「人手不足」はようやく訪れた日本変革のチャンス
木下 斉
2019/08/16 (金) - 08:00

昨年から人手不足の話題が様々なメディアで取り上げられるようになっています。
それらはどちらかと言えばネガティブな話として取り上げられがちですが、私は問答無用で急速に進む人手不足は日本変革の大いなるチャンスであると思っています。

戦後日本経済成長と低迷

戦後の日本の経済成長の基本ですが、

1つは、安価な大規模な余剰労働力を生産性の低い産業からより生産性の高い産業へと移動させたことによって、日本としての輸出も拡大、結果として大きく所得を改善できたこと。
もう1つは、これらの大人口が一気に所得改善していったため内需が大きく拡大し、国内のサービス産業集積が高度に進んだことです。

非生産的な産業からより生産性の高い産業(当時は鉱工業やら各種製造業)にシフトしてガンガン稼ぎ、給与所得を一気に引き上げていくことによって内需経済が一気に拡大し、豊かになっていくという仕組みでした。その背後には大量にあった余剰人口を移動させ、かつ給与を引き上げていくことによって高度経済成長が実現していったわけです。

しかし国内から海外へと輸出産業の生産工場などは移転していった1970年代以降は、日本の輸出成長は一気に鈍化。さらに1980年以降は日米構造摩擦、円高も発生したことで輸出の海外生産化はさらに進み、輸入の拡大と公的支出による内需拡大を約束し、今日では日本のGDPの7割は内需で生み出されている経済へとシフトしています。同時に日本は輸出によって“海外から稼ぐ国”から、いまは海外への様々な事業投資による収益で儲けるようになってきています。

国内をみればバブル崩壊後は、失われた30年を経験。それでも人口の大幅な減少はまだ始まっていなかったため、内需経済は低迷しつつも、それら需要を上回る“人の過剰供給状態”が続いたため、“人余り”が続いてしまいました。リストラであったり、非正規雇用制度の拡大といったカタチで、企業が中心となり雇用をコントロールできる状況が続いたため、日本の生産性改善は二の次となり、長時間、低賃金、劣悪な条件でも人が集まる状況が成立したわけです。

これは、それぞれの企業にとっては都合の良い話ですが、労働者にとってはたまったものではなく、なおかつ日本経済全体に与える問題も極めて深刻なものとなりました。

需給関係がすべての「基礎」

日本では、仕事に対して人手が余っている状況が続いたので、非常に賃金の低い仕事であっても、労働環境の悪い仕事であっても、働きたいという人がいくらでも集まってきていたわけです。それは様々な企業経営者たちに大いなる怠慢を許してしまい、経営的に賃金を引き上げて改善するといったことや、労働環境を改善するというインセンティブを全く生まなくなってしまいました。つまりは経営者は知恵を出して次なる生産性の高い事業を考え出さずとも、安く人を雇って生産性の低い仕事をやらせておけば、即座に事業が破綻することもなく、だらだらと続いてしまったわけです。

結果、次なる生産性の高い産業への人材シフトもないまま、給与が引き上がることもなく、内需は冷え込んで平成は終わりを告げてしまいました。

1990年と比較して日本人の平均年収はこの30年間ほとんど増加していないばかりか、1995年には1%減少しています。G7をみればアメリカは平均給与が30%以上伸び、他国でも10%?20%伸びていて、横ばいなのは日本とイタリアだけ。1991年当時はアメリカに次いで2位だったことを考えれば、日本は1991年以降に平均年収でドイツ、イギリス、フランス、カナダに追い越されて6位となった、ということになります。同じ敗戦国のドイツと比較しても今や9000米ドル近い差、つまりは約100万円もの平均年収の差が生まれています。これらの国々においては、この30年間で膨大な移民の受け入れをしており、彼らの労働賃金がこの平均値に正しく反映されていないという指摘もあります。とはいえ、日本人の賃金上昇があまりに乏しいということだけは際立ちます。


https://data.oecd.org/chart/5DPp

本来であれば、日本企業が生産性を大きく改善していくインセンティブが必要だったわけですが、日本の輸出企業系は軒並み、現地生産体制などで海外での人手を活用するようになり、日本の国内は人手余りの時代が続いてしまいました。競争の比較的緩い内需産業は、過去の生産性の低い仕事をそのまま放置可能だったため、賃金は引き上げず、結果として他の先進国が成長する中で日本は低賃金大国へと転落してしまった。それが失われた30年の現実ということになるわけです。

人々の平均給与が上がらなければ、内需中心社会である日本の物価は上がらない。つまりはデフレ傾向になるのは当然でもあり、さらに供給と需要の関係でいえば企業業績が伸びないということで雇用を絞るという状況が続き、結局人手は余り続けて生産性の低い仕事はそのまま放置、むしろ強化されていってしまったと言えます。

ようやく到来した高齢化と人口減少による働き手不足という「薬」

本来は需要を拡大して供給が追いつかなくなることによって、人々の給与が改善していったり労働環境が改善されるのが好ましいわけですが、現実問題としてそれが全く起こってこなかったわけです。しかし、ようやく今、チャンスが到来しています。それこそが高齢化と人口減少という変化です。そもそも働き手であった人々が高齢化によって引退し、若年人口は圧倒的に減少しているので、人手不足が慢性的になってきています。

地方も東京も関係なく、どこのセクターに言っても企業経営者たちは口を揃えて「人が集まらない」ということを言うようになっています。一部外国人労働者の受け入れで対応しているところもありますが、外国人労働者の受け入れだけでは到底賄えないような人手不足です。本来、本質的にはそのような労働力に頼って過去の生産性の低い仕事を放置するのではなく、仕事そのものを変えていくことが経営者の仕事です。
このような需給が逆転し、雇いたくても雇えないという状況が生まれたことにより、ようやく腰の重かった経営者たちもまずは賃金の引き上げを行うようになっていきました。さらに賃金を引き上げて経営が赤字に転落したり、そもそも操業が不可能な事業が明瞭化されることで、それらの事業や店舗を一気に閉鎖するようになってきています。

このような変化は好ましく、賃金引き上げが可能な事業だけが残るようになり、生き残るためには経営者側も賃金引き上げが可能な生産性の高い状況を作り出す事業の抜本的な見直しを行うようになっています。

さらに労働形態の多様化も一気に進み始めています。都内企業群も従来のように囲い込み、サービス産業などもさせているような状況では「優秀な人材が集まらない」もしくは「結果を出す人材ほど辞めてしまう」という状況となっているからです。そのため兼業可能な雇用条件を増加させたり、完全フレックス勤務、リモートワークなどの柔軟な勤務形態を認めるようになっています。育休取得や有給取得に関しても進めているのは、働き方改革というようなタテマエ議論ではなく、そもそも積極的に働きやすい環境にしないと人が集まらないという切羽詰まった状況がそこにあるからです。

結果を出す優秀な人材に辞められないためには、様々な契約形態で働ける環境を整えなくてはなりません。会社のルールを押し付けても「優秀な人材」が集まった時代はもう終焉を迎え、雇われる側によって職場が選ばれる時代になったわけです。

始まった地方企業、自治体の変化

このような変化に敏感に反応する企業、自治体の経営者達は次々と新しい試みを始めています。

従来は現業を支える人材募集ばかりをしていたものの、所有する資産を活用して新規事業を進める人材募集を開始したり、さらに副業などが可能な都市部人材を呼び寄せ、地方事業に従事してもらう取り組みも始まっています。さらに生産性の低い仕事を人に押し付けることをやめ、自動化技術へ積極的に投資することによって産業力を強化しようとする工夫を始めていたりします。

最も硬直的だと言われてきた行政機関でさえも、採用や人事制度を大きく変え、優秀な人材を新たな政策に活用しようとする試みがスタートしています。

次回は日本で始まった人手不足という新たなチャンスを活かす、地方企業や自治体の取り組みを紹介いたします。

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