北海道発?次世代農業イノベーションは食の世界を変える
嶋 啓祐
2017/09/05 (火) - 08:00

オホーツク、太平洋、そして日本海に囲まれ豊かな自然が広大に育まれている北海道。なだらかな丘に咲くラベンダーの花や広い平地に輝く稲の煌めき、そして水平線の先まで続くようなジャガイモや玉葱の畑。そこで営まれてる農業をフルーツの分野で新しい技術と高い志で取り組む一人の農夫がいます。次世代の農業を模索しながら突き進む北海道の今をお伝えしたいと思います。

フルーツの楽園、余市と仁木

東京は羽田から、北海道は新千歳までの航路は一日に何便も飛行機が飛び交う超人気路線。都会から北の大地までは一時間半ほどで着いてしまいますが、外に降り立つとその広さに多くの人が「わお!」と声を上げるのではないでしょうか。遮るものがない北海道の自然。それはここに来ないと味わえないものばかりです。「空気が違うね」とよく言われるのもわかる気がします。

フルーツの一大産地として有名な余市町と仁木町は北海道の小樽から西へ30分ほどのところ。寒さ厳しい北海道の中では日本海を流れる対馬海流の影響で比較的温暖な気候が特徴です。日本海に面した平地から丘陵地帯を経て山々に連なるなだらかな地形はフルーツの栽培に適していると考えられています。

この二つの町は明治初期より松前藩や徳島県より入植者が開拓を始め、当初はリンゴの木を植えたと記録が残っているようです。にしん漁も盛んで今も当時の栄華を誇る「にしん御殿」を見ることができます。その後は酒造りも始まり、NHKの連ドラでモデルになったニッカウヰスキーはよく知られるところです。北海道は、多くの全国の市町村からの開拓民によってつくられてきました。北海道砂川市出身の筆者もルーツは石川県から。その隣町の新十津川町は奈良県十津川村からの入植者によって作られたなど、歴史浅い北海道はそれぞれの町がどういう経緯で形成されたかを知ると興味深い事実がいろいろとわかってきて楽しいものです。

たどり着いた農業の世界

余市と仁木にまたがる自社農園で主にフルーツを育てる上田一郎氏は1967年に札幌で生まれました。その時代の札幌は1972年の冬季オリンピックを控え、空港や道路、そして街の整備が急ピッチで進んでいた勢いのある時代です。中学からは家族の仕事の都合でアメリカはロサンゼルスへ。高校三年までの6年間の思い出は、即座に「釣りで明け暮れた日々」と答えが返ってきます。「日本とはスケールが違いましたね。桟橋でカツオやマグロ、ブリが釣れて、それはもう毎日が大漁でした。」と陽に焼けた表情を緩ませつつ楽しそうに当時を振り返ります。

都内の大学を卒業した後はシステム系の仕事に就いた上田氏。時代のニーズは生産性と効率化を実現する情報システムの構築にあると考え、「昼夜を忘れるほど仕事に没頭していましたねえ。今思えばそのあたりって皆、超ハードワークでしたがそれはそれで実に楽しい時期でした。」入社して5年も経つとだんだんと任せられる仕事の量や幅も増え、充実した仕事が続いていた半面、行き詰ることも増えてきて、「そうですね、本来ならお客様を見て仕事をしないといけないんですが、組織の中のいろんなしがらみに縛られるようになってきて少しづつ、次の自分の人生を考えるようになりましたね。」

そのような中、とあるきっかけで人生の舵を大きく切ることになったのが1996年のこと。「昔からの知り合いに誘われて北海道の農場を見に行きまして、なんか自分の故郷の素晴らしさを改めて感じたというか、近いうちにここで自分で作った作物を直接食べてもらえるような仕事を始めたいと思ったんですよね。」
それは、その時の情報システムの仕事について「自分が関わったプロジェクトの成果物はほんとうにお客様に役立っているのだろうか。作ること、予算を消化することが仕事になっているのではないか」という思いの反動だったのかもしれない、と振り返ります。

その後上田氏は時間をかけて円満に仕事を辞し、21世紀を前にした1999年に家族と共に北海道は仁木町で就農。はじめは後継者がいないため離農する近所の方からブルーベリーの苗を別けてもらい、そこからいよいよ農業従事者としての日々が始まったのです。

「最初は見様見真似ですよ。地元のベテランと言われる農家の方について教えてもらったり、地元の農家が集まる会合や宴席には必ず出席したりとコミュニケーションをとるところから始まったんですよね。」スタートラインに立った上田氏は厳しくも楽しい現実と直面していきます。

「しかしですね、苗を植えただけですぐに実がなるわけではないところが農業の厳しいところです。じっくりと育てるということに慣れていないわけで戸惑いましたね。いいポイントに釣り糸を垂れれば魚が釣れるというものではないんです。」
その収穫は3年後にしっかりと実を結んでいきます。放棄されていた田んぼもブルーベリー畑に転換し、さらに畑を広げていきます。その間、譲り受けた生食用ぶどう畑のキャンベル種や希少価値の高いポートランド種を育て、すこしずつ携わるフルーツの種類や面積も増えていきました。

「だんだんと実績を積んでいくと周りの方も認めてくれるんですよね。時間はかかりましたが、東京で仕事をしているのとはまったく別の充実感というか、そういうのがありましたね。」
そして、「地に足をつけて、自然の力を借りて自分で作ったものが直接消費者に届くというのは何にも代えがたいもの、という感覚は就農以来ずっと感じている生きがいなのかもしれませんねえ。」と充実した表情を見せてくれます。

そして、就農して10年ほど経ったところでこれまでの「やりかた」を大きく変えるきっかけがやってきました。それにより上田氏の農業への取り組み姿勢が大きく変わっていくことになります。

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経験と勘の先にあるもの?最先端技術を使った次世代農業との出会い

多くの産業に情報化の波が押し寄せ、それによって多くのメリットを享受していることは言うまでもありません。しかしながら、農業の分野だけは大規模はトラクターや農薬散布機械などの機械化はあっても情報化はほどんど進んでいない唯一の分野と言っても過言ではありません。

「就農後に地を這うように、ベテランの農家の方々に教えをいただき自分なりにやってきた中で疑問に思ったのが、これってシステム化、体系化できないものか?」と。そして「言われたとおりにやってきたけれども、どうも思い通りにならないのはなんでだろうか?」多くの疑問が沸き上がった時期でもあったのです。「気象だって一昔前と全然違うじゃないか。。。」言ってしまえば「ベテラン、つまり匠の言っていることは本当に正しいのか?」ということなのです。

そういった中で講演会で出会った東大発農業ITベンチャー企業ベジタリアの持つ技術と未来像に触れてから上田氏の考えと行動は大きく変わっていきます。農業革新をテーマに食の健全性と健康を標榜する新しい考えは、東京大学が持つさまざまな農作物に関する実証データを表に出し、それを農業振興に活かしていくというものです。上田氏は圃場に多くのセンシングマシンを導入し、実際の畑から上がってくるデータを記録し、最先端の検証データと照合し、生育に活かし始めています。

上田氏が今、一番力を入れているのは醸造用のぶどうの生育です。ワイン用のぶどうは天候と病気との戦いと言われています。病気に関しては発生のメカニズムが徐々に解明されつつあり、土壌や気温、湿度の関係性から未然に防ぐことが可能になってきました。特に植物の生育に対しては最先端の樹液流センサーを活用。
「これまでは様子がおかしいな、と思ったら畑を見に行かないといけなかったのですが、朝、スマホに飛んでくるデータの状況を見ながら必要なところだけチェックしにいくことで済むようになりました。これからはデータをもとに糖度のコントロールや収穫の時期などの予測も正確に予測したいですね。」

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上田氏が目指すものは経験と勘で培われた日本の農業のあり方を大きく変えていく可能性があります。ただし、彼はこう付け加えています。「なんだかんだ言って基本は畑にあります。それを科学的にサポートする仕組みがこれまでなかったんですね。それに取り組んで小さいことでも何か変えていきたいんですよね。その結果、農業って儲かるんだと思って若い方や異分野からこの世界に入ってくる人が増えると思うんですよね。」

農業が日本の食を支えていることを考えますとこの言葉は実に重いものがあると考えられます。

農業従事者の未来のためにできること?稼ぐためになすべきこと

その後ベジタリアの資本参加を得てスマート農業を進める上田氏の所有するベジタリアファーム自然農園は2001年に制定された有機JAS制度の認定を受けているのが大きな特徴です。これは一年に一度年次調査が義務づけられている厳しい認証制度でもあります。約50ヘクタールの広大な農地で栽培する前述のベリー系の畑やトマト畑、そして醸造用のぶどう畑のほとんどが認証登録済というのですから驚きです。

しかし現状では有機野菜はよく見かけますが、日本のオーガニック市場はまだまだ未熟です。「アメリカでは販売されている青果物のうち13%は有機栽培といわれていますが、日本では国内に占める有機JAS認定農産物はたった0.2%しかないんですね。安心安全な野菜が大切だ!と叫ばれていても先進国では最も低い水準なんです。なんか情けないですよね。」
上田氏はこう話を続けます。
「農薬を極力使わずに、有機で、そして美味しいフルーツや野菜を作り続けるためにはもはや経験と勘では無理なんです。情報技術使ってそれらを使いこなしていく技術を見つけていかないと日本の農業に未来はありません。逆に、成功体験と勘を数値化して蓄積していくと、これまで以上に安定した機能性の高い農産物をつくっていくことができるんです。」

最後に上田氏にこれからのことについて聞いてみました。

「有機栽培の科学的な情報がどこに存在して、どう使われれば効果的かということはこれまで随分を学んできました。これからはそうした技術を使って同じ志を持つ仲間を増やして安心安全だけでなく栄養素や機能性の高い農作物を作っていきたいと思っています。その結果、僕たちの生活の基盤も安定し、そしてなによりも消費者の食卓にほんとうに美味しいフルーツや野菜を届けられることにつながるんです。」

北海道で生まれ、多感な時期を海外で過ごし、東京での学生時代、IT企業での仕事から北海道へ戻り、有機農業に取り組む上田氏。最後に結ぶ言葉に上田氏の覚悟と明るい未来が見えてきます。

「なんだかんだ言って、これからは農業の時代ですよ!」

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上田 一郎さん

1967年札幌生まれ。中一から高三までロサンゼルスで過ごす。学習院大学卒業後IT企業に就職。1999年に就農。農場総面積は約50ヘクタール。生産物はブリーベリーやラズベリー等のベリー類やさくらんぼなど果実類、トマト類、生食用やワイン醸造用のピノグリやピノノアールを栽培する。その多くは有名飲食店、有機野菜取扱専門店やオーガニックネット通販などで販売されている。焼酎をこよなく愛する傍ら、趣味は釣りで腕前はプロ級と笑いながらの本人談。

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