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時代に左右されない「生きる力」の身につけ方(前編)
山口県・百姓庵
田村 朋美
2018/04/25 (水) - 12:00

本州の最西端にある山口県長門市向津具(むかつく)半島の油谷(ゆや)島。まるで海外リゾートのような透明度の高いコバルトブルーの海が広がる、日本屈指の絶景の地だ。この場所で、15年前から自給自足の生活を営み、油谷湾の豊かな海水を使って天然塩を作る人がいる。株式会社百姓庵の井上雄然・かみ夫妻だ。田舎でゼロからビジネスを生み、今では山口県内はもちろん、日本全国に取扱店とファンを増やしている。

田舎暮らしに憧れを抱き移住するも、挫折する人が多い中、彼らはどのように経済を確立させ、雇用をも生みながら生きているのだろうか。農業法人を営む、株式会社GRA社長の岩佐大輝氏とお話を伺った。

旅行会社のトップセールスから一転、働くとは何か

岩佐:井上さん夫妻は15年前から山口県の油谷に移住し、自給自足の生活をしながら手づくりの天然塩を販売する生活をされています。まずは、なぜその生活に至ったのかを伺いたいのですが、井上さんは油谷に来るまで何をしていたのでしょうか。

井上:私は福岡県出身で、大学を卒業後は旅行会社に就職しました。もともとキャビンアテンダントを目指していたのですが、当時は超就職氷河期で、国内エアラインがすべて採用凍結になってしまって。関係性のあるホテルや地上勤務のグランドスタッフの倍率は信じられない高さになっていました。

それでもどうにか旅行会社に入社したのですが、やっぱりやりたかったこととは違っていたんですね。私がやりたかったのは、心からのおもてなしをすること。結局、その後は美容系の仕事や秘書など職を転々としていました。

転機が訪れたのは、28歳のとき。ある旅行会社から声がかかって入社すると、お客さまに対して真心を込めておもてなしができることがすごく楽しくて、トップセールスになったんです。だけど、気付かないうちに体を壊してしまって。医者に、「薬を飲まずに治したいなら環境を変えなさい」と言われました。仕事は楽しいのに体はついてこない。生きるって、働くってなんだろうと考えるようになりました。

そんなとき、「タコを手づかみでとる面白い人がいる」と聞いて、友人と山口県に遊びに行ったんです。その面白い人が、今の主人。ボロボロの家の中にテントを張って、家を修理しながら生きていた。それを見た時に、今までの価値観が音を立てて崩れました。私はお金ですべて解決して生きてきたけれど、彼は家を自分で作り、漁をして、畑で野菜を育てて生きている。「生きるって、働くって、こういうことなんだ」と腑に落ちました。

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岩佐大輝さん(左)・井上かみさん(右)

ミネラル豊富な天然塩づくりに適した山口県油谷島との出会い

岩佐:そもそも、ご主人の井上雄然さんは、なぜボロボロの家で自給自足の生活をしていたのですか?

井上:主人が東京で働いていたある日、自然災害でライフラインが全部ストップしたらしいんです。電車が止まり、ゾロゾロと下を向いて歩く集団の中に自分もいて、「なんてもろい都市なんだ。どんな時代になっても自分で生きていく力をつけよう」と考えたんだとか。そこから地元の山口県下関市に戻って、自給自足生活を始めました。当時22歳くらいだったので、周りからは相当な変わりもの扱いされたと思いますけど。

岩佐:その自給自足生活から塩作りにつながるのだと思うのですが。なぜ、塩だったのでしょう。

井上:人間が生きるために必要なのは、空気と水と塩です。江戸自体の極刑は塩抜きの刑だったと言われるほど、人間から塩がなくなると死んでしまうのです。

ただ、今市販されている塩の多くは、人工的に作られた「塩化ナトリウム」なんですね。日本では1905年まで、約3000社の塩工房が天然塩を作っていました。でも産業の発展のために安価な塩が大量に必要となり、工房をつぶして工場地帯に変えてきた歴史があります。効率よく生産するために、イオン交換式製塩法が用いられ、純度の高い塩化ナトリウム塩が作られるようになったのです。

海水には地球上のほとんどの元素が溶けているので、昔ながらの製法で作れば、カルシウムやカリウム、マグネシウムをはじめ、鉄や亜鉛、マンガン、銅などの微量ミネラルを含んだ塩ができます。人間の体には、そうした微量ミネラルが必要なのです。

岩佐:なるほど。そこで、塩化ナトリウム塩ではない、ミネラルをちゃんと含んだ天然塩を作ろうと考えたわけですね。

井上:そうです。それから主人は、塩作りに適した自然豊かな場所を探して、バイクで日本中を走り回り、見つけたのが山口県の油谷島でした。

ただ、見つけて借りた家はボロボロ。周辺は耕作放棄地で荒れ果てていました。今は田畑にしているところも竹林になっていたので、開墾からやらざるを得ない。主人とスピード結婚をした私は「こんなことをするために嫁いだんじゃない」と思うこともありましたが(笑)、農作業で土に触れるうちに、いつの間にか病気が治っていました。医者に言われた「環境を変えなさい」とは、このことだったんだなと思いましたね。

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油谷湾

ゼロからビジネスを立ち上げ、現金収入を得るように

岩佐:とはいえ、現金がないと生活は成り立ちません。経済的な面で、どのように生活を立ち上げたのでしょうか。

井上:最初から自給自足をしていたので、食べ物に困ることはありませんでした。お米や野菜はもちろん、目の前が海なので魚を釣り、貝や海藻をとって食べていました。ただ、光熱費など必要最低限のお金はどうしても必要です。

そこで、家を改装して週末に1組限定の民宿を始めました。当時は私たちの暮らしが珍しかったのか、よくテレビで取り上げられていたので、幸いなことに日本中からたくさんの方が泊まりに来てくださいました。取材で、芸能人の方も何人かいらっしゃいましたよ。

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岩佐:じゃあ、いきなり軌道に乗った。

井上:そうなりますね。民宿の収入は月15万円程度でしたが、夫婦2人で十分豊かな暮らしができていました。今でこそ儲けはありますが、今と当時の暮らしの豊かさは変わっていません。

岩佐:月15万円の生活以降は、どのように収入を増やしていったのでしょうか。

井上:民宿に泊まったお客さまがチェックアウトするとき、「近くでランチを食べられるところはある?」と聞かれることが多かったのですが、お勧めしようにも飲食店がなかったんです。そこで、主人と2人で敷地内に石釜ピザのカフェを始めることにしました。するとこれも口コミで広まり、こんなに田舎の僻地なのに、行列ができる店になったんです。

岩佐:この場所で行列ができるのはすごい。下関から車で2時間近くかかるし、結構な山道ですよね。

井上:そうなんです。今考えると、自給自足をしている人ってどんな人なのか見たい、というのが動機になっていたのではないかなと思います。今でも、百姓庵には毎日のようにお客さまが訪れますが、みなさん塩を買いに来るのではなく、話をしに来てついでに塩を買って帰られます。その帰り際に、自分も畑を作ってみると言う人や、サラリーマンが人生ではないと気付いたと言い、本当に会社を辞める人はこれまで何人もいました。

そうやって、日々の暮らしの豊かさに包まれた状態で、ゆるやかに経済も充足し、油谷に移り住んで5年が経った頃、ようやく塩作りのための資金ができました。

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併設している屋外バー

10社回って9社は門前払いの、どぶ板営業

岩佐:資金を集めて5年後に、いよいよ塩作りが始まったわけですね。

井上:そうです。施設全体に100万円もかかっていないと思います。ただ、主人は職人肌なので、いいものを作れば売れると言っていました。私はそうではなく、きちんと伝えて広めないと売れるはずがないと思ったので、まだ乳飲み子だった2人の子どもを抱えて飛び込み営業を始めました。

岩佐:この話って、のんびりした田舎暮らしに憧れを抱いている人には衝撃的かも知れません。営業活動の結果はどうでしたか?

井上:来る日も来る日も、道の駅や、スーパーなどを周りました。だけど、10社行っても9社は門前払いで、1社にかろうじて話を聞いてもらえても、塩は置いてもらえなかった。無名の私や塩に振り向いてもらうのは難しいことでした。そんなとき、「萩しーまーと」という道の駅のレジの女性が応援してくれて、レジの一番いい場所に塩を置いてくれたんです。それが一つ売れると、徐々に口コミで広まるようになり、3年が経ったころ、最初は断られていた県内のスーパーや道の駅から「塩を置きたい」と連絡が入るようになりました。

おかげさまで、一昨年から生産が追い付いていない状態ですが、今は県外にも販路を拡大していて、東京ではGINZA SIXの酒屋・いまでや銀座さんに置いてもらっています。日本酒と塩のマリアージュが都会の方に支持され始めていますよ。

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塩の個人事業主から、株式会社百姓庵へ

田村 朋美

田村 朋美

2000年雪印乳業に入社。その後、広告代理店にて提案営業と人事を経て、フリーランスのライター兼カメラマンとして独立。2012年に株式会社ビズリーチに入社。コンテンツ制作に従事。2016年からNewsPicksのブランドデザイン編集者、2017年からトラストバンクの編集者、現在は再びフリーランスのライター・編集者。

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