政府系金融機関の融資業務から 志した、企業再生支援の道。 福島という地域に溶け込み 企業の成長を助け、寄り添う日々
福島交通株式会社 城下 和彰さん
BizReach Regional
2017/06/26 (月) - 09:00

銀行や証券会社の破綻が相次いだころ。平成13年に社会貢献の志を持って政府系金融機関に就職した城下さん。融資の営業や審査を担当するうち、自身で企業再生ができるノウハウをもつ必然性を感じたといいます。そんなときに出会ったのが、バス会社の再生事業を行う(株)経営共創基盤でした。転職後は、福島交通の再生を担う中核リーダーとして全力投球。オフの日は登山にチャレンジするなど、地域に溶け込む日々を聞きました。

金融再編成が進むなか、大学卒業後、政府系金融機関へ

私の大学生時代は、北海道拓殖銀行が破綻したり、山一証券が破綻したりで、金融機関が大変だった時期でした。貸し渋りや貸し剥しで、社会的な批判も受けており、就職先としての人気も低下していました。でも、金融機関がきちんと仕事をすることでしか、日本がよくならない社会構造があると、自分なりに考えたのです。今は風当たりが強い業界だけれども入ってみよう。私なりに正しいと思うことをやってみて、少しでも社会がよくなっていけばいいなと思い、金融機関への就職を目指しました。

ちょうど当時は続々とメガバンクが編成されていたころで、いろいろな銀行が統合し集約されていった変動期。その中で、ある程度長期的な視野のもとで、お客様にとっての安定したパートナーとして仕事ができるところに魅力を感じ、政府系金融機関を選んだのです。 ここは、半官半民というスタイルの組織でしたが、融資の営業も審査も一人で担当するなど、意外にも任される仕事が多く、期待通りでした。最初は東京の支店に配属され、中小企業向けの融資担当を4年。その後青森で2年、東京に戻って1年と、基本的にはずっと融資の営業と審査を担当していました。

融資の営業や審査を担当する中で見えて来た、企業再生という道

入庫後は、長期的な視野を持って、社会に貢献しなければいけないという思いで仕事をしていました。営業担当であり、融資担当でもありますから、お客さんとの接点は私だけ。自分の知識や提案次第で、お客様の業績が変わるという思いから、経営改善のアドバイスや提案のための勉強もしていましたが、企業再生ができるくらいのノウハウを持たなければ、本当の意味でお客様の役には立たないと気づいたのです。

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そんなときに出向となり、企業再生の勉強をする機会をいただきました。半年後、出向先から戻って企業再生に邁進しよう思っていたところで任されたのが、意外にもプロジェクトファイナンス業務。これは専門性が必要で、長期間任される仕事のため、当時30代前半になっていた私は、どうしても若いうちに企業再生に取り組んでみたいという思いが先行し、転職を考え始めたのです。

企業再生のコンサル企業への転職。東北のバス会社再生の現場へ

転職先を探していたときに出会ったのが、できてまだ間もない頃の経営共創基盤です。その際、福島交通関係のリリースを見かけて、たいへん驚いたのです。私の銀行員としての経験では、バス事業の支援は大変だと思っていましたから。そんな困難な事業をどうやって改善していくのだろうと、がぜん興味を持ちましたね。その後、バス会社の再生について話を聞く機会に恵まれると同時に、経営共創基盤への入社がかないました。

ちょうど岩手県北バスが経営共創基盤グループに入るか入らないかのときで、融資をどこからいくら調達するのかなど、融資環境を整える業務に携わっていました。半年程たったところで、福島交通に転籍してやってみないかという話をいただいて、福島へ来ることになりました。

地域に根付き、地域に影響を与える会社の経営を担う責任感がやりがいに

もともと金融機関出身だったことから、福島交通への転籍後のミッションは、金融機関とのリレーションを強化すること。当初の金利は高かったので、業績を回復させることで引き下げるとか、そういうことをしていってほしいという具体的な目標がありました。その他は、順次様々なことに取り組んでほしい、ということでスタートしました。

入社後思ったのは、再生フェーズの会社ですから、現場はさぞ大変で、疲弊しているイメージを持っていたのですが、雰囲気は思っていたよりも落ち着いた感じがしました。 人柄のよい地域性からか、再生のための意見を裏表なく議論できるのが何よりもよかったと思っています。再生の現場では、派遣されてきた人間には全く情報を流してくれない企業も多いと聞いていたのですが、福島交通は違っていましたね。

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困難といわれていたバス会社の再生を、長期的視野で改善へ

バス会社というのは固定費の塊なんです。運転士に給料を払って、1リットルあたり3.5kmしか走らない軽油を使って毎日路線バスを走らせ、修繕費も定期的にかかって…。そんな固定費がかかるうえ、地方の場合は人口減少により、お客様の数が年々減っていく傾向にありますから、再生はとても難しいと思っていました。銀行員は5年10年スパンの将来計画をよく立てるのですが、どんどん収入が減るのに、これ以上経費の削減余地もなさそうで、将来計画を立てるのが難しそうな業種だな、という印象だったのです。

でも実際には私の思っている前提自体が間違っていましたね。お客様は減る一方ではありませんでした。新しい福島交通は、高齢者がバスや鉄道を利用しやすいように市の政策に協力したり、バスと観光施設の利用券を組み合わせた提案型の旅行商品を企画したり、高速バスの新規の路線を開設するなどして、お客様を増やしてきました。また、企画セクションに若手を起用して、東北では初めてICカードを導入するなど新しい取り組みも行っていました。更には、コストを経営共創基盤のグループ力で下げるなど、本当に地道な努力をしつこいまでに重ねている結果、経営は良い方へ反転してきています。

経営共創基盤やみちのりホールディングスのバス事業再生へのスタンスが、地域に根差して、長いスパンで改善を持続させていこうということ。多くのファンドのように、会社を安い価格で買収し、無理に短期的な改善をして、高く売却して儲ければよいという、無責任なものではありません。自分たちの事業として経営していますし、少しずつでも成長しているよね、というところをきちんと評価する独特な風土もあって、それゆえうまくいっているという気がします。

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数年前妻が転勤し、現在、単身赴任中

もともと父親が転勤族だったので、小さいころから日本各地へ転校が多かったんです。そんな子供時代を過ごしたことから、地方への転職に抵抗がなかったのかもしれません。前職の青森勤務時に結婚したのですが、妻は妻で全国転勤の企業に入社したので、私が東京に呼び戻された後に妻だけ青森に残ったりしていました。福島で一緒に生活を始めた後も、数年前に妻が転勤で異動したため、今は置き去りにされた単身赴任みたいな感じですね。

私の転職に関しては、夫婦とも働いていたので、あまり問題にならなかったですね。妻も自分の仕事をもっていますから、お互いの仕事を尊重して支え合っていくという感じです。

子どもは妻と暮らしています。子育てという面ではやはり、のんびりした地方のほうがいいなあと思っていますね。教育に関しても僕自身が子供時代に転校を重ねていることもあってどこでも大丈夫という印象。もちろん地域により多少の違いがありますが、どこでも大きな問題はないと思いますね。

オンのやりがいと、オフの過ごし方。両方が充実する毎日に満足

住環境についてもやはり地方の方がいいですね。家から会社まで約2kmですから、歩いても30分ほど。繁華街にも15分ほどで歩いて行けますので、住みやすい環境です。家族とは、月に1回私が家族のもとへ行き、一緒に過ごしています。年末年始やお盆休みはずっと家族のもとへ。最終的には家族揃ってどこかに定住したいと思っているのですけれど。

週末は、会社のOBの方が中心の趣味の集まりに参加させてもらい、陶芸やパン焼きなどを楽しんだこともあります。仕事は仕事、休みは休みと、メリハリがつきますね。最近、登山にはまっていて、今シーズンは磐梯山とか安達太良山とか、吾妻山などに登ることができました。朝、早めに家を出て、午前中のうちに山に登って降りてきて。お昼すぎには温泉に入って、というような感じで。こんなところも地方ライフの良い点だと感じますね。

バス会社という地域に根ざした会社の選択は、地域に大きな影響を与えます。我々の取組みによって、地域の方々の生活がしやすくなったり、不便になったりします。そういう周囲へのインパクトが大きい会社の経営は、とても責任が重い。そんな責任感と影響力を意識しながら仕事をさせてもらえる環境に、とても大きなやりがいを感じています。

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福島交通株式会社 常務取締役

城下 和彰さん

熊本県出身。平成13年、北海道大学法学部卒。卒業後、政府系金融機関に入庫。平成21年、(株)経営共創基盤に入社し、同12月、福島交通(株) 取締役として福島へ。平成25年12月、常務取締役に就任。

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