東京の第一線で活躍していたエンジニアが、最後のキャリアに長野を選んだ理由
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2019/10/07 (月) - 08:00

半導体産業の第一線で活躍してきた中村篤さん(62歳)が、長野へ移住・転職を決めたのは57歳のとき。転職先は長野市に拠点を置く、最先端のテクノロジーでプリント基板を設計するアルティメイトテクノロジィズ(株)という会社だった。こうした企業に巡り合えたのは幸運だったと話す通り、中村さんはこのまま長野に骨を埋めるつもりだという。生まれも育ちも勤務先も東京だった中村さんが、長野にたどり着くまでの半生を聞いた。

東京の城南地区から出たことのなかった学生時代

東京都大田区出身。小・中・高・大、さらに大学院まで東京の城南地区から離れたことがなかったという中村さんにとって、就職先で配属された国分寺でさえ、はじめは東京と思わなかったとか。当時は日本の電機メーカーが世界を席巻していた時代。大学・大学院とも無機材料工学の研究をしてきた中村さんに、日立製作所の中央研究所から声が掛かり、就職を決めたという。

「配属されたのは半導体事業部の開発部門でした。当時、配属された50人余りの同期のうち、半導体の研究をしてきた人はわずか5人ほど。私含め、ほとんどの同期が半導体についての知識はありませんでした。それぐらい半導体の部門に人が足りなかったし、伸びている分野だったんですね」

半導体とはスマートフォンやパソコン、テレビ、自動車にいたるまで、身の回りのあらゆる電子機器に搭載されている装置のこと。情報を記憶する、数値を計算する等、いわば人間の頭脳にあたる役目を担っており、日立をはじめ、あらゆる家電メーカーが開発・製造を競っていた。

当時は社内の教育制度も手厚かったと振り返る中村さんは、たくさん学ばせてもらいながら、自由に研究開発を進め、多くの特許も取得したという。

「半導体の製造には大きく、電子回路を形成する前工程と、それらを組み立てパッケージ化する後工程があるのですが、私が担当していたのは後者のプロセスです。その半導体を正しく作動させ、指令を送る装置が『プリント基板』で、ここアルティメイトテクノロジィズの得意分野ですので、そう考えるとこの頃から今につながっていたんですよね」

プライベートでは結婚し、2人の子宝にも恵まれ、まさに公私ともに順風満帆な船出だった。

人生の転機は、社内公募での留学先ボストンでの暮らし

そんな中村さんにとっての一つ目の転機は、就職してから8年目のこと。社内公募で2年間、家族共々アメリカのボストンへ留学を果たしたことだった。

世の中から半導体の高速化が求められるようになっていくなか、その知見を補うための留学。MITやスタンフォードといった有名大学を選ぶ人も多くいるなか、中村さんはあえて偏差値ではなく、ボストン郊外の小さなカレッジを選んだ。MITの先生なども出入りするカレッジで、先生との距離も近く、同期の生徒も20名ほどで、密なコミュニケーションの中で研究に没頭できたという。

「なによりボストンという町の規模が心地よかったんです。都会すぎず、田舎すぎず。北に30分行けば綺麗なビーチもあり、西へ30分行けば小澤征爾が指揮を執るような野外コンサートホールもあり。コンパクトながら都市機能はすべて揃っていました。家もボストン郊外のビーチ沿いに構えていたのですが、玄関を出たらすぐに海辺という環境でした。この時の経験も、また今につながっているように思います」

ボストンから北へ車で30分ほどの海沿いに位置するセイラムに家を構えていた

それまで東京での暮らししか経験してこなかった中村さんにとって、このボストンでの2年間の暮らしが、ライフスタイルという意味で大きく価値観を変えたことは間違いない。帰国したとき、多くの人が満員電車に揺られ通勤・通学する姿などを見て、「東京は過密すぎる…大きすぎる…」と感じたそう。この頃は将来、リタイヤしたらボストン郊外で余生を過ごそうと考えていたそうだ。

転職を決意した社内環境の変化

価値観の変化があったとはいえ、多大な費用をかけて留学させてもらった会社に対し恩義を感じていた中村さんは、帰国後も会社のために尽力。半導体の高速化のための開発に邁進した。

「高速化するというのは同時に、高速化に伴うノイズを如何に抑えるかということなんです。日立はそれまでノイズの低減に消極的だったのですが、ちょうどその頃、上司にも恵まれまして、ノイズを計るための装置の導入を決めてくれたんです。それからは好き勝手、開発させてもらいました」

世界的にも処理速度の速さから、ノイズ低減が求められるようになっていったこともあり、アメリカで研究を積んできた中村さんの存在は貴重だった。IEC (International Electrotechnical Commission ※国際電気標準会議)という、半導体のノイズの国際標準を決める会議の日本の委員長を担うなど、その道の第一人者としての地位を築いていくことに。
 

若くして国際学会の大会委員長を任されたことも

しかし、日本の半導体産業は徐々に凋落の一途をたどり始めていた。莫大なコストがかかる半導体生産を、電機メーカー各社がインハウスで設計から製造まで担っていたため、競合過多の状況に陥り、価格のたたき合いが横行していったのだ。そうなると開発コストが回収できず、新しく投資することもできなくなるという負の連鎖に陥っていく。

こうした状況を是正するために、業界再編の動きが加速していった。まず日立と三菱電機の半導体部門が合併し“ルネサス テクノロジ”が生まれ、さらに2010年にはNECの半導体事業を手掛けていたNECエレクトロニクスが合併し“ルネサス エレクトロニクス”が誕生する。

「屋号はどんどん変わっていったのですが、自分がやっている仕事内容も職場も変わりありませんでした。ただ、東日本大震災による被災で工場が閉鎖に追い込まれたりなど、合併後の会社も業績が悪化し、産業革新機構が入るなど、だんだんと雲行きが怪しくなっていったんです」

30年余りに渡って半導体産業に携わってきた中村さんは、その頃既に50代後半。次なる人生を模索し始めていた頃でもあった。そんな時、長野に存在する稀有な会社のことを思い出したという。半導体を実装するためのプリント基板のファブレス企業、アルティメイトテクノロジィズ(株)、通称UTIだった。

自分の力を生かせる企業が地方にあった

ファブレス企業とは、生産ラインを持たずに設計やデザインだけを行う企業のこと。半導体産業では台湾やアメリカなど、時代は既に設計と製造が分業される形態を取り始めていたところ、日本は上手く分業化の波に乗れていなかった。

「そんな中UTIはプリント基板の分野において、ファブレスの形態でのビジネスモデルを築いていました。設計ツールのみならず、いち早く解析ツールも導入していたので特異なポジションを築いていたんです。それまでの半導体の知識も大いに生かせるのではないかと思ったのも大きかったです」

そう考えた中村さんは、面識のあった創業者であり代表取締役の内海社長へ直接電話し、雇ってもらえないか直談判。会社側としても半導体の知識に精通している中村さんは歓迎で、相思相愛で転職が実現した。

以来、高速化・小型化が進むプリント基板を、培ってきた半導体の知識を最大限生かしながら研究開発。次世代自動運転ユニットの先行開発から、国の5G電波のノイズ低減プロジェクトまで、会社の核となる事業を、CTO(Chief Technical Officer)の立場でけん引していっている。

「ベンツやBMWの電装部品を供給しているBOSCH(ボッシュ)という企業は、プリント基板の設計を外注に出さないんです。それが企業の根幹だと分かっているから。日本は何故か半導体は内製化してきたのに、プリント基板は外注に出す傾向にあったんです。実はこのプリント基板の設計が良ければ、半導体の熱もノイズも低減できるんです。余生はここに賭けていきたいと思っています」

骨を埋めよう思えるほどの長野の暮らし

これまでの研究を生かせる企業が長野に存在していたこと自体が幸運だったと話す中村さんだが、家族共々の移住に家族の反対などはなかったのだろうか?

「むしろ余生をボストン郊外で過ごそうと考えていたぐらいですからね。そういう意味では長野は東京からも2時間ほど。充実した都市機能もあり、10分行けば山も自然もあり。既に3人の子供たち(帰国後に長男も誕生)は巣立っていましたし、妻はむしろ賛成でしたね」

1年ほどアパート暮らしをした後、良い土地が見つかり戸建て住宅も建設。アイデアを絞り出したという自宅は、工務店から長野ではかなり斬新と言われているそうだ。しかし、共に余生を長野で過ごそうとした矢先、奥さんがくも膜下出血で急逝。独り身になったが、それでも長野の暮らしを思いっきりエンジョイしている。

「平日も19時には退社しているので、渋滞知らずの車通勤で10分。長野の新鮮な食材を使っての料理を堪能しています。週末はこっちで出会ったバイク仲間と“トライアル”という椅子のないバイクで、オフロードを駆け巡っています。冬は“スノーバイク”。どちらも体幹が鍛えられるし、心身を健全に保つのに良いですよ」
 

仲間と大会にも出場するほどはまっているトライアル
 

冬はスノーバイクで雪山を駆け巡る

最後にこれまでの自身のキャリアを振り返りつつ、移住・転職を考えている人へのアドバイスを伺った。

「仕事で成長できる条件って3つあると思うんです。仕事に興味が持てること、自分の能力をちょっと上回るだけの仕事量があること、良い上司に恵まれること。それは何も都心部や大会社に限ったことではないんですね。むしろ当社ぐらいの規模の方が、任される範囲が広いから成長できるという面もあります。多様化していく社会、人と違った目線で見ていくことが大切になっていくと思います」

東京で世界を股にかけながら活躍しながら、長野へ拠点を移した中村さんの言葉には、これからの時代を生きていくヒントが大いに隠されているのではないだろうか。

ルティメイトテクノロジィズ株式会社 取締役 CTO

中村 篤(なかむら あつし)さん

1957年生まれ。小中高大院と東京の城南地区で過ごす。国分寺にある日立製作所で、半導体の研究開発に尽力。33~34歳のときに社内公募でボストンへ留学。半導体の高速化に伴うノイズ低減について学ぶ。2013年、長野に拠点を置くアルティメイトテクノロジィズ(株)へ移住・転職。週末はオフロードバイクで楽しむなど、長野での暮らしを満喫している。

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