言葉で世界をデザインする。「自分のミッションの見つけ方」
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2019/03/13 (水) - 12:00

自身や家族が食べる分の食料は小さな自給農でまかない、残りの時間は「X=自分のやりたいこと(ミッション)」に費やす「半農半X」という生き方。90年代半ばに塩見さんが提唱し始めたこの生き方は現在、日本はもとより中国、台湾、韓国にも広がっています。もともと企業勤めだった塩見さんが、この生き方にたどり着いた背景とは。塩見さんの半生を追います。

33歳に設定した“人生のしめ切り”

京都駅から車で約2時間。京都市内の艶やかな喧騒がウソのような里山に、塩見さんが住む綾部市はあります。先祖代々受け継いだこの土地で農的な暮らしを営みながら、これからの時代のヒントになるような生き方・コンセプトを提唱していっています。

「農に向き合っている時間は、私にとってシンキングタイムでもあるんです。農は自然に自然と向き合えるので、頭がスッキリするんですね」

大学卒業後、(株)フェリシモというカタログ通販の会社に就職。京都市内にある会長室付けのオフィスで、ソーシャルデザイン室を起ち上げるなど、当時としては先進的な取り組みに携わっていました。

「フェリシモはバブル絶頂期の80年代後半から環境問題に取り組んでいたような会社でした。同期も芸大出身のクリエイティブな人が多くて、僕だけが凡人。だからこそアイディアをひねり出すことには、人一倍躍起になっていましたね」

そう当時を振り返る塩見さんは、特段サラリーマンだった頃にも不満はなかったそうです。それでも会社を退職し、地元へ戻ったきっかけはキリスト教思想家、内村鑑三が残した言葉にありました。

     『我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か、事業か、思想か』

このとき、内村鑑三は33歳。28歳のとき、この言葉がある本を読んで塩見さんも5年後の33歳で次の道に踏み出すことを決めたのだそうです。

「自分が10歳のとき、母親を42歳で亡くしたことも大きかったんだと思います。42歳が人生のリミットのようにも考えていましたから。それまでに何かを遺すことを考えると、33歳を“人生のしめ切り”と設定するのが良かったんですね」

こうして33歳のとき、実際に10年弱勤めた(株)フェリシモを退職。綾部へUターンし、半農半Xのくらしを営みはじめます。

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「半農半X」にたどり着いたわけ

「半農半X」という言葉は、会社に勤めているときには既にたどり着いていたそうです。きっかけは屋久島に住む作家・翻訳家、星川淳さんの「半農半著」という言葉に出会ったこと。

「これだ!と思いました。ただ自分の場合“著”に当たるものが何もない。試しに“著”の代わりに、無限の可能性を秘めている“X”を当て込んでみたんです。そしたら上手く語呂の良い四字熟語になって…」

はじめは自身の「X=ミッション」探し、つまり自分を救うためのコンセプトだったと振り返る塩見さん。それが時代の追い風に乗り、雑誌や新聞で取り上げられるようになります。

「農を求めている人もいる。Xを求めている人もいる。それならば、『半農半X』という生き方・コンセプトを伝えていくことが、自分のミッションでもいいんじゃないかって」

こうして綾部へUターンした翌年、2000年に「半農半X研究所」を設立。2003年には著書「半農半Xという生き方」を上梓し、自身が農的な暮らしを営みながら、各地への講演やX(=天職)発見や地域づくりのためのワークショップなどの活動を積極的に行うようになります。

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いまでこそ各地から引く手あまたの塩見さんですが、はじめのうちは生活に必要な資金を調達するために「ポストスクール」というサービスを展開していたそうです。

「大学時代、本を読んでは良いなと思った言葉をノートに書き留めるようにしていたんです。その言葉から毎週、人生を支えるものを求める人向けの“言葉”を選んでハガキで送るサービスです。年間15000円/1名ですが、1000人集まれば年収1500万円ですからね(笑)もちろんそんなに集まりませんでしたが、結局、僕には“言葉”しか武器がなかったんです」

このポストスクールは、今では「コンセプトスクール」という形に変えながらも続いていました。コンセプトメイカーであれば、生涯食べていけるんじゃないかという想定のもと、受講者のコンセプトを定めるために50週間、課題を提起し、その回答に対して塩見さんがアドバイスする通信スタイルの講座です。

人のXを見つけるためのお手伝い。いつしかそれが塩見さんの天職となっていました。

農のある暮らし

「半農半X」というと新しい暮らし方のように聞こえますが、日本では半農半漁ともいうように、昔から営まれていた暮らし方です。陶芸家が自給農を営みながら陶器でお金を稼ぐことを「半農半陶」といいますし、作家の島崎藤村は大正15年発表の「嵐」という小説で、「半農半画家」という言葉を使っています。

「宮大工の西岡常一さんも、著書のなかで“半農半工”『宮大工は暇なときは仕事をするな。畑仕事をしろ』と書いています。土とか植物に触れることで、木のこころが分かるし、次の仕事の段取りも見えると」

それこそが農をくらしに取り入れるメリットだと話す塩見さん。農の時間とXの時間はリンクしていて、農作業をしながら自然のなかに身を置いているときこそ、様々なアイディアが浮かんでくるんだそうです。近年デザイナーなどクリエイティブな仕事をしている人に、農を営む人が増えているのも、そうしたことを求めてといいます。また、農をはじめたことで、謙虚さを取り戻せたとも話します。

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「雨が降ってくれなかったり、降っても豪雨で農作物がやられたり…。思うような天候に恵まれないこともしばしばあります。ただ、それによって人間中心主義的な考えを否応なしに改めさせられて、自然に寄り添う、従う、学ぶことができるようになったと思います」

そして、何よりも農によって感受性が育まれるとも。

「田んぼの美しいあぜ塗りだったり、稲刈り後のはざ掛けの様子だったり。農作業のなかで見出す美にははっとさせられます。レイチェル・カーソンのいう“センス・オブ・ワンダー(自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性)”といった感受性は、農が育んでくれます」

確かにたまに訪ねる地方の田園風景を見るだけで、満たされたような気持ちになれるのも、そうした点からなのかもしれません。今でもすべてを自給するのは難しいとのことですが、それ以上に農的な暮らしから得られるものは大きいそうです。

X=ミッションの見つけ方

塩見さんいわく、持続可能な循環社会、人生100年時代においては“食べものの自給”と“自分の夢の自給”の「2つの自給」が必要だといいます。人は何か食べないと生きていけないし、人には生まれてきた意味があり、生きる意味が要る。みんなが自分のX=ミッションを叶えて自走しつつ、周囲と和して生きる社会が理想である、と。

では、どのようにしてそれぞれのX=ミッションは見つけられるのでしょうか?

「これまで自分がやってきたことにヒントはあるはずです。まずは自分の好きなこと、得意なこと、気になっていることなどから、3つのキーワードを書き出してみることから始めてみるといいかもしれません」

たとえば“食べること”と“カメラ”が好きなライターであれば、「グルメライター」といったように、その掛け算が増えるほどオンリーワンの存在になるといいます。また、同時に特定の地域にほれこみ、根を張ることも大切と話します。

「これを私は“場所性”と呼んでいるのですが、東京など都心住まいだと、住んでいる場所への意識が希薄なように感じます。ただ、『場所が決まれば修行が決まる』という先人の言葉があるように、どの場所に根を下ろすかはとても大切なんです」

漢字以前のやまとことばでは、植物の種(たね)には、空に向かって「た」かく、「た」くさんという意味と、「ねっこ」をしっかり張るという意味もあるそうで、倒れてしまわないように根を張ることが必要ということです。確かに郷土愛を強く感じる地方出身の人たちには、それだけで生きる力がみなぎっているように感じます。

「場所が定まれば、その土地で仲間をつくること。仲間がいれば、助け合って生きていける。最近じゃ地方にも増えているオシャレでこだわりのカフェが狙い目です。そういう場にキーマンは集うし、他の良いお店やイベントのチラシも置いてありますからね」

そして、自宅から3km圏内の“あるもの探し”をしてみることもオススメだといいます。カメラ片手に、気に入ったところや緑や自然に注目してみる。それだけで感受性も磨かれるし、自分の町が好きになって、Xを見つけるヒントにもつながると。

農にいきなり取り組むのは難しくても、まずは場所に着目して好奇心を磨くことはできそうです。そして、その土地でオンリーワンの存在になれれば、それが仕事にもつながっていくかもしれません。

言葉で世界をデザインする

「半農半Xという生き方」は2006年に台湾版、2013年に中国版、2015年に韓国版が出版され、今や東アジアにも広がっています。講演依頼で各地へ足を運ぶ塩見さんは、確実に海外でも求められている生き方だと話します。

「台湾版の本の副題には、『従順自然、賽践天賦』-自然に従順で、与えられた天賦の才能を実践する-と書かれているんです。すごく明確なスタンスの8文字ですよね。人間が歩むべき道がシンプルに表現されているように思います」

最近は、特に半農半Xコンセプトと中国との相性が良いように感じているんだとか。

「日本以上に家族の結束の強い中国人は、自分と自分の家族がどう安全な食べ物を食べていくか、生き延びていくかは大きな関心事。サバイバルへの嗅覚が日本人とはまったく違う。さらに、中国には人は死んだら土に還るという概念がある。土に触れながら自分の食べ物をつくり、Xで食べていくという考え方は合っているのではないでしょうか」

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このように自身が実践し提唱したコンセプトが、海外の人の生き方にまで影響を及ぼすようになっていった塩見さん。今後も新しいコンセプトを提案し続けたいと話します。

「“1人1研究所”っていうのも提唱しているんです。一人ひとりが研究分野をもつことで、それが人の役に立てば仕事につながるし、世の中はおもしろくなる。僕には言葉しかないので、これからも言葉で世界をデザインしていきたいです」

現在52歳を迎え、人生のリミットと定めていた42歳を大きく超えた塩見さんですが、まだまだXの探求はとどまりそうにありません。

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半農半X研究所代表

塩見直紀(しおみなおき)さん

1965年京都府綾部市生まれ。(株)フェリシモを経て、2000年「半農半X研究所」を設立。21世紀の生き方、暮らし方として、「半農半X」を提唱。著書は、台湾や中国、韓国でも出版され、海外公演も行う。ライフワークは、個人や市町村の"X"をデザインするための講演やワークショップを国内外で行う。著書に『半農半Xという生き方【決定版】』(ちくま文庫)など。総務省地域力創造アドバイザー、福知山公立大学地域経営学部特任准教授。

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