成り行きで大丈夫。ワクワクを信じ“まとわぬ自分”で生きる
ポケットマルシェ 本間勇輝氏
鳥谷 美幸
2017/06/16 (金) - 08:00

大企業→ベンチャー⇒夫婦で世界一周⇒東北復興NPO⇒食のベンチャー創業。“成り行き”だという本間勇輝さんの経歴は、多様で、ユニークで、人間らしさが溢れています。順番、整合性、社会的意義、エトセトラ。キャリアについて、私たちはいつのまにやら、“まといすぎ”てはいないでしょうか。本間さんのように、余計なものを脱ぎすてて、自分のワクワクを信じて進めたら。仕事と人生を取り巻く光景が、いつもと違って見えてきそうです。

もがいても何も変わらぬ日々。僕は場所を変えることにした

最初の転機は26歳のときでした。当時の僕は、大企業の一営業マン。社員14万人の会社に勤めて4年、おもしろいことをやってやろうと入社したものの、ワクワクした未来が描けず悶々とする日々。もがいても何も変わらないなら、いっそ会社を辞め、生きる場所を変えようとしていました。そんな折、ある男性と出会い、ベンチャーの世界に飛び込むことになったのです。

ハーバードビジネススクールを出て、本場アメリカのベンチャーキャピタルで活躍、今まさに日本でベンチャーを立ち上げたばかりの社長の優秀さに僕は圧倒されました。会計士にエンジニアに起業家、周囲のメンバー含め、会話のレベルも、到底歯が立ちません。まったく違う世界が広がっていたのです。「この人たちと一緒に働いたらどうなるのだろう?」想像しただけで、ものすごくワクワクしました。

20代後半、僕は彼らのもとでゼロからサービスを作り、マーケティングもやり、採用もして……、のちに取締役になり、初めて経営者まで経験しました。まさに、全速力で駆け抜けながら、どんどん視座が開けていく高速回転の日々。僕のビジネスの基礎体力はこの時代に培われたと、心から感謝しています。

経験を積んだ大人になってからの、未来につなげる放浪の旅へ

起業から2年。会社は成長し、取締役にもなり、状況はノリに乗っていました。やりがいのある仕事、友達、家族、ある程度のお金。当時、豊かさだと思っていたものは一通り手にしていました。でも、見えている景色は、世界70億人分の1億人の日本の、しかも東京だけのもの。そのなかで、言葉にできない、“満たされない何か”を感じている自分がいたのです。

ちょうど、人生のパートナーとなる妻と出会い結婚を決めた頃で、居酒屋で夜な夜な飲んでは、二人で語り合いました。「これまでの30年間で培った常識から抜け出さないと、この先にブレークスルーはないんじゃないかな?」「それなら、旅に出てみない?」「どうせなら世界一周旅行とか?」。

ジャマイカの人は、アフリカの人は、どんな幸せを描いているのだろう。世界中の人と語り合ってみたい。学生時代のそれではなく、いろいろ経験を積んだ大人になってからの未来につなげる放浪の旅。考えただけで心が躍りました。

それで僕らは、今の生活にあと2年と区切りをつけ、旅の準備を始めます。果たして2年後。それぞれの会社を辞め、僕たち夫婦は日本を飛び出したのです。

お金も人脈もないまったくゼロの旅人でも、できたこと

“満たされない何か”に近づくために、これまでの価値観をとっぱらい、評価せずにありのままを受け入れよう。それだけを決めて旅した2年間。その旅は、魅力的な人たちとの出会いが連なり、思わぬ方へと転がっていきました。インドで、アフリカで、南米で。僕らはその地で出会った“人”に惚れ込み、彼らと一緒になって、できうる限りの、小さな“ソーシャルプロジェクト”を作ったのでした。

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どれも、小さくて、楽しくて、ほんの少しだけ社会的価値があるプロジェクトたち。現地の人に役立つことなんて、お金や人脈もなしにできるわけがない、と思っていたのに、何も持たない旅人でもできてしまった。「自分で何かを作れるんだ」という成功体験は、後につながる大きな自信になりました。だって僕たち、誰も知らない土地に行って学校を作っちゃったんですよ(笑)。

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他人の夢に勝手に乗って、仕事を作る

僕の原動力はいつも、バイネームの“人”です。ベンチャーに転向した際の社長しかり、世界一周で出会ったタラやラジェッシュしかり。社会課題を解決しようなんて業業しい考えは、1つもありませんでした。好きだなあと思う人と出会い、その人の夢に勝手に「乗った!」と言って仕事を作ってきたのです。

東北と関わるようになったのも、きっかけは“人”でした。世界一周から帰国後、被災地を訪れた僕は、津波でご家族を亡くされていたある男性の言葉に衝撃を受けたのです。「震災前よりいい東北を作りたいんだよね」。

その後、僕は復興現場の知恵を関係者に伝える『東北復興新聞』を立ち上げるのですが、彼の、「いい東北を作る」という夢に乗りたいと強く思ったのがすべての始まりでした。

今手掛けている食ビジネスもそうです。『東北復興新聞』をやるなかで、高橋博之という男と知り合い、彼と深く共鳴したことが現在の仕事につながっています。

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豪快に酒を飲み、でかい声でガハハと笑う。漁師の生き様に惚れた

僕は東京生まれ東京育ち。田舎を持たず、周りに漁師、農家がいません。そんな僕は、『東北食べる通信』の取材をしながら、初めて“漁師”という人たちに出会いました。

漁師って、声がでかくてガハハと笑って、超?豪快に酒を飲むんです。気持ちいいんですよ。素っ裸で、今を生きている。人間としてものすごくかっこいいし、こんな風に生きたいと思いました。なんというか、漁師にトコトン惚れてしまったんですね。

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彼らの食材をいただくようになり、我が家の食卓は劇的に変わりました。聞いたこともないような驚きの食べ方や、とっておきの調理法で味わう美味しさや楽しさ。そして、作り手の思いを知り、顔を思い浮かべて食べるあたたかさ。食べ物が、これほど美味しくて、おもしろいということを、僕はその“裏側”を知ることで知ったんです。

今僕が全力で取り組んでいるのは、そんな漁師や農家が自ら出品した食材を直接買えるスマホアプリ「ポケットマルシェ」というサービスです。口にする食べ物を誰が作ったかを知らずに食べるのがダサくなる。“知って食べるのが当たり前”な世の中を作りたい。ものすごくワクワクしながら突っ走っています。

“まとったもの”を脱ぎ捨てることで、自分をアップデートする

人間は、社会的動物です。僕らは、知らず知らずにいろんなものを“まとって”生きています。肩書き、周りとの関係性、べき論や、せねばならないという期待や常識。それらは社会性だし、生きていく上でとても大切なことですが、一方で自分の心の声に耳を傾け本当にやりたいことへと進む足かせになることもあります。

ではどうやって“まとった”状態から、ワクワクに従って動き出すのか。僕の場合はそれを、「たった一人と出会うこと」、そして、「環境を定期的に、意識的に変えること」で跳び越えてきたと言えます。

僕が何かをするときは、課題分析やべき論からではなく、常に“たった一人”との出会いや感動が起点になっていました。「本当にやりたいことを見つけなさい」「あなたのビジョンは何ですか?」巷にはそんな問いが溢れていて、確信を持って突き進んでいる起業家や成功者たちの言葉は力を持っています。でも、僕にそれはありません。ただ一人と出会い、その人の夢に乗ってきた。だから“成り行き”だけど、常にワクワクしてこられたのだと思います。

そして、環境を変えること。僕は弱い人間で、やるぞと決めたこともなかなかできなかったりする。それなら環境を変えて“やらねばならない状態”を作ってしまおうと考えたのです。積み上げてきたものを一度ぶち壊して、新しい環境でまた再構築する。そのプロセスを踏んでいくと、頑張れるだけでなく結果的に自分がアップデートしていくように思えるのです。だから僕は、定期的に環境を変え、知らず知らずにまとったものを脱ぎ捨てて裸になることを意識します。“何者でもない自分”に戻ったことで見えてくることって、たくさんあると思うのです。

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僕はそんな自分を、What<何をするか>よりHow<どうあるか>の人間だと思っています。たとえ“本当にやりたいこと”が見つからないときでも、自分が何を好きか、どんな価値観・美意識を持っているのかはあると思うんです。人が好き、嘘はつかない、がむしゃらに、何者でもない自分で人と向き合う……なんでもいい。そこがしっかりあれば、たった一人との出会いをキャッチして、ワクワクが開けていくでしょう。

だからWhatが見つからずに悩んでる人にはこう伝えます。「あなたはどんな人ですか? Howでいいんだよ、成り行きでも結構楽しく生きられますよ」と。

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本間 勇輝さん

株式会社ポケットマルシェ取締役/COO、一般社団法人 日本食べる通信リーグ理事。富士通を退社後モバイル・ベンチャーの創業に従事。2009年より妻と二人で世界一周。2011年秋に帰国し特定非営利活動法人HUGを設立。2012年『東北復興新聞』創刊。2013年、生産者の生き様を伝える雑誌と食材がセットになった『東北食べる通信』創刊。2016年、農家・漁師から旬の食材が直接買えるスマホアプリ「ポケットマルシェ」をリリース。著書に『ソーシャルトラベル -旅ときどき社会貢献』(U-CAN)ほか。1978年生まれ。2児の父。

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