ダンボールでつくる熊本城が話題に。富山から創出する笑顔になる仕事
サクラパックス株式会社
GLOCAL MISSION Times 編集部
2018/08/30 (木) - 08:00

ある時は商品を梱包するための材料、ある時はテーブルや椅子などの家具、あるいは子どもが喜ぶ遊び道具。「段ボール」は手にした人の発想次第で、そのカタチや表情を変える。そんな段ボールの新しい世界観を発信し続けているのが、富山にあるパッケージメーカー「サクラパックス」。2,000円の段ボール製熊本城キットを購入すると熊本城の復興のために寄付される「熊本城 組み建て募金」がグッドデザイン賞2017復興特別賞に選ばれるなど、オンリーワンのアイデアが光る会社だ。戦後復興とともに成長してきた同社。初代から数えて三代目にあたる橋本淳社長へのインタビューを通して、ユニークなアイデアを生み出す企業風土を探る。

37歳で創業71年の家業を承継

―サクラパックスは、創業以来71年間にわたってダンボール生産やパッケージ製造を手掛けられ、富山や石川、新潟を中心とした地域産業に貢献されてきたそうですね。

会社を立ち上げたのは、祖父の代になります。戦後から2年、富山大空襲の焼け野原から立ち上がった会社で、当初社員10名からスタートしたそうです。紙加工や畳の縁下紙の製造に携わっていたとか。畳のへり下紙に関しては、流通の9割を手掛けていたと聞いています。ちょうど戦後に物流が活発になって、木箱を主体に扱うように。そこから徐々に段ボールにシフトしていきました。祖父は早くからダンボールに目を向けていたようです。
高度経済成長期には、2代目が新潟工場、石川工場を開設。オイルショックやバブルなど経済の荒波に左右されることなく、慎重な事業経営によって成長を遂げてきました。

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代表取締役社長 橋本 淳さん

―橋本社長は、37歳という若さで、先代から社長職を継いでいらっしゃいますよね。

はい。2008年に継いで、今年10年目になります。

―会社を継ぐ決心はいつ頃?

新卒は京都で、家業とは関係ない仕事をしていたのですが、1年ほど経ってアメリカに2年ほど留学したんです。決心したのは、ちょうどその頃くらいでしょうか。特に継げとも言われてなかったのですが、海外でいろんなことを目にする中で考えが変わってきました。というのも、多様な人種、創造性豊かな人たちとの出会いを通して、スケールの大きさを感じたんです。自分の信念をしっかり固めて、それを曲げずに自分自身を高めていけたらと。その意味では、サクラパックスの理念に重なるところがありました。それからサクラパックスに入社して、いろいろ経験を積んで13年ほど経ち、社長職を継ぐことになりました。

―社長に就任してからは、どのような課題や障壁がありましたか?

どんな会社にしようか、ずっと煮詰めていました。私自身の経営理念をしっかり作るだけではなく、それに沿った会社としての軸を構築したいと。今でこそ、私の考えを理解して動いてくれるメンバーが育っていますが、当初は難しかったです。2代目がワンマン経営だったので役員や幹部が育っておらず、早く世代交代を迎えさせないといけないなと思いました。そこで、次の世代を背負っていく役員候補の40代を15人ほど集めて、毎月コンサルの人に入ってもらって研修をしてもらうことにしました。しかしそれもなかなかうまくいかず、外部からの人材の登用と並行し進めることで現在の理想の組織になってきました。

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まずは社員に自社のファンになってもらうこと

―社長に就任され、ご自身の経営理念を元に企業理念を作られたとのことですが、新しい考えを全社へ浸透させていくのは相当なご苦労だったことでしょう。社長職を継いで10年経ちますが、どのような手ごたえを感じていらっしゃいますか?

うちはダンボールメーカーでもあり、パッケージ会社でもあるのですが、時代はかなりのスピードで変わっています。私たちが手掛ける製品は、本来中に入れるものがメイン。つまりセミメーカーです。ただ、今の時代はそうではなくなってきていて、生産性の向上ならびに品質向上も含めたものに力を入れていかなければならないので、次世代の感性を持ち合わせる彼らに寄せる期待は大きいですね。

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―社員たちに、企業の理念を浸透させるための取り組みにも積極的でいらっしゃいますよね。

たとえば、給料袋にA4サイズ・1枚で書いた社長メッセージを一緒に入れています。あとは、飲み会も大事にしていて、最初の1時間はみんなで会社の「イズム」について話し合ってから、お酒を飲んでいます。他にも、「社長会」というのをやっていて、社員の中から5人限定で、私に3つの質問をする飲み会ですね。酒を酌み交わしながら、会社の理念などについて話します。幹事を1人だけ決めて募集をかけ、当日まで誰が来るかわからない。富山、石川、新潟で、それぞれ実施しています。地道ですが、理念を少しずつ伝えるっていうことに注力しています。あとは、私が書き留めてきた経営についての思想を1冊の本にまとめました。

―それはまたユニークですね。どのような本ですか?

「サクライズムブック」という本です。企業のビジョンやミッションは口頭で伝えていくと、少しずつ表現やニュアンスがブレてしまいます。なので、社員が惑わされないように、文字にして全員に配布しました。定期的にイズムブックをミーティングの際に読み、その時のトピックについて全員が何かしらの意見を発言する、アウトプットの機会も設けています。あとは、目と耳を通じてビジュアルによってサクライズムを伝えるため、社員に向けてCMをつくり、富山・石川・新潟の地上放送で流しています。まずは社員に自社のファンになってもらうことに注力しています。

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企業ビジョン「サクライズム」の誕生秘話

―そうした会社のイズムを伝えるにあたって、社長自身のビジョンが欠かせないかと思うのですが、それはいつ頃固まったのでしょうか?

大きな転換期は東日本大震災。震災から2日後、被災地の方に物資を運び込むにあたって私自身が司令塔の役割を担い、並行して延べ4万人のボランティアを被災地に送り込む活動もしていました。私も炊き出しで何十回も東北に通っていましたが、印象深かったのは福島県浪江町に行ったとき。避難所で焼肉丼を振舞っていたのですが、おじいちゃん、おばあちゃんたちが「ありがとう」って言ってくださって。帰り際も、車で遠くなる私たちに向かって、30人近い被災地の皆さん全員がずっと頭を下げ続けていたんです。それを見たときに全身に鳥肌が立ちました。

それまで自分の存在意義を考えたことがなかったんですけれども、その瞬間にストンと落ちました。「あ?こうやって誰かのために生きたい」って痛感しました。そこから自分の人生観が一挙に変わって、誰かの笑顔のために生きていく、イコール会社の笑顔のためにやっていこうと決めたんです。社員にも利己主義ではなくお客様の笑顔を考えて欲しいと考え、「ハートのリレーで笑顔を創り、世界の和をつなぐ」という理念を打ち出すことにしました。

グッドデザイン賞2017受賞「熊本城 組み建て募金」の誕生

―熊本地震で「熊本城 組み建て募金」を発表されたのも、そうした理念に基づいてのことでしょうか?

世の中で困っている人を笑顔にしようというテーマを掲げた直後に熊本地震が起きました。いま被災地の方が一番困っているはずで、なんとか我々で笑顔にしようじゃないかとこの事業を起こしました。熊本のプライドって何かっていうと熊本城なんです。そのプライドが崩れ落ちている。ならば、そのプライドを取り戻し熊本の方々を笑顔にしようと考えたのです。そこで、本業を活かしダンボールで作る熊本城のキットをプロダクトにしました。組み建てる時間を“熊本を思う時間”にしてもらいたかったのと、出来上がったカードボードキャッスル熊本城を飾ることで、熊本の震災を風化させないという思いを込めました。

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―粋な復興支援として、メディアやSNSでも注目されたそうですね。

確かにグッドデザイン賞を受賞し、話題となったことで問い合わせも増えました。あとは、採用面でもPRになって、サクラパックスを選ぶ人が増えましたが、それは副産物であって、「困っている人を笑顔にしたい」という思いを大切にした結果かなと思います。実際のところ、売上全額寄付なので売れれば売れるほど赤字ですが、社員がいつも目の前の仕事しかしていないのはもったいなく、一人でも誰かを笑顔にしているんだという自負を持って働いてほしい。やはり350人全員が誰かを笑顔にしたいと思うことが大事で、そうなったら最強チームじゃないかなって。

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老舗メーカーが生産力を向上できた理由は“人”にある

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