デニム素材のトップメーカー、カイハラの世界を翔ける挑戦
GLOCAL MISSION Times 編集部
2021/10/01 (金) - 12:00

広島県福山市、福山駅から車で約1時間の立地に、日本が誇るジーンズ素材トップメーカー、カイハラの本社があります。ブルーデニム生地で国内シェアは50%以上。徹底した品質管理と積極的な海外展開で、EDWINやユニクロ、GAPなど名だたるブランドからも信頼され続けています。戦後、経営難に陥るも世界中のトップブランドに素材を提供する、デニム生地のトップへと成長したカイハラの軌跡を会長・貝原良治氏に伺いました。

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始まりは、藍染かすりの「はたや」から

カイハラは、備後かすりの産地である広島県福山市に1893年に、手織りの藍染かすりを製造する「はたや」として創業しました。かすりは一般的な衣服の素材だったころから、事業は順調に拡大していったカイハラでしたが、1941年に始まった太平洋戦争によって糸の配給が停止。さらに戦後、日本に洋装が入りかすりの衣服と取って代わるようになったことで1950年代ごろから、かすりの需要は急激に冷え込むことになりました。

「このままではいけないと、3代目社長の貝原定治は、洋服生地として使える幅広のかすり作りに挑戦することにしました。従来のかすりの幅は約38センチ。それを洋服づくりに対応できる広幅にするため、手探りで機械を改造し、71センチの広幅かすりの試作品を完成させました。この開発が、国内大手紡績会社や大手商社の目に留まり評価されることになったのです。」と貝原会長は語ります。

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時代に翻弄されながら、かすりからデニムへ

幅広かすりの技術の完成からしばらくして、イスラム教徒が着用する「サロン」の量産を始めたカイハラでしたが、1967年、主要輸出先だったイエメンのアデンを占領していた英国が撤退したことで、英国ポンドが急落。それに伴い輸出量も激減し、カイハラの収益も3分の2減にまで落ち込みました。そんなとき、「国産デニム生地を作れないだろうか」という相談が、地元の問屋さんたちから舞い込んだのです。

「1970年ころ、ベトナム戦争をめぐって世界各国で大規模な反戦運動が起こり、ジーンズは若者たちの象徴でした。地面に座って抗議活動をする際、破けにくいジーンズは使い勝手がよかったのです。カイハラはここに社運を賭けました。」と会長は、その頃を振り返ります。

「私は27歳のときにカイハラに入社したのですが、当初から繊維業界が衰退していくことを感じていたので、海外展開を意識していました。自社開発したデニム生地を手に香港の縫製メーカーやアメリカのジーンズブランドなどへ持っていっては、自らプレゼンテーションをして回っていたのですが、あのリーバイスが、生地が足りないから取引したいと言ってきたのです。実際にジーンズができると『カイハラの生地がいい』と言っていただけて。リーバイスが認めてくれたことで、取引先は国内外で一気に拡大していきました。」

生地メーカーで国内初!一貫生産体制を確立

カイハラはその後も躍進し続けます。

「78年にデニムを織る高性能の革新織機で製造を開始し、80年には最終仕上げを行う整理加工、91年には紡績の設備を造って、デニムづくりの全工程を一貫生産できる体制を国内初で確立させました。」

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穿けば穿くほど、色落ちによって味わいが増すのがデニム生地です。その味わいを出すには、デニム用の糸を芯まで染まらない程度に染色する必要があるのですが、当時の日本にはその技術はありませんでした。

「そこで、藍染め製造で培ってきた知識と技術を総動員させ、「ロープ染色機」という独自の機械を自社開発しました。7カ月に及ぶ試行錯誤を経て、藍染め技術を生かした染色技術のデニムが誕生したのです。」

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色落ちしながら味わいを増す高品質な国産デニムは、大手生地メーカーや紡績会社からのオーダーが殺到することになります。

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カイハラがこだわったのは、機械の自社開発でした。

「機械を外注すれば、運搬や修理にコストがかかります。もし、機械が止まれば数日間復旧が難しくなるリスクもあります。自分たちの手で修理・改良できる機械づくりが、長期的な利益につながるだろうと考え、機械をすべて自社で開発することにしました。本社工場の他に広島県内に3つの工場を新設しました。生産時の振動公害で地域の方に迷惑をかけないように、山を買い自分たちで敷地を切り開いて生産拠点を確立してきました。結果的にこれが地域の雇用創出にもつながると思っています。」

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開発のための努力は厭わない徹底主義

カイハラは、現在、年間に約1000種類もの試作品をつくっては、世界各国の取引先にプレゼンして回るといいます。

開発のヒントを得るために、取引先のジーンズメーカーから、店舗での裾直しで出た生地の端切れを大量に送ってもらい、デスクの上に一つひとつ並べて社員と売れ筋を分析するなど、地道に手を動かすことを積み重ねてきたという徹底ぶり。

「紡績、染色、織布、整理加工の全工程を社内で行っています。だからこそ、色目や風合いの異なるあらゆる組み合わせの製品を生み出せるのです。私たちほど、大量に試作品を作っては失敗しているデニムメーカーは世界にないでしょう。毎年試作品をプレゼンするカイハラ社員を世界中の取引先が待っています。だからこそ、我々も挑戦をし続けられているのです。」

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創業以来125年のカイハラの挑戦と成長を支えてきたのは、デニムを構成する3つのFだと貝原会長はいいます。

「ファブリック(生地)・フィット(体に合ったライン)・フィニッシュ(洗い加工)の3つのFです。新しく作っては壊していくことを繰り返し。徹底した機械化による海外拠点工場の規模拡大、それによる海外ブランドへの安定した生地供給を目指し、挑戦していきたいと思います。広島の企業が世界をフィールドに挑戦し続けているという驚きを、これからも発信し続けます。」

現在、カイハラからデニム生地を輸出している国は約20カ国。メイド・イン・ジャパンの品質と新商品開発を武器に、カイハラは挑戦し続けています。 

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