山笠に魅せられ 住友商事の子会社から福岡の会社に転職
株式会社加工センター協伸 小山寿二氏
寺本 亜紀
2018/08/31 (金) - 17:00

住友商事グループの完全子会社である住商メタレックスの課長代理職から、転勤先である福岡の建材商社に転職した小山寿二さん。東京で生まれ育った小山さんにとって、初めて東京を離れて過ごした地が福岡でした。地元でもなく親族もいない福岡への移住を本格的に考え始めたきっかけは博多祇園山笠。九州支社で8年間過ごしたあと関西支社へ転勤したときに初めて、「山笠を舁(か)きたい」、「福岡へ戻りたい」という思いに駆られました。福岡に移り住んで約30年。現在、支店長として多忙を極める小山さんに自身の転機、福岡での生活などリアルな声を聞きました。

転勤で初めて東京を離れ福岡の地へ

生まれも育ちも東京都品川区、もちろん大学も東京でした。妻も目黒区出身です。大学卒業後、1978年住商メタレックス株式会社に入社しました。住商メタレックスは、もともと住友商事の非鉄金属本部より独立し、設立された専門商社です。住友商事株式会社出資比率100%の完全子会社で、資本金は11億6,980万円。福利厚生も整っていました。
1978年4月から1986年1月まで東京本社(東京都中央区)に約8年間勤務したあと、1986年2月29歳のときに九州支社(福岡市博多区)に転勤になり、初めて東京から離れることになりました。

福岡に転勤した当初は単身赴任していたこともあり、すぐにでも東京に戻りたいと思っていました。半年後に妻が勤めていた会社を辞めて福岡に来てくれて、マンションの住人の奥さん同士で仲良くなっていき、徐々に家族での交流も増え、福岡での生活が楽しくなっていきました。そのマンション仲間の一人が博多祇園山笠(以下、山笠)の男衆だったこともあり、「一回出てみらんですか?」と誘われて、29歳のときに初めて山笠に出させてもらいました。初めは走っているだけですよ。たまに山につけるくらい。それでも、どんどんのめりこんでいきました。

博多の男として認められた証の赤手拭い

「博多祇園山笠」は、福岡では「博多どんたく港祭り」と並んで有名な祭りです。山笠の正式名称は「櫛田神社祇園例大祭」といい、櫛田神社の700年以上続く伝統ある神事の一つで、国の重要無形民俗文化財でもあります。
福岡には舁き山(七流)と言われる「流(ながれ)」が7つありますが、その一つである「中洲流」に所属しています。

山笠の最大の見せ場は追い山です。7月15日午前4時59分、一番山笠の櫛田入り奉納を皮切りに、約1トンもの重さがある7つの流の舁き山が次々に櫛田入りを行い、約1,000人もの舁き手と共に夜明けの博多の街を駆け抜けます。流毎に追い山のタイムを競うので真剣勝負です。
山笠は、夏祭りの集客数として全国1位の約300万人。追い山の日だけでも約100万人もの観光客が訪れます。

山笠の参加者は「手拭い」を頭に巻いていますが、これは山笠運営での役割や役職を意味します。37歳のときに「赤手拭い」と言われる一番初めの役職を任されました。赤手拭いは、山の舁き方から礼儀作法まで経験を積んだ者だけが受け取ることができるため、博多の男として認められた証ともいえます。赤手拭いを受け取ったときは本当にうれしかったですね。
山笠の魅力にはまり、かれこれ30年。中洲流のさまざまな役職も経験しました。
東京出身者が役職まで経験するのはかなり珍しいようで、地元メディアで取り上げられることも多く、KBCラジオに出演したこともあります。

大阪への転勤をきっかけに16年勤めた会社を退職

仕事や山笠、趣味、マンションの人たちとの交流など福岡での生活を満喫していた1994年1月36歳のときに住商メタレックス関西支社(大阪市中央区)に転勤になりました。山笠の関係者や仕事の取引先の人たちから「寂しい」、「博多に戻っておいで」と言われ、後ろ髪をひかれるようにして福岡の地を離れました。

関西支社には同じ営業職として異動したのですが、九州支社時代とはまったく異なる業務内容でした。働き甲斐を感じられなくなっていくのと同時に、「山笠に出たい」、「福岡に戻りたい」といった思いがどんどん強くなっていったんです。関西支社へ転勤して2ヵ月で退職を決意しました。入社して16年目のことです。本来であれば、東京出身ですから「東京に戻りたい」と思うのでしょうが、自分のなかでは福岡に戻るのが自然な流れになっていました。

転職先は、自分のこれまでの経験を生かせる専門職がいいと思っていました。関西支社へ転勤する際、九州支社の取引先として長年お付き合いさせていただいた建材商社のオーナーに「大阪へ行ってつまらなかったら福岡に戻って来い」と声をかけていただいていたので相談したところ、九州支店の支店長として迎え入れてくれることになりました。 年収も住商メタレックスとほぼ同額にしていただいたので、収入面の不安はありませんでした。

福岡移住で気がかりだった親や妻の反応

福岡に移住することを決意したものの、やはり気がかりだったのは親や妻の反応です。
大学を卒業するとき、父と兄が警視庁に勤めていたので、両親は次男である私にも警察官になってほしかったようです。その意に反して民間企業への入社を決めた私に、父は「一度入社した会社は辞めずに続けるように」と言いました。こうしたこともあり、転職を告げるときは後ろめたさがありましたが、父は、「自分で決めたことだから好きにしなさい」と背中を押してくれました。

それまで住友商事グループの安定した企業に勤めていたこともあり、妻は収入面などに不安があったようです。 それに、私たちは東京出身ですので、親族や友人すべて関東在住です。福岡に移住したあと本当に心を許せる友人ができるのかどうか、夫婦ともに心配もありました。
それでも、妻は福岡移住を決めた自分を支えてくれたので感謝しています。

これまで30年、親族とは離れて暮らしていますが、親の元へは年に3~4回会いに行っていますし、2016年9月には、妻の姉夫婦とその子ども達と一緒にハワイ・オアフ島へ旅行もしてサーフィンを一緒に楽しみました。
離れているからこそ、親族と過ごす時間は大切にしています。

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意外と似ている福岡と東京

福岡移住を考えた理由は二つあります。一つは、山笠をずっと続けたいということ。もう一つは、「大きな組織の歯車でいたくない」と思ったことです。
自分は誰かの後任に入り、自分の後任として誰かが入る。関西支社に転勤したときに、一生これを繰り返すのか、そんな人生は面白くないと感じたんです。地域に密着した仕事をして、もっと深い付き合いがしたかった。

福岡はそういった意味でも自分に合っていると思います。昔ながらの人情を感じられるんです。親や先輩をとても大事にする。福岡、特に博多は、江戸っ子気質に似ているところがあるのかもしれません。
山笠の流の集まりなどで、知らない子どもが何か危ないことをしていたら「そりゃいかんばい」と注意をする。叱られた子どもも自分が悪いことをしたのはわかっているので、しゃんとなる。なんかいいでしょ?

「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」と言いますが、その辺も福岡と東京は似ています。人との付き合いにお金を惜しまない。知らない人とでも酒を酌み交わす。一言で表すと「開けっぴろげで人がいい」に尽きると思います。

ただ、持論ですが、40歳までは東京や大阪で広い世界を見て経験を積んだほうがいいと思います。
福岡はいってみれば「ぬるま湯」です。いい意味でも悪い意味でものんびりしすぎています。
でも45歳過ぎれば福岡での生活は最高ですよ。 新鮮な魚がおいしいうえに安い。アーティストの公演やイベントも多い。最近は流通も発達しているので、東京にあるものは福岡でも何でも揃う。わざわざ東京に行く必要がないんです。

福岡だから実現したマンション3室の購入

今は、五反田と平尾のマンションの2室の賃貸のオーナーとして家賃収入を得ています。
初めにマンションを購入したのは1981年。住商メタレックス東京本社勤務時代です。東京・品川の五反田にマンション1室を購入。九州支社へ転勤になったのでそこを貸すことに。
次に購入したのは、福岡市南区平尾のマンションの1室。1994年に住商メタレックスを退職するため社宅を出なければならず、分譲マンションを購入しました。手狭になったので、そこを人に貸して、2000年に新たに平尾のマンション1室を購入しました。
福岡は分譲マンションの価格が安いのも魅力です。だからマンション3室のオーナーになれたのだと思います。

これから地方移住を考えるならば、手に職を持っていること、人脈があることが大切だと思います。そうすれば企業は欲しがります。大企業で何人管理していたのかなどは通用しません。50歳になるまでに地固めをしておくことです。

前職では九州支店支店長として20年間勤め、2014年4月から協伸アルミ工業グループの株式会社加工センター協伸、福岡支店支店長として勤めています。
今の社長には、「体が動かなくなるまで働いていいよ」と言っていただいています。ありがたいです。

福岡に移り住んで、それまで想像さえしていなかった面白い経験をたくさんさせてもらったと思っています。
趣味も増えました。東京ではサーフィンをしていましたが、福岡ではウインドサーフィンを始めました。福岡は車で30分も走ったら海にも山にも行けます。ゴルフ場へ行くのも近い。ジムで体も鍛えています。
妻もフラダンスを習ったり、福岡での生活を楽しんでいます。
残業もほぼなく、飲む機会も減ったので、妻と過ごす時間が増えました。

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これからもこの福岡の地で、山を舁いたりウインドサーフィンしたり、仲間たちと笑いながら楽しく歳を重ねていこうと思っています。

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株式会社加工センター協伸 福岡支店 支店長

小山寿二氏

東京都出身。東京の大学卒業後、住友商事グループの主要事業会社の一つである非鉄金属の専門商社、住商メタレックス株式会社に入社。営業職として東京本社に8年間勤める。1986年2月に福岡市にある九州支社に異動となりそこで8年間課長代理として勤務。1994年、福岡に移住を決意。現在は、株式会社加工センター協伸 福岡支店支店長を務めている。妻とふたり暮らし。

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