長野・善光寺門前の空き家リノベーションから移住と地方での働き方を考える
島田 浩美
2018/02/22 (木) - 07:00

長野県長野市、善光寺門前界隈では、長らく空き家だった古民家をリノベーションした店が近年、続々とオープンしています。それらの店の電気工事を中心に改修を手がけ、店主にアドバイスをしながら一緒になって店を造りあげているのが、2009年に東京から長野市に移住した小田切電設の小田切(おたぎり)隆一さん。移住の経緯や今の働き方から、これからの地方での働き方のヒントを探ります。

生まれ育った東京から空き家だった父の実家へ

年間600万人もの観光客が訪れる長野市の国宝・善光寺。古くから門前町が形成され、市内のにぎわいの中心として繁栄してきました。しかし、2000年代に入ったころから、モータリゼーションの発展とともに郊外への人口流出が進行。空き家が目立つなかで、近年は門前町ならではの風情に惹かれた若者が古民家をリノベーションし、個性的な店をはじめる新しいムーブメントが起こっています。

その一端を担っているのが、電気工事を中心に、水まわり工事や床の張替えといった大工仕事、左官工事なども手がける小田切さんです。

生まれも育ちも東京という小田切さん。大手重工の協力会社だった都内の電機メーカーで働き、プラントの電気工事士として愛知万博会場や六本木ヒルズなどのほか、2008年の北京オリンピックに向け急成長中だった中国での大規模工事を任されるなど、国内外各地を飛びまわっていました。

一方、プライベートでは10代のころから農業やスローライフに興味をもち、千葉県の有機農家で援農体験をしたり、屋上緑化の一環として知り合いのビルの屋上を借りて夏野菜を栽培したりしていました。

そんななか、仕事が次第に多忙を極め、自分がすり減っていくような感覚に陥っていたという2006年のこと。長野市にあった父の実家が大雪に見舞われ、倒壊の危機に襲われたのです。

「祖父母が他界して10年以上空き家になっていましたが、屋根瓦が壊れ、突如、数百万円をかけて直すか、潰すかの選択肢に迫られました。早くに他界した父には昔から『いずれは実家を継いでくれ』といわれていたものの、これまでは移住のタイミングがなかった。でも、これ以上空き家にしておいてはダメだと思い、職業や人生観、自分がやりたいことを全部含めて『移住は人生を切り替えるチャンス』と考えるようになりました」

環境系のイベントで知り合った妻の奈々子さんも、東京生まれの東京育ちながら都会の暮らしにあまり魅力を感じられず、移住には抵抗がなかったそう。こうして、40歳を目前に、小田切さんは長野市への移住を決意しました。

地域の交流のなかで仕事を見出す

まずは移住の準備として、移住後も電気関係なら自由な働き方で“食っていける”のではないかとサラリーマンを辞め、一人親方をしている知り合いの電工職人のもとに弟子入りした小田切さん。住宅の建築工事や家電の修理を2年間経験し、プラント工事では得られなかった知識を得ました。

そして、長野市に通いつつ父の実家を修繕。そのうえで、友だちづくりも兼ねて長野市内で興味をもったさまざまなイベントや店に顔を出すなかで知り合ったのが、現在、門前町で空き家物件を紹介している不動産屋や、リノベーションを進めている建築家たちでした。彼らはちょうどリノベーションによるまちづくりを始めたばかり。意気投合した小田切さんは、すぐに店舗の改修工事などを頼まれるようになりました。

「仕事は引越してから何とかなるかと思っていましたが、結果的にいろいろなところに出かけていたことが仕事に結びつきました。移住を考えている人のなかには『仕事が決まらないと移住できない』という人もいますが、それよりも地域の人とつながることのほうが大切だと実感しましたね」

こうして小田切さんは2009年に長野市に移住し、これまでの経験を地域のなかで生かすべく「小田切電設」を設立。新たな働き方をスタートさせました。そして現在は、電気の配線工事をしながら、セルフビルドで空き家を改修したい人に対しては、本当にそのやり方でいいのか、道具は何が必要かなどの相談にも対応しています。

「仕事の絶対量は都会のほうがありますが、顔の見える距離感でじっくりと関係づくりができる長野のほうが、仕事がしやすいように感じます。フリーランスは最初こそなかなか安定しないかもしれませんが、こちらは狭いコミュニティだからすぐに顔と名前が一致して濃い人間関係ができますし、イベントの手伝いなども含めて小さな仕事がたくさんあるので、そういうなかで自分に何ができるかを考えて働くスタイルがいいのではないかな」

実は、都内でスローカフェに出入りしていたこともあり、当初は自宅の古民家を活用してカフェ営業も考えたという小田切さん。でも、もしやっていたら店の切り盛りに縛られ、移住後の自由な時間や余裕がなく、結果的に経営もうまくいかなかったかもしれないと話します。

「今は日々の暮らしの流れのなかで交友関係を広げながら仕事を決めていったのがよかったと思っています」

そして、長野では「家庭」と「仕事」というふたつの生活軸ではなく、「地域」の存在が大きいことを知ったとも話します。特に高齢化が進んだ門前界隈では、蛍光灯の交換や壊れた棚の修理など、ちょっとしたことで困っている高齢者が多かったため、商域を広くして「やれることは何でもやる」という“なんでも屋”もはじめましたが、実際のニーズは思っていた以上に多かったとか。

「地域の困りごとのニーズを拾うためにも、地域の公民館活動や地域の祭りにも積極的に参加し、係などの役も受けもって信用関係をつくっていくと、そのうち自然と修理を頼まれるようになっていきましたね」

そのうえで、必ず高齢者から聞かれたのは「若いのに、なぜ東京からこんな不便な場所に移住したのか」ということ。それに対して小田切さんは「長野の生活のほうが充実している」と伝えているといいます。

「妻が移住後に特に感動していたのは、食です。山菜や野菜、採れたての旬のもののおいしさをいろいろなところで体験でき、農作物の種類も豊富。食文化が豊かで、季節ごとに食べ物の楽しみがあります。それに、古民家暮らしの冬は寒いけど、家の中で火鉢や炭が使え、魚や干物を焼くのも楽しみ。ガスとは全然違うおいしさがありますよ」

めざすは地域の若手職人の育成と新しい働き方の提案

こうした暮らしのなかで、やはりリノベーション物件の電気工事の依頼は引く手あまた。そんな小田切さんの今後の展望は、若手職人を育てていくことだそうです。というのも、善光寺門前界隈でのリノベーション工事はいまや完全に人手不足。建築業界自体、職人不足が喫緊の課題です。それに、時代の流れとしても古い建物を壊すのではなく、これからもっと修繕工事が増えていくと感じているのだそう。

「だからこそ若い世代に、会社勤めではなく地域の仕組みのなかで生きていく仕事の選択肢もあること、そして、それは楽しいことを伝えなければいけないとも感じています。きちんとやれば仕事はいくらでもあり、食えないことは絶対にありません。むしろ、いろいろな人と接するのは面白いので、今は本当に楽しんで生活をしています」

先行きの見通しが立ちにくい現代だからこそ、今は一人ひとりのニーズや状況に合った多様な働き方ができる時代でもあります。小田切さんの言葉には、地方での暮らし方、働き方の新たな考え方のきっかけが詰まっているように感じました。

小田切隆一さん

1968年生まれ。東京都出身。一番長く住んでいたのは中野区。飲料製造の会社で機器製作や製造設備を手がけ、2002年に大手重工の協力会社だった電機メーカーに転職。製造部係長として海外現場にも多数出張した。2006年、豪雪の影響で、空き家だった長野市の祖父母宅の屋根瓦が崩壊し、改修と移住を決意。2007年、独立し、一人親方をしている知り合いの電工職人に弟子入り。建築現場で工法や工程、商慣習、現場の慣習等を教わった。2009年末、41歳のとき、単身先行して長野に移住。半年間かけて祖父母宅を本格的に修繕。2010年6月、妻の奈々子さんも長野に移住。同年秋より、現在の長野市門前のリノベーション関連の仕事を開始。

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