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呉市の老舗酒造が、自社のリブランディングと清酒業界の改革に挑む
株式会社三宅本店 代表取締役社長 三宅 清嗣さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2017/11/08 (水) - 08:00

昨今のライフスタイルの変化や嗜好のグローバル化などで、日本酒業界全体を取り巻く環境は厳しい。そんな中、安政3(1856)年創業、「千福一杯いかがです~」のCMで知られる清酒「千福」の醸造元、三宅本店は、自社と業界の改革にむけ始動。5代目当主・三宅清嗣氏と長男・清史氏に、その取り組みについて伺った。

時代の変化に適応し前進を続けた161年。満を持して、組織の体質改善に着手

――まずは創業から現在に至るまでの軌跡をおきかせください。

創業は安政3年、清酒醸造を始めたのは明治35年です。2017年で創業161年になり、私で5代目です。広島県呉市で「千福」を始めとする日本酒の製造業を営んできましたが、空襲で、全家屋、社屋、酒蔵が焼失し、敗戦により満州の会社も失いました。どの産業もそうだったと思いますが、そこからは氷や漬物など作れるものは何でも作って会社を立て直したそうです。建物も再建し、ようやく清酒業が軌道に乗り始めた頃に、高度経済成長期を迎え、作れば売れる時代の到来です。その頃は、いかに安全に、効率的に酒を造るかといったところに注力してきたと聞いています。「千福一杯いかがです~」のCMも昭和40年代から放映され始めて、地元を始め全国の方々への認知もあがってきました。新しい工場を着々と建設し、昭和50年には東京支店も開業しました。安定・成熟の時代を迎えた平成13(2001)年、芸予地震によって、またしてもメインの酒蔵「昭和庫(しょうわぐら)」「大正庫(たいしょうぐら)」が大きなダメージを受けました。私が会社を継いで3年目の頃です。それが、戦争に次ぐ第二の端境期ですね。戦後からこの頃までは製造業として品質と効率を重視してひた走ってきましたが、倒壊した工場の再建にあたっては、以前から考えていた工場見学をできるようにするなど、それまでとは少しかじ取りの仕方が変わってきました。

昔の樽

――事業背景やマーケットがかわってきたということでしょうか。

私が5代目を継ぐ少し前、今から20年くらい前から、マーケットは大きく変化し始めていました。焼酎、ワイン、缶酎ハイなど人々の選択肢が増えるにともない、じわじわと清酒の需要が減ってきたのです。それは業界全体でも自明のことなのですが、どのようにてこ入れすべきかわからない。ただ、清酒のパイの取り合いでは先はないことはわかっていました。価格競争の泥沼をいくのではなく、マーケットを広げるという視点で動き始めたのです。

――マーケットの変化にどのように対応されたのですか?

まず何ができるか、さまざまな切り口を考えました。日本酒が美肌によいということで、化粧品や洗顔せっけんを製造したり、日本酒でスイーツを作れば未成年にまでマーケットが広がるのではと、お菓子づくりにも取り組みました。日本酒を使ったソフトクリームも考案し、移動販売車を使って広島の菓子博に出店したところ、これが大変好評で。今も工場のほか、広島駅の直営店などで限定販売しているのですが、県内ではトップクラスの売上個数なのです。こういった取り組みに手ごたえを感じてはいますが、展開となるとまだまだ難しい部分もありますね。
本業の酒に関しては、小売り・流通の変化に伴い、対面販売の酒屋は影をひそめ、コンビニエンスストアやスーパーなど、対話のない販売にとってかわられました。そうなると、何が売れるのか作ってみないとわからない。マーケットが見えないのです。それも清酒業界が直面した大きな課題の一つでした。わが社では、酒蔵としての情報発信と来店客の嗜好をリサーチするという両方の視点で、ギャラリーを併設したアンテナショップを設置したり、東京新橋に立ち飲み屋をオープンするなどしております。今回、イノベーション事業部を設置し、食と日本酒のたしなみ方や、日本酒の美味しい飲み方などを発信することで、エンドユーザーとの接点を今まで以上に持つ試みを開始しました。
課題というものは実は潜在的にあり、ものが売れている時、いわば満ち潮の時には見えないけれども、潮が引けばいろいろ見えてくる、そういうものだと思っています。課題に対していかに柔軟に対応するかが肝心です。

造り手
造り手のみなさん

――清酒業界全体を動かす活動もされているのですか?

広島県知事が広島のお酒をもっとパリで売っていこうと旗降り役となってくれていることもあって、県庁の国際ビジネス課が窓口となり、私が会長を務める広島酒蔵組合の有志で、広島県日本酒ブランド化促進協議会を創設して、海外展開を始めています。主には、パリのお酒の展示会に出店したり、現地販売代理店を発掘して広島のお酒を置いてもらうなどの活動をしています。また、世界的な料理教室であるル・コルドン・ブルーとタイアップをして、日本酒の講座を開講しました。フランス料理の食中酒としての飲み方を提案することで、日常的に日本酒を取り入れてもらう狙いです。そんな感じで、県と力を合わせて、広島の酒のブランディングとマーケットの拡大に向け、活動を開始したといった状況です。今、パリにいくと、ワインとともに広島のお酒が店頭に並んでいる、ようやくそこまでこぎつけました。

――貴社の課題はどのようなものでしたか?改革の障壁などがあれば教えてください。

それまでは作れば売れる時代でしたが、作るだけでは売れなくなってきた。10年ほど前から、1年単位で立案していた経営計画を、財務面で銀行にも相談しながら、中長期の計画を立てるようにしました。
ところが、慣性の法則が働くのか、3年計画を立ててもなかなか実行に至らない。計画が絵に描いた餅になってしまうのです。わが社の創業当時からの経営理論に“和の精神”があるためなのか、組織全体が仲良くおっとりしているのです。よく言えば一体感があるのですが、悪く言えば危機感がない。これまでが順風満帆で来ていたせいか、多少売上が下がっても、潰れるはずがないと誰もが思っているように感じられました。
計画を牽引する強いリーダーシップの必要性を感じ、2016年10月の事業計画発表会で来期までに副社長か専務を外部登用する意向を示唆しました。その時点で、人材のあてがあったわけではありませんが、皆にも会社や業界が直面している状況を理解してもらいたかったのです。
副社長というと、組織と業務全体をマネジメントし、社長と社員の意思疎通を図りつつ、経営計画を実行に移す、昔で言えば番頭さんのような役割。知識や経験はもちろんですが、相当の覚悟を持ってきていただきたい。日本人材機構からの紹介で、何名かの方とお会いしましたが、タイミングも含め、そこまでをお願いできる方は簡単には見つかりません。
中期経営計画も時間がたってしまったらそれこそ意味がないということで、まずは日本人材機構から人を派遣していただくことになりました。
外から人がきて、会社組織を変えることに対しては、もちろん抵抗もあります。外部の人は、内部の人間からしたら、価値観や方法論などすべてが異質なのです。すぐに一体となるのはなかなか難しく、強引にことをすすめれば、やらされ感が生まれてしまう。
日本人材機構の田部井さんとは、社員の意識改革を促しつつ、どのように計画をすすめるかをとことん話し合いました。

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――具体的にどのような改革に着手されたのですか?

その時点で来期のスタートに向けてもう半年しかない。ダイナミックな改革が必要です。経営方針を「選択と集中と変革」と定め、経営課題を一から整理し打ち手を考案、まずは選択と集中のために、組織改革に着手しました。一つの大きな決断としては、東京支店の閉鎖と卸会社の業務縮小です。縮小した分、地元の小売店、卸、飲食店などの営業を強化しました。もちろん東京での取引先との関係性など、失うものもありますが、メリットとデメリットを比較したうえで、地元でのビジネスに特化していくことが今時点での得策と考えたのです。 また、変革に関しては、新たな施策を考え実行する部隊を設置しました。ちょうど、6代目を継がせようと思っている長男の清史も、他社での就業を終えて戻ってくるタイミングだったので、清史を含めた6名のメンバーで2017年春に始動したのが「ワクワク企画室」です。内容的には経営企画・広報・マーケティング・商品開発など経営企画室に相当する組織ですが、それだと固いし面白くない。ワクワクすることで、社員のモチベーションアップにつなげようという意志も込めたネーミングは清史の提案によるものです。

後編>「呉市発の改革が、広島を、日本を、そして世界を変えていく未来を描く」に続きます。

株式会社 三宅本店

「千福一杯いかがです~♪」でおなじみの三宅本店は、安政3年(1856)に創業し、今年161年目を迎えます。千福の名前の由来は、初代三宅清兵衛が、女性の内助の功を称え、母「フク」妻「千登(チト)」の名をとり酒銘と致しました。「百年、大事な女(ひと)を想い続けた酒」でございます。また、戦艦大和に納品され、海軍御用達のお酒として全国に広まり、海軍からは赤道を越えても品質が劣化しないという証明書を表彰され、当時から品質には力を入れてまいりました。皆様に愛されるお酒を常に提供させて頂くために、日々精進して参ります。

住所
〒737-0045 広島県呉市本通七丁目9番10号
設立
1856年7月2日
従業員数
61名 ※2017年9月現在
資本金
3,500万円
企業HP
http://www.sempuku.co.jp/

1856年

創業 屋号を地名にちなみ「河内屋」と称す(味醂・焼酎・白酒製造)

1902年

清酒醸造に着手する

1906年

「明治庫」移築・増築

1916年

「千福」が商標登録を受ける

1924年

全国に先駆け四季醸造蔵「大正蔵」竣工

1939年

「株式会社 三宅本店」と社名を変更

1940年

「三宅産業 株式会社」を設立

1945年

空襲により全家屋、社屋、酒蔵を焼失

1946年

「昭和庫」が完成

1953年

池田勇人元首相が命名した「呉宝庫」が完成

1957年

千福愛飲家の集い「福の会」発足

1970年

サトウハチロー作詞「千福いっぱいいかがです~」でおなじみのCMを佐良直美の歌で吹き込む

1980年

紙容器「ふくぱっく」1.8Lを新発売

1981年

カップ型紙容器「Vパック」180mlを新発売

1988年

大型仕込蔵「吾妻庫」竣工

2001年

芸予地震により、「昭和庫」、「大正庫」が大きな損害を受ける
吟醸蔵「呉宝庫」を新設

2003年

新製品工場「酒工房せせらぎ」が完成

2006年

「ギャラリー三宅屋商店」オープン

2011年

東京港区新橋に「脱藩酒亭」オープン

2016年

創業160周年千福生誕100周年を迎える

GLOCAL MISSION Times 編集部

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