自分が自分「らしく」生きられる形はどこにある? 鳥取のIT企業に仲間が集まる理由
GLOCAL MISSION Times 編集部
2017/09/11 (月) - 13:00

主役は地方。
人口最少の県、鳥取から始まる新しい仕事のカタチ

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歩けばキュッキュッと音がする鳴り砂や砂丘で有名な都市、鳥取県。2015年の時点で人口が全国最少の県としてメディアに取り上げられることも多いこの県の県庁所在地である鳥取市に、LASSICは本社を構えている。

IT企業は都市部にある方が効率が良い、という常識は同社には通用しない。主力事業であるニアショア開発は地方にあるからこそ有効なビジネスモデルである。「LABサービス」と名付けられたこのサービスは、チケット駆動型であることも好評で利用企業数が30社を超え、全国の大手企業からベンチャー企業まで広く利用されている。

「LABサービス」はシステム設計から開発、運用までを各地方拠点で受託する、いわゆるニアショア開発サービスのことである。業務をタスクレベルに分割し、管理を行うチケット駆動型の開発スタイルを取り入れており、小さな業務単位から委託できることが大きな強みだ。また、開発拠点が全国複数箇所にあるため進行管理をすべてクラウド上で行うことになり、細かな指示もデータとして残るため、開発者による品質の差異が少なくなる良さもある。

そうはいっても、チケット駆動型のニアショア開発サービスを展開する企業は少なくない。ではなぜ、LASSICの門をたたく者が後を絶たないのだろうか。LASSICはこの数年で米子、岡山、福岡、仙台、姫路、広島、大阪の7拠点を、矢継ぎ早に展開している。ニアショア開発は勤務地を選ばない。「地方にはITの仕事なんてない」と諦めかけているエンジニアに、地元で働く夢を与えているのがLASSICなのである。

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株式会社LASSIC

個人・企業・地域の「らしく」の実現のサポートを通じて社会の発展に貢献するという企業理念のもと、2006年に鳥取県で創業。「~鳥取発~ITで、地方創生」を経営理念に、ITを通じてポテンシャルや魅力にあふれた地方の活性化、地方創生の実現を目指す。東京に一極集中している経済活動を地方に分散させる「地方輸出」の仕組みづくりや、地方自治体と連携して行う地域イノベーション事業、心の健康増進を目的とした感情解析研究開発などの事業に取り組み、人々が心豊かに働ける環境を整えると同時に、社会に向けて新しい価値を発信し、日本全体の経済活動を盛り上げるべく、事業を推進している。

住所
〒680-0843 鳥取県鳥取市南吉方3-201-3
設立
2006年12月26日
従業員数
142名(2017年5月1日時点)
資本金
8,888万円

2006年12月

設立

2008年01月

東京営業所開設

2009年08月

鳥取県企業誘致貢献者に対する知事表彰(第1号)を受賞

2011年08月

鳥取県と共同で国内唯一のメンタルヘルス事業スタート

2012年04月

産学官医療連携拠点「感情医工学研究所」開設

2013年05月

鳥取県智頭町、千葉大学、LASSICの共同研究として、森林浴効果を実証する世界初の取り組みがスタート

2014年08月

米子オフィス開設

2015年01月

岡山オフィス、福岡オフィス開設

2015年04月

姫路オフィス準備室、仙台オフィス準備室設置

2015年05月

鳥取県智頭町と「疎開」の町協定を締結

2015年08月

鳥取県岩美町と地方創生パートナーシップ協定締結

2016年02月

宮城県丸森町と移住定住パートナーシップ協定締結

2016年05月

一般社団法人日本ニアショア開発推進機構の認定ベンダーに認定

2016年07月

鳥取医療センターとロボットを活用した認知症治療病棟づくりの共同プロジェクトを開始

2016年09月

広島オフィス準備室設置

2016年10月

日本オラクル株式会社、レノボ・ジャパン株式会社、株式会社VISIT東北、株式会社侍、鳥取県岩美町と共同で宮城県丸森町と「高度ICTを利活用した移住・定住・交流促進に係るパートナーシップ協定」を締結

2017年02月

大阪オフィス準備室設置

 

リクナビNEXT主催「グッド・アクション賞」受賞

第二の創業から3年間、通信簿についた「×」

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技術革新が著しいIT業界は、世の中でもてはやされているような華やかな世界だけではない。就労環境は旧態依然として厳しい企業もあり、そういったところではメンタルヘルス不調者が出てしまうことが問題視されている。

2009年、LASSICは現在の代表取締役社長である若山幸司氏の就任で第二の創業期を迎えた。当初は、現在も主力事業となっているニアショア開発を手掛ける会社だったが、IT業界のメンタルヘルス不調者増加の解決の一助となるためにメンタルタフネスの研修事業を立ち上げたのである。

鳥取県内の各地域と提携し、田舎での共同生活と農業を通じてメンタルタフネスを鍛える研修で、一時的ではあるものの、農業・ボランティアの担い手が増え、地域貢献にも役立つ事業だ。

社会的にも意義があり、研修を通じてメンタルタフネスが向上するという投資対効果の高さから、大手企業を中心に契約が増えたが、その後すぐに停滞の時期を迎えることになる。その理由は地方に会社があったからではない。世の中にあまたある研修の中で、メンタルヘルス不調者に対する研修を、あえて選択する企業が少なかったからである。

結果として3年後の2012年9月に、LASSICはメンタルタフネス事業への新規投資を縮小した。若山氏の言葉を借りると「経営の通信簿に『×』がついた3年間だった」のだ。それ以降、もともと手がけていたニアショア開発事業に再度注力することとなる。

開発メンバーの勤務地は仙台と福岡と鳥取?

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ニアショア開発事業に振り切った後のLASSICの急成長ぶりには目を見張るものがある。2014年8月に米子オフィスを開設してからわずか1年で5拠点を開設し、2017年5月の時点で9拠点を構える規模となった。採用数もここ2年で56名にのぼり、「50の地域に、1,000人の仲間を」という言葉を中期経営計画として打ち出した。

人口が最も少ない鳥取の地だからこそ、この地で成功することに意味がある。そして、LASSICにエンジニアの応募が殺到するのは、自分「らしく」生きるためである。

それぞれが暮らしたい土地で過ごしたい生活をする。それはUターンで地元に戻ることかもしれないし、Iターンで初めての田舎暮らしをすることかもしれない。同じ開発チームに属するメンバーが違う土地で仕事をしていることが、LASSICでは珍しいことではない。プロジェクト環境はすべてクラウド上であり、会議はTV会議で行うのだ。

例えば、開発メンバーが仙台と福岡と鳥取にいる。それこそが、LASSICが従業員一人一人のその人「らしさ」を引き出している証拠なのである。

「らしく」の連鎖、そして新しいものを生み出す土地へ

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LASSICのそばにはいつも「らしく」という言葉がある。メンタルヘルス不調者が、その人「らしく」生きられるようにと始めたメンタルタフネス事業でサポートできたお客様。また、LASSICに入社することでU・Iターンが実現し、自分「らしく」生き方を追求できる環境を得られた従業員。

経営の通信簿で「×」だったはずのメンタルタフネス事業だが、得られたものもあったのだ。またこの事業は、思いがけず自治体との提携の話が舞い込むきっかけにもなった。研修を行った智頭町を皮切りに、静岡県の熱海市とも同様の事業を行い、鳥取県岩美町とは「地方創生パートナーシップ協定」を結んでいる。今も全国の地方自治体から、さまざまな分野で提携などのオファーの声が絶えないという。

創業から長く主事業となっているニアショア開発事業は、LASSICが地方に拠点を構え、LASSIC「らしく」あるための形を追求する事業だ。そしてそれは、従業員のその人らしさの体現にもつながった。

LASSICは2017年に本社を移転した。移転先は、旧鳥取高等農業学校校舎跡地。そこは、時代を超え、新しいものが生み出されてきた場所である。大正時代に創設された鳥取高等農業学校では、当時としては最先端のバイオテクノロジーによって、現在も鳥取県の特産品である二十世紀梨の疫病研究を行い、成果を上げた。また、その土地を受け継いだ鳥取三洋電機は、ここから数々のヒット商品を開発した。

新しいものを作り出してきた「先代」に恥じないものを生み出していく決意とともに、LASSICは今日も「らしく」を追求する。

リストラ宣告は、人生を変える出合いだった

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「ごめん。今月いっぱいでいい?」。若山氏のLASSICとの出合いは、皮肉にも同社へのリストラ宣告だったという。当時若山氏が所属していた株式会社インテリジェンス(現・株式会社パーソルキャリア)は、LASSICに人材紹介事業の営業を委託していた。しかし、リーマン・ショックのあおりを受けてインテリジェンスも外注費削減に迫られ、若山氏は、窓口担当だった同僚に頼まれてLASSICへのリストラ宣告を請け負った。

若山氏がリストラ宣告をした相手が、当時LASSICの代表を務めていた西尾氏だった。西尾氏もインテリジェンス出身だったものの、若山氏とはそのときまでまったく関わりがなく、まさか半年後に若山氏がLASSICに参加することになるなど想像すらしていなかった。

運命は、この出来事から数カ月たって急に動き出す。若山氏がインテリジェンスを退職して、起業しようと準備しているとき、その相談をした先輩に紹介された人こそが西尾氏だったのである。

二人は意気投合した。お互いのやりたいことを話し、西尾氏は現状の事業内容を伝え、若山氏は考えていた事業計画案を見せたという。その時からわずか1時間後には若山氏がLASSICの一員になることが決まり、2カ月後には入社していたというのだから驚きである。

田舎で生きるということを提案。
生活する地の選択肢は全国に広がる

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自分「らしく」生きることを選択したら、代わりに諦めなければならないものはあるのだろうか。地方のIT企業は数が少なく、一般的に年収は首都圏の同業他社と比べると圧倒的に低いといわれている。

LASSICの構想は「可処分所得を東京よりも高い状態にする」ことだ。若山氏は、前職の転職支援業務で多くの求職者と面談を重ねる中で違和感を強めていた「地方の給与」の改善に努めている。若山氏は当時、「地元に帰りたいんです」と言う求職者に、「地方には希望に合うような仕事が少ないですから」と、それを止める日々を過ごしていたという。

地方は仕事の数自体が少なく、都会に比べて給与は低いことが多い。都会にいる求職者の望む仕事がそもそも地方の転職市場に少ない中で、運良く仕事があったとしても、実際に生活レベルがそれまでと大きく異なることがわかると、結局求職者自身が転職を決意しないのだ。そんな現実を知っている若山氏は、地元での就職を願う求職者に仕事を紹介しづらいと感じていた。

地方でも生活レベルが変わらないのであれば、生活する地の選択肢は全国に広がる。若山氏の入社により、LASSICに興味を持ち、地方で暮らすことを希望するエンジニアに対して、それがかなえられる、つまり「自分『らしく』生きる」形を選択肢の一つとして提案できる流れが強まった。「らしく」の輪は確実に広がっているのである。

50の地域に、1,000人の仲間を

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個人がその人「らしく」生きるためにという思いで始めたメンタルタフネス事業。従業員が自分「らしく」、LASSICがLASSIC「らしく」あるための、地元で働ける仕組み。そして、その事業から派生した自治体との協定によって実現した、その地域らしさ。LASSICは次々と「らしく」を実現してきた。

若山氏は、数々の「らしく」の実現を目の当たりにし、また自分「らしく」生きる仲間を増やすため、2015年にLASSICとしての大きな目標を立てた。「50の地域に、1,000人の仲間を」というものである。

鳥取で「らしく」を実現してきたLASSICには、もはや無理とは思えない目標だ。自分の「らしく」を実現し、自分の周りの「らしく」の実現をサポートしたいという思いに共感する仲間を強く求めているという。

見えている壁の高さは想像がついているが、まだ越えるには高い壁である。目標の実現に必要なのはあなたの力かもしれない。

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株式会社LASSIC
代表取締役社長

若山 幸司

1998年、株式会社インテリジェンスに入社し、2002年、同社執行役員に就任する。IT派遣事業、人材紹介事業責任者を歴任したのち、2009年に株式会社LASSIC代表取締役社長に就任。

行きは田園風景、帰りは月や星を見ながら送る生活

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自然と一緒になんでもできる。「鳥取での暮らしはとてもいいです」。そう語るのは入社7年目、ICTサービス事業部でリーダーを務める太中啓介氏だ。自宅からLASSICまでは車通勤で、わずか15分程度である。

東京で働いていたときに感じていた通勤ラッシュのストレスは、ここにはまったく存在しない。当時は当たり前になってしまっていたが、毎日通勤のストレスを受けてから仕事がスタートしているということに気づいたのは、鳥取に戻ってからのことである。

仕事においてもプライベートにおいても、東京でないとそろえられないものはないという。「仕事で唯一あるとすれば、勉強会やIT系のイベントなど。インプットする機会は東京の方が多いでしょうか」とのことだ。鳥取では自分から主体的に情報を取りに行かなければ成長できない。実際に太中氏も勉強会のコミュニティーに立ち上げ時から参加し、発表もしているそうだ。

プライベートも充実している。鳥取県は車で20分も走れば、奇麗な海にも自然豊かな山にも行けるため、アウトドアで遊びたいときにはどこにでもすぐアクセスできる環境だ。太中氏の休日には、3~4年前から始めたシーカヤックとシャワークライミングのガイドの仕事が入っている。生まれ育った地元で、自然に目いっぱい触れることのできる生活を送っているという。

県外へ出て行ったままの友人。地元に戻ったエンジニアが見た現実

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鳥取県の高校生の卒業後の進学先はほとんどが県外だ。2011年のデータではあるが実際に、鳥取県の大学進学者の県外大学への入学率は男性が77.6%で全国3位、女性も74.5%で全国4位である。

太中氏も例にたがわず、友人たちと同様に県外の大学へ進学。そして友人たちは、就職のタイミングになっても鳥取に戻ってくる者は少なかった。地元に帰りたい、地元に貢献したいと考えても、鳥取には仕事がなかったからだ。

そんな太中氏がLASSICに出合い、鳥取に戻ってきたのは、設立からまだ2~3年目の時期だ。当時の従業員数は10名程度で、西尾氏が代表を務めていた時代である。

立ち上げたばかりで、社内の仕組みもまったく整っていない時期だったが、社員数が少ないからこそさまざまなことに挑戦できる環境と、地元にあるからこそ実現できる地域貢献の場を求めて、太中氏は2009年に入社する。1年目からエンジニアとして開発はもちろん、営業も人事も担当。文字通り「総当たり」の時期だったという。

地方だからぬるいということはもちろんなく、その仕事ぶりは東京とまったく遜色ない。鳥取だけでなく東京や福岡でも勤務し、開発メンバーも日本全国にいる環境で自分自身を磨きぬいた。

遠隔でサービスを提供するため、コミュニケーションの質には特に注意し、チャットでの会話やGitHub(ギットハブ)でのコメントのやりとりは欠かさない。現在もさまざまなプロジェクトに関わり、忙しい毎日を過ごしている。

「らしく」とは一体何なのか?やっと見つけた一つの答え

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LASSICの従業員が口をそろえて発する言葉がある。それは企業理念「『らしく』の実現をサポートする」だ。太中氏がLASSICに入社して実感していることは、誰かの「らしく」を実現するためには自分の「らしく」を常にレベルアップしなければならないということだ。今の自分でいることが自分「らしく」あるということではなく、常に自己実現をしていかなければ周りの「らしく」も実現できないということである。

そう考えるようになったきっかけは、太中氏の周りの環境にある。鳥取本社の仲間たちが地域の婚活イベントの企画をしたり、自社のアプリを使ってイベントを盛り上げたりしている姿を、太中氏はすぐそばで目の当たりにしてきた。

実際に、智頭町で開催された婚活イベントでは、県内外から37名の男女が参加し、「ICT×心理学」を活用したアクティビティにより7組のカップル誕生に寄与している。仲間たちもそれぞれの形で自己実現に取り組み、自分自身や周りの「らしく」を実現しているのである。

「らしく」とは、個人が、企業が、地域が、常に自己実現している状態のことだ。LASSICが手がけている事業が地域との関わりを創出し、地元に貢献する様を目にしながら、太中氏も自らの方法で「らしく」を生み出すために奔走している。

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株式会社LASSIC
サービス事業部 リーダー

太中 啓介

2009年、名古屋大学工学部卒業後、地元を元気にしたいという思いで創業3年目の株式会社LASSICに入社。Web 系の開発案件を複数経験した後、2013年からプロジェクトリーダーとして主にプログラミング言語「Ruby」を用いた案件で開発、マネージメントを担当している。休日には海や山に繰り出し、自然を感じながら過ごすのが一番の楽しみ。

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