前向きな気持ちが「縁」をつなぎ、今の自分がある。
公益財団法人わかやま産業振興財団 三田 寛之さん
鳥羽山 康一郎
2020/03/26 (木) - 08:00

和歌山県──関西地方に属しているが、首都圏在住者にとっては今ひとつ実体がピンと来ない県ではないだろうか。その県庁所在地・和歌山市で働く三田寛之さんは、東京出身。もともとはIT関連企業で営業職に就いていたが、Iターンでこちらに引っ越してきた。2020年で11年目に入った和歌山暮らしについて、引っ越しのそもそものきっかけ、助けてくれた人たちとの「縁」と「感謝」などについて語っていただいた。

東京ではない、どこかで暮らしたい

東京の多摩エリアで生まれ育ち、大学も就職先も都心に通っていた。そんな「東京っ子」である三田寛之さんが現在暮らすのは、和歌山市。仕事も、公益財団法人わかやま産業振興財団という和歌山県内の中小企業支援などを行っている職場だ。東京時代はIT関連の企業で光ファイバーの法人営業などに携わり、休日にはジム通い。いわゆるシティ・ライフを満喫していたのだが、30歳を前に転職・移住を考え始めた。
「当時は家から六本木の職場まで、1時間半かけて通っていました。30歳になるのを機に、環境を変えたいと思ったのがきっかけです」
東京以外のどこかで暮らしたい、環境を変えたいという思いで、その「どこか」を探し始めた。そしていくつかの候補地から選んだのが、和歌山市だった。NPO法人「ふるさと回帰支援センター」の「ふるさと起業塾」で紹介された、和歌山県のIターン支援事業に応募。東京へのアクセスもよく、帰省するとき便利であることも決め手となった。移住して県内企業に就職する計画がスタートしたのだが、早々に波乱が訪れた。

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「生活環境を変えてみたかった」の思いが、和歌山へ引っ越すきっかけだった

和歌山に来て早々、ピンチ襲来

2010年1月、Iターン支援事業に乗って和歌山へ引っ越したのだが、受け入れ先の事情があり3月いっぱいで他に職を探さねばならなくなった。
「来て早々だったため、驚きました。ともかく就職先を探さなければと、その頃和歌山市で出逢った人にハローワークへ連れて行ってもらいました」
そこで見つけたのが、財団法人わかやま産業振興財団(現・公益財団法人)だった。無事採用が決まり、和歌山での生活が始まる。現在は総務部に所属。財団事務所を訪れた人たちの受付や応対、財務、衛生管理をはじめ、前職の経験を生かしたネットワークシステムの構築など、業務範囲は実に幅広い。
「友人からは『まるで業務のデパートのようだ』と言われることもあります」と笑う三田さん。それ以外にも和歌山ユネスコ協会の理事、母校である早稲田大学校友会和歌山県支部の副幹事長を務め、多忙な日々を送っている。
「2020年で和歌山での生活も11年目に入りました。もう『定住した』と言ってもいいのではないでしょうか」
それでは、すっかり和歌山人となった三田さんのプライベートにも触れてみよう。

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財団以外にもいくつかの団体の役職に就き、「充実している」と語る

満足のいく子育て・教育環境

三田さんは和歌山へ来て今の奥さんと知り合い結婚。きっかけは、「よさこい」だった。学生時代から学外のよさこいサークルに入って熱心に活動していた三田さん。その経験もあり、和歌山市の「おどるんや 〜紀州よさこい祭り〜」という、活気ある町づくりを目的としたイベントの実行委員を務めることになった。そのボランティアスタッフとして参加したのが、奥さんとなる女性だった。お子さんにも恵まれ、今は家族4人で市内のマンションに暮らす。
「とても眺めのいい最上階です。東京で同じような物件なら購入価格はおそらく倍以上になると思います」
勤務先まで自転車でおよそ10分。満員電車で通っていた1時間半とどちらがいいかは、比べずともわかる。
最寄り駅である南海電鉄和歌山市駅は再開発が進み、市民図書館も併設される。公立の小中一貫校もでき、病院も近い。
「保育園に入りやすいし、待機児童は少ないと思います。子育て環境はとてもいいですよ」
地方都市への移住に際して、教育環境が気になる方は多い。こと和歌山市に関して言えば、心配には至らないようだ。

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家族4人で伊勢神宮へお詣りしたときのスナップ

和歌山暮らしの面白みとは

東京時代、三田さんはスポーツジム通いを楽しんでいたことは前述したが、実は和歌山でもそれは変わらない。時間のあるときは、東京にいたときと同じ系列のジムにも通っている。しかもそれは、大阪・心斎橋。大阪の中心部までは、電車ならおよそ1時間で行くことができるという地の利だ。アクセスのよさと言えば、関西国際空港へは電車でおよそ45分。東京への「里帰り」にも便利だし、海外旅行への玄関口ともなっている。
「こっちに来てからウィーン、ボルネオ、バリ、カンボジアなど、ずいぶん海外へ出かけました。関空に行きやすいのも和歌山市の魅力のひとつだと思います」
また、海や山への近さも特徴だ。山が多く平地が少ない地理的な環境もあるが、世界遺産の熊野古道、高野山も抱えた豊かな自然へのアクセスにも恵まれている。東京ではずっとペーパードライバーだった三田さんだが、和歌山へ来てから初めて車を持ち、家族ドライブも楽しんでいるという。
「自転車と公共交通機関があれば移動には事足ります。でも車はあれば便利です。すっかり車のある生活になりました」と三田さん。県南部までドライブに行くと往復で約500km。「和歌山へ来るまでの生涯運転距離よりもはるかに長いです」と笑う。

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パンダが6頭もいることや温暖な気候を生かした珍しいフルーツも、和歌山へ来て知った

「収入を増やして恩返し」が目標

首都圏から地方への移住を考える際、大きな関心事項となるのが暮らしにかかる費用だ。和歌山市に住む三田さんの場合、住居費に関しては前述のように東京よりもかなり低い価格でマンションを購入できた。食費や光熱費などの費目は東京とそれほど差がないとすれば、やはりこの住居費の低さは魅力だ。車によく乗ると言ってもハイブリッド車なので、ガソリン代はさほどでもない。家計をやりくりする上でどの費目をどう抑えるかは、その土地によるメリットを考えていく必要がある。
経済的なことに絡んで、三田さんは「今年の目標は、収入増です」と言う。何をどうするか具体的なプランは模索中であるが、これからはもっと視野を広く持っていきたいと考えている。
「この10年間、いろいろな人に助けられてきました。そういう人たちのおかげで今日の自分があります。収入を増やして、たくさんの恩人に恩返しができればいいなと思っています」
目先のおカネではなく、人との縁を大切に育てるための養分を充実したいのだ。

「引っ越し」という意識も大切

和歌山県に限らず、どの自治体にも「移住推進」を謳う部署を持っている。この「移住」という言葉には、人生をそこで転換する覚悟があるか、との問いが秘められている気がする。確かに大きな出来事には違いないが、そこまで大げさに考えなくてもいいのでは、との見方もある。例えば三田さんがそうだ。
「和歌山市に関して言えば、大阪中心部や関空へのアクセスがいいし、市内で何でも揃うので、『移住』と構えず『引っ越し』感覚の方が合っていると思います。なにしろ、日本語と円が通じますから(笑)」と、「円」を「縁」を重ね合わせた三田さんらしい言い回しで説明する。
背水の陣のような切迫したニュアンスを漂わせる「移住」より、もう少し緩い「引っ越し」。こう捉えれば、気は楽になる。たとえうまくいかなくても「やり直せばいい」という気にもなる。三田さんも「チャンスは何度でもあります。前向きにやっていれば、縁にも人にも恵まれます。一見失敗に思えても、それも幸せの種なんです」と自身の体験を元にそう語る。その人の年齢や状況によっても違いはあるだろうが、「こうやりたい」と思って起こした行動であれば、最終的に幸せな結果に行き着くに違いない。

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「前向きな気持ちが運や縁を呼ぶ」と自身の体験を元にアドバイス

和歌山からの発信者として

今回の取材(2020年2月末)に先立つ2週間ほど前、和歌山への移住促進イベント「TURNS×W」が東京・有楽町で開催された。移住実践者によるトークショーでは三田さんも登壇し、和歌山へ引っ越したいきさつや現在の生活費などの具体的なことを語った。こういったイベントやガイドブック、ラジオなどへの登場回数が多い三田さん。その理由は何だろう。
「和歌山県移住定住推進課の方から『東京と和歌山市の両方を経験しつつ、和歌山での生活を楽しんでいる。何より、三田さんには移住相談をしようかなと思える包容力を感じる』とのお話をうかがいました。とてもありがたいことです」
さらに、定住していることも大きいだろう。移住しても残念ながら数年でまた戻ってしまう人も多いが、三田さんのようにしっかりと地元に足を着けた人の話には説得力と信頼感がある。
和歌山へ来て積み重ねた経験は、移住に興味を持っている人たちにとってこの上ない情報となる。三田さんには、それらの発信者となる時期が来ているのかもしれない。話が面白く、際立つキャラクターを持っているとなれば、これからもメディアは放っておかないだろう。
「ここでの出逢いや生活に感謝しています。和歌山への観光や移住を考えているなら、私に協力できることはいくらでもしますよ」
太古から、紀伊半島には黒潮に乗ってさまざまな人や事物がやってきた。和歌山の海は、外の世界との出入口だ。これからは三田さんのような存在が、和歌山と外との縁結びをしていくのでは、と話を聞きながら考えていた。

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和歌山への移住イベントで。わかりやすいプレゼンテーション資料が説得力を増した

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公益財団法人わかやま産業振興財団 総務部 副主査

三田 寛之(みた ひろゆき)さん

東京都生まれ。早稲田大学卒業後、(株)有線ブロードネットワークス(当時)に就職し法人営業やSI(システムインテグレーション)などに携わる。2010年、Iターンで和歌山市に引っ越し。現職場では総務部総務企画班に所属し、財務やネットワーク管理などを担当。学生時代からよさこいを始め、日本全国からハワイまで公演を経験し、高知のよさこい祭りでは個人賞も受賞した。

公益財団法人わかやま産業振興財団

和歌山県内の中小企業などへ総合的な支援を行って地域産業の振興を図ることを目的に、1991(平成3)年に財団法人として設立された。和歌山県内唯一の総合支援機関であり、国からの認定を得た経営革新等支援機関。中小企業の技術開発や人材育成、販路開拓の相談・コンサルティングのほか、創業などの支援も行う。 また、オフィスには県内企業の経営相談や支援を事細かく行う「和歌山県よろず支援拠点」も併設。地元紙へ定期的な記事を出稿したり他の支援機関では対応しづらい相談をフォローしたり、全国的に高い評価を得ている。

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