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「人の行く裏に道あり 花の山」新潟へIターンした元証券マンの生き方
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2019/05/27 (月) - 08:00

東京でキャリアを積んだのち、40~50代で地方移住し、地方企業の幹部として知見を発揮していく生き方を選ぶ人が増えてきています。神奈川県川崎市出身、東京で証券会社→メーカーの経営企画→コンサルとそうそうたる経歴を渡り歩いてきた葭田真弘(ヨシダマサヒロ)さん(47歳)もその一人。現在は、新潟県のコングロマリット企業の経営企画部門のマネージャーとして活躍する傍ら、ジム通いや様々な趣味など“健全”な暮らしを営んでいます。東京にあった持ち家も売却し、家族共々、縁もゆかりもない新潟へとたどり着いた背景とは?

どんなにいい経歴があっても、大きな世の中の変化の前に絶対はない

大学新卒で石油会社に就職し、その後は大学院へ進学。大学院修了後、長らく証券会社に勤め、資本市場および投資銀行業務でのキャリアを積み重ね、投資銀行部門の法人担当部長を歴任し、増資案件やM&A案件を担うなど、絵に描いたようなハイキャリアを歩んできた葭田さん。

そんな葭田さんに転機が訪れたのは2008年のことでした。サブプライム問題を引き金に起こったリーマン・ショック。葭田さんの会社もその余波を受け、2011年には勤務先の金融グループ内の会社合併という事情もあいまって大規模な人員整理が行われたのです。

「多くの同僚たちがリストラされ、優秀な人たちもどんどん辞めていきました。ただ、一点の曇りもない経歴を持つ人たちでも、実際次のキャリアを急に探してくださいとなると、なかなか転職は厳しいという現実を目の当たりにしました。これには非常に大きなショックを受け、そんな先輩や同僚たちと自分を置き換えたとき、先々自分に限っては大丈夫とは絶対に言いきれないと痛切に感じました。」

どんなにいい経歴があっても、大きな世の中の潮流の変化を前にしたら絶対安心ということはない、と感じた葭田さんは、極端な話、まだ雑巾がけをやれると思える年齢のうちにギアチェンジしておこうと、非常に悩んだ末に自ら希望退職に応じること決意。すると、幸いにもすぐに若い頃から懇意にしていた上場メーカーから声が掛かり、経営企画の担当者として転職を果たします。しかし、給与は下がることに。当時39歳、幼稚園生の上の子と、下の子はまだ生まれたばかりでした。

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証券会社時代の葭田さん(手前右から2番目)

ストレスフルな東京の暮らしからの脱却

「身一つだったら別だったと思うのですが、既に結婚していて子どもも2人いました。さらに、妻の実家近くにも家も購入していてローンも抱えていましたから、正直、経済的には厳しかったですね」

3年間そのメーカーでの勤務を経て、今度はコンサルタント業界へと身を投じます。アサインされた担当業務は、世間を揺るがせた大きな事件の損害を補償するための企業としての機能整備に関連するアドバイザリー業務。

「やりがいのある仕事でしたが、同時にとてもハードな仕事でした。しかしながら、そうした業務も時間の経過とともに、事態がだいぶ小康状態になったことを受けて、プロジェクト自体が縮小ということでクライアントから通知を受けたんです。それを上司に報告したところ、心無いことを口走った上司との信頼関係が崩壊してしまったんですね。」

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そんな状況の中、たまたま現在の勤務先から声が掛かります。それまで縁もゆかりもなかった新潟でしたが、熱心な勧めもあり、一度しっかり企業見学をさせてもらおうと、初めて新潟市に降り立ちます。実際訪れてみると、都会育ちにも抵抗が少ない程よい政令指定都市規模の都市としての街並みと、郊外の田園地帯というゆったりとした雰囲気に心地よさを感じたそうです。

現在の勤務先は地方に珍しいコングロマリット企業で、もともと専門学校を経営する学校法人からはじまり、現在では大学や高校も運営、事業法人ではホテルや飲食、アパレル、ITや人材などにも領域を広げる、まさに地方創生を体現しているような企業体でした。

「金融時代から含め、地方に本社を置く企業で、ここまで手広い事業内容を有し、地方創生を体現しようとする企業を正直見たことがありませんでした。一番の理由としては、そうした点に非常に興味を持ったというのも大きな理由でした。ちょうど東京での仕事にもどこか限界を感じていた頃でしたから、それまで様々な形で培ってきたスキルを活かせる機会ならと思い切って移住&転職を決めたんです」

こうして葭田さんが東京での暮らしを辞め、新潟での暮らしを選んだのは、44歳の時でした。

新潟での心地よい暮らし

しかし、当初移住に家族は猛反対。奥さんの実家近くに家も構えていたわけですから、二つ返事となるわけがなく、はじめの1年は単身赴任の生活を送っていたそうです。

「実際に暮らしてみると、思った以上に心地よかったんです。家から職場まで歩いて15分と職住近接で、仕事帰りに近くのジムで汗を流し、夜は読書などインプットの時間にも当てられるなど、東京では考えられない時間的な余裕がある生活が可能なのが大きかったです」

また、新潟は言わずと知れた米処であり酒処。海の幸もあれば山の幸もあり、とにかく日常ありつける食の質の高さに驚かされたといいます。

こうした人間らしいのびのびとした健全な暮らしができることに確証を持った葭田さんは、家族にもその良さを説得。退路を断つべく東京の持ち家も売却して、2016年、晴れて家族共々新潟へ移住することになったのです。

「はじめは移住で転校することも嫌だったと思いますけど、今ではなんだかんだ子どもたちも楽しんでくれています。東京にいたときは周りに合わせて塾や習い事など、やることや、ある意味競争に追われていたと思うんですが、特に下の子は、こっちにきてからは遊びを中心にした“子どもらしい”生活で、のびのびやっています」

当初は首都圏の進学熱などとの温度差、インフラの違いなどに焦りを感じたとも話す葭田さんですが、今では以下の理由から、むしろ子育ては地方の方が良いのではと思うようになったそうです。

「最近、個人的に学術研究などを始めたのですが、学会の発表などを見ると、おもしろい研究をやっている人ってもともと地方出身の人が多い気がします。例えば、ノーベル賞受賞者を見ても、地方育ちの教授や研究者が多い。首都圏をはじめとする大都市圏にありがちな受験勉強や習い事など、ひたすら詰め込まれるだけの教育よりも、なにげない日常のなかに自然が溢れていて、そこから面白い発見をしている子の方が好奇心旺盛に育つのではないかと」

もちろん今でも大学受験は大丈夫か?など不安は尽きないようですが、のびのびと育っている子どもたちの様子を見ると移住して良かったのではないかと感じることが多いそうです。

しがらみやプライドを捨て、楽しく生きる

何よりも自分自身のワーク・ライフ・バランスが取れるようになったと話す葭田さん。週末はカヌーをしに出かけたり、東京に暮らしていたときには手が出なかったアウトドアも楽しんでいるそうです。

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また、考える余裕ができたことで、いろいろなアイデアを思いついたり、それを深めたり、クリエイティブな仕事につながるようになったといいます。

「若いころから企業経営に興味があり、紆余曲折ありましたが、ようやくそんな仕事に取り組めるようになりました。ビジネスに必要なスキルは東京で徹底的に培ってきましたから、新潟に来てそれらを発揮する機会に巡り合えたんですね」

同じように地方で必要とされる中高年の人材はまだまだ大勢東京をはじめとする大都市圏にいると、と葭田さんは話します。ある意味仕方がないこととはいえ、変なしがらみやプライドにしばられているとも。

「東京で暮らしていると、住宅ローンや子どもの教育費など、知らず知らずのうちに様々な非常に重いしがらみに縛られていることがあると思います。自分自身もそうでしたが、まずは自分の人生を固定化させ、移動(異動)の障害となる東京の持ち家を思い切って売却して新潟への移住を決めたことで、そうした重圧からかなり解放されました。重くのしかかっていたしがらみを脱ぎ捨てたことで、新しい道が拓けていったんです」

今では、(内心あいつ大丈夫か?と思っていたであろう)昔の同僚と会うと、口を揃えて「楽しそうだな!」と言われるんだそうです。かつては残業続きで運動をする時間もままならず、今より体重は相当重かったようですが、取材時には顔色もよく、引き締まった印象でした。

「相場格言にもありますが、【人の行く裏に道あり花の山】だと思います。大きな仕事というやりがいを求めて消耗は激しいけど刺激のある大都市での暮らしも悪くないですが、地方には大企業で百戦錬磨のミドル世代が単なる大組織の歯車ではなく、自ら中心となって活躍できる機会が案外あふれていると思いますよ!」

また、東京にいた時よりも、地域で果たせる役割が増えたとも話します。

「地方移住者目線で話や提言をしてほしいと、2017年10月に公益財団法人にいがた産業支援機構様からも職員の皆さま向けの勉強会で講演の機会や、新潟大学で学生の皆さん向けの講演の機会を頂いたり、そうした情報発信や地元の皆さまと意見交換をする機会も増えたりと、東京にいた時にはできなかった地元地域への個人としての参画といいますか、距離も縮まったような気がします。やりようによってはいろいろなそういう社会貢献的な活動といいますか、いい意味での地元でのお役立ちの機会もあると思います。」

そんな生き方を体現している葭田さんの言葉には説得力がありました。人生100年時代と言われるこれからの時代、葭田さんのような生き方を選択する中高年が増えれば、もっと生き生きとした社会になるのではないでしょうか。

葭田 真弘さん

1971年年生まれ、神奈川県川崎市出身。大学卒業後、石油会社に入社した後、大学院へ進学。修士号を取得後、東京で証券会社、メーカー(経営企画)、コンサル会社等に勤務。2016年に新潟市へ移住し、地域コングロマリット企業の経営企画部門のマネージャーとして従事。現在はグループ会社に出向して、社長を補佐する経営全般の業務に携わり現在に至る。

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