医療現場に日本製の機器を。独創的でドラスティックな製品をつくり続ける大阪発医療機器メーカー
GLOCAL MISSION Times 編集部
2017/06/05 (月) - 16:00

特許を取得した独自製品も開発。
10期連続で増収増益の好業績

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大阪市中央区に本社を持つ大研医器。従業員数は約300名。設立から約50年を迎える医療機器メーカーである。医療機器の中でも治療型医療機器に特化し、手術室や集中治療室、術後の病棟での治療に使われる機器を開発、製造、販売している。

製品ブランド名は「COOPDECH」(クーデック)。クーデター・バイ・テクノロジー(Coup d’Etat by Technology)という意味を持つ造語である。独創的な技術でドラスティックな医療革命を目指すという同社の使命をブランド名に反映させた。

製品開発の方針はオンリーワンでありナンバーワンであること。既存製品のまねをせず、唯一無二の製品で医療現場をけん引しようと、特許取得製品の開発実績も持つ。なかでも主力製品である病棟用吸引器、注入器のここ最近の国内シェアはは約40%。いずれも国内トップシェアを誇る。

環境変化の激しいなか、10期連続で増収増益という業績を上げ、2010年には東証一部に上場している。創業当時は無名だった企業が、ドラスティックな製品開発で治療型医療機器のトップメーカーに成長した軌跡を見てみよう。

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大研医器株式会社

研究開発型医療機器メーカーとして、吸引関連製品や医療薬品注入関連製品などの企画開発・製造販売を行っている。医療現場のニーズを開発担当者が直接聞き、特許を含め独創的な技術を駆使して製品化することを製品開発の基本理念としている。10期連続増収増益。2010年に東証一部上場。

本社住所
〒541-0045 大阪市中央区道修町3-6-1
設立
1968年11月5日
従業員数
297名(2016年3月現在)
資本金
495,875,000円

1968年

大阪市北区に大研医器株式会社設立。医療機器の販売を開始

1977年

三菱レイヨン株式会社と技術援助契約を締結。超精密ろ過装置、除菌・防塵マットを開発・発売

1990年

医療用吸引器“フィットフィックス”の開発・販売

1997年

携帯型ディスポーザブル注入器“シリンジェクター”の開発・販売

1999年

新社屋(本社・研究棟・アセンブリーセンター)完成、操業開始

2009年

東京証券取引所市場第2部へ株式を上場

2010年

東京証券取引所市場第1部へ株式を上場

2015年

和泉アセンブリーセンター(大阪府和泉市)に隣接する研究開発兼工場用地及び建物を取得。関西圏初の国家戦略特区認定を受ける

院内感染防止を目的とした手術室で使う吸引器

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「うちは特許が取れる可能性のあるものしかつくらないというポリシーがあります」。そう語るのは江原穣執行役員企画開発部長。既存製品をまねしたような製品は世に出さないのが同社の流儀。1製品の中に1つ以上の特許があるのがその証しだ。

たとえば「フィットフィックス」という製品。主に手術室で出る血液や体液等の排液をプラスチック製ボトルに吸引し、ふたの中に仕込んだ凝固剤をワンタッチで押し出し、排液を密閉容器内で固めてしまう吸引器である。

それまで手術室で出た排液類はガラス製ボトルにため捨て、ボトルは洗って再利用されていた。しかし、その方法では院内感染の危険が避けられない。そこで排液類に一切手を触れないまま、ボトルごと処分してしまおうという発想で生まれたのがこの製品である。

「大変だったのは血液を固める凝固剤を開発するときだったと聞いています」。人の血液で実験するわけにはいかないため、食肉加工業者から牛の血を分けてもらい、実験に携わる人たちは感染防止のワクチンを打って開発に臨んだと江原氏はエピソードを話す。

壮絶な努力が実り、同製品は特許を取得。出願から特許が切れるまでの20年間、先駆者として市場を獲得した。院内感染防止を推進した意義ある製品のひとつである。フィットフィックスをはじめとする吸引器関連は現在も改良が重ねられ、国内でトップシェアを取り続けている。

疼痛(とうつう)緩和領域で高く評価される加圧式医薬品注入器。
マイクロポンプを用いた小型デバイスも開発中

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吸引器と並び、同社の主力製品になっているのが加圧式医薬品注入器の「シリンジェクター」だ。薬液を患者の体に一定速度で投与できる携帯用ポンプである。水風船の原理を利用したバルーンタイプの注入器のデメリットを補い、薬液を最初から最後まで安定的に注入できる点が高く評価されている。

「それができるのはうちの製品だけ。国内のみならず海外でも注目されています」と江原氏。特に疼痛緩和の領域では圧倒的なポジションだという。このシリンジェクターこそ、同社が目指すオンリーワンでありナンバーワンである製品の代表格といえるだろう。

また、注目度の高い製品の開発も進行中だ。「マイクロポンプ」を用いたディスポーザブル型医療機器である。この開発は日本の国際競争力の強化に寄与する研究開発として、国から関西圏国家戦略特区の事業(第一号案件)に認定された。「弊社の製品はどれもポンプというキーデバイスの上に成り立っています。この技術を生かし、小型で低コストのデバイスをつくることで、今までなかった医療機器のエンジンができると考えています」と江原氏は語る。

2020年までには、2017年に製品化されたデバイスを使ったディスポーザブル型医療機器の製品化を目標に開発を進めている。医療現場のみならず他の産業分野にも使われる可能性を秘めた画期的な開発であり、同社の次代を担う製品になるのは間違いない。

医療現場とのコミュニケーションが不可欠の仕事

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同社の製品開発は医療現場の課題解決が原点になっている。そのために医療従事者と深い信頼関係を築き、真のニーズを見つけることが求められている。江原氏は背景にある国内製品の開発環境について触れる。

「治療型医療機器の大半を輸入品が占めるのは、欧米の開発環境が日本よりずっと優れているからです」。欧米ではベンチャー企業が多く、資金の投入額も桁が違う。しかも医師が開発の専門職として関与している。日本はほとんどの医師が医療現場におり、機器の開発のようなビジネスに関わる人は少ない。

そのため企業の開発担当者が医師と密な連携を取ることが不可欠だ。開発する製品の良し悪しは医療現場とのコミュニケーションによって決まるといっても過言ではない。江原氏も医学学会に頻繁に足を運び、トレンドや最先端の医療を学んでいる。講演後には必ず医師とコンタクトをとり、自社の技術が役に立てるかどうかを一緒に考えていく。

医療現場で大研医器のブランドが知られるようになった今、医師とのコミュニケーションもずいぶん取りやすくなったと江原氏は言う。今後の課題はもっと領域を広げて、新たな製品の軸をつくっていくこと。「医療現場には小さなものから大きなものまで、あらゆるところにニーズがあります。それを見つけに積極的に外へ出ていくのが、われわれの仕事の第一歩です」

患者の負担を軽減する治療を機器でサポート

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山田満代表取締役社長は大研医器の創業者である。1968年、医療機器を仕入れて販売する事業を始めた。独創的な技術でドラスティックな医療革命を目指すという気迫あふれる使命は、この山田氏が事業を構築していくなかで打ち立てたものである。

そんな山田氏も「当時、医療現場に出入りするディーラーと医師との関係は今以上に閉鎖的で、まだ何の実績もなかった私は本当に苦労しました」と創業期を振り返る。きっかけは、もともと研究開発型のメーカーを目指していた山田氏のもとに、ある医師からオーダーが入ったこと。手術室に設ける感染防止のための超精密ろ過装置(クリーンルーム)を手掛けることになったのだ。

それを機に販売業者からメーカーへとかじを切る。大手企業と組みながら院内感染防止を目的とした数々の製品を開発し、大研医器の名は医療現場に徐々に浸透していく。それが1990年の吸引器「フィットフィックス」につながり、メーカーとしての地位を確立させた。

山田氏は医療環境の変化をこう語る。「ここ10年、医療現場で求められているのは低侵襲治療です」。文字通り、患者を侵さない、襲わない治療のこと。たとえば内視鏡手術で傷口を最小限にするのもそのひとつ。治療につきものの傷や痛みを抑え、患者の負担を可能な限り軽減する治療法である。

しかし、内視鏡などを除くと、現在その治療法に使用されているもののほとんどは外国製。「日本は欧米にすごく遅れをとっている。この遅れを取り戻すのは一朝一夕にはいかないのです」と山田氏。数少ない日本の治療型医療機器メーカーとして「やればやるほど悔しさが増します」と悔しそうな面持ちで現況を語る。

医療現場の課題解決なら
大研医器といわれるくらいの会社にしたい

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もともと日本には医師と協力して新しい治療法を開発する企業が少ない。大研医器は事業領域をそこに特化している。「医師とともに1日も早い患者の社会復帰をサポートする。それが私に課された使命です」

「自分自身が病院にひと月でも入院してみれば、患者の苦しみがわかりますよ。従業員にも『検査入院して、困っている患者と医療現場を目の当たりにしたら意識が変わるぞ』と言っています」。治療を医師だけに託さず、自分も治療する側の一員なのだと自覚することが大事だと、山田氏はことあるごとに自社の使命を従業員たちに伝えている。

2018年、大研医器は設立から50年を迎える。そこで、山田氏は「原点回帰」を掲げる。「これまでそれなりの実績を積み上げてきましたが、ここでもう一度、原点に戻って開発に力を入れます」と宣言する。それに伴い、同社は2016年10月に戦略的な組織変更を行った。研究にいっそう力を注ぎたいという前代表取締役社長の要望を受け、前社長は研究担当専任へ。それに代わり会長職だった山田氏が再び社長を務めることになった。

開発の質量を上げるために、医療現場のニーズをいかに拾えるか、製品のユーザビリティ(使い勝手)をいかに高められるか。現場が抱える課題があり、どのように解決しようかと悩んだときに、瞬間的に大研医器を思い出してもらいたいのだと山田氏はあるべき姿を示す。

企業は人なり。
医師のよきパートナーになる人材を育む

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積極的な開発推進にともなって、人材育成への投資も今後の重要な柱だ。「やはり企業は人です。いかに早く優秀な人材を育てるか、それがいちばん重要です」と山田氏。そのための手段のひとつとして、同社では大阪大学と連携して、開発に携わる従業員を大学に送り、基礎医学を勉強させる予定だ。

「医学の基礎知識がないと治療機器の開発などできません。新たな機器を生み出すために、医師のよきパートナーになれる人材を育てたい。いえ、育むのです」。山田氏は同社のこれからを担う人材に期待する気持ちを、育むという表現に込める。そして、失敗を恐れず攻めの姿勢を持つ組織こそ、ドラスティックな医療革命を成し遂げられると信じる。

また、同社は大阪府に生産拠点である和泉第2商品開発研究所兼アセンブリーセンターを建設中である。医療機器を製造するためのクリーンルームを増設し、生産の自動化を促進する。生産体制の強化は、山田氏が描く中長期目標「売上300億円。将来的には1,000億円」の布石とする取り組みのひとつと言える。

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大研医器株式会社 代表取締役社長

山田 満

大阪市出身。1968年大研医器を設立。大研医器という社名には大きく、大いに研究し、オリジナリティー溢れる医療機器を作りたいという思いを込めた。会長職を経て、2016年10月より代表取締役社長に復帰。

大学で学んだ医療分野に関わる企業で働きたい

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研究部の田之上哲也氏は入社6年目。東京の大学院(博士課程)を修了後、出身地の大阪にある同社に就職した。「大阪だからという理由でこの会社を選んだわけではありません。大学で学んだ医療分野のことを生かせる企業で働きたかったのです」。大学では機械工学の流体力学を専攻。脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)が破裂するときの血流状態を分析・研究したという。

田之上氏は学生・院生時代に感じたジレンマを振り返る。「アカデミックな世界での研究はなかなか製品につながりません。自分が研究してデザインしたものが大学内では評価されても、企業から引き合いがあるわけではありません」。製品というのは、販売戦略や価格帯などを見据えたうえで研究に挑まなければ生まれないのだと強く感じたという。

そんな思いが企業を選択する際の基準になった。「医療機器を扱うメーカーのなかでも、大研医器では、研究開発の人間が製品の企画から製品を世の中に送り出すまで、深く立ち入って全部を見ていけます」。それが大研医器を選ぶ決め手になった。

他の企業が持ってこない技術を持ってくる。
それが医療現場からの評価

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現在の仕事はマイクロポンプの研究開発。関西圏国家戦略特区の事業にも認定された、同社が現在最も力を注ぐ製品の開発である。田之上氏はそこで量産化に向けての設計を担い、仕様と性能の条件検討を重ねている。

「ミクロの世界を扱うので、設計通りのものがなかなか出来上がってこない点が苦労するところですね」。開発段階のばらつきは製品の性能に大きな影響を及ぼす。性能が単一になるように、いろいろな仮説をたてて仕様を絞り込んでいく毎日だという。一方、「検討を重ねて現実的なコストを見いだし、製品化の実現が見えてくるとうれしいですね」とやりがいを話す。

マイクロポンプの試作品を医療現場に持っていったとき、従来製品よりも大幅に小型化された設計に「こんなに小さなものができるの?」と驚かれたという。「大研医器は他の企業が持ってこないものを持ってくる、現場で医師が抱える課題に対し、画期的な解決方法を持ってくる会社だと思われているのではないでしょうか」。それがクーデックという同社のブランドへの評価だと感じている。

新しいものにチャレンジする精神

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田之上氏の所属する開発チームは9人。メンバーに共通するのは「新しいものでないと価値がない」と考える点。「既存の技術の流用ではなく、新しいものにチャレンジするところに皆が魅力を感じ、モチベーションを高めています。それが特許を取れる可能性のある製品につながっているのではないでしょうか」と田之上氏は見る。

「チャレンジとは、たとえば課題が出てきたときに既存の技術を使うだけでなく、まだ使ったことがない技術を試してみること」と田之上氏は言う。使用材料や原理が解決手段として有効なのか、可能性を探り、実現性がありそうだと自分の中で感じられたら、反対意見を恐れずに周囲に働きかけて展開していくことを心がけている。

同社の開発には医師とのコミュニケーションも必須だ。「ものだけを見る研究開発はうちではありえません。ものを使う医療従事者と患者にまず関心を持つことが求められます」。医師へのヒアリングは日常業務のひとつ。田之上氏も自ら医師にアポイントメントをとり、医療現場の課題の芽を探しに頻繁に医療現場に足を運んでいる。

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大研医器株式会社 研究部

田之上 哲也

大阪府出身。慶應義塾大学理工学研究科総合デザイン工学専攻博士課程修了後、2011年に同社入社。大学、大学院時代の専攻を生かした業界に進みたいと、医療分野に関わる企業を志した。

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