起業への想いを果たしに新潟へ。国際関係の新規事業をたちあげオンもオフも充実した日々に
株式会社NSGインターナショナル 牧浦秀紀氏
BizReach Regional
2017/05/06 (土) - 08:00

起業への想いを胸に抱き続けつつ新卒入社した、大手繊維メーカーでの8年間

神戸大学の発達科学部在学中から、いつか起業したいという気持ちはありました。もともと、やりたいことを自由にやりたい。人と違うことをやりたいという性格なんですね。でもさすがに一度はしっかり社会人の経験をしておこうと、就職活動を始めました。いろいろな企業の面接を受けていくうち、社風や業務内容に魅力を感じた東レ株式会社に内定をもらい入社。2003年から2010年まで約8年勤務していました。

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最初の一年は名古屋近郊の工場で生産管理の仕事。それから東京に異動になり、経理系の仕事をしながら4年。その後、営業部門に異動して主に炭素繊維カーボンファイバーの国内・海外営業に携わりました。そのころ、私自身は欧米・オセアニア担当だったのですが、隣のアジア担当の部署が実に活気があって、この頃からゆくゆく起業するならアジア関係の仕事がいいなと思っていました。

世界一周旅行へ旅立とうとしていたころ見つけた「起業家募集」の採用告知

実は東レ入社後の2年目から、転職サイトに登録はしていました。薦めてくれたのは、当時の上司。起業したいという私の希望を聞いてくれ、「常にいろんな可能性を想定しつつ、でもやっぱり東レがいいという形で仕事をしてほしい」とアドバイスをくれたんです。東レには結局8年いたのですが、東京のコンサル系企業などの面接を受け始めたころ転職サイトをサーチしていたら、「起業したい人集まれ」といった募集広告がぱっと出てきて。それが現在勤めるNSGグループとの出会いだったのです。

当時、新潟に行ったことはありませんでしたが、ネット上で起業家募集の告知はほかに見なかったし、まだ独身だったこともあって、これも縁かなと思い飛び込むことになりました。出身が奈良なので、もしも会社に合わなければ、関西に帰ればいいかなとも思っていましたね。

入社後は企画部に配属。2年間の準備期間を経て国際教育ベンチャーを起業

入社後配属されたのは企画部で、新規事業をどんどん立ちあげていく部署でした。例えば、2013年に発進した「オールアルビレックス・スポーツクラブ」という体操教室の企画や、地元の商店街にある「ふるまち良寛てまり庵」という人が集まって交流できるギャラリーなども、私が企画立案に携わったものです。そんな起業準備期間を経て、入社2年後に(株)NSGインターナショナルを設立。教育の国際化というテーマの担当者募集が社内であったので、私にやらせてくださいと手をあげたことが、現在の企業内起業につながっています。

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NSGグループのオーナーである池田代表との距離感は、入社してみると想定以上に近かったですね。定期的に事業計画のプレゼンをし、お話をさせていただくのですが、そのたびに視野の広さ、意志決定の潔さに驚き、これが経営者の決断力なのだということを肌で感じることができます。 私の提案に対してもそのままやれとは言わず、いろんなご指摘をくださる。事業計画に対し、スポーツや介護など想定しない方向からのアプローチを投げかけてくれ、私が目指す視点より、さらにもっと高いところへ導いてくださるので、会うたびにすごいなと思いますね。そんな代表との対話の中で見えてくるのは、自分の足りない部分。どうしてもピンポイントでものごとを捕らえがちなので、もっと大局的で全体を俯瞰するような余裕を持たなければと思います。

やりたかった仕事に携わる日々。東京と新潟。世界への距離は変わらない

最初の企画から立ちあげ、私が代表を勤める(株)NSGインターナショナルは、現在4年目。従業員はインドネシアに1名いるだけで、まだまだ零細のベンチャーです。

具体的な事業内容は、インドネシアの大学とNSGグループの学校との国際教育連携プログラムです。まもなく始まるこのプログラムの最終準備段階にさしかかっています。 先日、インドネシアの大学へ新潟から先生を連れていってセミナーを開催したのですが、現地で熱狂している学生を見て大変モチベーションがあがりましたね。

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グローバルビジネスに関して、地方であることのデメリットは特に感じていません。インドネシアのスタッフとはスカイプで話しますし、ネット社会の現在は、新潟でも東京でも殆ど差異はないと思います。また、ベトナムやインドネシアに頻繁に行っていますが、昔の日本の戦後復興や高度経済成長に似ているような気がします。何かをしたら常にそれが給与に反映し、家族が幸せになっていくような感じでしょうか。日本の若者にはない野心やバイタリティがあふれていて、私もそんな時代の雰囲気をアジアで感じたいと思っています。

新潟で出会った妻と家庭を築いて。働く環境も教育環境もベストな新潟

新潟は働くという意味での住環境はベストです。東京にいたころは片道1時間半、満員電車で通勤をしていて、会社への往復だけでかなりな重労働でした。いまは車でもバスでも渋滞があるわけでなく非常に快適。基本的に9時に出社して6時くらいには帰るような毎日です。都会の人混みが苦手だったので、地方の優雅でのんびりした暮らしが移住当初から肌に合っていました。

給与面では東京に比べれば、確かに年収は下がります。でも出費も減るので、トータルで考えれば何とかなる範囲。東京にいたときは残業も遅くまでやっていて、もしかしたら時給換算すると変わらないのかなとも思えるし、お金に変えられない価値の部分の充実感が増えるのは確かです。

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とくに新潟は食べ物がおいしい。どこに行ってもお米はコシヒカリが出てくるし、魚も日本酒もおいしい。一緒に起業家として新潟へ来た仲間の中には、一年で10キロほど幸せ太りしている人も何人かいますね。

私自身も新潟で妻と知り会い結婚して子供も生まれ、生活への充実度や幸福感がまったく違ってきました。仕事は充実し、生活も幸せで満足しています。新潟に来ることができて本当に良かったと思っています。

教育産業に関わる視点から判断しても、新潟は教育環境が非常に素晴らしい地域だと思います。提携しているインドネシアの大学からも「東京に比べて学習環境が整っている。生活もしやすい」と、新潟への留学なら大丈夫だと好評を得ています。

目標があるから頑張れる。一生かけてやるべき仕事を新潟で見つけて

今やっている事業は、私にとってあくまでファーストステップ。その第一歩をきっちり踏むことで、その先にはセカンドステップやサードステップがあり、これらは一生かけてやる仕事になる気がします。代表とも共有しているそのビジョンは、私の事業企画のゴールでもあるのですが、一言でいえばウェブを活かした教育。うまくいけば、全世界を巻き込みうるような非常に大きな事業になる可能性を秘めています。そんな大きなビジョンがモチベーションへとつながるので、どんなに現場で苦労しても辛くはないですね。

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地方では地方発の独自ビジネスをつくっていかないと地域の活力がなくなっていくんです。それをNSGでは事業創造とよんでいます。海外留学生を新潟へ呼ぶ新規事業を通じ、新潟に新たな風が巻き起きればと思っています。

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株式会社NSGインターナショナル 代表取締役/学校法人新潟総合学院 国際企画部 部長

牧浦 秀紀さん

奈良県出身、神戸大学 発達科学部卒。東レ株式会社に8年間勤務し、生産管理業務や国内・国際営業を経験。新潟市にあるNSGグループの“起業家募集”に応募し、2010年12月1日入社。2012年12月に(株)NSGインターナショナルを設立し、代表取締役社長に就任。2013年からは新潟総合学院国際企画部の部長も兼務。新潟で結婚相手に巡り会い子供も二人誕生し、仕事も家庭も充足した日々を過ごす。

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