日本のモノづくり業へ懸ける想い。和歌山から、世界で闘える企業へ
ノーリツプレシジョン代表取締役社長 星野達也氏
BizReach Regional
2018/02/05 (月) - 08:00

製造業界に身を置く人なら、この名前や写真を見ればピンとくるかもしれない。星野達也さんは、日本にオープン・イノベーションというモノづくりの手法を普及させた立役者だ。もとは技術コンサルティング会社の取締役。2016年、その職を投げ打って縁もゆかりもない和歌山県の中堅メーカー、ノーリツプレシジョン(http://www.noritsu-precision.com/)に入社した。目的は同社の変革だ。この大胆な転身の理由を、星野さんは「自らも成長するため」と気負いなく話す。どういうことだろうか――。

「和歌山の会社の変革を請け負ってくれないか?」

ノーリツプレシジョンは、和歌山県和歌山市に本社を置く写真処理機器メーカーだ。前身は1951年創業のノーリツ鋼機。76年には世界で初めての写真1時間仕上げを可能にする「ミニラボ」を開発した。この製品が世界中の写真店に採用され、「ノーリツ」はイメージング業界を牽引する企業となった。当時の売上高は1000億円に迫る。
しかし世はデジタルカメラ時代へと移り、現像の需要は激減。売り上げも大幅に減少した。2011年にはノーリツ鋼機のホールディングス化に伴い、モノづくりの全事業を100%出資子会社として引き継ぐこととなった。売り上げは最盛期の約10分の1近くにまで落ち込んでいた。
16年3月、その子会社の株式が、協力関係にあったファンドに譲渡されることが決定。それに伴い社名をノーリツプレシジョンに変えて変革が図られることになった。その変革を託されたのが、星野達也さんだった。

星野さんとノーリツプレシジョンとのかかわりは、1本の電話に始まる。
「ファンドの責任者が前職の同期で、声をかけてくれたんですよ。“和歌山で会社を変革するから、ターンアラウンドマネージャーを請け負ってくれないか?”と」
星野さんが製造業に精通したコンサルタントであることを見込んでのヘッドハンティングだった。
最初は断ったという。
「写真に関する技術は良く知らなかった。当時は本を出したばかりで講演会に呼ばれることが多く、忙しくもありました」
しかしそれから2カ月後、自分から「あのポジションは空いている?」と同期に電話したという。

中規模の地方企業が世界と闘えることを示したい

星野さんがノーリツプレシジョンに心を動かされた理由は、いくつかあった。
1つは、同社がよそにはない“面白い技術”を有していたこと。銀塩技術という、昔ながらの写真の現像プリント技術だ。
「この分野に関しては、富士フイルムさんとノーリツプレシジョンで世界のシェアを2分していると聞いて、これは強い武器だと考えました。やりようによっては世界と闘っていけるな、と。写真の市場は縮小していますが、ニーズがゼロになることはありませんから。それに、市場が急激に縮小し、企業がどんどん撤退していく中でも生き延びて、あの富士フイルムさんと対等にやりあってきたわけです。底力があるなと思いました」
加えて変革への思いにも、大きく心を動かされたと話す。
「今回は、売主である親会社経営陣と創業家から信頼のあったファンドに対して、この和歌山の地で再び成長させて欲しいという依頼がありました。当時社長だった藤本(現会長)も、ファンドのもとでの独立が会社の将来につながると考えていました。ファンドは、それをそのままぼくに伝えてくれた。時間がかかってもいいから、ここで社員が希望をもって幸せに暮らせるような会社にして欲しい、短期的な利益は求めない、というのです。これはもう、引き受けるしかないなと思った」
おりしも当時、星野さんの中には、日本のモノづくり業を元気にしたいという思いが募っていたのだという。
「前職が技術系のコンサルティング会社で、日本中の中小企業を見ていました。どの会社も経営が苦しく不安や焦りを抱えている。ノーリツプレシジョンという、売上高約100億円の地方都市のメーカーは、日本の典型的な中堅モノづくり企業です。ここが変革できれば、全国の中小企業が、自分たちもできると思ってくれるはず。日本のモノづくり業が活性化するきっかけの1つになるのではないかと考えたのです」

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成長曲線の角度が緩やかになると、新しいことに挑戦したくなる

星野さんの気持ちの変化には、もう1つ理由があった。それは星野さんが常に抱いている、成長への希求だ。
学生時代に資源開発を研究した星野さんは、鉱山技術者としてメーカーに勤務後、新しい働き方に挑戦しようと外資系コンサルティング大手のマッキンゼー・アンド・カンパニーに転職する。そこで6年間勤めたのち、誘われて技術系コンサルティング会社のナインシグマ・ジャパン設立に参画。そうして10年目を迎えたところ、ノーリツプレシジョン変革に誘われたのだ。
「マッキンゼーには6年勤めたので、学ぶことはそれなりに学べた気がしたし、会社を立ち上げるという新しい挑戦や、日本のモノづくりを元気にするというミッションに惹かれてナインシグマ・ジャパン設立に参加しました。そこで10年働く中で、チャンスがあればまたキャリアチェンジをしたいという思いがありました。加えて先ほど話したように、当時は講演会に呼ばれることが続いていた。それで忙しくてノーリツプレシジョンの話を断ったのですが、環境を変え、敢えてしんどい状況に身を置くことで、もっと成長できる余地があるのではないかと考え、ノーリツプレシジョンのことをふと思い出した。また新しいことに挑戦できるなと思って電話したわけです。成長曲線の角度が緩くなると、次の成長を追いたくなるんです」
そこで16年に入り、本社と工場を訪ねたところ、「工場の雰囲気がよくて」即決したという。
「工場が好きなんですよ(笑)。生まれ育った場所が工業団地が点在するところだったし、父も工場に勤めていたので。“やっぱり工場はいいな”、と」
地方に住むことに不安やとまどいはなかったのだろうか。
「まったくありませんでした。東京の通勤地獄から解放されることが楽しみの1つでした。地方で不利なことって、今の時代はあまりないですよね」
むしろ地方がイヤだというメンタリティがよく分からないと、首を傾げる。

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地方では会社と社員の結びつきが強い。いわば“一緒の船に乗っている感覚”

16年夏に取締役副社長として入社。すぐに着手したことは、「社員みんなと会う」ことだった。
「会って、この会社はすごいんですよ、と説いています。この会社は本当にすごい。でも長く低迷が続いたのでみんな自信を失っています。まずはうつむいた顔を上げてもらいたい」
同社のスタッフはパートを含め国内に300人、海外に300人。週に1回8人ずつを招いて一緒にランチをとるほか、月に1週間は海外の事業所へ出向いている。17年5月に代表取締役社長に就任したが、今もこれを続けているという。
さらに開発力を上げるべく早期退職した技術者を戻し、他社を退職した元技術者も新たに雇い入れた。
全体の底上げもしている。全員集会を頻繁に開き、会社の業績や経営陣の考えを逐次説明するほか、社内でビジネス講座を開催し、自ら講師として社員の育成に励む。ビジネス書の書架も設け、役に立つ図書を自ら選定し、講評とともに社内にアナウンスしている。次世代リーダーを育てるべく、若手社員を集めて課題を出し、経営陣や株主の前でプレゼンをさせる機会もつくっている。リーダークラスとの合宿も、この1年で5回開催した。
「株主から短期で利益を上げろと言われたら、他の方法がいろいろあります。でも、株主であるファンドから言われたミッションは、社員が安心して働ける会社にすることです。それなら、まずは人を育てることが効果的です。社員は学ぶ意識が非常に高く、熱心に聞いてますよ」
社長就任から1年も経っていないので、目に見える成果が出るのは今後のことだが、「これからはいいモノづくりができるという感触を得た」と、顔をほころばす。
ところで、コンサルタントとして多くの企業のターンアラウンドに立ち会ってきた星野さんだが、現場に入ると気持ちも違うものだろうか。
「プレッシャーが違う(笑)。全部自分で責任を負わなくてはいけないのは、やりがいもありますが、苦しいですね。でも、中に入ったから分かったこともあります。例えば社員との距離が近く、1人ひとりのことがよく分かるので、できるなと思う社員には、あえて難易度の高いミッションを与えることができる。すると、ものすごくがんばってくれて成長してくれる。コンサルとは違う喜びです。特に地方では、会社と社員の結びつきが強いんです。一緒の船に乗っている気分です。イベントに社員の子どもがくるんですよ。それを見ると情が移ってしまい、失敗はできないなと気が引き締まります」

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地方にいることで多面的な視野が得られる

近ごろの星野さんは、家族のもとに帰らない週末を利用し、和歌山市内の温泉巡りを楽しんでいるという。冬になると、和歌山らしくみかんのお裾分けが殺到し、嬉しい驚きを覚えるとも。
「休日にはスタバでコーヒーを飲み、Amazonで本を買います。ライフスタイルは東京と何も変わりませんし、むしろ東京より健康的です。長い人生の中で、一度は地方に暮らす経験をしたほうが絶対にいい。違う環境に身を置くことで違うモノの見方が得られる。違う成長につながると思います」
都心を離れることで新たな自分に会えそうだ。

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ノーリツプレシジョン 代表取締役社長

星野 達也さん

1972年、栃木県出身。東京大学工学部地球システム工学科卒業。同大学院地球システム工学科修了後、スウェーデン・ルレオ工科大学客員研究員に。99年、三井金属入社。マッキンゼー・アンド・カンパニーへの転職を経て06年に技術コンサルティング会社ナインシグマ・ジャパン設立に参画。オープン・イノベーションの有用性に着眼し、100社以上のメーカーのオープン・イノベーションを支援する。16年8月、和歌山県和歌山市に移住。変革を託されてノーリツプレシジョンに入社、取締役副社長に就任。17年5月、社長に。

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