地域の未来をあきらめない!「ハワイアンズ」再建を支え、 福島復興を牽引する“不滅のDNA”(前編)
常磐興産株式会社
GLOCAL MISSION Times 編集部
2018/12/24 (月) - 08:00

福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」(以下「ハワイアンズ」)は、前身の「常磐ハワイアンセンター」時代から全国的な知名度を誇り、2006年公開の映画「フラガール」のヒットで新たなファン層を広げた国内有数の複合型リゾート施設。東日本大震災では閉鎖も危惧されるほど壊滅的な打撃を受けたが、半年後の部分オープンを経て2012年2月、新たな宿泊棟を加えた新生「きづなリゾート」としてグランドオープンを果たした。翌2013年には震災前を上回る150万人もの来場者数を記録し、現在はインバウンド需要も視野に新たな集客施策を構想中だ。福島復興のシンボルとも称される“奇跡の復活劇”の原動力とその後の展開、さらには将来の展望について、ハワイアンズを運営する常磐興産(株)レジャーリゾート事業本部長、下山田敏博氏に伺った。

復興の原動力は「一山一家の精神」

―復興についておうかがいする前に、もともと大手の炭鉱会社だった御社が、畑違いのレジャー事業を手がけることになった歴史的経緯から教えていただけますか。

おっしゃる通り、当社のルーツは明治時代に始まる常磐炭鉱にあります。最盛期には全国でも指折りの規模で、この地域の経済と雇用を一手に担っていました。その中で自然と、何か困難な事態に直面したら一致団結して乗り越えようという心意気、「一山一家」の精神が育まれて、今に至るまでずっと受け継がれています。

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常磐興産株式会社 レジャーリゾート事業本部長 下山田 敏博さん

石炭から石油へと、エネルギー革命が劇的に進んだ昭和30年代から40年代にかけて、全国の炭鉱が閉山の危機に瀕しました。常磐炭鉱も例外ではありません。しかし当時は、一家の働き手だけでなく、奥さんや中高生以上のお子さんなど家族総出で働く家も少なくなかったのが実情です。閉山となれば、影響は会社の枠を超えて地域全体に及びます。閉山は避けられないが、どうやって社員と家族の生活を守り、地域を支えればいいのか?――となった時に、出炭時の厄介者だった温泉に着目したわけです。当時、1トンの石炭を掘り出すのに10トンものお湯が湧き、処理に困っていたんです。これを活用して日本にハワイを、常夏の楽園を作ろうというコンセプトで誕生したのが、1966年にオープンした常磐ハワイアンセンターです。ゆっくり温泉につかって、楽園の踊りを楽しんでもらおうというわけです。
ハワイアンセンターの代名詞ともなったフラガールは、炭鉱からの転換策を求めて世界各地を視察した当時の中村社長のアイデアだったそうです。2006年に公開されてヒットした映画「フラガール」は、当社が炭鉱からレジャー産業に転換する経緯に題材を取っています。私が入社した35年前にはすでに閉山した後でしたが、まさにあの映画で描かれた通りの経緯だったそうですよ。炭鉱からレジャー産業へと、大胆な事業転換を成功させた背景には、やはり何があっても「雇用を守れ、人の真似をするな、自分たちで考えて創れ」という一山一家の精神があったと思います。

―なるほど、地域でずっと受け継がれてきた一山一家の精神が、震災復興に際しても遺憾なく発揮されたということでしょうか?

表立って一山一家と口にはしなくとも、復興に向けたすべての努力の根底に、そのエッセンスがしっかりと息づいていたと思います。被災当時、私はハワイアンズホテルの統括支配人で、当日は周囲の状況もわからない中でお客様の安全対策に奔走していましたが、ふと気づくと、スタッフの人数が増えている。非番の従業員が続々と駆けつけてお客様対応に動いてくれていたんですね。自分の家だって大変なことになっているのに、「いやいや、心配だから出てきました」と。こんな行動ひとつをとっても、当社で長年受け継がれてきた精神が従業員一人ひとりに根付いていることがわかります。
また、あまり知られていませんが、3.11の1か月後、4月11に大規模な余震(福島県浜通り地震)が起きました。実はこちらの被害の方が深刻で、大きく壊れたホテルの玄関を見た時は、正直「もうダメかもしれない」と思ったほどです。営業再開できるとしても、いつになるか見当もつかない状況でしたが、現場を預かる私たちとしては、とにかく目の前のできることに日々懸命に取り組むしかありません。たとえば近隣町村の被災者を受け入れて、ホテルの使える部分を二次避難所に。炊き出しや温泉の提供もそうです。地震の影響で浜通り一帯のライフラインが止まり、地域の皆さんはお風呂が使えない状態でしたが、不幸中の幸いというべきか、ハワイアンズの温泉施設は生きていたので、地域に開放し、使っていただきました。

日本中に共感を広げた「フラガール全国きずなキャラバン」

―東北復興のシンボルとして注目を集めた「フラガール全国きずなキャラバン」のアイデアも、そうした流れの中で生まれたのでしょうか。

実は昭和41年のオープン時にも全国キャラバンを実施しています。炭鉱から観光事業に転換する時に、「1000円持ってハワイに行こう」というキャッチフレーズを打ち出したのですが、そんなこと言っても誰も知らないじゃないですか。そこで初代フラガールたちがバスで全国を回ってPRし、常磐ハワイアンセンターの名を全国に知らしめたのです。
震災の時も、もちろん状況は違いますが、深刻な危機であるという点では同じです。そこで当時の齋藤一彦社長が「キャラバンでいこう」と声を上げました。福島は大変なことになっているけれども、復興に向けて元気に頑張っている姿を全国のみなさんに見ていただこう、と。もちろん無償、お金はいただきません。5月に近隣の避難所への慰問を行ったのを皮切りに、10月までに全国26都道府県、韓国・ソウルを含む125カ所で合計247回の公演を行いました。

―反響はいかがでしたか?

まず、行く先々の皆さんが「大変なのに、よく来てくれました」と温かく迎えてくださり、キャラバンを担ったフラガールたちはもちろん、私たちもすごくうれしかった。集客にもはっきりと効果が表れました。ハワイアンズのお客様は無料バスを出している首都圏の方がメインなのですが、キャラバン以降、それまではほとんど来られなかった関西や九州、北陸や北海道からも続々と来場されています。支配人として「遠いところをありがとうございます」とご挨拶すると、「今度は私たちが応援に」「おたくのフラガールが来てくれたから」と、皆さん口々に言ってくれるんですよ。私たちが元気な姿をお見せして、その思いを受け止めた皆さんが、今度は遠いいわきまで足を運んでくださる。何かこう、いろいろな努力が一つの線に繋がったようで。
震災の後、やっぱり人と人とのつながりというのは、こんなにも大事なものなんだと痛感しています。綱引きの綱って、片方だけ引いてもダメですよね。相手が持っていてくれるからこそピーンと引っ張られるんです。そういう関係こそが大事だという思いと「絆」とを掛け合わせて、2012年2月の全館グランドオープン時に「きづなリゾート」という新しいコンセプトを掲げるに至りました。

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「その地域と共に歩め」の姿勢で、苦境を乗り越えた

―営業再開後の業績や集客状況はいかがでしょう。

おかげさまで、営業再開初年度にして震災前を上回る数のお客様にお越しいただき、その後も客数が落ち込むことなく、同レベルの水準で推移しています。全国からおいでいただけるようになった今も、やはり中心は首都圏のお客様です。団体のお客様も少なくありませんが、8割は個人、その多くがリピーターです。親、子、孫の三世代にわたってお越しになるご家族も目立ちますね。

―いわき市を中心とする浜通りエリアにおいて、ハワイアンズはまさに復興のシンボルになっていると思いますが、あらためて伺います。御社は地域にとってどんな存在なのでしょうか?

今おっしゃった「シンボル」、そのことをまざまざと感じたのが、4.11の時です。3.11以上の被害を受けて、もうダメかもしれないと従業員でさえ思う状況でしたから。地域の皆さんにはいっそう深刻に受け止められたようです。地震の直接的な被害だけでも大変なのに、原発事故の風評被害まで重なり、ハワイアンズだけでなく福島全域に観光客が来ないという状況に陥っていましたから。その時に地域の皆さん、取引先の方々、以前来てくださったお客様などいろいろな方から「ぜひもう一度、再生してください」「ハワイアンズが再開しないと元気が出ないんです」と、お電話やらお手紙やらFAXやらを通じて、期待と激励とお願いの言葉を頂戴したんです。そういった声が、あの壊滅的な現場で、私たちがまず片付けや掃除に立ち向かう原動力となり、なんとしても営業再開に向けて頑張るぞ!という気持ちに繋がっていったのです。

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4.11の時、館内に近隣市町村から630人の方が避難されていたのですが、10月の仮オープンから翌年2月のグランドオープンまでの間に、そのうち200人以上の方が来場されたんです。あの時期、従業員と一緒に寝泊まりして、一緒に怖い思いをしながら乗り越えた皆さんの3人に1人が、わざわざ来てくださったのです。予約を見れば、あの震災の時の方だとわかりますから、チェックインやお食事の際などに、私からお一人お一人に挨拶させてもらいました。「いやいや、あの時お世話になったから」というお客様の声を聞きながら、どれほど多くの方々がハワイアンズの再開を待ち望んでいたかということを、あらためて実感しました。創業当時も今も、当社の土台は「その地域と共に歩め」という姿勢です。これは昨日今日言い出したことではなく、この地域と当社の間で、長い年月をかけて築き上げたものです。やはりそこが当社の変わらぬ立ち位置であり、強みにもなっているのかなと思います。

(12月26日配信の後編へ続きます。)

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