がる一方の医療介護費を改善するにはどうすべきか、医療関係者や大学教授を招き勉強しているときに震災が起きたんです。単純に困っている人を助けに行かなければという思いだけで、トラック3台に支援物資を積み込み被災地に向かいました。最初に行ったのが石巻の渡波地区。震災直後で道路もふさがっているような状況で、支援物資が届いていないところが沢山ありました。災害救助法に適応していない地域もありました。指定避難所の場合は国から物資が届きます。しかし、そうではなくお寺などが避難した人を受け入れている場合、申告しなければ支援物資が届きません。阪神・淡路大震災のときと同じで、今回もそういう問題が起きると予想して、各地の被害状況や避難している人の数、水はどれくらい必要かなどを確認して、支援物資の要不要をブログにアップすることにしました。

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当時私は吉本の芸人として、少しですがテレビにも出させていただいていたので、ブログで情報発信をしても、胡散臭い話と受け取られることはないだろうと考えました。避難世帯の数、不足しているもの、電気が通じていないことなど、実際の状況をブログにあげると同時に、支援物資の受け入れ先として自宅を公開し、現地まで運んでくれる協力者も募集しました。力になってくれたのが勉強会のメンバーで、そこから広がりあっというまに100人を超える人が集まってくれたのです。そういった経緯から、勉強会の名前「LOTS(ロッツ)」で災害支援団体を立ち上げました。

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震災から5カ月後、陸前高田にプレハブ薬局をオープン

―ボランティア活動のなかでも医療分野に特化したのは?

勉強会のメンバーには女性の薬剤師が5?6人いるのですが、被災地に不足している医薬品があるなら、それを届けるのは自分たちの役目だと、避難所を回って一人一人にヒヤリングしては薬を届ける活動を行っていました。そのことを知った岩手県立高田病院の院長先生から、「エンシュア」という経管栄養補給剤の生産工場が被災して、供給元が絶たれたので届けてほしいと連絡が入ったのです。国内での調達先がわからず困っていたときに、オーストラリアの看護師団体から無償で送ってもらえることになり、東京から陸前高田へのピストン輸送が始まりました。

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陸前高田市では9つあった薬局が流されてしまい、少ない人数の薬剤師さんだけで薬局の体制をいかに整備するかが問題になっていて、「薬剤師さんがいるなら薬局を作ってくれないか」と投げかけられたんです。依頼された物資を届けたときに、いきなり会議の場に呼ばれたので、いったん持ち帰ることにしたのですが、石巻や気仙沼、そして陸前高田と、被災地の状況を目の当たりにしているなかでの申し出でしたし、一緒に活動していたメンバーが「他人事じゃないです。やりましょう」と言ってくれて、陸前高田でプレハブの薬局をつくったのがこの事業のはじまりです。
最初は個人事業主として私名義でオープンしたわけですが、やるからには事業として責任をもって取り組まなければいけません。一時的なものでは意味がないし、企業としてきちんと税金を納められる体制を整えるためにも、法人化すべきだろうということで、オープン翌月の8月4日に法人登記をして、「ロッツ株式会社」の名前で運営を始めました。

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―薬局オープンまで半年も経っていませんが?

阪神・淡路大震災の経験が大きいですね。神戸の長田地区を見てもわかりますが、どんなに国が支援しても本当の意味での復興はなされていません。商店街がなくなって戻って来られた方は3割です。そこに暮らしていた住民はいなくなり、街が一変してしまった。それで果たして復興したといえるでしょうか。そういう状況を最小限に抑えるためにも、民間の力で街を再生していかなければと思いました。自分なりに経験したことや勉強してきたことが、少しは役立てることができるかもしれませんし、緊急性もありました。被災地で多くの人が困っていること、必要としていることをやらなかったら、後悔しか残りません。「薬局までやるなんて支援の範囲を超えてるんじゃないの?」とか「お前がやることではないんじゃないか?」と多くの方々からも反対されましたが、人の命がかかっている問題でしたので、腹を決めました。

―前代未聞のプレハブ薬局。さまざまなハードルがあったのでは?

法律的には災害救助法に則って進めれば、それほどお金をかけなくてもプレハブの技術だけでつくれます。ただ、土地も未整備で医療機関の移転先も分からない混沌とした状況では、どこに薬局を建てられるのか誰も判断できない状況でした。患者さんの多くは車もなく医療機関に行ける人も少なかったので、必要なものはこちらからお届けしますということで、訪問型薬局としてスタートしました。前例がなかったこともあって抵抗もありましたが、地域の方々には喜んでいただきました。コンビニもなにも建っていないところで、最初に建ったのがロッツのプレハブ薬局だったわけですから。建物の一部を憩いの場のように開放したので、町の人にとっては地域で唯一の集まれる場所になっていきました。そのうちお客さんのほうから「おれの処方箋を持ってくるよ」と、薬局を利用してくれるようになり、少しずつ状況が好転していきました。
状況が大きく変わったのは岩手県医師会の診療所ができてからです。対応できる薬局がないということで、会長さん自ら「患者さんにこちらを紹介してもいいですか?」と言っていただき、岩手県医師会仮設診療所の門前薬局的な役割を担っていくことになります。

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医療介護の体制づくりと、新たな産業の創出を目指して

―訪問サービスは投薬から看護やリハビリへと広がっていくわけですね。

その後、住民の方々が避難所から仮設住宅に移っていくわけですが、くじ引きで入居先が決まるので行く先がバラバラ。地域のコミュニティーが失われていきました。ひとり暮らしの方のなかには、こもりがちになって健康を害されるケースもありました。要支援や要介護が急増したのもこの頃です。震災1年目、2年目は、被災地の沿岸における要支援者・要介護者の認定率は突出していました。デイサービスなどの施設も流されましたし、在宅医療も根づいていませんでした。

私たちはボランティア活動を始めた当初から、理学療法士さんと一緒に避難所を訪問してラジオ体操をしたり、芸人を呼んで元気づけたりなどの活動をしていたので、早い段階から訪問リハビリの必要性は感じていました。ただ、日本の法制度の壁にぶつかって、歯がゆく感じることも多かったですね。医療分野に限らず被災地におけるさまざまな問題を、復興の提言書にまとめ、関係閣僚に提出しました。
各方面からアプローチがあり復興特区として訪問リハビリが単独で行えるようになったのが2012年5月です。私たちはそれ以前から取り組んでいて、事業モデルができあがっていましたし、これは全国に波及できるビジネスだと思いました。復興事業に関しても元あったものを戻すのではなく、新たに街をつくりあげる気持ちで取り組む必要性があります。多くの命を失っているわけですから、少しでも報いるために震災があったから生まれたといえる、意味のあるものをつくらなければいけないと思うんです。私たちが取り組んでいる一連の事業は、すべてそうなりえると信じています。

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―専門外の医療分野に関わり、課題感をもって提言されたのはなぜ?

アメリカとイギリスの大学で日本の経済と政治の仕組み、国際的な位置づけなどを研究するなかで、高齢化に基づく財政負担は大きな課題としてありました。これは全て将来の子どもたちの負担となります。私は年金も社会保険も払っていますが、80歳まで生きたとして試算すると780万円のマイナスです。これが1999年に生まれたわが家の長男になると、マイナス1,800万円で、2歳下の次男は2,000万を超え、さらに2005年生まれの三男は3,600万円。この国に生まれた瞬間に、3,600万円もの負担を背負わされるのです。人口減少して高齢者が増えるということは、生まれてくる子どもの負担が大きくなるということです。今はまだ楽だからと傍観している場合ではないんです。子を持つ親として、子どもたちがもっと夢を持てる未来を作ることは、我々世代の責任です。その責任を果たすために、何をすべきか考えることが勉強会の目的としてありました。

日本には医療介護の問題に限らず、さまざまな規制があります。それらをいかに撤廃して、新たな産業を作るかということも話し合いました。多岐に渡る分野について学んだ経験から、被災地域における大きな課題は医療介護の体制づくりと、将来子どもたちが働く場所となる産業の創出。そして、教育環境の充実だと感じました。教育に関しては私たちは関わっていないので、何も出来ていませんが、少なくとも産業と健康に関しては一緒に出来ると思っています。

地域の健康をサポートする「ジム併用型リハビリ施設」

―前例のない取り組みとして、フィットネスジム併用のリハビリ施設を開設されていますが?

既存のものだけではカバーできないことが、どんな分野にもあります。取り組むからには新しいものを作り出さなければ意味がありません。事実、医療介護に関してはメスを入れる必要があるんです。お店で商品を販売する、サービスを提供する場合、お客様からお金を頂戴するわけですから、必然的にお客様中心になります。ところが医療介護の現場では、お金を支払ってくれるのは患者さんではなく国です。やってもやらなくても金額が同じという環境では、サービスの向上は望めませんし、施設を運営する側の意識も改善されないでしょう。医療介護に関して日本は、技術も知識も見識も大変優れているといわれています。けれど、それが生かされていません。

先進医療の導入で治療も進化していますが、それらはすべて罹ってしまった病気に対してのもので、ならないためにどうしたらいいかという予防分野の取り組みは遅れています。そこで考えたのが通所型リハビリ施設の活用です。保険収入の対象となるリハビリ施設を、夜はフィットネスジムとして開放するという方法です。リハビリで通う方からは保険で、フィットネスジムの利用者からは会費をいただく。ビジネスの仕組みを構築してサービスを提供できれば、十分に利益を見込めると考えています。すでに運用も始まっていて、フィットネスジムには100名ほど会員が集まっています。専属の医学療法士が医学的根拠に基づいたパーソナルトレーニングを行えるのが強みです。一般のトレーニングジムで理学療法士を雇用するとなると、人件費が高くなってしまいますが、うちはデイサービスと一体化することで、会員様への負担を最小限に抑えそれを可能にしています。

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スタッフの創意工夫と努力で、地域の温浴施設を再生

―さらに玉乃湯の運営へと事業が発展していますね。

訪問リハビリは在宅なので使える機材が限られます。本来リハビリの目的は機能を回復させるだけではなく、自立して生活できることが目指すところです。自分で生活するためには外にも出て買い物もしなければなりません。自宅での訓練に加えて機材を使ったトレーニングをとりいれる必要があります。そう考えたときに、商店街が整備されることになりお声掛けいただいて施設を作ったという流れです。

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玉乃湯に関しては採算性も含めて、非常に厳しいという見解でした。観光客の減少や人口の流失などの現実を見ると、運営するのは無理だろうと思いました。こちらは市の公共施設なので老若男女問わずサービスを提供しなければならないなど条件が多く、私個人としてはやらないつもりでした。そのことを責任者に話したら、「医療従事者もいるわけだし、市民のみなさんがより健康になれる施設にしたらいいのでは?健康に配慮した食事を提供して、お風呂に入れたら最高ですよ」と説得されました。考えてみると我々がボランティアで来たときも、ずっとお風呂に入れなくて、玉乃湯が無料でお風呂を提供してくれていたのでホッとしたんです。それがなくなってしまうのは、復興に向かっている町の灯を消してしまうような気がして、採算が合わないのは覚悟のうえで、敢えてババ抜きのジョーカーを引きにいきました。

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現実は想像以上に厳しくて、運営するだけで毎月150万円が減っていく状況で、半年後にはやめようと思っていました。その状況を変えたのはスタッフの頑張りです。全員で知恵を絞って努力して、9ヶ月後ぐらいには黒字化したんです。あのときは本当に嬉しかったですね。ただ完全に黒字化できるほど安定した経営基盤ではないのですが、以前に比べると少しは夢を見ることができそうな環境にはなってきましたね。

―スタッフのみなさんが知恵をしぼったというのは、具体的に何をされたのですか?

何か必殺技があったということではなく、日々の積み重ねです。一番に言われるのは接客が良いということですね。当たり前のことですが、お客様にとって何が大切かを考えて、現場に立ってくれていることが一番の強みだと思います。ホームページやSNSを使った情報発信を始めたことも大きいのではないでしょうか。今は当たり前のことですが、それすらも以前はやっていなかったわけですから。あとは料理をおいしくして、忘新年会などの宴会を行えるようにして、ヨガ教室や足つぼマッサージなどのサービスを付加価値として提供していきました。お湯が金山から湧き出ている鉱泉なので、効能と成分表示をするなど、地道な努力を積み重ねていきました。

おもしろいところでは、暖房の灯油を抑えるためにチップを使った薪ストーブで温もりを演出したり、近所にいた野良猫を飼いならして「玉」という名前の看板ネコにしたり、金山ツアーも企画しました。考えつくかぎりのことをやりました。会社全体としては今年から少しずつ実りが出ることを期待しているのですが、現時点ではまだまだ胃に穴が空きそうな状況です。顔では笑ってますけどね。

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(左上)健康に配慮し味付けにこだわったお料理は年配の方々にも好評 (右上・左下)玉乃湯 施設内 (右下)笑顔を絶やさないスタッフたち

地域のため、未来のために、継続し結果を出す

―これからの成し遂げたいこと、人生のビジョンとして目指すものはなんですか?

会社のビジョンとしては生き残っていかなければなりません。雇用を生み出すためにも拡大していかなければと考えているので、そのためにも陸前高田や大船渡という場所で、しっかり結果を出すことが最優先です。この地域で結果を出すことができれば、他の地域でも結果を出せるはずなので。私個人としては最初に支援すると決めた段階で、関わった地域で困っている状況がなくなるまでは、なんらかの形で携わっていくと決めています。これまでに海外でも生活して、さまざまな社会状況を見てきましたが、自分の国でこれほどまで人々が困窮する事態がおこるとは想像すらしていなかったので、単なる災害では片付けられない。それほどの大打撃です。自分に特別な力があるとは思っていませんが、力がないから仕方がないと済ますことはできません。

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―最後に、東京と比べての地方での戦い方、地方ならではの魅力を教えていただけますか?

地方は豊かですよね。食べ物も土地も。コミュニテイが狭いということはありますが、それは自分次第です。東京や大阪と比べると別の国と思えるくらい環境もライフスタイルも異なります。街の規模が小さいので、30代ぐらいになると自分で事業を始める人もいて、街の将来について考えるようになり、直接関わる度合いも大きいので、街の行く末を担っているという意識も育ちます。それはとても大事な観点だと思います。自分は何のためにここで仕事をしているのか、目的を明確にした上で自分の現在地を分かっていないと、いろんな情報に流されてしまうので。

もちろん地方だけではなく、都会の情報をキャッチすることも大切です。大都市ならではの生産性の高さや競争の激しさなど、両方知ったうえで都会と田舎を自在に行き来する。そういうスタンスがあるといいですよね。どちらにも良さがあると認めること。地方だからと敬遠するのではなく、実際に現地で見て感じることは大きな財産になります。逆もまたしかりで、都会にただ刺激を求めるのではなく、競争や挑戦の場として経験できることはたくさんあると思います。都会といっても数えると10都市程度です。そう考えると日本は狭い。遠いところはありませんね。

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ロッツ株式会社 代表取締役社長

富山 泰庸さん

1993年ボストン大学卒業後、英国オックスフォード大学大学院、米国ペンシルバニア大学大学院で修士課程を修了。 国際関係学を学び、日本の社会保障問題と世界の貧困問題について分析。1998年帰国後、貿易コンサルティング会社を設立。 2000年に吉本クリエイティブエージェンシーの門戸をたたき、お笑いタレントとしてクイズ番組等に出演。日本の将来を良くするための勉強会を主催し、医療介護業界に対して情報発信を続ける。 2011年東日本大震災発生後、被災地支援活動を開始。プロジェクトを事業化し、「ロッツ株式会社」を設立。代表取締役社長に就任。

ロッツ株式会社

被災地から地方の新モデルを生み出す。我々が社会保障費を抑えることに貢献でき、尚且つ未来の子供たちが夢を持てる、そんな社会を作る。このことを会社理念に掲げ、岩手県陸前高田市から、岩手県大船渡市から、あの被災地域から日本だけでなく世界に貢献できるそんな企業になっていけたら、そんな願いで皆で目の前の仕事に全力で取り組んでいます。

住所
岩手県大船渡市猪川町字前田9-28
設立
平成23年8月4日
従業員数
21名(うち正社員18名)
資本金
4,000,000円
企業HP
http://lots.co.jp/

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