「広島をもっと楽しい街にしたい」小学生からの夢を“計画的”転職で実現
株式会社荒谷建設コンサルタント 山中 佑太さん
イソナガ アキコ
2019/07/30 (火) - 08:00

「広島をもっと楽しい街にしたい」そう心に誓ったのはなんと小学生のとき。その想いは変わらぬまま、東京の大学へ進学した。“計画的な転職”で不動産や都市計画の実務を学んだ後、30歳で広島へUターン。現在は、広島の企業で「認定准都市プランナー」として働きながら、オンもオフも地域の賑わい創出に奔走している。そんな山中佑太さんが考える理想の転職とは?

たどり着いた天職「都市プランナー」という仕事

山中さんの名刺に書かれた肩書きは「認定准都市プランナー」。広島の地域のにぎわい創出のために、街並みや商店街、自然、文化、コミュニティといった環境や資源を生かした、まちづくりのイベントの企画・実施からプロモーションの展開まで行っている。

最近の事例では、広島県福山市のJR福山駅前広場を舞台に行なった道路空間活用社会実験「OPEN STREET FUKUYAMA」がある。大型商業施設の撤退などが相次ぎ、空洞化や賑わいの低下が深刻化していたJR福山駅周辺の快適性や回遊性を向上させるプロジェクトで、山中さんは都市プランナーとして、賑わい創出のためのプランの助言や実行部隊となる市民と企業や行政との橋渡しをした。

山中さんらが関わった第1回目の社会実験以降も地元の大学など有志メンバーが中心となってプロジェクトを引き続き進めており、JR福山駅前に次第に賑わいが戻りつつあるという。

「かつてはコンサルタントがいなくなった瞬間に活動も終わってしまうというパターンも多かったのですが、このプロジェクトは地元の方がしっかり引き継いでくれて、終わるどころかむしろ加速している。我々にとっては嬉しい限りです」

活き活きした表情で、まちづくりの事例を話してくれる山中さん。本当にこの仕事が好きなんだということが伝わってくる。

小学生の時の夢は「野球選手」ではなく「街づくり」

山中さんがまちづくりに興味を持つようになったのはなんと小学生時代の福岡への家族旅行。福岡ドーム(現ヤフオク!ドーム)やキャナルシティ博多といった大型施設が立ち並び、まちづくりが進んでいる印象で、そうでない広島とのギャップに衝撃を受けたという。

子どもの頃、旅先で大きな建物やレジャー施設を初めて見て圧倒されたという経験はあっても、そこから「自分の街をなんとかしたい!」という発想に辿り着く小学生はそういないのではないだろうか。

「うーん、野球好きな少年が野球選手になりたいと思うように、僕は街に興味があってまちづくりという仕事に興味を持っただけなんです。祖父が政治に関心が強いひとで、祖父の家に行くと『広島の街をどうするか』といった話を普通にしていたんですね。それがすごく印象に残っていて。そういう祖父との対話も影響しているかもしれません」

一時は政治家を志し、地元の議員さんのカバン持ちをしたこともあるそう。
「議員さんと一緒に過ごす中で、政治家はちょっと違うのかなって。政治家はどちらかというと監督的な仕事になると思うんですが、僕はプレーヤーとして現場で動いている方が好きなんだってその時、気づきました」

その言葉通り、現在、籍を置く荒谷建設コンサルタントでは、社内でのデスクワークの時間は少なく、ほとんどが社外での打ち合わせや視察など、現場で動き回っている。

経験と実績を積むための計画的な転職を重ねて

山中さんが荒谷建設コンサルタントに転職したのは2016年。実はそれまでに山中さんは4回転職している。

「転職が多いということは、普通マイナスの印象になりますよね」そう語ったのは当時、山中さんを面接した鎌田さん(写真左)。

「当然、その理由はしっかり確認させてもらいました。転職の理由を聞いて、彼の『広島の街をなんとかしたい』という想いの本気度がわかったので、逆にぜひうちにきて欲しいと思いました」

普通はマイナス要因となる転職回数の多さが、山中さんの場合、逆にプラス要因になったという。それはどんな転職だったのだろうか。

山中さんは東京の大学を卒業後、オフィスビルや商業施設等の不動産開発を手がける東京の不動産ディベロッパーに就職した。

「35歳までには広島にUターンするつもりだったので、それまでに東京やいろんな地域の事例を見たり、まちづくりに必要な経験をたくさん積んでおきたかった」と、その会社を3年で退職。その後、岐阜のまちづくり会社を経て、さらに3年間、東京都内の自治体の公務員としてまちづくり関連業務の経験を積んだ。
全ては広島に戻ってから腰を据えてまちづくりをするために必要な転職だった。

東京都内の自治体でもまちづくりの経験を積んだ

奥様の助言に背中を押されて広島にUターン

そして、30歳になった2016年、広島へのUターンを決断。当初の「35歳」という目標より少し予定が早まった理由は何だったのだろうか。

「結婚したのが一番のきっかけです。妻には結婚するときに『いずれ広島に帰るつもり』ということは伝えていたのですが、当時忙しくしていた僕の状況を見て、妻が『そろそろ広島に帰るタイミングなんじゃない?』といって背中を押してくれました。あと、2011年に東京で東日本大震災を経験して、『明日はどうなるかわからない』と感じたことも影響していると思います」

奥様は東京生まれの東京育ち。大学も会社も実家から通っていたという生粋の東京人。そんな奥様にとって、東京を離れるということに不安はなかったのだろうか。

「ずっと東京にいたから逆に東京に執着がなかったみたいです。広島に来てからは、島と海が大好きになり、休日になると海が見える場所に行くのをとても楽しみにしています」

休日は奥様と海の見える景色を求めて小旅行を楽しんでいる

最近は、しまなみ海道や周防大島へも行ったそう。そうした休日の過ごし方は東京にいたらできなかったことだという。
住環境や日々の暮らしについては不便さを感じることはないのだろうか?

「広島は公共交通機関が少ないので、郊外に住むと車での移動が中心になってしまいます。妻は東京暮らしで公共交通機関での移動に慣れていたので、住居は交通アクセスのいい広島駅付近にあるマンションを選びました。家賃は東京時代とほとんど変わりませんが、広さは倍になりました。普段の買い物は徒歩圏内にあるスーパーで十分ですし、ちょっとしたショッピングも紙屋町や八丁堀といった中心街へ自転車で行けるので、不便さは感じていないようです」

「強いてあげるとするなら…」と教えてくれた奥様の不満は、広島弁だそう。
「広島に来たばかりの頃は広島弁が苦手だったみたいです。でも最近は、それ(広島弁)らしき言葉を話してますよ(笑)」と山中さん。広島での生活も3年目を迎え、奥様も広島にすっかり馴染んでいるようだ。

「転職は話し合い」だと気づいたことが転機に

そんな朗らかな奥様に背中を押されて広島へのUターン&転職を決めた山中さんだが、広島での就職先が決まるまでの転職活動はどうだったのだろうか?

「正直大変でしたね。Uターンを決めてからすぐ、大手の転職会社や転職エージェントを紹介してもらったり、転職サイトや検索でまちづくりに関係した職種の求人を探しましたが、希望する求人はほとんどありませんでした」

途中で1回、諦めてしまいそうになり、希望する職種でない求人にも履歴書を送ったりしたという山中さん。そんな時、相談にのってもらった広島県と繋がりのある転職エージェントが荒谷建設コンサルタントに、エリアマネジメント業務を希望している人物がいると山中さんを紹介してくれたのだそう。

山中さんの面接を担当した鎌田さんと長谷山さんにもお話を伺った。

今年の3月まで直属の上司だった長谷山さん(写真左)と面接を担当した鎌田さん(写真中央)

「当時、弊社は対外的には営業職しか募集を出していませんでした。しかし、内部的には今後、まちづくり関連事業に力をいれていこうと計画・準備していた最中で、いずれはエリアマネジメント業務を担える人材がほしいと思っていたところでした」(長谷山さん)

転職エージェントから山中さんへも荒谷建設コンサルタントが紹介され、面接が決まった時、山中さんは目からウロコが落ちた。

「新卒の時の就職活動も、東京時代の転職の時も、出ている求人や知人の紹介だけで、なんとなく上手くいったので、そういう方法が当たり前だと思っていたんです。でも、こちらから企業に対して『こういう仕事がしたい』とプレゼンしてもいいんだと、それに気づいたことは自分の転職活動の転機になりましたね」

その後、希望する職種で4社の内定をもらい、最終的に社風がよくて、希望するまちづくりの仕事が一番できそうだと感じた荒谷建設コンサルタントに決めた。

「面接でとても優秀な人材であることがわかったので、ぜひうちに来てほしいと思いました。内定を出した後はうちに来てくれるかなと心配していたくらい(笑)」と鎌田さんが語るほど、相思相愛のベストマッチだった。

移住を考えている方へのメッセージ

紆余曲折を経て、希望する職種で広島にUターンした山中さんに、現在、IターンやUターンを考えている人へのメッセージをお願いした。

「まず伝えたいのは、自分から情報を取りにいかないとほしい情報は手に入らないし、希望する仕事とめぐり合う可能性も低くなるということです。僕も仕事を探し始めた頃は転職市場に翻弄されて、自分ってこんな市場価値しかないのかと落ち込んだりもしましたけど、転職活動は“話し合い”なんだということがわかって、自分でプレゼン資料を作成したり、面接で自分の想いや希望を伝えるようにしてからは、希望する職種で内定をもらえるようになりました。なので、そういう積極性が絶対必要だと思います」

「あと最近思うのは、デュアラーっていうのかな、UターンやIターンを考えている場所と現在住んでいる場所と2拠点を行ったり来たりして、必要な情報を収集するという方法が可能なのであれば、それはすごくいいなと。仕事でなくてもその地域の行事に参加するとかだけでも、地元の方と知り合うきっかけになるし、UターンやIターンをした後の定着するスピードも全然違います。僕の身近にもそういう人が増えていて、それは見ていてすごくいい方法だなと思います」

現在、オフタイムも“まちに関わるヒトビト”を集めて、広島の都市・地域づくりを楽しむプレイヤーの発掘と育成を試みる「DO!LINK」というトークイベントを開催するなど、オンオフともまちづくりのための活動に邁進中の山中さん。福岡の街を見て圧倒された少年が時を経て今、広島の未来を変えつつある。

山中 佑太(やまなか ゆうた)さん

1985年、広島県出身。大学時代を東京で過ごし、新卒でオフィスビルや商業施設等の開発を手がける東京の不動産ディベロッパーに入社。その後、4回の“計画的”転職を経て2016年、広島へUターン。転職先の株式会社荒谷建設コンサルタントでは、都市プランナーとして広島や周辺の都市や地域のまちづくりのために各地を奔走中。現在、駅近のマンションで奥様とふたり暮らし。休日は海が大好きな奥様とふたりでせとうちの島巡りを楽しんでいる。

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