外の人と地域をつなぐ、新しい「移住」のカタチ
鹿児島移住計画 代表 安藤淳平氏
鳥羽山 康一郎
2018/07/16 (月) - 08:00

「移住」とは、人生における大きな出来事のひとつだ。住む土地が変わる、会う人が変わる、生活が変わる。しかしこれをシリアスに捉えず、まずは「住んでみたい気持ち」や「いままでのキャリアを活かして地方で働いてみたい気持ち」を優先する移住支援の取り組みもある。住みたい人と迎え入れる人が互いをよく知り、納得できたら移住を実行するというものだ。キャリアを振り返り、先のことを見据え、移住という選択肢も浮上した人の背中を軽く押してくれる。そんなユニークな試みを行っている「鹿児島移住計画」代表の安藤淳平氏を訪ねてみた。

「いつか」を「今」にする移住計画のミッション

「○○移住計画」という団体が全国のいくつかの町にある。その名の通り、○○という土地へ移住する人々を支援する民間団体だ。はじまりは「京都移住計画」で、志を同じくする人々によって全国に広まった。2018年4月現在、北海道から沖縄まで18の移住計画(2018年3月現在)が活動している。特徴は、「緩やかな移住」。地方自治体が推進する移住は、定住することが前提となっている。それに対し、「移住しなくてもいい」というスタンスなのが「○○移住計画」なのだ。

「移住希望者を囲い込むカタチではなく、まずはつながりをつくって交流しつつ、気に入れば住むという姿勢です」

そう話すのは、鹿児島移住計画代表の安藤淳平氏。氏自身も移住者だ。福島県郡山市で生まれ育ち、東京の大学で学んだ。

「大学院で建築や都市計画を学んで東京の都市計画事務所に勤めた後、名古屋のシンクタンクで総合計画策定などを手がけていました。そのとき、東日本大震災が起こったんです。地元に帰りたい思いが強くあったので、復興支援がしたかったんですが、まずは生活の基盤を固めてから福島に向き合おうと思い、縁があって鹿児島にやってきたんです」

鹿児島では、大学生の長期インターンシップのマッチングや、中小企業向けの採用支援事業を行う株式会社マチトビラに入社。マチトビラでは、人的側面から地域の中で想いを持ってチャレンジする企業や団体のサポートをする任務に就いた。その業務を通じて、ある気付きを得る。

「UターンやIターンを検討する人たちは一様に「いつか地元に帰りたい」、「いつか地域と関わりを持ちたい」と話します。一方で地方は深刻な人材不足。このミスマッチを解消するには、「職(仕事)」や「住(住居)も大切にしながら、まずは仲間をつくりやすいコミュニティづくり(居場所づくり)が必要だと考えたんです。地元の人たちも巻き込みながら、新しい仕組みをつくる必要があるんじゃないかと」

故郷を離れている人が、「いつか戻りたい」と話をする。その「いつか」を実現するために「今」やれること、できることを支援しようと鹿児島移住計画として活動を始めた。

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移住ドラフト会議の参加選手と球団たち

鹿児島移住計画が注目を浴びたのは「鹿児島移住ドラフト会議」の開催だった。これは、プロ野球のドラフト会議を模した選手(移住希望者)と球団(受け入れ側の団体・地域)のマッチングイベントだ。

名前からも分かるとおりとてもユニークな取り組みだが、狙いはマッチングの解像度を高めることにある。地域では漠然といい人に来て欲しいといい、都市の人材は面白い移住したいという。良いところも悪いところも見せ合わずに、お互いが漠然としたままマッチングに進むケースが多い。地域は足りないものや欲しいものを明確にすること、移住者は自分のスキルが活かせて必要としてくれること、それぞれのイメージを明確にするために「移住ドラフト会議」は始まった。

名付けたのは、県内各地でコミュニティデザインを行う一般社団法人鹿児島天文館総合研究所Ten-Labを主宰する永山由高氏だ。安藤氏と二人三脚で移住ドラフト会議をつくってきた。

安藤氏は東京で説明会を開いたりウェブで告知したりして、選手集め。球団候補は、地域創生の仕事を通じてつながりができたところと交渉し賛同を集めた。しかし、行政機関は入れていない。

「行政がやる移住施策は定住が前提となってる場合が多い。僕らは『移住しなくてもいい移住ドラフト会議』を提唱していたので、囲い込みたくなかった。『関係人口』という言葉のように、まずはつながりをつくって交流しながらお互いを知り、よければ来てもらう。そうでなければ遠距離交際してもらえばいいというスタンスです」

第1回目は2016年4月2日に開催された。球団としては日置市、南九州市頴娃町、鹿児島市桜島地域、鹿屋市など7つのエリアのNPO法人や団体が名乗りを上げ、38人がエントリーした。参加球団は、必要に応じて指名選手に対して空き家・仕事などの提案をすべく地域内でのコミュニケーションが可能であることなどの条件が課せられている。会場にはプロ野球ドラフト会議のようなエリアごとの円卓が並べられ、選手を順番に指名していく。重複したら抽選だ。演出や進行など、エンターテイメント性もたっぷり盛り込まれ会場は盛り上がった。

第2回目は2017年3月11?12日に城山観光ホテルを会場として行われた。1回目で注目を集めたおかげで、テレビ局の取材も入ったりMCをプロのアナウンサーが務めたり、より凝った演出で進行された。球団は11エリアに増えた。宮崎県の日南市も球団として参加。この回からは1日目に選手からのプレゼンテーションが行われるようになり、球団としてもより指名を絞りやすくなったという。

指名した選手とは1年間交渉する権利が生まれ、その間球団と選手とが関係を深めていく。2回のドラフト会議の結果、これまで10人が実際に移住を果たしている。(2018年3月末現在)

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「未来をつくりたい」全国版は40?50代が存在感

このドラフト会議は他の「○○移住計画(通称:みんなの移住計画)」からも「面白そうだ」という意見が出て、全国版「みんなの移住ドラフト会議」が東京で開かれることになった。2017年11月25?26日のことだ。札幌から沖縄まで17の移住計画が集まった。各移住計画で信頼できる12の球団を見つけ、45人の選手たちが会議に臨む。都市部から地方へのみならず、地方から地方への「ひと・もの・ことの循環」という考えも採り入れている。

「ドラフト会議は人と地域の関係づくりがメイン。移住というと重たい決断と捉えられがちですが、好きな場所で生きていくことを重視していけば、視野やパイは広がるはずです。そのためにエンタメ性やデザイン性も訴求しているんです」

ややもすると、一見自由に生きたい人たちが好きな土地でのんびり暮らす、というふわっとしたイベントに捉えられがちだ。しかし、会議の骨組みはしっかりしている。選手たる移住希望者たちとは、事前に全員面接を行う。そして地域にきちんと紹介できるかどうか、スカウティングシートをつくり球団側に送る。球団側はそれを元に指名選手の検討に入る。きちんとスクリーニングすることで、選手の質は確保できるのだ。逆指名はできないが、面接で選手からの希望も聞くので大きなミスマッチも回避できる。

「スクリーニングするとはいえ、今までお断りしたことはありません。みなさん自分なりのセリングポイントを持っていますから」

エントリーする年代は、鹿児島移住ドラフト会議では20代後半から30代の若い層だ。みんなの移住ドラフト会議になると、これが上の年代になる。

「経営者や普通のビジネスパーソンなど、職種は多様です。全国版には医師もいました。セカンドキャリアを意識している方が多いですね。自分が目に見える形で地域に貢献したいとか、農業とITを掛け合わせて起業したいとか、海外でのキャリアを活かしたいとか」

東京が会場となったゆえに、自分を見直した上で「次の未来」を見据えている人たちのエントリーが目立ったようだ。

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安藤 淳平(あんどう じゅんぺい)さん

&do 代表。福島県郡山市出身。東洋大学大学院修了。東京の都市計画コンサルタント会社、名古屋のシンクタンクを経て2013年に鹿児島市へ。株式会社マチトビラで中小企業の採用支援や定着支援、インターンシップのコーディネートなどを担当後、鹿児島移住計画を立ち上げる。「すべての人を関係者に」がモットー。町のデザイン、地域のキャリアデザインなど、自分で打ち出したいことをデザイン思考の上で成立させる。

移住は数値で計れない豊かさの実現

東京から地方へ移住した際、最も気になるのが年収の落差だ。年収が下がるケースは多い。地方だからと言って生活費が格段に安いわけではないので、これは大きな壁となりかねない。しかし安藤氏は、
「鹿児島のぼくらの周りで言えば、お金が第一の価値観という人は多くないです。フリーランスの方はネット環境があれば東京の仕事もできますし、こっちで仕事をつくっていくチャンスもあります。確かに年収は減りますが、それよりも消費者というよりも仕事でも暮らしでも生産者になりたいという属性です。金額や数値では計れない豊かさを優先させる人たちが多いですね」

団塊の世代が憧れた「田舎暮らし」とはベクトルの違う移住生活が、そこには見えてくる。例えば鹿児島の隣、宮崎県日南市は2回目のドラフト会議と全国版に球団として加わった。IT企業誘致による地域おこしで実績を上げている同市は、「受け皿としては強力」と安藤氏は言う。シャッター通りが奇跡的に復活し、UIターン者をまじえての新しい地域コミュニティが形づくられている。

また、鹿児島県では南九州市頴娃町のNPO法人も注目だ。移住者の住居として再生した空き家を提供。同時に、観光客を呼び込む施策も次々とヒットさせ、新規ビジネスの創出につなげている。

県内では霧島市にも面白い動きがあると安藤氏。もともと大企業の工場など複数や温泉などの観光資源が豊富で豊かな自治体といわれているが、最近では市民レベルでの新たな動きも活発である。現在は安藤氏も霧島に通い、移住者を迎え入れるための受皿づくりや小商いをつくるセミナーなどを開催している。近い将来、この町も球団として名乗りを上げる可能性が大いにあるのではないだろうか。

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次のドラフト会議に向けて耕していること

安藤氏によると、2018年は移住ドラフト会議の次の展開に向かっているという。その代わり、新たな移住候補者や関心のある人たちの発掘、移住ドラフトで指名された人たちのサポートには時間をかける。

「今後の見込み客を見つけると同時に、移住者も増えてきたので彼らが自分の仕事や生活をつくっていくためのお手伝いもしたいんです。そうやって一人ひとりちゃんとカタチにしていくことがこれからの仕込みや呼び水になると思います」

移住者(ドラフト候補選手)にとっては、移住の入り口から出口までがしっかりと見えていた方が安心感がある。移住という人生の重要イベントを行う上で、先人たちの姿に自分を重ねられることは大きい。
また、移住者の受け皿となる球団では、外からの人に寛容な地域であることも大切なポイントだ。仕事を通じて関わりを持った会社や団体を見ていて、「ここまで来れば大丈夫」と見きわめる。

「現在の球団以外にも、新たな地域をつくっていかなければ発展しません。そういうところが増えるというのは、鹿児島への貢献でもあると思います」
人と地域、両方の増員と底上げを目指して、現在各地を耕している。

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仲間が増えることでスケールしていく

鹿児島移住計画は、現在(2018年4月)のところ任意団体だ。他の地域の移住計画も同じく任意団体であったり、母体となる会社の1プロジェクトだったりするが、公的な資金が入っているところはない。鹿児島はこのまま任意団体で続けていくのだろうか。そして、団体としての収益はどうなのだろうか。

「お声掛けもあるので、一般社団法人になるとか、株式会社にするとか道はありますが、悩ましいところです。法人化してまで、という気もありますし。鹿児島移住計画としての収益は、業務委託や企業の採用のお手伝いなどで上げています。でも、移住ドラフト会議での収益はゼロ。言ってみれば宣伝広告費のようなもので、取材を受けたり注目してもらったことで、自分のやれることも増えて別の仕事につながってきますから。デザイン業務や行政の移住施策関連などもですね」

本業にするのではなく、あくまでも本業に役立つという位置付けだ。地域づくりやまちづくりは、キャッシュ化するまでのスパンが長い。そこをいかに耐えられるかが重要だと安藤氏。
「苦しいけれど、結果として事業をつくれるといいなと思います。それがローカルに合ったやり方だと思いますし。貨幣経済も信頼経済も大事で、どっちかが第一というよりも、どちらも自分が実現したい未来を叶えるための手段。そこは大事にしていきたいです」

この鹿児島で、自分と同じ志向・思考を持った仲間を増やしていく。大人数でなくていい。しかし増えることでいつかスケールしていく。その意思の元、動いている。

最後に、地方移住の極意があればと訊いてみた。

「東京など大都市からの場合、いきなり人口の少ないところよりも鹿児島市のような中規模(人口60万人)の町でまず慣れることがお勧めです。都市的な生活もできるしローカル感もある。そこに住みながらより田舎暮らしがしたければ、そっちに入っていけばいいと思います」

正しいことを面白く伝えたい──安藤氏の理念の通り、移住計画の入り口は楽しさに満ち、その内部には真実が厳然として存在する。そうでなければ、ここまでワクワクすることはあり得ない。感情を動かす、それが移住計画の最大の強みなのだ。

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安藤 淳平(あんどう じゅんぺい)さん

&do 代表。福島県郡山市出身。東洋大学大学院修了。東京の都市計画コンサルタント会社、名古屋のシンクタンクを経て2013年に鹿児島市へ。株式会社マチトビラで中小企業の採用支援や定着支援、インターンシップのコーディネートなどを担当後、鹿児島移住計画を立ち上げる。「すべての人を関係者に」がモットー。町のデザイン、地域のキャリアデザインなど、自分で打ち出したいことをデザイン思考の上で成立させる。

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