今ある環境でできる選択を。「Hostel FUTAGI」オーナー・二木俊彦氏
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2017/10/20 (金) - 08:00

会社員として9年働いた後、夢だった世界一周の旅を実現。再び会社員に戻り日々を過ごす中で、いくつかのキッカケを掴みながら歩んでいった二木俊彦(ふたぎとしひこ)さん。気づいたら「いつかできたら面白いかも…」と旅中に考えていたゲストハウスのオーナーに。その時々の選択が今の自分を作っていることを教えてくれるような気がします。

なかなか踏み切れなかった夢への第一歩

北海道札幌市出身の二木さん。高校時代は調理師を目指していたといい、地元の四大を卒業後、地元で食品関係の企業に就職しました。乳製品の営業として4年勤めますが、キャリアップを目的に医療機器の営業に転職。26歳の時でした。

そして、半年後、その後の人生を変えるキッカケとなる一冊の本に出合います。

「旅行作家の吉田友和さんという方の世界一周の本に出合ったんです。それを読んで『あ、普通の人でも世界一周って行けるんだ!』と思って。僕のシナリオではワーキングホリデーで1年間英語の勉強をしてから、世界一周の旅を20代のうちにして、30歳で再就職をするつもりでした」

しかし、キャリアを捨てるのが怖くて、なかなか仕事を辞めることに踏み切れなかったという二木さん。結局30歳になり、当時のワーキングホリデーの年齢制限を迎えてしまいました。

そんな折、2度目の転機が訪れます。

「札幌から岡山に転勤が決まったんです。母親にそれを報告したら『あんた、世界一周はいつ行くの?』って突かれまして(笑)」

それでも、営業成績も人間関係も良かった当時の二木さんは、仕事を辞めることができなかったといいます。流れに身を任せて岡山へ赴任。1年を過ごしましたが、ちょうどその頃、プライベートで神経をすり減らす出来事に見舞われることに。

「親族が病気にかかってしまって…。いつの間にか忘れかけていた世界一周のことを思い出したんです。やりたいことはやれる時にやるべきだなって。世界一周は今やらないともう一生行かないなと思いました」

意を決した二木さんは2009年12月に退職。2010年3月より、念願の世界一周の旅に出発しました。

世界一周の旅は立派な経歴に

世界一周の旅は香港からスタートし、アジア→アフリカ→ヨーロッパ→中東→北米→南米を約1年かけて巡りました。旅は毎日が刺激に溢れ、人や景色との出会いの連続でした。

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旅中は世界各国のゲストハウスに泊まり歩き、これまでに100ヶ所以上の宿を見てきたといいます。しかし、それは「いつかゲストハウスを持ちたい」という目的があった訳ではなく、あくまでも旅の過程でのこと。

「どこのゲストハウスが良かったかと聞かれてもあまり記憶はなくて、そこで出会った人たちとの思い出しかありません。ただ、ロンドンのゲストハウスで体調を崩した時に、何もすることがなくて旅の前半を振り返っていたんです。その時に『こんな仕事(ゲストハウス)をできたら面白いだろうなぁ?』と何となく考えていたのは覚えています」

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2011年の3月末に帰国した二木さんは、すぐに転職活動を始めます。この時二木さんは32歳。一般的に30を過ぎてからの転職は難しいイメージがありますが、ましてや1年のブランクがあるなか、大丈夫だったのでしょうか?

「面接はほぼ落ちなかったですね。旅の期間の経歴は空白なので、間違いなく何をしていたか聞かれますが、そこで『遊んでいました』って答えるんです。そうすると相手は『え?』って食い付いてくる。そうなったらこっちのもの。あとは自分を採らないと損だということを相手に思わせるようにするんです」

二木さん曰く、旅人は国を周るごとに生活環境が変わるけれど、数日ごとに頭を自然とその国に合わせるように切り替えて行動している。その経験はかけがえがなく、それを次の仕事にどのように活かせるかを話せば、面接官も納得してくれるのだとか。

そうして、二木さんは2011年7月から、今度は製薬会社の営業として再び会社員になり働くことになりました。

「その時は将来独立しようなんてことは全く考えていなかったですね。自分に何ができるかわからなかったですし」そう二木さんは振り返ります。

キッカケは旅本の出版。そして、「+SPICE」の開催へ

新しい赴任先は北九州の小倉。知り合いもほとんどいない環境で、忙しく仕事に没頭していました。そんななか、世界一周の旅路で出会った友人から「旅の本を出すから寄稿してみないか」という誘いがあったそう。

「本はいつか書いてみたいなと思っていたので、時間を見つけて旅の思い出を綴りました。そしたら運良く採用してもらえて。今思うとその出版が現在につながる大きなキッカケでしたね」

本が出版された後、福岡で出版記念のトークイベントをすることになったのです。口コミでの集客でしたが、旅をしたい人・旅をしていた人が60人程集まったといいます。トークイベントは盛況に終わり、そのまま打ち上げに。そこで周りから旅の話をもっと聞きたいという流れになり、二木さんが毎月「旅会」を主催することになりました。

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二木さんはその旅会を「+SPICE」と命名。「自分がそうだったように、旅が人生にスパイスを与えてくれると思うんです。人が旅に出るキッカケや、他人の人生に刺激を与えられたらと思いました」と話します。毎日の仕事は忙しかったですが、二木さんは「+SPICE」をいい息抜きの場として捉え、毎月欠かさずに行いました。

初めは10人以下からスタートした「+SPICE」も、徐々に参加人数が増え、一度に70人程が集うことも。そこで場所を探すのも難しくなり、二木さんは「+SPICE」を開催する場として、シェアハウスを運営することにしたのです。

「もちろん会社員のままですよ。基本的にビビリなのですぐに仕事は辞められません(笑)」

転勤ではなく独立の道へ。「Hostel FUTAGI」の誕生

シェアハウスを始めて2年が経った頃、二木さんに次なる転機が訪れます。転勤することが決まったのです。次なる勤務先は九州以外。

「遠隔操作でシェアハウスを運営できる気は全くしなかったので、このタイミングで仕事を辞めることを決意しました」

実は二木さんが借りていたシェアハウスの物件は、博多駅から徒歩20分圏内の立地。八百屋や魚屋、かまぼこ屋、お茶屋、畳屋などが並ぶ、レトロな商店街が連なる素敵な場所にありました。

「美野島はとても趣のある環境なので、この場所を手放したくないという気持ちがあって。もっと多くの人に美野島を知ってもらいたいと思って、この場所でゲストハウスをやることを決めました」

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それまでに「+SPICE」も継続することで、述べ1,000人程が参加。そのうち「+SPICE」がキッカケで7人が実際に世界一周旅へ出発したといい、「自分が作るゲストハウスは、寝るだけの旅の拠点ではなく、旅の相談ができて、旅人同士や地元の人にも喜ばれる“コミュニケーションポイント”にできたらいいなという思いが強くなりました」と二木さん。

2015年10月に仕事を辞めた二木さんはすぐに、ゲストハウスの立ち上げ準備に取り掛かります。

「ゲストハウスは日本人にも外国人にも喜ばれるデザインにしたいと思っていて、自分のなかではほぼイメージが決まっていました」

二木さんが以前トークゲストとして参加した旅のイベントで、最も印象的だった装飾が竹を使ったものでした。そこですぐにそれを手掛けた“竹あかり演出家・ちかけん”に連絡を取って、デザインを依頼。

資金集めにはクラウドファンディングを使い、竹あかりの製作は友人などボランティアに手伝ってもらいながら、死に物狂いで約3ヶ月間かけて完成させました。

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そうして、2017年4月に「Hakata Minoshima Hostel FUTAGI」が誕生しました。

もっと多くの人に旅の素晴らしさを伝えたい

ゲストハウスをオープンして間もなく半年。現状について伺いました。

「なんとかやっています(笑)。想定外だったのは客層ですね。基本コンセプトも女性向けに作った宿ですが、バックパッカーではなく旅行初心者の女性観光客も多く訪れてくれます。人生初のゲストハウスが“Hostel FUTAGI” 結構プレッシャーです(笑)、それでも開業5ヵ月で数組のリピーターが来てくれたり、お礼の手紙をもらったり、口コミで来てくれたりするお客様が来てくれた時に、この仕事をしてよかったなと感じています」

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「今後は、旅を仕事に活かす術をもっと多くの人に伝えられたらいいなと考えています。自分の経験を理論立てて言葉で伝えていきたいと思っていて。自分自身がずっと会社員だったので、企業に対して有給を取ったり、社員が旅に出られたりするシステムを作る事による企業メリットとしての“旅学”を勧めていけたらいいなと…それを仕事に日本一周できたら最高ですね!」

世界一周の旅から帰ってすぐの二木さんは、旅によって何かが変わったとは思わなかったそうなのですが、数年経ってみてやはり物事の見え方が変わっていることに気付いたといいます。

「世界一周中に僕は3回死にそうになりました(笑)。睡眠強盗にあったり、6,000メートルの登山に挑戦したり、落石被害にもあいました。それらの経験を通して、日本の日常の小さな出来事では死なないなと思って、それまでよりも生きることが楽になった気がするんです」

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世界一周の旅に出ることを決断して仕事を辞め、旅を通して得たことを今後の仕事に活かしていこうとしている二木さん。

「今ある環境のなかで、できる選択をうまくしてきたつもりです。捨てる勇気を持ちながら、自分自身がワクワクする方向に進めば自然と道は開けてくるはずです」

自分が置かれている環境を言い訳にするのではなく、その時できることを選択することで見えてくる人生もあるのかもしれません。

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二木 俊彦(ふたぎ としひこ)さん

1978年、北海道札幌市生まれ。食品の営業、医療機器の営業、世界一周の旅、MRを経て、福岡県福岡市にて「Hakata Minoshima Hostel FUTAGI」を開業。世界一周のコンサルや企業への旅学講師としての仕事も画策中。

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