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東京出身者が地方に働く場所を求めるわけ
川島 勇さん
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2019/07/29 (月) - 08:00

東京に生まれ、東京で育ちながらにして、働く場をあえて地方に求める人がいる。愛知の鉄道会社に勤める川島勇(かわしまいさむ)さん(41歳)もその一人。大学院まで東京で過ごすも、就職先はあえて地方転勤の多い企業を選択。在籍中も率先して地方赴任を買ってでて、今やたどり着いた先は愛知を拠点とする鉄道会社でした。川島さんが地方で働くことにこだわる理由とは?そして東京と比べての地方での暮らしのほどは?

選んだ就職先は、あえて地方転勤の多い会社

東京都杉並区出身。実家はドラマに出てくるような東京下町の町工場で、今も医療機器用の金属加工業を営んでいる。祖父の代から始めたという家業は父親が継いでここまでやってきたが、長男である勇さんが継ぐことはなかった。むしろ大学受験では地方大の医学部を目指していたという。

「親父の背中を見ながら、家業は孤独で緻密さといい意味での強引さが求められることを見てきましたが、私にはその素質がなかったんです。むしろ密なコミュニケーションが求められる中で、切磋琢磨できる環境の方が向いていると感じていました。ですから、地方で患者さんと密に接する医療関係の仕事に従事したかったんです」

しかし、二浪するも医学部の夢は叶わず。ただ、地方で働きたいという願望はこの時から持ち続けていたという。そこまで地方に焦がれる理由は何だったのだろうか?

「高校は中野にある400人規模の学校で、それはそれで楽しかったんですが、母数が大きすぎて付き合える範囲が限定的でした。また祖父母の家も実家から歩いて行ける距離でしたから、いわゆる田舎という故郷がなかったんですね。その反動からかもしれません」

その夢を叶えるべく、就職先も地方転勤の多い企業を選んだ。東京に本社を置きながらも、地方のミュージアムや文化施設などの企画・運営を担う会社だ。しかし、初めから地方転勤の願いは聞き入れられず、入社から4年間は東京で経営企画の仕事に従事する。ここで徹底的に仕事の基礎は叩き込まれたという。

念願の地方暮らしは、山口県岩国市から

そして4年後、満を持して地方転勤の異動願いを提出。それは自身が東京で案件の獲得から関わった、山口県岩国市にある文化ホールの企画・運営の仕事だった。それまで岩国市はもとより山口県と何かゆかりがあったわけではない。憧れの地方暮らしを実現するために、場所は選ばなかったという。

「初めて岩国に降り立ったとき、駅近の商店街の八百屋や魚屋で当たり前のように地元のものを売っているのを目にしまして。全国から寄せ集められたものが集まる東京で暮らしていた僕にとっては、それはとても豊かなことに感じたんです。そして内見した物件の南側の窓を開ければ海が見え、北側の窓を開ければ山が見えるという環境が一瞬で気に入って。初日から岩国が大好きになりました」

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山口県は南は瀬戸内海、北は日本海に接しているため、両方の海の幸にありつけたそう。それらの魚や新鮮野菜を使ったご飯は絶品で、夜な夜な地元の小料理屋やバーに繰り出していたという。

仕事面でも、文化ホールでのクラシックコンサートの企画や広報が主な仕事で、もともと好きだった音楽と仕事がつながるなんて夢のようだったとか。本社からの出向ということで、マネジメントの悩みは尽きなかったようだが、総じて思い描いていたような地方暮らしを過ごすことができた。

呼び戻された東京生活を経て、今度は三大都市圏の名古屋へ

しかし元々、転勤の多い会社柄、夢の地方暮らしはそう長くは続かなかった。3年ほどの山口赴任を経て、東京の本社へ呼び戻されることに。今度の配属部署は人事だった。

「採用の任務だったのですが、これはとても楽しかったんです。大手企業とはまた別のレイヤーの人材を発掘してきて、採用の過程で伸びてくる子を探すんです。女性の方が多い会社なので、地方転勤を厭わない女性となるとなかなか難しいんですけどね。それがやり甲斐でもありました」

昔から、無理難題に挑み続けている時の方が、自身の成長も感じられて心が安定すると話す川島さん。行きつけのバーに通い詰めるなど東京での暮らしも楽しんでいた。プライベートでも、山口赴任時代に知り合った人とこの頃、結婚を果たす。順風満帆な人生のように見えた。しかし、山口で感じた心地よい空気感と比べると、東京の空気は息が詰まることも多かったとか。

「東京からも郊外に足を伸ばせば自然があるのも分かってはいるんですが、東京の時間の流れの速さに翻弄されて、外に目を向けることもできなかったんです。息継ぐ暇もなく、毎日が過ぎていく。そんな感覚でした」

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そんな折、今度は名古屋転勤の話が舞い降りる。名古屋の博物館の拠点長の立場で、70~80人のマネジメントも含む企画・運営業務だった。それはとてもやり甲斐のある仕事だったが、同時に責任も重い。重圧を跳ね返しながらもなんとか頑張ってきたところに、同社から数年後にはまた東京本社に戻るという話が告げられる。

「転勤が多い会社と分かって入ってはいたものの、その頃にはもっと地域にどっぷり浸かりたいという気持ちが強くなってきていたんです。愛知は有名戦国武将を輩出した土地柄、食をはじめその土地ならではの文化が色濃く残っていて、おもしろいと感じていました」

そう話す川島さんは、そこでなんと愛知の地場企業への転職を決意。転職活動を経て見事、愛知の鉄道会社への転職を果たすのだ。その時、36歳だった。

消費地でもありながら、生産地の近い名古屋での暮らし

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