初夏を感じるさわやかな風が吹き始める5月。これまでの人生で接点のなかった場所、熊本県天草市牛深に移住しました。
「いつか地方に恩返しがしたい」。その想いが強くなり、東京の会社を辞め、たまたま巡りあったこの地で、暮らし、働くことになりました。今回は、移住の経緯と、今後についてつづります。

島根県の離島にある高校に通うことにした
「地方」に初めて住んだのは、15歳のとき。島根県海士町という、本土から約3時間ほどフェリーに揺られて到着する「離島」の高校に通うことになったときでした。
離島の高校を選んだ理由は、教科書には載っていないことを学びたいと思ったから。魚をさばけるようになりたい、コミュニケーションをもっと上手くできるようになりたい、そんな気持ちがありました。
離島での高校生活は、地元では経験できなかった人との出会いと、鏡のように輝く海が見える景色、そして私の世界が広がる学びにあふれていました。

家族でも、学校の同級生でも、塾の先生でもない。学校という世界だけではない「地域の人」と会話をする機会があり、多くの人とお話できる環境が、私にとって今までにない経験でした。
畑をお手伝いし、海で遊び、魚を捌き、地域の人と食卓を囲む。教科書には載っていない大切なことを、地域の人からたくさん教えていただきました。間違いなく私の人生のターニングポイントでした。

大学を休学し、もう一度、島根県隠岐郡海士町に移住した
高校卒業後は、島を出て大学に通いました。大学生活は、時間の自由とまちの便利さがうれしい反面、地域の人との関わりはなく、学校とバイトの人間関係しかないことに、何ともいえない寂しさがありました。
そこへコロナウイルスが流行。世界中が大混乱する中、人とのつながりがない苦しさ、そして大学生という自由で大事な時間に何の経験も積めていない焦りがありました。
そんな中、海士町で1年間暮らし働く「大人の島留学」という制度が始まることを知り、大学を休学してもう一度海士町で暮らすことを選びました。大人の島留学生としての活動もまた、私の人生の転機でした。

私のミッションは、海士町役場に所属し、海士町公式noteで島について発信すること。島のイベントや大人の島留学制度の発信、島で暮らす人々へのインタビューも担当しました。
高校生のとき以上に、地域にどっぷりつかる日々。快く取材を引き受けてくださり、イベント時に声をかけてくださり、つながりを感じるとともに、ご近所さんからはおすそ分けをいただいたり、夕食によんでいただいたりと、地域の人のあたたかさを数え切れないほどいただきました。

そしてなにより、この制度で出会う同世代の仲間たちとの生活は、新鮮でした。一緒に暮らし、働き、色々な場所に行き、ときには人生の夢や目標を語り合う。仲間と海士町の生活をともにしたことは、かけがえのない時間でした。
やっぱり地方に住みたい
高校3年間、そして大学生の1年半の間、海士町で過ごしたことから、「地方という場所に恩返しをしたい」「だれかの地元である地方を少しでも長く残していきたい」という想いがふつふつと芽生えてきました。
そこで、地方の企業・人に選択肢を増やすことを目指して、東京にある人材紹介会社に就職。やりがいと難しさ、どちらも感じる日々を過ごす中、だんだんと私自身が地方、そして地域にどっぷりつかって働きたいという思いが強くなりました。

そんなタイミングで、会社の先輩から「大人の島留学」のことを聞きました。「今度、妹が大人の島留学をすることになったんだよね」という話に、純粋にいいなと思いました。自分ももう一度したいくらい。
それと同時に、もっともっと同世代に、大人の島留学のような制度が広がったらいいなと思いました。私自身、環境を変えてみて変われたことがたくさんあったからこそ、今なにかに悩んでいる人たちに環境を変えるという意味でも、地方で暮らし働くという制度を広めたいと考えました。
大袈裟かもしれませんが、海士町で暮らした思い出があるからこそ、これからどんなに大変なことがあっても、海士町での出会いと出来事を思い出したら、この先もずっと頑張れるような気がしています。そんな場所が一人ひとりにあるといいなと思いました。
これからの目標は、地域に恩返しをすること。
ある日、「海士町のように、他の地域で『大人の地域留学』をするので運営スタッフをしないか」と、海士町で関わっていた方から誘いがありました。
いくつか地域がある中で、「熊本県天草市」が目に留まりました。それが天草市牛深との出会いでした。天草を耳にしたことがあり、きれいな海に囲まれた島だったからかもしれません。言葉にはできませんが、ここに行ってみたいなと思いました。

私の人生の目標は、地方という場所に恩返しをするということ。大人の島留学のような制度のスタートに携われることに改めて魅力を感じ、挑戦することにしました。自分の手で一歩ずつ制度を大きくしていくことは、自分の大きな財産になる——そう決まれば、すぐ会社を辞め、とんとん拍子に環境が変化していきました。
天草に移住する前、勉強も兼ねて、すでに「大人の地域留学」を始めていた丹波山村にも2か月ほど暮らしました。制度を運営していくスタッフとして働く中で、地域に溶け込んでいく地域留学生を見て、この制度に携わると決めてよかったと感じました。

そして5月から天草市に来て、「大人の地域留学【天草市編】」の運営スタッフとして活動しています。
天草市、そして牛深に移住してみて
東京から飛行機を2回乗り継ぎ、やってきた天草。実際に住んでみて、天草は「自然」と「暮らしやすさ」がどちらもあるまちだなと感じています。海も山もあり、それでいてスーパーやコンビニも近くにある。どちらもすぐそばにある環境がありがたく、バランスがいいなと感じています。

移住して1か月がたちました。すでにたくさんの地域のみなさんのあたたかさに触れ、自分が緊張しすぎず自分らしくいられる環境がとても居心地がいいなと感じています。
引っ越しをして早々に夕陽をみました。水平線に沈む夕陽がきれいで、ゆっくりと空の色が変わっていくのをみて、天草に引っ越してきた実感がわきました。

いつも楽しみな、お昼ご飯。天草市役所牛深支所で働いており、いつも一緒に働くみなさんとデリバリーするメニューを決めています。いつか、みなさんのおすすめご飯を制覇するのが目標です。

ときどきお昼は家に帰って食べることもあります。お昼が終わり、自席にもどると、バナナや椎茸、お菓子などが置いてあることがありました。みなさんからの優しいおすそ分けです。
ときには、まちを案内してくださったり、地域でやっているミニバレーに呼んでいただいたり、海に連れて行っていただいたり、みなさんのあたたかさにつつまれています。

「地方に恩返しがしたい。」その目標を叶えるために移住しましたが、移住した天草でも抱えきれないほどのやさしさをいただき、恩を返すどころか、その何百倍もの恩を日々いただいている気がしています。この目標を達成するにはまだまだ時間がかかりそうです。
牛深ではじまる、大人の地域留学
いま、この天草市牛深で「大人の地域留学【天草市編】」の運営スタッフをしています。大人の地域留学【天草市編】とは、都市部の若者たちが、天草市で、暮らし、働く制度のことです。
牛深は、「港町」という風情があります。いくつもの漁船がとまっていたり、散歩していると潮風を感じ、穏やかな海があり、いつ見ても綺麗だなと感じる景色があります。

この景色とともに、一歩ずつですが、自分が「地方という場所に恩返しをしたい」という目標を成し遂げられるよう、進んでいきたいと思います。
今後もこちらのnoteから、大人の地域留学【天草市編】の制度のことはもちろん、牛深の魅力を発信していきます。牛深を身近に感じていただけるとうれしいです。
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