「考えるより、感じる」女川、鮮冷の覚悟
株式会社鮮冷
特定非営利活動法人日本学生社会人ネットワーク(通称JSBN)
2018/07/13 (金) - 08:00

地方で働く意義と魅力とは何か。その働く者を抱える企業はどのような思いで経営しているのか。地方創生、地方が元気になるとはどういうことか。JSBNでは自分の魅力探し、日本人材機構では地方で働く人と会社の魅力という学びの時間をもらった上で、今回の女川実地研修に臨みました。今回の研修先の鮮冷は、三陸産の恵まれた水産品を先進冷凍技術などで加工し、商品開発力もある企業。鮮冷が注目される点は商品などのハード面だけではありません。大企業で勤める畑違いの人材を引き付け、従来の水産業の概念にとらわれない、新たなことにチャレンジし続けているソフト面でも注目されているのです。そんな企業の現場で、色々な思いに触れることができました。

「考えるより、感じる」

今回の株式会社鮮冷でインターンをしたのは以下の三名。大手企業入社一年目で愛知県出身の田口祥己。東京大学の4年生で大手コンサルティング会社に内定をもらっている都会育ちの石井雅紘。台湾出身で東京の小さな不動産会社で外国人向け不動産仲介として勤務している林佳慶。このとおり、普段はそれぞれ違う仕事や生活を送っています。

まだ見たことない「女川」そして「株式会社鮮冷」についてそれぞれイメージを持っていました。「地方の人間は地方だからできないと思っている」「地方の人間は気難しい」「地方の人間はよそ者に対して冷たい」「地方の経営者は頭を使うことを評価しない」など様々。女川という地域は特に、東日本大震災の際、津波で大きな損害を受けたところであり、「何から始めてよいかわからない」「途方もない労力がかかるため、自分たちだけでは動けない」…などと“受け身”にならざるを得ない状況なのではないだろうか、とも思っていました。

そんな「地方」の負のイメージが先行した状態で、女川や研修先の鮮冷を思い描いていました。このようなイメージを持ったまま、自分たちなりに理論武装をして問題点を探し出そうとしていたところ、日本人材機構の小城社長に教えを与えていただきました。左脳より右脳、理論より直感、五感で感じ取ることの大切さ。このようなレクチャーがあったからこそ、二日間というとても短い限られた時間の中で、三人ともそれなりに大きな収穫を得られたのではないかと思います。

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(左から)石井、林、田口

震災をきっかけに合併でうまれた「鮮冷」

鮮冷は、震災をきっかけに、さんまや鮮魚の石森商店と水産加工を得意とした岡清の二社が合併する形で立ち上げられた会社です。鮮冷の岡明彦専務から、会社についての説明と、専務自身がどのように会社と女川に関わってきたのかについて伺いました。

震災が起きる前から、女川は水産業が地域の主力産業でした。震災前は常に忙しい状態だったので、他の水産業者の実態など知る由もなかったそうです。
震災の津波で、工場、会社、そして社員までもが流されてしまった。女川町の水産業の持続的な発展の為、腹を割って互いの貸借対照表と損益計算書を見る機会ができたことで、実態が知れたと言います。
合併する前は両社とも繁忙期は人手が足りないくらい忙しく、閑散期は本当に暇だったと岡専務は言います。震災前は閑散期でもそれなりに忙しかったけれど、繁忙期が重ならないため事業統合への道を進んだのだそうです。
「石森商店のサンマ」「岡清のホタテ」と、もともと持っていた強みを活かし、他社ではまだ取り入れていない、細胞を壊さないで急冷凍するCAS冷凍システムの導入、食品衛生で世界最高レベルを誇るFSSC22000の認証取得、常温保存可能な煮つけシリーズやアヒージョなど、他社が容易に真似できない商品開発力を武器に、前進し続けている企業です。

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このような現状に石森代表取締役は満足していないと言います。「日本各地、世界各地に向けて、女川で地元の人が当たり前に感じているおいしさを商品を通して届けたい、伝えたい。それだけなんだよ」と熱く語ってくださいました。さらに、社員に対する想いも。

「この会社に入れば、家を建てられる、子どもを持てる、幸せに暮らせる。そうやって地域にも根付く。そんな状況にもっていけたら」

温かい表情で語る社長の姿から、社員をとても大切にしている会社であることが感じ取れました。

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実際に試食させていただいた魚。脂が乗っていてとても美味しい

「鮮冷の覚悟、そして女川に生きる人としての覚悟」

初日のオリエンテーションの際に、岡専務は名刺入れから名刺サイズになった四つ折りの印刷物を取り出しました。折り目のところがボロボロになっているのが印象的でした。そこから、頻繁に取り出し繰り返し読まれていることがうかがえました。表紙にはstory bookとあり、紙を広げると「鮮冷の覚悟」と書かれた社訓が記載されていました。
社訓はこう始まります。「あたりまえなんて存在しないことを、あの日、私たちは知ったのでした。」コピーライターの手も入っているそうですが、文面のほとんどが社員の言葉をそのまま引用したもの。岡専務もようやく最近、涙こぼさず読めるようになったと言います。それだけ、社員の気持ちを表しているということなのでしょう

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表舞台は若い世代に、裏方サポートは年配有力者に

1日目の研修が予定より早く終わり、午後5時前、岡専務にガル屋beerというクラフトビール屋さんへ連れて行っていただきました。店に入ったとたん、「あきひこさーん!」という元気な声で迎えられました。岡専務は女川ではかなりの有名人のようです。女川復興連絡協議会(FRK)の中心メンバーでもあり、女川の復興を自らリードしてきた存在。女川の街づくりの設計や方向性にも大きく力を発揮されてきた。僕たちは岡専務のことを、震災前から率先して、女川に対して行動をおこしてきた方なのかと思っていましたが、実はそうではありませんでした。

「女川のことを自分のことのように思ってはいなかった」と岡専務は言います。震災発生からおよそ1ヶ月後、当時観光協会長の鈴木敬幸さんの誘いでのFRKに入ったとのこと。髙橋会長は「これからは若い人達で街づくりを進める。20年先の未来で責任が負える世代が進める。だから街づくりに60歳以上の年寄りは口を出すな」と、自ら率先し実行したそうで、本当に年配の有力者たちは一切口を出さずに見守ったそうです。有力者が裏方に徹することで、若い世代は仕事がしやすくなり、また自分がこの街を動かしていると実感できる好循環が生まれたのです。

女川は震災を悲劇で終わらせず、街を変えていく契機にしようとしています。岡専務は「街の存在がとても身近なものになり、街を歩いているだけで“自分はこの街の為に働いているんだ”と思うようになった」とおしゃっていました。身近なものに対する思いと、働く意義とが強く繋がることで、大きなモチベーションに繋がっていると感じました。

女川では、毎年復幸祭が行われ、その運営に対して他県から来た人が「俺だったらこう改善する」と熱く語る。そういった人に、実行委員はあっさり担当を任せ、裏方に回るのだそうです。これがプラスの効果を生み出し、復興祭は継続的に成果をあげているのです。岡専務もこの復興祭には大きな想いがあるはずなのに、躊躇せずにバトンを次の人に託す。震災直後の高橋商工会会長をはじめとした女川年配有力者がバトンを託してくれたように。

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ガル屋beerにて。岡専務(左から4人目)と熟生(左3人)、アスへノキボウ インターン生、女川町役場の方(右)

ヨソ者文化が活きる街

2日目の研修で、大手企業を退職して鮮冷に入社された須賀百合香さんと話す機会を設けていただきました。須賀さんは女川やその近隣地域の出身ではなく、他県から来た“よそ者”です。地方は閉鎖的というイメージがありますが、実は女川は昔から他所の漁師が上陸することもあり、よそ者を受け入れる文化があるとのこと。滞在した夜に伺った飲み屋には他県からの漁師はいませんでしたが、復興ボランティアやインターン生など、違う形でよそ者が出入りし、女川の人とにぎやかに、垣根なくお酒を飲み交わしていました。

また女川の歴史的な背景以外にも、岡専務自身が元々は部外者でありながら、震災を機に女川の街づくりの中心人物として女川に受け入れられたということが、大きな布石となっています。それにより、同じく“よそ者”であった須賀さんも、この地にすっと馴染むことができたそうです。須賀さん自身、大手企業で働ける資質があってもやりがいは感じられなかったとのこと。対して、須賀さんの今行っている仕事は日本や世界各地に回り営業すること。独自の視点で、従来とは違った販路・アプローチで活躍されています。「鮮冷には自分がイキイキできる仕事がある」と語る須賀さん。そして入社歴に関わらず社員に活躍の場を与え、裏方としてサポートにまわる経営陣。それはまさに、震災後立ち上がろうとしている女川の街づくりの姿と同じです。古い固定概念にとらわれないのが、鮮怜の企業としての強みなのかもしれません。

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思考は冷静でいろ。心は熱くいろ

「常に利益率を頭に入れて行動するように」。これは石森社長が営業会議の締めで全体に発した言葉です。我々研修生三人との面談の際も、まず冒頭に株式会社鮮冷の営業計画として「想定外の不漁で実績は計画比何パーセントである」などと多くの数字とデータを並べて丁寧に説明してくださりました。石森社長は冷静で穏やかな方なのかなと思いきや、ある研修生の質問で火がついてしまった石森社長。当初は15分の面談のはずが1時間ほどまで伸び、そこで社長の理念と情熱を知ることができました。「おふくろの味を食卓で味わってもらいたい。それを自分たちはお手伝いしているだけだ」と語り、社員にもあまり話したことがない内容まで教えてくださいました。大企業とも渡り合えるような強烈なパワーを短時間で感じ取ることができました。冷静でありつつ、熱い心をもつ。これがオーナー社長の魅力でもあるのでしょう。

女川とは何か。仕事とはなにか。そして地方とは何か

今回お会いした方たちは、皆イキイキしていて、熱くて、カッコよかったです。それはなぜか。皆さん共通しているのが、やりがいのあることに出会え、それに自分が関わっているという喜びを持たれていることだと思います。石森社長は、たとえ成功していても既存のビジネスで満足せず、夢を与えるという仕事にやりがいを感じチャレンジし続けている。岡専務は事業を通じて街づくりをしており、「街の為に生きている」という誇りと自負がある。
須賀さんは一社員でありながら、まだ誰もやったことのない仕事を任せられ、やりがいを感じている。地方で働くことは、東京のような大都市で働くよりも幸せか、それとも苦痛か。今回の体験を通して「あまり関係ない」と思うようになりました。なぜなら自分がやりがいを感じるか、自分がイキイキしているかが働くことの幸せであり、自分の幸せにつながるとわかったからです。鮮冷のstory bookにもあったように、“自分で幸せになろう”“自分で行動しよう”ということが大事。そんなイキイキした環境を自ら作り出せるような場所や人に出会える可能性が、地方にはたくさん埋まっているように思いました。

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今回、実際に女川と鮮冷に赴くことで、地方に抱いていたイメージがガラリと変わる、そのようなかけがえのない体験を得ることができました。それぞれ「自分のやりがいとはなにか」「自分がイキイキすることはなにか」「自分が喜びを感じることはなにか」という、自分の“story book”を見つめ直すいい機会になりました。

(執筆者:田口祥己、石井雅紘、林佳慶)

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