石巻の小さな会社が拓く、不動産賃貸の新しい可能性。(前編)
合同会社 巻組(まきぐみ)
GLOCAL MISSION Times 編集部
2018/04/09 (月) - 08:00

宮城県石巻市に、クリエイターやアーティストが集まる人気のシェアハウスがある。使っている建物は、東日本大震災で被災した空き家。提供しているのは、埼玉出身の渡邊享子さんが立ち上げた社員5名の合同会社「巻組(まきぐみ)」だ。「石巻に来るまで、都会で普通に就職するつもりだった」という渡邊さんに起業の経緯や、被災地で気づいた「地方で働く喜び」などを伺ってみた。

まちの担い手を育てるためには、住む場所が必要。増え続ける空き家に着目

―まずは、空き家をリノベーションしてシェアハウスを提供するという事業を始めたきっかけについて教えてください

東日本大震災で大きな被害を受けた石巻には、震災後、1年間にのべ28万人ものボランティアが集まってくれました。石巻市の人口は、震災前で16万人ですから、人口の2倍近くの若い人たちが「役に立ちたい」と石巻に来てくれたんですね。その中には、翌年以降も石巻に残って活動したいという人もたくさんいたんです。ところが被災当時は、地元の住民ですら家がない状況。ボランティアさんたちが住まいを取得して、何かを始めるのは、非常に難しい状況でした。しかし地域経済を支えていく担い手がいないなかで、若い人たちが来ているというのはチャンスだし、もったいないなと思っていたんです。何か自分ができることはないかな?と考えた時に、思いついたのが、空き家のリノベーションでした。私はもともと大学院で都市計画を専攻しており、全国で空き家をリノベーションしながら移住者を集めている事例があることを知っていましたから。

サムネイル

―石巻には空き家が多かったのですね?

石巻を調査してみると、被災していたり、店は開いているけれど上の住まいが空いているという物件がなんとか使えることがわかったんです。しかも復興公営住宅や新しい住まいが充実してくると、空き家はますます増えていきました。今の不動産事情では、新しいものをどんどん建てていく一方で、古いものは使わない傾向にありますからね。また時間の経過とともに、どんどん人も減っていました。まちを持続させていくためには、担い手を育てる事業と、住む場所を提供していくという両輪の事業が必要。そう考えて、2013年から、空き家をリノベーションして、若者向けのシェアハウスとして提供する取り組みを始めたんです。

サムネイル

―先ほど一緒に物件を見に行かせてもらいましたが、決して条件的には恵まれていませんよね?

そうなんです。一般的には、立地が良くて、きれいで、簡単に不動産契約ができるような物件が好まれますが、私たちが使っている物件はすごく立地が悪かったり、築20年以上の木造だったりします。そういう、どうしても余っていきがちな空き家の価値をもう一度見出して、新たな活動の舞台にしていくことがすごく重要だと思っていまして。例えば石巻には、ダンボールで事業を始めようとか、創作こけしを作ったりとか、アーティスト的な若者たち、クリエイティブな若者たちがすごく多いんです。そういう人たちにこの場所を繋げていけたらなと考えました。

―どういう方がシェアハウスを利用していらっしゃるんですか?

起業家やクリエイター、アーティスト、外国人も多いですね。そういう人たちって、現在の日本の不動産システムの中ではなかなか普通に不動産を借りるのが難しい人たちなんです。でも私たちのモデルは、大家さんから賃貸物件を借り上げてシェアハウスにしていくので、今まで借りづらかった人たちにとってもすごくニーズがある仕組みだと思っています。

サムネイル サムネイル

できないことは、みんなで解決する。空き家の使い方も、家主と借り手が一緒に考える

―事業を進める中で、現在の不動産業界が抱える課題も感じますか?

古い木造物件になると、大家さんも高齢化していますし、税制上だと耐用年数が切れていることも多いんです。そういう物件に対して銀行が融資して、大家さんがそこを直して賃貸経営をするということが、そもそも難しいんですよ。その一方で、人口は減り続けています。今までのように新しい家をどんどん作っていくやり方には限界がある。だからこれからは既存のストックを良質な賃貸にしていくことが必要だと感じています。そこで私たちがめざしているのは、アイデアで環境を変えていくことであり、もう1つは不動産をシェア型で使っていくということなんです。このシェア型の構造が今の空き家問題を解決するポイントになるんじゃないかと考えていて。例えば、「オモシロ不動産大作戦」というワークショップを定期的に開いているんですよ。借り手が決まらない不動産を大家さんに持ってきてもらって、借り手の人と一緒に、物件の使い方を作戦会議することによって、流通させる取り組みです。ここに持ってきてくれると、必ず決まるんです。参加者も多くて、毎回、30人ほどが来てくれます。

これまでの不動産って、立地と間取りと家賃という3つの条件でしか、まず判断しないわけですよね。そうじゃなくて、そこで何を起こすかということを話し合う仕組みが重要だと思うんです。私たちがやっていきたいのは、オーナーと借主が一緒に新しい目的に向かっていく関係性に変えていくこと。それがこれからの不動産には大事な価値観だと思っています。

サムネイル

―地元の人の反応は?

最初は、よくわからないよそ者が、勝手にそんなところを使って空き家を直している、という印象だったと思います。でも最近は不動産業者さんや、銀行さんもよく声をかけてくださるようになりました。特に、限られたパイの中で開拓をしなければならない地方の銀行にとっては、私たちのような隙間ビジネスや新規事業は重要になってくるんだと思います。また不動産屋さんにしても、賃貸経営はリスクが高いんですよ。どうしても残っていく物件がありますから。そこをなんとか流通させていこうという私たちの取り組みを評価していただいているのだと思います。

サムネイル

東京から、石巻へ。地方が「役割」と、圧倒的な自己肯定感を与えてくれた

―もともとは埼玉のご出身だとか。石巻に根付いた経緯は?

震災当時は、東京で学生をしていました。旅行が好きで、いろんなまちへ出かけていたんですよ。あるときヨーロッパに行くと、街並みがすごくきれいに区画されていて、みんなが街を大事にしながら暮らしているのを感じました。ところが私は、埼玉を「すごくつまんないなぁ」と思っている。なぜだろう?と。それで、まちづくりに関われる人になりたいと思い、大学院に進んで、都市計画を専攻したんです。ところが周りは、学校名を冠にして安定した会社に就職できればいい、という考えが大多数。正直最初は戸惑いましたが、しだいに私も同化していきました。普通に大きな会社に就職できればいいなと…。本音では、もっと研究したり、地域の現場に入って、担い手として関われたらなという気持ちもあったんですが、一方でハードルの高さも感じていて。震災が起きたのは、ちょうどそんなときでした。実は震災した日も、就職活動中だったんです。新宿のビル街にいて、「明日も就活の試験だなぁ」とぼんやり考えていたときに被災して、帰宅難民になって…。でも予定されていた就職活動の試験が中止になって、考える時間ができたんです。ニュースで被災地の悲惨な状況をずっと見ているうちに、すごくモヤモヤしてきて、自分にも何かできないかな?と思うようになって。その後、たまたまご縁があって、都市計画の研究室のメンバーと一緒に、石巻に来ることになったんです。それが2011年の5月でした。

―初めて訪れた石巻の印象は?

「行政は頼りにならないから、自分たちでなんとかしなきゃ」と頑張っている人たちの姿がすごく印象的でした。東京で学生をしている時って、みんな受動的で、レールに乗ろうとか、なんとか大きな組織の中に甘んじよう、という空気ばかりを感じていたんです。そんななかで、「助けを待っていてもしょうがないから、みんなで頑張ろう」という石巻の人たちの姿を見て、心を動かされました。しかもこの辺りの商店や中小企業の社長さんって、代々継いできた、三代目、四代目という方が多いんです。受け継いできた土地も、店も、会社も、工場もすべてゼロにリセットされてしまったわけですよ。なのに一人ひとりが、そこからまた立ち上げようという起業家マインドに溢れていて、その雰囲気がとても心地良かった。「この流れのなかに一緒にいたい」「自分にも何かできないか」という沸き上がる思いが、石巻への滞在を強く後押ししてくれました。

―つまり渡邊さんは、明確な目的があって石巻にこられたわけではない、と。でもそれは、都心で働きながらどこか燻っているビジネスパーソンにとっては、等身大で勇気を与えられるものなのかもしれません。

そうだとうれしいです。当時の私は本当に、何か特別なスキルがあるとか、すごく強い想いがある、というわけではありませんでした。けれど、地方に、役割が与えられていくんですよ。東京で学生をしていた頃は、世間にいくらでもいるような存在でした。そうすると自己肯定感が少なくなって、「別に私じゃなくても、もっと出来る人がいるし」と思ってしまう。他人からしても「あなたじゃなくてもいいし」という感じじゃないですか。でも地方は、コミュニティの規模が小さかったり、若い人もだんだんいなくなっていくなかで、都会よりも役割があるんです。震災直後って、その最たるところ。なんでもいいから人手が欲しいという環境の中にいると、圧倒的な自己肯定感があるんですよ。ここにいると役割が与えられるし、「自分にもやれることがあるんだ」と思える。だからこそ、空いている役割に自ら率先して手を挙げようと思えるし、それが私にとっての起業だったんです。それまでも「地方に住んでみなよ」「やってみなよ」と言われていたはずなんですけどね。冗談にしか聞こえていなかった。でも石巻に来た時に、他人事ではなく、自分事になったんです。

―そのきっかけは何だったのでしょう?

やっぱり地元の人とのふれあいが大きかったと思います。料亭の宴会場とか、店の一角とか、いろんな場所に泊めてもらって、地元の人には本当に良くしていただきました。商店街の方や、おじいちゃん、おばあちゃんとのふれあいは心地良かったし、自分のいる意味を見出せたというか。若い人がいるというだけで、すごく喜んでくれましたから。特にかわいがってくれたのは、商店街の呉服屋さん。きっかけは掃除やゴミ捨てといったちょっとしたお手伝いだったんですが、私のことを「娘」だと言ってくれて。そういうふれあいが、今の事業の原体験になっているような気がします。

サムネイル

ベンチャーの組織作りには、リスクや危機感を共有できる仲間が必要

―組織づくりは順調だったのですか?

4月からは5名体制でスタートしますが、ここまで来るのに紆余曲折はありましたね。協力すると言ってくれた人が離れていってしまうこともありましたし、誰となら一緒に目標へ向かっていけるのかという見極めがすごく難しかった。そもそも会社のコンセプトやビジョンって、走りながら作っていく部分がすごく大きいんですよ。でもそこが固まらないと、なかなか人材も入れづらいですし、組織の基盤ができるまでは苦労しました。私自身も、以前はスタッフを信頼しきれていない部分があったと思います。でも今の体制になって変わりました。今のスタッフから「渡邊さんの好きなようにやっていいですよ」と言われたんですよ。それに対して、「やれることを考えていく」と。そう言ってもらってすごく気が楽になりました。以前は全部自分で抱え込んでいたんですけれど、スタッフに安心して任せられるっていうようになってからは、やれることの幅が広がった気がしますね。

―渡邊さんの他に事業の核となっている2人は、どういう経緯で入社されたんですか?

2人とも入社してまだ1年くらいなんですよ。1人は、建築関係のコンサルをやっている方からの紹介でした。「人がいない」と相談したら、今度会社をたたむ仙台の工務店に24歳くらいの優秀な女の子がいると。で、うちに来たもらったんですけど、見事に社風にはまったんですよね。今は経営部門を一手に引き受けてもらっています。もう1人は、新卒で採用しました。石巻出身で、故郷に戻りたい気持ちはあるものの、美大で学んできたことを活かせる会社がなかなか地域にはなく。そんな時にうちの会社を見つけて、「ここだったら活かせるんじゃないか」と、彼女が勝手に想像して入ってきてくれたんです(笑)。今はもうすっかり、私にとって右腕のような存在です。

サムネイル

―活躍する人材に共通点はありますか?

先に述べた2人に共通しているのは、モチベーションです。地方は実家暮らしの人も多いんですが、仕事がなくてもなんとかなるという甘えがあると、うちみたいなベンチャーでは続きません。社長としての私は、多くのリスクを背負って会社を回しているわけじゃないですか。銀行からの融資もそうだし、たくさんの方にも頭を下げに行きました。社員の動きによって私の評判も落ちていくというのも1つのリスクですよね。こうしたリスクや危機感を社員が一緒に背負えないと、チームを作っていくのは難しいなと痛感しました。その点、2人とも、ここで働かなければ生活を守れないという切実さがあります。だからこそ今は給料は低いけれども、事業を成長させることによって、自分の生活も良くしていこうという強烈なモチベーションがあるんです。

サムネイル

新たなファンドづくりも検討。古い資産を活かした新しい輪をひろげたい

―これから取り組んでいきたいことは?

古い物件は本当は資産であるけれども、資産価値が認められていないわけですよね。それを付加価値化して、運用していく仕組みづくりに挑戦していきたいと思っています。例えば、上物の価値はゼロみたいな不動産物件もすごく多いんですよ。そういうところを買い上げて、クリエイターや何かを始めたい人にマッチングします。そして、彼らと一緒にリノベーションして不動産付加価値を上げてから、投資型ファンドをつくって資産運用してくというような仕組みも考えています。あとは、ときわ荘みたいな、いろんなクリエイターが住めるシェアハウスを作って、そこの人たちと資金調達を一緒にしてクラウドファンデングに取り組んでみるとか。

―石巻をモデルケースに、全国にも横展開していけそうですね

ええ。古い物件を抱えているのは、被災地だけではありませんからね。例えば100年以上の古民家のリノベーションも始めています。古民家ってすごく立派で広いんですが、家賃が2万円とかね、そういう世界なんですよ。それぐらい田舎の不動産価値って低いんです。そういうところをテナント付きで売っていけば、新しく不動産事業を始めたいというオーナーさんにとってもリスクが低いので、新しい資産運用になっていくんじゃないかと思っているんです。こうした古い資産を活かした新しい輪を作って、全国にも発信していけたらいいなと思っています。

サムネイル

最大公約数に縛られた社会はつまらない。「余白」に豊かさを見出す時代へ

―渡邊さんが描く、これからのまちづくりとは?

私は、無駄なものや、役に立たないもの、余白的なものを、まちに残していきたいと思っているんです。例えばクリエイターやアーティストが作るものって、住民全員にとって必要なものとは限らないじゃないですか。でもそういうものがあるからこそ楽しいし、まちに住む幸福指数を上げていく力があると思うんです。今のように最大公約数的なものが多くなっていくと、できることがだんだん限られていくんですよね。ファストファッションなどもスタンダードなものに走っていくし、電車に乗っている高校生もみんな同じ格好をしていたり。文化的な豊かさとか、幸福指数がどんどん下がっていってしまうと思います。都会と地方にしても最大公約数的に比べたら、都会が選ばれるのは当然。でもこれからは地方に価値を見出すような、余白だったり無駄なものだったり、不便を楽しめるライフスタイルの豊かさこそが、重要だと思うんです。そこを支えられる不動産屋でありたいという思いが根底にあります。

―地方で働く魅力とは?

地方には「無駄」なことが圧倒的に多いんですよ。例えば東京に比べれば雪も降りやすいし。でもそこをみんなで早起きして雪かきをするわけですよね。近所付き合いにしても、結婚式をすれば、地域みんなでお祝いしなければならないとか。でもそれこそが、地域の豊かさだと思うんです。そして、実際に地方でビジネスを展開して感じた魅力は、顧客との距離の近さです。自分で仕掛けたことが、ダイレクトにお客さんに伝わって、お客さんの反応が返ってくるというのは、生きがいになります。

石巻は宮城県で2番目に大きなまちということもあってか、余白がいっぱいある感じがします。失敗を許容していただける範囲があるというか、自由にいろんなことを仕掛ける余白があるんです。また港町の気質として、生活の質を大事にしようというカルチャーも感じます。新しい事業を始めている同志のような人もたくさんいて刺激をもらえますし、純粋にここでの暮らしが楽しいですね。

サムネイル

サムネイル

合同会社巻組 代表

渡邊 享子さん

2011年、大学院在学中、東日本大震災が発生。研究室の仲間とともに石巻へ。そのまま移住し、石巻市中心市街地の横丁再生事業、被災した空き家を再生し、若手の移住者に活動拠点を提供する2.0不動産プロジェクトをスタート。地方の不動産がさらに流通する仕組み作りに取り組む。会社経営のかたわら、一般社団法人ISHINOMAKI2.0理事、東北芸術工科大学講師も兼務。2016年にはCOMICHI石巻の事業コーディネートを通して、日本都市計画学会計画設計賞受賞。

合同会社 巻組(まきぐみ)

宮城県石巻市を拠点に、建築不動産事業と人材育成事業の両輪から街を盛り上げる会社として設立。建物の設計施工(リノベーションのコーディネート)、賃貸住宅の管理運営(シェアハウス、ゲストハウスの運営等)、実践型インターンシップのコーディネートなど、地域に関わるきっかけづくりから住まいの提供まで、地域でチャレンジを試みるローカルベンチャーの育成をオールラウンドで行っている。石巻の名前からヒントを得た社名には、いろいろな人を「巻き込み」ながら「組み上げる」というビジョンも込められている。

住所
宮城県石巻市中央2丁目3-14観慶丸ビル2階
設立
2015年3月6日
企業HP
http://makigumi.com/

Glocal Mission Jobsこの記事に関連する地方求人

同じカテゴリーの記事

同じエリアの記事

気になるエリアの記事を検索