宮崎に1,000人の雇用を -アラタナのあらたな挑戦
GLOCAL MISSION Times 編集部
2017/07/10 (月) - 14:00

宮崎から日本のECを進化させる

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宮崎県宮崎市。JR宮崎駅から徒歩12分のビル7階にアラタナのオフィスはある。宮崎駅は宮崎空港からJRなら約8分、車で約20分と、アクセスの良さは抜群だ。アラタナのサービス利用企業は着実に増加しており、主力サービスである「カゴラボ」はサービス開始から10年で800以上のサイトを構築。この数字はECのオープンプラットフォーム「EC-CUBE」の構築実績数で国内ナンバーワンである。

「カゴラボ」はECサイトのデザインからシステム構築、運用、SEO対策までワンストップでサポートするサービスだ。一般的に、ECサイトを構築する会社はシステムを構築して納品すれば業務終了だが、アラタナの場合はここからがスタート。サイトがオープンした後も集客、運営とトータルにサポートし、「売れる」サイトに育て上げるのが特徴だ。

アラタナはこれまで、全国規模で800社を超えるECサイト支援を手がけ、東京に本社を構える大手企業の受注も増えている。地方でも国内トップクラスの仕事ができることを証明しているアラタナの躍進は、地方活性化、地方創生という日本が抱える課題への一つのソリューションとしても注目されている。

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株式会社アラタナ

ECサイトを「つくる」「サポートする」をコア技術に成長する宮崎発のネットベンチャー。 コンセプトは「新たな◯◯を世の中につくる」。まだこの世にない新しいテクノロジーやサービスを自分たちの手で創造すること。ECサイトの立ち上げから運営効率化まで、ECに関わるすべての業務をワンストップでサポートし、800社を超えるECサイト支援を行ってきた。2015年、さらなる成長・拡大を実現するため、スタートトゥデイグループに参画。

住所
〒880-0805 宮崎県宮崎市橘通東4-8-1 カリーノ宮崎7階
設立
2007年5月
従業員数
140名
資本金
99,000,000円

2007年05月

宮崎県宮崎市にて株式会社アラタナ設立

2007年08月

EC-CUBEをベースとしたネットショップ構築パッケージ「カゴラボ」サービス提供開始

2014年09月

ECコンサルティングサービス開始

2015年03月

スタートトゥデイグループに参画

2016年02月

本社移転

アラタナの出発点

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アラタナの創業者である濱渦伸次会長は、宮崎県の高専を卒業した後、電機メーカーに就職した。しかし、わずか3カ月で退職。当時、ライブドアやサイバーエージェントが次々に上場する姿を見ていた濱渦氏は「自分もこのムーブメントに乗りたい」と考え、挑戦を決断したのだった。

故郷に戻って手がけたのは隠れ家的なカフェ。しかし、なんの経験もなく、経営のイロハも知らなかったため、店はすぐに破綻、半年後に閉店することとなる。抱えた借金を返済するためにいくつものアルバイトを掛け持ちし、またホームページ制作を勉強して、とにかく働いた。

借金を完済するころに高専の同級生と立ち上げたのがアラタナである。創業2年目で加わった山本稔代表取締役が当時を振り返る。「アラタナに入社する前、僕はリクルートで求人誌『タウンワーク』の営業としてさまざまな会社の採用をお手伝いしていました。

県内の企業の状況を知るうちに、自分自身で会社をつくりたいという気持ちが大きくなったことと、ちょうどそのころ濱渦と知り合う機会があったことで『自分たちが働きたい会社をつくろう』と意気投合。僕にとってのアラタナはそんなふうにスタートしたんです」。ただこの時は確固とした方針がなく、Webサイトの制作を主業務として、勢いだけでスタートを切っただけだった。

「東京しかない」という常識を破る

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当時、宮崎にはすでにWeb制作会社が何社も存在していて、地元の主要企業と密接な関係を築いていた。当然、新参者のアラタナが入り込む余地はほぼない。

そんななか、株式会社ロックオンによって「EC-CUBE」というECサイトを構築するためのオープンソース・プログラムが公開され、ECサイトの立ち上げのハードルが下がった。このオープンソース・プログラムを使って、低価格で企業のECサイト構築支援を行えば、収益があがるだろうという話になり、宮崎で数件の受注を獲得したが、営業先はすぐになくなってしまった。そこで、北海道から九州までアパレルショップに片っ端から電話で営業していった。

そのようなかたちでECに着手したアラタナだったが、現在も当時と変わらず訪問営業はせず、電話とメール、Skypeなどのツールを活用して顧客とのコミュニケーションを図っている。全国に散らばるクライアントと密な関係を築く「一度も会わない営業」という仕組みは、創業のころにその原型が生まれたのだ。

山本氏は「宮崎での起業が厳しかったのかどうかは比較対象がないので判断が難しいのですが、少なくとも業界のスタンダードな営業手法を知らなかったのはよかったな、と思うことはあります。もし知っていたら、やはり『東京しかないよね』という結論になっていたかもしれない」と語る。

U・Iターン人材がつくるアラタナの未来

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その後アラタナは、ECサイト構築のニーズを確実につかみながら、制作したサイトの売り上げを着実に伸ばすコンサルティング力の高さで顧客層を拡大。それと同時に優秀な人材も集まってきた。Uターン、Iターンでの入社も増えてアラタナに新しい風が吹き、組織としても成長していった。経営管理本部長を務め、役員でもある舩山 展丈氏(左写真)もIターンで入社した一人だ。

2015年3月にはアパレルのオンラインショッピングサイト「ZOZOTOWN」を運営する株式会社スタートトゥデイと資本提携。山本氏も「グループ企業となったことで仕事の質はかなり上がった」と語っているが、アラタナでは日本でトップレベルの仕事を宮崎で経験できる。これは優秀な人材を集める上で大きな強みだ。

「優秀な人はキャリアを大切にします。地方で就職したから『終わった』ではなく、決してキャリアを損なわない、逆にキャリアップの場になる。僕たちは今、そんな企業になろうとしています」。山本氏が言うとおり、アラタナの物語が新しいチャプターに入ったのは間違いない。

宮崎で働く理由、暮らす理由

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僕のキャリアはまったく参考になりませんよ(笑)。三重県で生まれ育った僕は高専を出て関東のエンジニアリング会社に就職しました。理由は千葉の海で趣味のサーフィンをしたかったからです。

ネットビジネスが注目されるようになったころ、友人が京都でIT企業を立ち上げるというので、そこに参画するために会社の人事担当者に辞意を伝えに行ったら、僕がサーフィン好きと知っていたその人は「宮崎に行けるよ」と。宮崎転勤を勧められたのです。その打ち合わせが終わってすぐに飛行機のチケットを取って宮崎に向かいました。

その後、起業のために経験を積もうとリクルートに転職。求人誌「タウンワーク」の営業として働いていたときに、アラタナ創業者である濱渦と出会ったのです。僕は宮崎でサーフィンがしたかったから創業に参画しただけで、動機は不純でしたね。

僕は今でもサーフィンを続けていますが、アラタナでサーフィンを楽しんでいるのは意外と少なく、5人くらいかもしれません。他の人もそれぞれ自分なりの「宮崎で暮らす理由」があると思いますが、ライフスタイルのなかで大切にしていることを仕事と両立できるというのは幸せですよね。

成長のカナメはU・Iターン人材

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現在のアラタナの社員は、生まれも育ちも宮崎という人が3割、Uターンが4割、Iターンが3割です。つまり半分以上が移住組ですね。地元で働きたいと考えている人はかなり多いと思います。それでも県外に出ていく一番の理由はやっぱり仕事がないから。

県外から地元に戻れない理由も、やはり仕事がないからでしょう。「地方にはたいした仕事がないよね」と思われているのだと考えます。だからこそ、東京とほぼ変わらない仕事を持ってくる必要があるのです。

アラタナには僕より優秀な人がたくさんいます。でも、もっと増やさなければならない。Uターン、Iターン組を中心に増えてきてはいますが、本気で1,000人の雇用を目指すならば、たとえば50人分の仕事を自ら生み出して、50人を集めてまとめられる人が20人は必要です。アラタナは、そんな核となる人材に「戻りたい」「東京を離れても入社したい」と思われるような会社でなければならない。そう考えています。

将来の不安を払拭するために社員のご両親を宮崎に招くサポートができないか、ということも考えています。できることはまだまだあるはずです。

アラタナのミライは日本の可能性をひらく

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短期的に見ると東京に会社があるのはとても合理的です。ただ、これを10年のスパンで考えると、果たしてそうなのかと疑問に思うところもあります。

地方と比べて給与は高いかもしれないけれど、もしかしたら東京は住みづらい町、子供を育てにくい町になっていくかもしれない。それによって子供をつくらない人が増え、人口減少が加速して国力の低下を招くとしたら、日本にとって極めてクリティカルな問題です。

しかし、僕たちが地方でイキイキと働ける場をつくっていけば、問題解決の一助になるかもしれません。それはすごくクリエイティブなことで、人生の時間を使うだけの意味があると思うんです。自分のキャリアアップ、ワークライフバランス、趣味との両立といった価値観を大切にし、同時に大きな志と意志を持って地方で働き、社会的な課題にも取り組める。これも地方で働く大きな魅力だと思います。

今は東京主導で「地方に人を」と言われていますが、これは間違っているというのが僕の持論です。受け入れる側が東京の人たちをどう活用したいのかを明確にして、どんな環境を用意できるのかを考えなければならない。アラタナはこのテーマに挑戦し続けます。

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株式会社アラタナ 代表取締役

山本 稔

ECサイトにおける運用・コンテンツマーケティングや、競合分析・ポジショニングから導く戦略策定を担当。

1978年

三重県出身

2004年

株式会社リクルートホールディングスにて営業に従事。リクルート時代には通期MVPを受賞するなど営業成績を残す

2008年

株式会社アラタナ入社、取締役就任

2013年

最高執行責任者就任

2014年

取締役副社長就任

2015年

代表取締役社長就任

アパレル、EC、そしてアラタナへ

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出身は東京・吉祥寺で、宮崎とは縁もゆかりもありませんでした。東京の大学を卒業して、新卒でアパレルの「Theory(セオリー)」に入社。店頭に立ち、いかに売るかを考えたり、MDをやらせてもらったり、すごく楽しかったです。

でも、洋服を買い過ぎて「これでは生活できない」と思うようになり、インターネットのショッピングモールを運営する大手企業に転職しました。そこでは店舗の売り上げを増加させるコンサルティングを手がけたのですが、担当のクライアントが多く、各店舗に全力で向き合えないことに葛藤を感じるようになっていました。

そんな時、知人を介して当時社長だった濱渦と会い、「本当はもっと一つの店舗に向き合って提案をしたい」と話したら「やれば?」と言われたのです。それでアラタナに加わりました。

ただ、その時は「宮崎は無理です」とわがままを言って、設立されたばかりの東京支社で働くことになりました。「運営代行」というサービス名でECサイトのコンサルティングを手がけ、宮崎のクリエイティブチームとSkypeで連絡を取りながら夢中で働いていましたね。

夫と子供と仕事。地方で働くということ

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宮崎での暮らしは本当に豊かです。今、息子は2歳なのですが、朝は8時くらいに車で家を出て、子供を保育園に預けてそのまま夫とともに出勤。私か夫が定時の18時に会社を出て保育園に迎えにいきます。自宅に戻り、ご飯を食べ、お風呂に入って9時半ごろに子供を寝かしつけ、余力があれば翌日のご飯の支度をしたり、そのまま寝てしまったり。

宮崎はご飯がおいしいです。食材がいいのでゆでるだけ、焼くだけで十分おいしく、手がかかりません。畜産農家が多く、野菜も新鮮。安心・安全な食材が安価で手に入ります。子供を育てやすい点もメリットです。宮崎市は待機児童がゼロ。コミュニティーが機能していて、ご近所の人たちが「あそこには小さい子がいるよね」と認識してくれているから安心です。海や山など自然が近いのもいいですね。

デメリットといえば……子供が大きくなったら、学校や習い事などの選択肢が、都心と比べれば少ないかもしれない点です。でも、留学や寮に入るなどという選択肢があると思っています。それから、お気に入りのラーメン屋さんやスイーツのお店がなかなか見つからないということもありますが、それはときどき東京に遊びに行って食べられればいいかなと思います(笑)。本当に、それくらいですね。もう東京には戻れないかもしれません。

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株式会社アラタナ ECマーケティング事業本部 営業グループ

守屋 亜理沙

アパレル、インターネット企業を経て、アラタナへ入社。東京支店を2名で設立し、ECコンサルティング事業を立ち上げた。その後、同事業を宮崎本社に移管するタイミングで本社勤務へ。

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