地方で働く意義と魅力とは何か。その働く者を抱える企業はどのような思いで経営しているのか。地方創生、地方が元気になるとはどういうことか。JSBNでは自分の魅力探し、日本人材機構では地方で働く人と会社の魅力という学びの時間をもらった上で、今回のインターンに臨みました。
宮城県女川町は震災後新しく生まれた工芸品で町が彩られています。それが「みなとまちセラミカ工房」のスペインタイル。家の表札、店の看板など、ビビッドな色合いでぷっくりとしたタイルが町の至る所で日光を受けて輝いています。
一つ一つを手作りしている「みなとまちセラミカ工房」に訪問し、セラミカ工房のこれまで、そしてこれからについて代表の阿部さんにお話を伺いました。
スペインタイルの美しさの裏には、作り手の想いと時間が詰まっていました。
”想い”を紡いで0から街を、会社を、作ってきた力強さ
「震災当時は家も流され、陶芸仲間も失い、今まで見ていた景色が全て0になった」
「避難所生活は想像以上に厳しく、冬の寒い時期に仮設のお風呂に順番待ちをして、やっとプールのような広いお風呂に入れる!」生々しく辛い体験を数多く聞きました。
女川(おながわ)町で「セラミカ工房」を営む代表の阿部さんは、そこから、お店を構えて、自分が経営者となり女性の雇用を生み出す今の状況に、どうやって辿り着いたのか。
それは数多くの縁と多くの人々の想いに支えられてできたとのこと。「今この工房があるのは運命です」と仰っていたのが印象的でした。
試行錯誤しながらも街全体で一体となり今を作り上げてきた絆の強さ、結びつきを強く感じました。女川には、こちらが希望とパワーをもらうくらいの力強さがあったのです。
阿部さんの優しい表情の奥の鋭い目には、強い想いと、その想いをしっかりと形にされてきたしなやかさがありました。
セラミカ工房の始まり
東日本大震災以前、セラミカ工房の代表阿部さんは、女川町で趣味の陶芸を地元サークルで楽しむ主婦でした。
震災で女川町は津波による大きな被害を受け、陶芸どころではなくなってしまいましたが、阿部さんは「またみんなで集まって陶芸をやりたい」という想いを持ち続けていたそうです。
女川町では震災直後から、町の復興を民間目線で考える女川町復興連絡協議会が発足し、その中でスペイン・ガリシア地方との異文化交流の話が持ち上がっていました。ペイン・ガリシア地方には女川町と非常によく似た地形で、女川町と同じように津波による被害をうけ、復興したという背景があったからです。陶芸サークルの復活に向けて動き出した阿部さんは、関係者からスペインタイルを紹介されたとのこと。誘いをうけ、東京のスペインタイル教室に通いはじめた時、教室主催の研修旅行があることを知ったのです。出発の日は震災からちょうど1年後の2012年3月11日でした。
赴いた先のタイル文化の盛んなバレンシア地方で、阿部さんは街中に溢れる色鮮やかなタイルに感動し惚れ込みました。
「新しく生まれ変わる女川の街を、この色鮮やかなタイルで彩り、復興に彩りを添えたい」そう思ったといいます。
帰国後、阿部さんは日本には東京と大阪にしかないスペインタイル教室に通い、技術を高めていきました。そして、元陶芸サークルのメンバーと共にスペインタイル制作を始めたのです。
このようなきっかけで現在では、「女川町を彩る」、「女川町と人を繋ぐ」をモットーに、スペインタイルの販売を通じて女川の新しい文化の普及推進事業を行っています。
工房のスタッフの方は現在13名。女性の雇用を生み出す場としても活躍していて、従業員の方々は阿部さんを頼りにし尊敬している様子がうかがえます。
工房の中では、何かあるとすぐ「阿部さーん」と呼ぶ声が飛び交っていました。
工房のシフト表の阿部さんの欄には、数日間「東京」という記述が。
これは何かとスタッフの一人に尋ねると、「阿部さんは現在も定期的に東京のスペインタイル教室に通い、地元女川で教室を開く資格を得るために奮闘している」とのことでした。
「本当に頑張っているんです。すごいんです」と彼女は仰いました。
女川と全国を結ぶ“メモリアル体験”
セラミカ工房のあるシーパルピア女川には、あちこちに色鮮やかなスペインタイルが飾られています。中でも印象的なものがハマテラス前のタイルアート。
実はこの一つ一つは女川に訪れた観光客らがセラミカ工房で製作体験をしたのちに寄贈したものなのだとか。
一つひとつに、作り手の名前やイニシャルが刻まれたタイル
私たちもその体験をさせてもらいました。
1時間程度、職人の皆さんが通常作業をしている場所で、自分のタイルを製作。静かに集中した空間で、時折店頭のお客さんとのやりとりが聞こえてきました。
そして、あることに気づきました。阿部さんのお話しを伺っていて「どうして震災後間もない時期から動き出せたのだろうか」と疑問に思っていたのですが、まさにこの時間なのだと。タイルと自分が向き合って、一つひとつ作業を進めることで、作品が仕上がっていく。ある意味で日常の忙しさから切り離された時間。震災後、私には想像もできないほど様々な想いが入り混じる中で、タイル製作の時間だけは一人で静かになれる時間だったのではないだろうか、と思いました。
体験を終えて改めて店内を見回すと、ただ綺麗だなと感じていたタイルの一つひとつに、かけられた時間と込められた想いを不思議と感じられるようになっていました。それは体験した3人全員が感じたことでした。
このタイルはただの綺麗なスペインタイルではなく、作った人と買った人を、そして女川と全国を結ぶ、想いの証としてのタイルなのです。その想いとは震災を経た力強さかもしれないし、女性たちの温かさなのかもしれない。受け取る人によって様々でいいと思います。ただここでしか作ることのできないものということは確かなのです。
阿部さんは「女川といえばタイル、いや宮城といえばタイル!と言われるくらいのものにしたい」とおっしゃっていましたが、その未来はきっとくるでしょう。タイルそのものがもつパワーを阿部さんがスペインで感じたように、この女川の小さな店舗の中で私たちも強く感じました。ここはパワースポットだ!と思えるくらいに。
メモリアル体験を経て、完成した私たち3人の作品
クオリティーの追求
セラミカ工房さんの作るタイルはすべてハンドメイド。非常に細かい工程を経てやっと一つの作品が出来上がります。まずはスペインから輸入してきた大きなタイルを規格の大きさにカットし、やすりを掛け、汚れを拭き取り、乾燥させたのち、模様の下書き、そして絵付けをして焼き上げ、といった具合です。特に絵付けの工程においてはかなり神経を使います。釉薬をスポイトでタイル上に少しずつ出していくのですが、出しすぎてしまえば模様からはみ出してしまう。模様が細かければ細かいほどその難易度は上がり、精密さを求められます。
あるアニメキャラクターのコースター制作に取り組んでいた職員の方は、直径1mmにも満たないそのキャラクターの鼻先を手直しされていました。
製品とするからには高いクオリティーが必要、という認識が工房の全員に共有されているのです。一枚一枚、丹念に命を吹き込むかのように、細部までこだわる姿勢には非常に驚かされました。
タイルの背景にある想い
女川の企業でインターンをすることで、大企業では感じられない肌触り感、消費者との距離の近さを感じました。タイルが消費者の元に届くことを「嫁入り」と呼ぶほど、タイル一枚一枚には、信じられない程の想いが詰まっています。自分が丹精込めて作ったその一枚が誰かの手に渡り、100年以上色褪せず残り続ける。そこには、まさに嫁入りと同じくらいの思いが込められているのです。
お喋り一つせず、黙々と作業を続けるスタッフの方々。そんな時間と対比して賑やかなお昼時のお喋り、お茶の時間。帰る時には椅子を机の上にあげ、掃除、整理整頓をし、所作の一つひとつに常に感謝の気持ちを感じました。
そんな姿から私たちは、「幸せとは何か」を問われた気がしました。壮絶な共通経験をもつ女川の方々だからこそ、やれる事を最大限に、今を一生懸命に生きる姿なのだろうと。その「美しさ」を感じました。
安部さんは、「まだ震災のことを思い出すと胸が締め付けられる」と仰っていました。日々それに打ち勝って、生きる事に前向きな姿勢を持ち続けられてきたのだと感じました。
沢山の人の支えで生きてきたことを心の底から実感している女川の方々だからこそ、他の人を助け合い満たし、支え合って生きているのだと、肌で感じた時間でした。
(左から)安部さん、柳田、川田、長谷川
都心にはない、今をしっかり生きる強さとしなやかさ
被災地に赴くことに対して、私たちは、出発前に複雑な思いがありました。震災から今日までの日々は、ただの歴史ではなく、目の前の人たちの「日常」であり、想像がつかない努力の積み重ね。それを短い期間で感じきれるだろうか?不誠実なことにならないだろうか、と。
女川の人たちはある意味で震災について触れられることに慣れていました。女川が、震災直後から若い世代中心の復興、公民連携、そして特定非営利活動法人アスヘノキボウ(https://www.asuenokibou.jp/)を拠点とした外部からの人の受け入れに寛容だったことなどが、そう感じた要因です。
女川で今を一生懸命に生きている人たちの周りには、大企業にはない大きな可能性とチャンス、パワーがある。地方創生という言葉が全くナンセンスに感じた程でした。女川の方々は一瞬一瞬を大事に生きていて、むしろ都会で沈んだ顔で満員電車に乗っている人たちよりも、活力に満ち溢れていました。
なによりも訪れてみたことで、"被災地"というぼんやりとした固定的なイメージから、はっきりと「女川」を認識できたこと。具体的な人の笑顔を思い浮かべることができるようになったこと。それが、自分たちに芽生えた一番の変化だと感じています。
普段関東圏に生きる私たちにとって、都会の働き方だけがリアルで、どうしてもその中で“どう生きるか”を考えてしまう。でも二日間だけでも女川に足を運んだことで、そこで生きる“生き方”を知ることができました。そのリアルは「被災地」「地方」という固定概念とは全く違うものでした。
女川で学んだ、今をしっかりと生きる、強さとしなやかさは、都会にはないパワーでした。
執筆:長谷川智美、川田悠世、柳田晴香(JSBN)
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