山梨の「水と山」が、ここへ導いてくれた
株式会社シャトレーゼ 中島 史郎さん
鳥羽山 康一郎
2019/11/18 (月) - 08:00

「シャトレーゼ」といえば、洋菓子やアイスで名の通っている会社だ。全国38の都道府県にショップを展開しているので、「今日食べた」という方もいるかもしれない。本社は、山梨県の甲府市。その販売戦略部で部長を務める中島史郎さんは、東京の外資系広告代理店からの転職者だ。かつては国際営業局に所属し、世界を飛び回る生活だった。そして国際ビジネスの第一線から、山梨のメーカーへ。その転機となったのは、山梨の「水」そして「山」だった。北杜市にある白州工場を訪れ、その転身の背景をうかがった。

国際ビジネスの陰で感じた限界

中島さんは、いわゆる「外資系代理店マン」だった。ニューヨークに本社のある広告代理店と、日本の巨大広告代理店の合弁会社だ。そこでの部署は国際営業局。アカウントプランナーとしてもっぱら外資系クライアントを担当し、海外の本社で打ち合わせやプレゼンテーション、日本では国際電話による電話会議に明け暮れた。 「その代理店には25年間勤めました。数えてみたら、世界26都市の仲間と仕事をしていて。航空会社の広告の仕事が、国際部門の最たるものでしたね。文字通り世界中を飛び回っていました」 しかし、その仕事は中島さんの生活を確実に蝕んでいた。日本時間での通常業務に加え、海外との時差による深夜からの電話会議。それが明け方まで続くときもあった。深夜近く、「野菜たっぷりチャンポン」を啜り込んで終電に乗る。出張が続いて自宅に帰れない。あるとき奥さんに「英語で寝言を言ってたわよ」と言われ、愕然とした。そろそろ広告業界から離れる時期かもしれない──そう思い始めた。

広告代理店時代の中島さん。当時はアナログ時刻表片手に海外を駆け回っていた

3つの「差別化ポイント」を書き出す

「30代40代の頃は、ヘッドハンティングの話も多くありましたが、50歳過ぎるとパタッと止まりました。そこで、企業を分析するように、自分自身の分析をしてみたんです。自己のブランディングですね」 広告代理店で活用していた手法を応用し、自分が差別化できるポイントを挙げていった。その1「ブランドコミュニケーション」、その2「グローバル対応」、その3「『食』への興味」。中でも「食」に対しては並々ならぬ関心を持ち、経験値を積んできた。海外出張ではその街のおいしい店の情報を集めて訪れ、ショップカードをコレクション。クライアントとの会食に利用したり穴場的な店を教えたりしてきた。さらに、航空会社担当時代は商品であるビジネスクラスの機内食を数多く食べ、舌を磨く。食へのこだわりが、自分が進むべき道を見せてくれた。 さらに中島さんは「広告業界は企画力と創造力が試される場でしたが、担当商品のすべてのライフサイクルは見届けられません。ならば実業に『戻ろう』とも思いました」 「戻る」──実は広告代理店以前、中島さんはある大手メーカー勤務だった。新卒入社したその会社では、広報部門に配属。もともと絵を描くことが好きだった中島さんの心に、クリエイティブな業界への志向が強まり、転職した。しかし50代を迎えスタート地点である「実業」の、未経験ではあるが食品業界でもう一度モノ作りをしたいという目標が生まれた。55歳から60歳までの5年間でそれを実現すべく動き出す。

転職前はその年に自分が培ったスキルを書き出し、職務履歴を毎年更新していた。恩師と仰ぐクライアントのアドバイスだった

白州の名水がシャトレーゼへ導いた

山梨県北杜市に、勤めていた広告代理店の借り上げペンションがあった。中島さんは毎年夏に家族で訪れ、子どもたちと尾白川(おじらがわ)で川遊びをした後、近くにあるお菓子工場でアイスを食べるのが楽しみだった。転職先候補の食品会社をリストアップしていたときその会社名を見つけ、一瞬であの清流を思い出した。それが、シャトレーゼだった。工場では現地で汲み上げる地下水を使っている(ちなみに、あの『南アルプス天然水』も隣に位置する工場で詰められている)。名水から作られているお菓子──何とも魅力的だった。 「自分の差別化ポイントの1と2、つまりブランディングやグローバルな経験を活かせる余地があると思ったんです。その頃住んでいた町にもシャトレーゼの店舗があって愛用していたから、商品力は間違いない。でもブランド認知度が低いので、潜在力と将来性があると感じていました」 そして中島さんは、シャトレーゼの社長宛に売り込みの手紙を書いた。「御社がさらに成長するためには、私のような人材が必要だ。なぜなら、御社の役に立つ3つの資質を持っているから」という、中島さん曰く「非常に厚かましい」内容だった。2か月後、忘れた頃に社長からメールがあり、その後3回の面接とプレゼンテーションを経て、入社が決まる。プレゼンテーションは会社の経営戦略に関する課題を出され、PowerPointで100ページにも及ぶ資料を作成したという本格的なものだった。 かくして2013年、55歳の誕生日から甲府のシャトレーゼ勤務が始まった。

人気の工場見学コースにて。ここではアイスの試食が大人気

180度異なる企業文化を楽しむ

世界中の最新情報が集まり、英語で議論を戦わせ、クリエイティブな空気がまばゆい東京都港区の広告代理店から、山梨県甲府市という地方都市にあるお菓子メーカーへ。周囲の誰もが驚いた転職だったが、中島さんもいざシャトレーゼへ入ってみてその違い、特にスピード感に面食らった。
「シャトレーゼは、カリスマ的創業者がリーダーシップを取る、現場徹底主義のビジネスです。机上ではなく売り場や工場の現場で考える、変えるべきことはすぐ変える…。ロジックとアイデアを会議室で煮詰めていく広告代理店とは180度違いました」。中島さんには、すべてが新鮮に映った。この違いを楽しめる、と思った。
入社して、前職の経歴を買われブランド戦略室へ。最初の任務としてCI(コーポレート・アイデンティティ)を建て直した。「自然のおいしさと、人を想うおいしさと。」という菓子事業に付けられるタグラインを定めたのもそのひとつだ。ブランドの存在意義と「こうあるべき」を明記したブランドブックも制作した。契約農家から直接仕入れる素材を使って自社工場で生産し、自社の配送ネットワークで店舗へ届ける──「ファームファクトリー」という中間業者を通さない創業以来の独自システムと生産者の顔が見える安全性を対外広報活動で訴求し、安心感を醸成した。シャトレーゼのファンはどんどん増えていった。こうして外部からの見え方を統一することで、内部の社員たちの意識も変わっていく。

ネット通販で販売する商品のサンプリングで街頭にも立つ

自分の企画力×会社の商品力

中島さんが案内してくれた白州工場は、工場見学のお客さんで賑わっている。夏場には予約が必要となる人気で、中島さん一家もかつては避暑に来るたび訪れていた思い出の場所だ。途中でアイスを試食できるコーナーがあり、中には中島さんが手がけた商品も並んでいる。商品企画部門を経験した際、素材や製造方法へのこだわりを身をもって体験した。広告代理店では、差別化ポイントとして商品の実力以上のアピールをせねばならない場合もある。シャトレーゼではその必要がない。安心できる原材料の調達と、開発製造力がもとから備わっているからだ。これらを素直に、心の底から語ることができる。こだわりを、ありのままに。余計なレトリックを使わなくとも、消費者の共感を得られる強みがある。
中島さんは、既存商品のリブランディングにも腕を振るった。2018年、それまでも食感の面白さで根強いファンのいたチョコレート入りアイスを見直し、ネーミングを「チョコバッキー」に変更。パッケージも変え、全店で無料配布キャンペーンなどを行った。2019年時点、国内だけで累計4,000万本以上売れている大ヒット商品に成長した。また、スポンジ生地に餡の入った売上苦戦中の和菓子を、「うさぎのまくら」と名付けリブランディングすることで日の当たる存在に変貌させたり、山梨県の伝統工芸品「甲州親子だるま」とコラボレーションした「白だるま親子饅頭」を土産菓子として発売したり、商品の再生や創造も手がけてきた。もとからの商品力があることと、自身が培ってきた着眼点や企画力が掛け合わされた結果だろう。
「代理店時代は味わうことができなかった、『企画の向こう側』の世界を知りました。どんなに優れた企画でも売れなければ無意味。でも、お客様に受け入れられたときの喜びは何倍も大きいんです」

中島さんが手がけた商品たち。リブランディングもあれば新企画もある

山梨からグローバルな発信を

中島さんが転職先にシャトレーゼを選んだ理由のひとつが「グローバル指向性」だった。当時既に欧州での事業を行っていたことで、そう感じ取った。自分の差別化ポイントを、そこでも活かすことができる。読みの通り、2015年からアジアへの展開が始まった。進出前にはアジア10か国をまわり、市場を視察。
「現地に行って、久しぶりに現地の人々とのコミュニケーションを楽しみました」と言う中島さん。転職後は英語を使う機会が減ると想定し、海外ドラマなどを観て英語力維持に努めていたそうだ。
現在、特にアジアでは「日本製」が信頼のブランドとなっている。シャトレーゼも入念な市場調査に基づいて、アジアから中東にかけた9か国に60店舗を展開している(2019年現在)。地方企業から世界へ発信して注目されているケースを目にするようになったが、いずれも社内に国際センスに長けたブレーンが存在する。シャトレーゼでも世界の相手とやり合ってきた中島さんのビジネス経験と、世界中の都市や国際キャリアの機内で食べてきた経験とが、山梨発海外向けの情報発信の領域で芽吹き、花開く日も近いだろう。代理店時代、そのただ中にいた情報の奔流は尾白川の清流に、クリエイティブな雰囲気は山の空気に取って代わった。しかし、どれもが中島さんの身体の中に取り込まれているに違いない。
次の項目からは、地方転職・移住を考えている人たちに向けて、中島さんからのメッセージだ。

世界中から人々が訪れるような企画を実現していきたいと語る

家族には早めに打ち明けること

地方転職に際してのハードルのひとつは、やはり家族であることが多い。広告代理店時代、東京で暮らしていた中島さんの場合はどうだったのだろうか。
「転職の意思は、早い段階から家族に伝えました。当時の仕事が、精神的にも体力的にも行き詰まっていたことを感じていたんでしょう。妻も子どもたちもみんな賛成してくれました」。子どもたちが社会に出るまで奥さんは東京に残り、中島さんは甲府で2年間単身赴任生活を送った。
「最終決断をする前、できれば構想の段階から家族に相談した方がいいと思います。家族が賛同してくれればプロジェクトはスムーズに進みますが、異論があると将来への大きな障害になりますから」と、経験者からのアドバイスを語る。
山梨での暮らしは、東京とは何から何まで違った。浅草で生まれ、ずっと都内で育ってきた東京っ子だ。一人暮らしの経験もなかった。引っ越しして「まずは山梨を知ろう」と、毎週末に県内の「道の駅」を回った。土地勘を養い、産物を知る。地場の食材で自炊を楽しむ。「職場の誰よりも山梨の食いどころや見どころを知ってますよ」と笑うくらいの山梨通になった。
単身赴任時代のアパートは、窓を開けると富士山が見えた。眺めているだけで元気が出る。それでも、家族と離れての生活はどこかに風穴があったのだろう。菓子業界の仕事が最盛期の12月に届いた家族からのクリスマスカードには、涙がこぼれたという。今は子どもたちが独立し、奥さんを呼び寄せ二人暮らしとなった。

転職した年のクリスマスは、家族からのカードが最高の贈り物だった

都会との違いを知っておくこと

都市部と地方で、給与面の格差はよく言われることだ。そこを中島さんにぶつけてみた。
「私の場合はある程度の役職でもあったし、強気で交渉しました。結果としてほぼ同じ給与水準を保つことができました」
自分からの売り込みに対して応えてくれたこともあり、恵まれていたのかもしれない。それはともかく、地方での生活コストはさまざまな面で下げられる。まず、街なかにモノが溢れていないから買い物の出費がない。ミニマムなコストでおいしいものが食べられる。中島さんは2年前から自家菜園も始めた。
「QOLが上がりますよ。東京では手に入らない野菜もこっちにはいろいろあります。必要なものはショッピングモールで揃います」。東京時代よりも便利になったという。
また地方はどこでもそうだろうが、車は生活に欠かせないアイテムだ。家族分の台数が必要な場合もある。車あっての地方暮らしというのは、押さえておきたいポイントだという。中島さんの通勤時間は車で約20分。前日の仕事がどんなに辛くても、その20分のドライブですべてがリセットできる。
「今はあまり歩かなくなってしまったので、運動不足の解消が課題ですね」
ある意味とても贅沢な悩みに聞こえた。

料理の心得もあるので、休日は地元食材を使ってさまざまなメニューにチャレンジした

「宿根草」のイメージで根を張ること

転職に限らず、起業したり家業を継いだりという目的で東京から移住してくる人々は、山梨でもよく出逢うという。移住者同士はニオイでわかるそうだ。小規模コミュニティゆえに、感度の高い人たちはどこかでつながっていることが多い。中島さんは、そういった移住者たちとの情報交換も楽しんでいる。
「SNSでのつながりも距離は縮めてくれますが、地方での人との近さは心をつないでくれます」
また、社会が何層にも分かれていないから、自治体やメディアの幹部にもアプローチしやすい。彼らとの意見交換から新たなプロジェクトも生まれた。北杜市のふるさと納税返礼品への参加だ。また、北杜市が立ちあげた「水の山」プロジェクトでは、パートナー企業となることで地元企業ともつながり、ユネスコエコパークに選ばれた南アルプスの山々を守り、未来へつながる財産にしていく活動にも参加していくことになった。こうしていろいろな場所に顔を出しているうちに、自治体から中島さんへ直接声がかかるようにもなった。
「宿根草のように、しっかりと根を張っていくことです。移住を決めたからには、結論はすぐに出さない。ぶれない意思を持つことです」
県外からの転入者を、かつて山梨では特別な呼びかたをしていたそうだ。その一方で、外の人でなければ見えないものを見つけ、前例のないことをやっても実績が上がれば受け入れられ、変わることに共感してもらえる風土がある。
「地元に融け込もうとしなくていい。マイウェイでやっていく。しっかり根を張れば花は必ず咲きます」
世界各地を訪れた中島さんが、いちばん住みやすいという山梨。会社の枠にとらわれず、山梨のために動くべく助走は、徐々に加速しているようだ。

株式会社シャトレーゼ 販売戦略部部長

中島 史郎(なかじま しろう)さん

1958年、東京都出身。早稲田大学卒業後、大手メーカーに就職し広報室に勤務。5年後、外資系広告代理店へ転職。得意の英語力を活かし国際営業局で戦略的グローバルコミュニケーションのツボを学ぶ。2013年、シャトレーゼに転職し甲府市へ移住。ブランドマーケティングを手がけるほか、工場見学やヒット商品の企画にも携わる。現在は広報と通販部門も統括している。

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