東京の大手通信会社から瀬戸内・小豆島へ アートを軸とする観光事業で人を呼び込み、地域活性化に尽力する 自称「移住サラリーマン」
小豆島ヘルシーランド株式会社/合名会社童の夢 MeiPAM 代表 磯田周佑さん
BizReach Regional
2017/07/17 (月) - 08:00

大学卒業後、大手通信会社に就職。川崎市内にマンションを購入するなど、順調なビジネスパーソン人生を歩んでいた磯田周佑さん。32歳の時にリーダーとして挑んだ一大プロジェクトが失敗に終わったことをきっかけに、働くことの意味を考え直すようになりました。その経験が社会人大学院へ通うきっかけに。MBA取得を目指した大学院での学びや同級生との出会いを通じて、ありたい姿が明らかになったそうです。そして、「君は地方でこそ活躍できる」という教授のアドバイスが後押しとなり、38歳になる年に瀬戸内海の離島・小豆島へ移住。現在、小豆島ヘルシーランド株式会社の地域事業創造部に所属するとともに、合名会社童の夢 MeiPAM(メイパム)の代表として、島ににぎわいを取り戻すための様々な活性化事業に取り組まれています。
自称「移住サラリーマン」と名乗る磯田さんに、現在に至るまでの経緯をお聞きしました

国際化の時代を見据え、大学卒業後は大手通信会社に就職

大学卒業後、国際電信電話株式会社(KDD、現KDDI株式会社)に入社しました。これからは国際化が進むと言われた時代だったので、国際的な業務に携われる環境であり、それほど大規模ではない会社ということで選びました。当時は3000~4000人規模の企業で国際電話に特化し、エッジが効いた事業を展開していたことも決め手でしたね。
入社後は中小企業向けの営業職を担当。25歳の時にはロンドン赴任も経験しました。ロンドン赴任は2年間のトレーニーという研修制度だったのですが、銀行や商社の現地法人向けにインターネットや無線LANなどITソリューションの企画営業を行いました。
ロンドン赴任中に、KDD、DDI(第二電電株式会社)、IDO(日本移動通信株式会社)の3社が合併してKDDIが発足。帰国後は携帯電話事業を担当したいという希望が通り、事業企画部門でau携帯のコンテンツ、例えば音楽配信サービスなどを手掛けました。

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リーダーとして挑んだ一大プロジェクトの失敗をきっかけに、働く意味を自身に問い直す

32歳の時に、auの一大プロジェクトのリーダーを任されました。若くして任されたこともあり、やる気も自信もみなぎっていたのですが、結果としてプロジェクトは失敗し、大赤字が出てしまいました。プロジェクトが進行する中、ある段階で立ち行かないだろうと予測できたのですが、多くの部門や取引企業が関わっていたプロジェクトのため様々なしがらみがあり、止めることができないまま、プロジェクトが進行。結果、世に出しても鳴かず飛ばずで終わりました。特に印象に残っているのは、経営会議室に呼ばれ、プロジェクト推進者として社長や30数名の役員の前で、プロジェクトが失敗した理由を説明する機会があったことです。振り返ると、この場面がKDDIで一番大きな仕事だったかもしれません。
このことがきっかけで、働く意味を考え直すようになったんです。一生懸命働き、サービスを世に出しても大赤字。自分の給料すら賄えない……。2年間、自分は何をやっていたんだろうと思いましたね。他の誰かが稼いでくれているお金で自分は給料をもらえているけど、組織に何も貢献していない。自分の無力感を最も感じた時期でした。

管理職試験不合格をきっかけに。自身の価値を見直し、社会人大学院でMBA取得を目指す

さらに、将来を考える出来事として、管理職試験に不合格となったことがあります。同年代では早い時期に試験を受ける機会に恵まれたのですが、プロジェクトが失敗に終わった時期と重なり、うまくいきませんでした。当時、物事を割とはっきり言う私の性格も手伝って、上司や他メンバーとの関係に悩んでいたこともあり、精神的な準備ができていなかったことも影響したのでしょう。
行き詰まりを感じ、将来を悲観視するようになりました。仕事をする以上、社会に貢献できる人材にならないといけないが、今の時点で転職を考えたとしてそれは可能なのだろうか。つまり企業に採用されるに足る人間か考えてみたのですが、何か資格や専門的能力を持っている訳ではなく、難しいと思いました。自分はただ単に、とある会社の枠組みで仕事をしてきただけだ。その会社が求める資料を作り、予算を組み、その会社が求めるコンセンサスの取り方で進め、サービスをリリース。でも、失敗した……。
自分の能力や拠り所を振り返った結果、何かを勉強しなくてはならない、しかし今からならまだ間に合うという結論に辿りつきました。でも、何をしたらよいのか。いろいろと考えた末に、広く経営やビジネスそのものを学び、MBA取得を目指そうと多摩大学大学院への入学を決めました。

サラリーマンの視野では見えていなかった社会課題が身近となり、ありたい姿が明確に

多摩大学大学院は品川にキャンパスのある社会人大学院で、働きながら平日の夜と土日に通学しました。授業に必ず出席するとともに、積極的にいろんな授業を履修し、学びに集中しました。そうしていると、今まで見えていなかったことが段々と見えるようになり、問題意識が変わり始めました。1つの企業で一生懸命働いていると、どうしても知識が所属企業の種や関連分野に特化してしまうものです。しかし、授業を通じて、少子高齢化、年金制度崩壊、地方財政、医療問題など、社会の様々な課題が身近なものとして実感できるようになりました。
そして、同じ志を持つ同級生から様々な刺激を受けるうちに、スモールコミュニティの中で発言したり、表現したりすることが得意だと気づき、仕事を通じてどんな自分でありたいか、あるべきかが見えてきました。そんな中、小豆島での仕事のお話をいただいたのです。

「君は地方でこそ活躍できる」 教授のアドバイスに後押しされ、移住を決意

大学院の同級生に、小豆島ヘルシーランド株式会社の創業者である柳生好彦さんがいらっしゃいました。小豆島から品川まで大学院に通ってらっしゃったんです。いつも楽しそうに小豆島や会社のことをお話されている柳生さんの姿に惹きつけられ、純粋に凄くいいなと思っていました。
一方、地方の課題解決をテーマにした大学院の授業を通じて、自分が小豆島で仕事をしたらどうなのかと、少しずつ考えるようになりました。ある時、自分の師匠ともいえる地域プログラムの担当教授に、「小豆島で働くことをどう思いますか」と聞いてみました。すると、「君みたいなのは、東京の企業ではうまくいかないから、地方にいった方がよい」と言われたのです。さらには、「君は優秀な方だと思うけれど、君と同じくらい優秀な人材は東京にはごまんといる。もっと優秀な人材も多くいる。だから、君は管理職になれない訳だし、出ると叩かれる訳でしょう。東京よりも地方の方が君のような人材を求めている。君は真面目で、仕事に対する熱意がある。働きながら大学院に通う意志の強さもある。地方に行った方が絶対にいい仕事ができるから行きなさい」と言われました。
そういう考え方もあるのかと、ショックと嬉しさの気持ちが同時に押し寄せましたね。やがて、小豆島への移住を決意しました。

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暮らす不安は数回の下見で払拭。移住後は島での生活になじみ、可処分所得もUP

その時には、実は既にマンションも購入し、いわゆる首都圏に住んでいました。田舎暮らしの経験がない私にとって、単なる転職だけではなく地方に移住するということは、とてもハードルが高いことでした。働くこと以前に、普通に生活ができるか考えましたね。
小豆島へは2~3回、下見に行きました。当初は、相当な離島をイメージしていたのですが、下見をするうちに、コンビニやスーパー、ガソリンスタンドもあり、サバイバルな状況でないことが分かりました(笑)。今や、インターネットが通じていれば、お水一つでも、注文すれば持ってきてもらえる時代なので、問題なく生活ができています。高松市内へは高速艇なら約30分で行ける距離。港の前は開けていて都市文化もあり、田舎暮らしと都市文化の双方が日常に存在する、ハイブリッドな生活が可能な島なのです。特にギャップを感じることなく、すんなり島になじむことができたと思います。
移住という意味では、仕事も給料もあらかじめ決まっていたことは大きなメリットでした。私の場合、東京の企業に勤めていたことに加え、MBAを取得したこともあり、一定の報酬が保証されていました。
実際のところ、収入は東京時代の半分ほどですが、それくらいの年収があれば地方では全く問題ありません。田舎では、普段の生活にかかるお金の使い方が変わってきます。生活コストが絶対的に下がることで体感年収は上がりました。例えば東京では残業で会社にいる時間が長かったのですが、そのような生活では残業に伴う夕食や付き合いのちょっと一杯など出費が多くなりがちでした。しかし、ここではそのような不要な出費が減り、自由になるお金が増えている感覚があります。

大企業の「サラリーマン」経験が活かし、地域事業創造へ挑む

小豆島ヘルシーランドでの私の立ち位置は、地域事業創造部に所属しながら、グループ会社となる合名会社童の夢 MeiPAMの代表という肩書きを持つ、雇われ社長です。当初はオリーブに関連する事業に携わりましたが、1年経たないうちにMeiPAMを担当し、合名会社の立て直しがミッションとなりました。

注釈:「合名会社童の夢MeiPAM」は、オリーブの栽培からオリーブオイルを中心とする商品の製造、販売を行う「小豆島ヘルシーランド株式会社」の地域事業創造部の役割を担う合名会社。島の資源を活用しながら、地域を豊かにする新たな事業を創造している。

私の給料は小豆島ヘルシーランドの社員として支払われています。一方で、自分が代表を務める会社の運営は概ね任せて頂いている。つまり、経営者としてのチャレンジを本社にサポートして頂いています。そのため、大きな経営の方針は、創業者や本社の社長と相談しながら進めている。従って、半分経営者で、半分サラリーマンという位置づけになります。私にとって「サラリーマン」であることはとても重要なことです。島で自分らしく働ける「ビジネスパーソン」であるために、「サラリーマン」である必要があるのです。

創業者は「いいタイミングで土地が取得できたから、何ができるか考えてくれ」「この土地を活用するとこの島は輝くんだ」と、空き家や利用されなくなった土地などを購入されます。これは実は、小豆島の未来を真剣に考えてらっしゃる証なのです。空き家や土地を活用する努力をしないと、それらがどんどん増えていく。これは地方にとっては非常に大きな問題です。「経営のセオリーで考えると過疎地の不動産投資はしない方がいいに決まっている。でも、このままでは島は沈没してしまう。今はリスクを負ってでもセオリーでは片づけられないことをやるべきだ。だから、島外から君を引っ張ってきたんだ」と言われると、「はい、分かりました」とやらざるを得ません(笑)。
このような形で、与えられた要件の中で効果の最大化を目指すのですが、これは実はサラリーマンに不可欠なスキルであり、前職で培った経験が役立っています。そして、半分経営者として自由なフィールドに立ち、自身の裁量で進めてきた結果、お蔭様でMeiPAMは売上が伸び赤字も減ってきています。

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80歳まで納税できるキャリアを積むとともに、自身の経験を伝える形で社会貢献したい

移住する時に決めた夢は、80歳になっても納税すること。年金に頼るのではなく、80歳まできちんと働き、税金を納めていたい。そのために価値ある人材になり、自らお金を生み出せるようなキャリアプランを構築したいと考えています。
私が小豆島で行っていることを定義するとしたら、「地域の問題を事業で解決する」ことになりますが、今後、このノウハウは様々な場所で活きるのではないかと思っています。特に社会インフラが大きい都心では、人口減少問題は地方よりもインパクトが大きい。だからこそ、私が学んできたノウハウを発揮できる機会があるのではないか。
また、言葉は悪いですが大企業で「埋もれて」しまい、私と同じような思いを持つ方が多くいるのではないかと思います。そんな方たちに、何かきっかけを伝えられたらとも思っています。ビジネスパーソンをプロ野球選手によく例えるのですが、試合に出場できる1軍選手は限られています。それ以外の選手は、チャンスがなかなか巡ってこない。私の場合、1軍と2軍を行ったり来たりする控え選手だったように思います。仕事を通して社会貢献や自己実現をしたいと思っていても、組織に埋もれてしまい、モチベーションが低下。将来や老後に不安を感じてしまう……。そんな方たちに、「東京では控え選手でも、地方に行ったらいきなり4番でエースを任され、やりがいを感じることができる」という私の経験を伝えていきたい。このように、ノウハウや経験を伝える形で、社会貢献がしたいと思っています。

これは、学んでいた大学院のネットワークを活かし、実践しています。同級生から「ウチの会社で話してよ」と依頼されることも多いのですが、キャリアチェンジだけでなく、マーケティングやブランディングなどの講演を行ったりしています。
例えば「地方に移住したら、これまでの人脈が保てないのではないか」という不安は、心配に値しません。私の場合、今のように活躍の場がある方が東京との結び付きが強くなりました。友達は東京にいた頃よりも増えたように思います。「東京の磯田」よりも「小豆島の磯田」の方が情報として面白い訳です。価値ある人材になれば、引力が変わる。どこかに定住することは、あまり重要ではなくなってきているのではないでしょうか。広がりつつある様々なつながりを通じて、今後も自身の経験を積み重ねていきたいと思っています。

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小豆島ヘルシーランド株式会社 地域事業創造部 マネージャー

合名会社童の夢 MeiPAM 代表

オリーブオイルソムリエ

磯田 周佑さん

神奈川県横浜市出身。上智大学経済学部卒業後、国際電信電話株式会社(略称KDD、現KDDI株式会社)に入社。営業職、2年間のロンドン赴任を経て、事業企画部門で長年にわたりau携帯コンテンツの配信サービス事業に携わる。多摩大学大学院MBA課程修了後、16年間務めたKDDI株式会社を退職。香川県小豆島に移住し、小豆島ヘルシーランド株式会社に入社。地域事業創造部マネージャー兼、合名会社童の夢 MeiPAMの代表として、地域の魅力化・活性化事業を推進中。

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