首都圏しか知らなった僕が、地方の可能性に賭けてみたくなったわけ
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2020/01/06 (月) - 08:00

神奈川県逗子市出身。慶應大学卒業後、JTB、楽天トラベルなどと蒼々たるキャリアを歩んできた坂本亮さん(40歳)が、現在たどり着いた先は京都府宮津市。日本海の若狭湾に面した京都府北部に位置する市で、最近では「海の京都」とも呼ばれ、日本三景の一つに数えられる「天橋立(あまのはしだて)」でも知られている場所だ。ここで坂本さんはハマカゼプロジェクト(株)を起業し、道の駅の運営など地方創生に取り組んでいる。縁もゆかりもなかった地にたどり着くまでの変遷を坂本さんに聞いた。

ワクワクを感じなかった、レールに乗った人生

大学時代、マレーインドネシア語を学んだことをきっかけに、バリ・インドネシアにハマっていったという坂本さん。就職活動のときに目指したのは、海外へ自由に行き来できる仕事だったが、航空会社を目指すも叶わず、ご縁あったのが言わずと知れた大手旅行会社JTBだった。

「配属先が私学の旅行を担当する部署で、母校も担当させてもらって日本各地へ添乗するなど、仕事は楽しかったです。ただ、10年後にリーダー、20年後に課長、30年後に支店長など、先の見えるキャリアにあまりワクワク感を持てなかったんです。またネット隆盛期にもかかわらず、相変わらず紙や対面販売が主体だったことに、自分自身違和感を感じていました…」

そんな風に考えていた坂本さんの元に舞い込んできたのが、楽天トラベルからの誘いだった。信頼する先輩からの誘いということもあり、二つ返事で転職を決意。コンサルティング営業として国内の宿泊事業者に対して、楽天トラベルを駆使したネットマーケティングを提案していった。

「当時、楽天がプロ野球へ参入するなど、イケイケドンドンのタイミングでしたからね。会社がどんどん成長していく過程を味わうことができました」

そんな坂本さんに転機が訪れたのは、支社立ち上げのために札幌へ異動になったこと。キャリアアップのためには地方も経験しておくべきと考えていた坂本さんは快く受け入れ、札幌へ乗り込んでいった。

「生まれて初めて首都圏を離れてみたんですが、これが最高に楽しかったんです。開拓地という北海道の文化もあって移住者に寛容で、コンパクトながら都市機能も充実していて、飯が美味い。職住近接で通勤のストレスもなく、車を30分も走らせれば海あり山あり。何よりススキノの繁華街が楽しかったです(笑)」

老後は札幌に住んでもいいと考えるほど、新天地での暮らしを楽しんでいたという。初めは自分一人だった社員も現地採用で徐々に増え、仕事もマネジメントの立場へ移行していき、気付けば10名ほどの所帯の事業所になっていた。

「この時の経験が今に生きていると思います。神奈川、東京しか知らなかった自分にとっては、地方の面白さを肌で感じられたし、地方でゼロから立ち上げた経験がキャリア面でも自信に繋がっています」

そして札幌で従事すること丸3年、地方への免疫を培った坂本さんには、もはや東京で働くという概念はなくなっていた。

出向先で学ばせてもらった人生のフィロソフィ

長くても同じ部署に3年、と楽天内での異動は早い。札幌支社を立ち上げ、凱旋帰京した坂本さんに待っていたのは、新規事業の任務だった。それも新卒時に就職希望していた航空会社とのタイアップ事業。JALの国内航空券を、楽天トラベル内で販売していく仕組みの構築だった。そのために坂本さんは(株)JALパックへ出向することになる。

「当時JALは会社更生法の手続き真っ只中で、出向当初は社内に暗雲とした空気が立ち込めていました。それが、稲盛会長が就任して、全社員に対する“フィロソフィ教育”というのを徹底していったのを皮切りに風向きが変わったんです。僕は出向者ではあったのですが、研修に参加させてもらって、これが今の自分の礎にもなるほどのものでした」

稲盛氏を中心とした現場のリーダーが中心となって作られた「JALフィロソフィ」には40項目ある。いわゆる社員の行動哲学のようなもので、これを単なる概念に留めることなく、社員の現場での行動に反映されるまで、研修などを通して徹底的に落とし込まれていった。

「冒頭に“JALグループは全社員の物心両面の幸福を追求し”という文言があるのですが、最初のこの部分がすごく引っ掛かったんです。経営破綻して、公的資金も投入された企業が、国民やステークホルダーを差し置いて“社員の幸福”を追求してもいいものなのか?って。その疑念を研修の講師にぶつけたら、その人の個人的な見解として、『社員一人一人が幸福でないと、お客様に幸福は与えられない。ひいては社会に価値を創造できないのでは?社員一人一人の幸福が、お客様を幸福にし、社会を幸福にするのだと思う』と言われて、目からウロコだったんです。それまで『会社のために何ができるか?』というのを当たり前に考えていた私にとって、社員の幸福、成長があっての企業の成長であり、社会への貢献なんだと腹落ちしたんです」

その後のJALが、わずか2年でV字回復し、過去最高の営業利益を計上し再上場を果たしたニュースは世間を驚かせた。社内の雰囲気もみるみる内に明るくなっていったという。

「新規事業もさることながら、どん底に陥っていた会社が再生していく様を内部で見ることができたことは、大変勉強になりました。社員ではありませんでしたが、フィロソフィは今も自分の行動指針に繋がっています」

この経験が疲弊している地方に通じるものを感じたのかもしれない。その後、楽天に戻り、今度は海外航空券を販売する部署に異動するも、地方に対する想いを捨てきれなかった坂本さんは転職先を模索。そこで楽天トラベルから既に転職していた先輩からの誘いを受けて、国内でバス観光事業を手掛けるWILLER(株)へ転職を果たすことになる。

縁もゆかりもなかった運命の地へ

WILLERは自らバス事業を手掛ける傍ら、他社も含めたバスチケットを販売するマーケットプレイスも展開。その事業を楽天トラベルへ売却していた経緯もあり、転職前からその存在は気になっていたそうだ。はじめは本社の運行計画部に配属されるも、すぐに地方転勤の話が舞い込んでくる。それが京都丹後鉄道への出向だった。

京都丹後鉄道はそれまで第三セクターで運営されていたが、地方の人口減少などに伴い赤字額が大幅に蓄積。収益改善のため基盤整備と鉄道運行を切り離し、基盤部門は社会インフラとして沿線自治体が保有するも、鉄道運行事業は民間の第三者へ委託する決定をしていた。そこで名乗りを挙げ、受託したのが日本全国で高速路線バス事業を行っているWILLERだったのだ。

「社長がおもしろい発想の人で、バスで地方への幹線道路を押さえた後は、全国津々浦々の毛細血管を押さえようと、今度は地方の鉄道事業に乗り出したんですね。その事業の社内公募に手を挙げたのが僕でした(笑)」

この時の赴任先が、その後の移住先にもなる京都丹後鉄道の起点「宮津駅」のある京都府宮津市だった。それまで全く縁もゆかりもなかった土地。それも移住者に対して保守的ともいわれる京都という土地柄、赴任することに躊躇や不安はなかったのだろうか。

「札幌で地方の面白さは味わっていましたし、今度は鉄道事業ということで逆にワクワクしましたね。しかも現地ではWILLERのことを“この地域の救世主”のような存在として扱って頂きましたから、そういう意味では大変、恵まれていました。その分、企画や発言には責任を持って臨みましたし、誘われた飲み会には必ず顔を出しました」

着任から10ヶ月後には、京都丹後鉄道が生まれ変わったことと、鉄道のおもしろさを地域内外の人に知らしめるべく「大丹鉄まつり」を開催。鉄道に乗り切れないほどの来場者が訪れたという。

その後も“1dayフリーパス”や“家族お出かけきっぷ”など、様々な施策を企画実施。今では“レストラン列車”や“カフェ列車”なども展開し、観光鉄道としての人気を不動のものにしていっている。

「実際に住んでみて、仕事をしてみて、この土地のポテンシャルの高さを、改めて実感することになったんです。日本三景の一つ“天橋立”あり、美味しい魚介や米・酒あり。日本酒の蔵も京都府北部に12蔵もあるんですよね。この地が『住んでよし、訪れてよし』という、観光交流地域としての魅力を十二分に備えていることを、身をもって感じることができました」

もっと気軽に移住・定住できる環境をつくりたい

その後、WILLER内の異動で、一時は至近の兵庫県、豊岡版DMOこと一般社団法人豊岡観光イノベーションへ赴任になるものの、既に宮津市内での信頼が厚くなっていた坂本さんの元へは、様々な相談が寄せられるようになっていた。その一つが、宮津の道の駅の案件だった。

「天橋立を有する宮津には年間300万人の観光客が訪れているのですが、一人当たり2,000円程度しか地域で消費されていない現状がありました。天橋立を見るためにケーブルカーに乗って、昼食を食べて、駐車場代払って以上!のようなもの。まだまだやりようがあるように思っていたなか、相談のあった道の駅の事業計画書を書いていたら、これイケるんじゃないか?と思うようになっていったんです」

こうして坂本さんは一念発起。WILLERを退職し、ハマカゼプロジェクト(株)を創業し、自身で「道の駅 海の京都 宮津」の運営を担うことになったのだ。

2017年にオープンした「道の駅 海の京都 宮津~おさかなキッチンみやづ」

道の駅には、農産物や特産品を購入できる店舗「まごころ市」と、新しく2017年にオープンした海産物を購入できる店舗とカフェを併設した「おさかなキッチンみやづ」がある。カフェではそれまで地元で提供されていなかったメニューを開発したり、パティシエを雇ってスイーツも提供するなど、観光客のみならず地元の人にも愛されるように仕立てている。

「HAMAKAZE Cafe」内は新鮮な魚介を使ったアクアパッツァなど、カフェメニューを食べることができる。

かがんで股の間から望む「股のぞき」で、天に上る道のように見えることで有名な「天橋立」にちなんで開発したチーズケーキ。

このように、坂本さんは寄ってみたい場所をつくる、食べたい食事を提供する、買いたいお土産をつくる、を矢継ぎ早に実践。着実に地域のハブとしての場所を確立していっている。

「地域で何かをやろうとしたとき、ある意味“空気を読まないこと”が大切だと思うんです。何かしようと思ったらあの人に話を通さなくちゃいけない、とかいちいち気にしていたらきりがないし、もういっそ気にしないことにしているんです」

まずは実績を上げることに精力を上げている坂本さんは同時に、地方創生はその地に住む人たちのイキイキとした暮らしがあってこそ、魅力的な街として観光のお客様を惹きつけることができる、とも話す。

「JALフィロソフィ研修で学んだことに繋がっているのですが、魅力的な地域になるにはやっぱり地域住民がイキイキと生活を営むことが何より大事で、その文脈から弊社のビジョンにも“魅力的な職場環境と成長の機会を提供し、地域人材の能力が発揮できる場となることを目指します”という一文を入れているんです」

そう話す坂本さんは、最後に移住・定住に対しても独自の見解を示してくれた。

「何か高尚な目的意識を持っていないと移住・定住は難しいという風潮が少し嫌なんですよね。受け入れ側のスタンスもありますが、もっとライトな感覚で移住ができる世の中になっていったら良いと思っています。僕みたいな人材、東京にいたらゴロゴロいると思いますが、流れのまま生きてきて、たまたま宮津にたどり着いたら、力を発揮できる場があった。そういう意味でも、弊社がこの地におけるIターン起業のロールモデルとして、魅力的な職場環境を提供し、地域人材やIターン・Uターン人材の受け皿になれればと思っています」

先や周りのことを気にしすぎず、人と土地とのご縁を大切に、その瞬間々々を一生懸命に生きていけば、自ずと運命に導かれていくのかもしれない。その先に移住という選択肢があるのであれば、それを素直に受け入れてみるのも、これからの時代の生き方としては面白いのではないだろうか。

坂本 亮(さかもと りょう)さん

神奈川県逗子市出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、(株)JTBへ就職。楽天(株)のトラベル事業を経て、高速バス事業を手掛けるWILLERグループへ転職。上下分離で誕生した京都丹後鉄道(WILLER TRAINS株式会社)の初代営業部長として京都府宮津市へ移住。道の駅の相談を受けたことをきっかけに、ハマカゼプロジェクト(株)を設立。道の駅の運営と共に、地域資源を生かした商品開発など、様々な角度から地方創生に挑んでいる。

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