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熊本から世界に挑む、Uターン移住者のリアル
井関 麻子
2019/01/07 (月) - 08:00

穏やかな田園風景が広がり、かつては全国でも指折りの米の集積地として知られた熊本県山鹿市。この地でUターン移住と世界的な企業への転職を果たし、愛する家族との暮らしを営む平井弘樹さん(33歳)に話を聞いた。起業や就農といった、いわゆる“移住者のロールモデル”とは一線を画す彼のキャリアやライフスタイルは、どのように確立されていったのだろうか。

帰郷の決め手は「何とかなるだろう」の精神

山鹿市(旧鹿本郡)鹿本町で生まれ育った平井さん。高校までは地元に、大学は長崎へと進学した。大学院を卒業後は「とりあえず有名な企業がいい。都会で暮らしてみたい」という若者らしい動機を胸に就職活動を突破、大阪に本社を置く日本有数の製造メーカーに職を得た。

「日本が誇るものづくりの現場に」と理想を抱いて入社した平井さんだったが、1年間の研修を経て生産技術の部署へと配属されると、想像していた仕事と現実の間に少しずつギャップを感じ始めたという。

「私が関わっていたのは、製品に関する膨大なパーツのうち、限られた部分のさらに一部でした。大企業ということもあって労務管理も厳しかったですね。やり残した仕事は残業で挽回しようと思っても、徹底して労働時間が制限されていて…。働きたい、でも働けないというジレンマがあったんです」

当時、若干26歳。人生はまだまだ長い。故郷にも何かしらの仕事はあるだろう、とりあえず帰ってみようと考えた平井さんは、即断即決。2年間の大阪暮らしにピリオドを打った。

「何とかなるだろう、という根拠のない自信がありましたが、考えが甘かったですね」思いがけず自嘲気味な笑いが頬に浮かぶ。その理由とは?

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地元から世界に挑戦できる! 希望の光が新たな葛藤の種に

「もともと地元は大好きで、県外にいる間も年に数回は必ず帰郷していました。高速バスで帰ってくると、インターチェンジを降りたところから徐々に農村の風景になっていく。その感じがすごくホッとして、好きだったのを覚えています」と振り返る平井さん。幼馴染たちの後押しもあって、Uターンに対する抵抗はほとんど感じなかったという。

「とはいえ、さすがに働いていない状態が続くのは嫌だったので、すぐに転職活動を始めました」

営業やサービス業など、以前とはまったく違う職種も考えてはみたものの、前職の経験を見込まれ勧められたのが、現在も勤務するシマノ熊本株式会社だった。

株式会社シマノは、自転車のギアで世界トップシェアを誇る企業。山鹿にはそのグループ会社で、釣具の生産を行っているシマノ熊本株式会社がある。「実家から車で5分という近所にも関わらず、当時はシマノという会社の存在を知らなかったんです。当然、世界的なシェアがあるということも分かっていませんでした」と苦笑する平井さん。よくよく話しを聞いてみると、求め続けた「日本のものづくり」の心臓部分ともいえる生産技術部門の募集、地元からグローバル市場に挑戦できる事業領域と、魅力的な要素ばかり。すぐに入社を決めた。

ところが、ここでも思い描いた働き方と現実のギャップに苦しめられることに…。

発想を転換するターニングポイントは、妻の叱咤激励!

持ち前のコミュニケーション能力を発揮し、新しい職場にもすんなり馴染んでいった平井さん。ところが前職の大企業と、従業員130名の中小企業での仕事環境は、真逆ともいえるものだった。

「職場環境、ルールの定め方、生産形態。すべてが違いましたね。以前は歯車の一部だったことに不満を抱いていましたが、与えられる裁量は一気に広がりました。やればやるほどチャンスが与えられる環境ではありましたが、当時はそこに目が向かなくて」。

オートメーション化されていた働き方をもどかしく感じていたにも関わらず、転職後は裁量の大きさと責任の重さにストレスを感じ、葛藤していたという平井さん。何もかも投げ出したくなったとき目を覚ましてくれたのは、同じ会社の総務部に勤める恋人(現在は奥さま)の言葉だった。

「理想の会社が見つかるまで辞め続けるの? それって、どこに行っても不満は消えないんじゃないの?」

「すごくハッとしましたね。痛いところを突かれたというか(笑) そこで腹が決まったし、自分の環境を見直すキッカケになりました。うちの会社は現場を重んじてくれる風土があって、自分がやりたいと提案したことを止められたことがないんです。不満があるなら変えていく努力をすればいい、もう一度チャレンジしてみようと発想の転換ができました」と語る平井さん。

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ただ、「何とかなる」と前職を辞めたことは、何度も後悔したという。

「浅はかで考えが甘かった自らを省みましたし、自分に何の力もないことを痛感して落ち込みました。でも、だからこそ物事を一面だけはなく、さまざまな視点で見ることができるようになったんですよね」
移住や転職は、ポジティブな側面だけではない。しかし考え方や視点を変えることで、新たなやりがいや成果を手にすることができるのも事実だ。平井さんの経験は、移住者のリアルを如実に物語る。

職業人として、父として生きる日々

現在は新製品係に配属され、前職時代から夢だったという海外出張も経験。株式会社シマノのチームとも協働するなど、目覚ましい成果を上げ続けている平井さん。背中を推してくれた奥さまとの間には、可愛い2人の息子にも恵まれた。仕事面では結果を追求しつつ、子育ての真っ只中でもある夫妻は、どんな日々を過ごしているのだろうか。

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「平日ゆっくり過ごせる時間がないので、土日は基本的に家族一緒に行動します。山鹿は自然豊かで公園もたくさんあります。子育てにはすごくいい環境」と顔を見合わせるふたり。地方と都心の違いを感じる部分は?と伺うと、「やっぱり会社規模や資本力が違うので、収入は減りました。ただ、家賃は都会の3分の1程度。生活用品の物価も違うし、野菜や米は両親やご近所の方が作って持ってきてくれるので、かなり抑えられています」と平井さん。

奥さまも「お米やお野菜は、あんまり買ったことないよね」と頷く。さらに、井戸水を利用しているため上水道代は0円(!)という、水質自慢の熊本ならではの驚愕エピソードも。また、お互いの故郷で暮らすにあたって、金銭的なメリット以上に感じているのは、家族による支えだとか。

「両家両親のサポートは本当にありがたいです。今は育児休業中ですが、復帰後はますます頼ることになりそう」と奥さまのほがらかな笑顔が広がる。

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また、「山鹿市は子育て支援も手厚い自治体です。18歳までは医療費もかかりませんし、子どもが生まれると山鹿市内の提携店舗で使える“オムツ券”がもらえるんですよ。保育園も、都心に比べると入りやすいと思います。期の途中だと待機することもありますが、年度が変わるタイミングであれば、どこかしらに入れるという印象ですね」と奥さま。働く女性の割合も多いと感じているそう。

「私の周りは、企業に勤めていたり、家業のお手伝いをしたり…。何かしらの職業を持っている方ばかりです」

平井さんは「もちろん、田舎は賃金が低いので一馬力では厳しいという状況もあるでしょうが」と前置きしつつも「周囲の協力も得られやすいし、女性が働きやすい環境であるのは間違いなさそうです」と分析する。実は職場の熟練工も、ほとんどが子育てを終えた女性なのだとか。

「手先の器用さ、長年の経験に基づく微調整などは、絶対に敵いません(笑) 私がやると半日かかる作業も、慣れたベテランさんなら1分足らずで完成しちゃうんですよ! すごいでしょう?」と誇らしげだ。

ハイエンド向けのMADE IN JAPANアイテムを、熟練工の手作業で生み出す。一見すると日本のものづくりを象徴するような光景だが、「大きな視点から見ると、やはり自動化できる部分は変えていくべき。そのあたりも取り組んでいるところです」

平井さんが思い描く理想はいつしか明確なビジョンとなり、地に足の着いた変革へと結びついていく。

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自ら飛び込んでいけば、人の輪と刺激が待っている。

「田舎暮らしのデメリットといえば、公共交通の便が悪いこと。自家用車か本数の少ないバスしかないので、都会の暮らしに慣れている方は不便に感じられるかもしれませんね」と平井さん。では、最大のメリットと感じていることは何なのだろうか。

「それは、やっぱり人です。山鹿に帰ってこなければ今の家族はないですし、幼い頃からの友人も9割以上が地元で頑張っています。子ども同士も同級生が多いし、同世代の仲間と地元を盛り上げていけるのは心強いですね」とリラックスした笑顔で語る。奥さまも「私は隣町の出身ですが、山鹿の地元愛は素敵だなと思います。それでいて、外から来た人にもオープン。豊前街道や八千代座など、昔から受け継がれている文化も多くて、私もすっかりファンになってしまいました」とにっこり。

また、帰郷後は忙しい仕事の合間を縫って、消防団や祭りの運営委員としても精力的に活動している平井さん。鹿本町に古くから伝わる「招魂祭」に関しては、並々ならぬ思い入れがあるのだとか。

「久しぶりに足を運んでみたら、ものすごくバージョンアップしていたんです。レーザーを使ったショーやステージが素晴らしくて、聞いてみたらそれもUターンしてきたクリエイターさんが手がけたものでした。少し歳上の先輩たちの話を聞いてみると、勉強になったり、新しい視点が得られたりと刺激になります」

子どもたちにも、地元への愛を受け継いでいきたいと微笑む平井さん夫妻。これから移住を考える人にメッセージをお願いしてみた。

「転職を簡単に考えて後悔したこともありましたが、あの頃があるから今がある。納得がいくまで、自分の思う道を探してみてください。自分のことを棚に上げますが(笑) どうせ地元に面白い企業なんてないと思う前に、充分な下調べをおすすめします。地方からでも、世界に通用する仕事はできますよ!」

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(撮影・編集:株式会社くらしさ)

平井 弘樹(ひらい ひろき)さん

1985年生まれ、熊本県山鹿市出身。新卒で大手製造メーカーに勤めるも、製品というより部品を造っているという感覚に陥り、地元熊本へUターン。自転車のギアで世界No.1シェアを誇る(株)シマノの支社・シマノ熊本(株)に転職を果たし、釣具事業に従事。仕事面でも目覚ましい活躍を上げつつ、社内結婚も果たし2児の父親に。地元の祭りの実行委員会に所属するなど、地域活動にも携わる。

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