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倉敷の帆布産業を現代に生かす!転職者の挑戦
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2019/02/25 (月) - 08:00

“晴れの国おかやま”と謳われるほど、雨の日が少なく温暖な気候に恵まれている岡山県。瀬戸内海沿岸ではかつて造船業が盛んで、それに伴い倉敷市は日本一の綿帆布の生産地として成長を遂げました。現在も綿帆布の全国生産量の約7割を占めています。その土地で130年の歴史を持つ帆布織元が「株式会社タケヤリ」。歴史ある地域産業に転職を果たし、伝統の技術を現代に生かそうと奮闘する小林さん(30歳)にお話を伺いました。

とりあえず就職、なんとなく転職、そして移住へ

千葉県柏市生まれ。東京の大学へ進学し、なんとなく周囲に流されるまま就職活動の波にもまれ、とりあえず東京の会社へ就職。1年半務めるも、いまいちやりがいを見いだせず、友人の誘いで給与の良い大阪の会社へ転職。そんな風に自分のやりがいや居場所を求めて転職を繰り返す若者は多いかもしれません。その内の一人だったと振り返る小林さんに訪れた転機は、大阪時代に出会った彼女との結婚でした。

「仕事は楽しかったですが、平日は深夜まで働いて、休日は死んだように眠る。今振り返ると異常な働き方でしたね。結婚してほどなくして宿った子供のことを考えると、改めなくちゃいけないって感じたんです」

岡山生まれの奥さんは、当時は都会に憧れ、大阪や東京での暮らしも夢見ていたそうですが、子育てを考えるとやはり自分が生まれ育った田舎の環境に身を置きたいと考えるように。奥さんの実家、岡山県浅口市(倉敷市の隣)に引っ越すことに小林さんも何の迷いもなかったそうです。当時27歳、それも、転職先が決まる前の決断でした。

「不安はなかったかというとウソになりますが、なんとかなると思っていました」

そう笑顔で話す小林さん。移住者に共通して言えることかもしれませんが、楽観的な考え方がフットワークの軽さに繋がり、その後の良い出会いに恵まれているように感じます。

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移住をきっかけに巡り合えた天職先

移住して最初に就いた仕事は、看板会社の営業でした。しかし、3ヶ月間の試用期間、懸命に働くも鳴かず飛ばず…。歩合制にもかかわらず結果を残すことができず、続けていくことは困難と判断されました。生まれてくる子供のことを考えると、さすがに不安に陥ったという小林さん夫妻でしたが、そんな折、捨てる神あれば拾う神あり。巡り合ったのが現職の(株)タケヤリだったのです。

“倉敷帆布”というと耳にしたことがある方も多いかもしれませんが、(株)タケヤリは倉敷帆布の生地を製造する大元。130年以上の歴史で、地域の帆布産業をけん引している老舗メーカーです。

当時タケヤリという地元企業があることはもちろん、帆布という言葉の意味さえ知らなかったという小林さん。キャンバス生地を作っていると聞いて、なんとなくかっこいいなと感じるぐらいだったそうです。しかし、その頃のタケヤリは、帆布の生産工場という立場から一歩踏み出し、自社ブランドを立ち上げようとしている最中。帆布を生かして新しい商品やブランドを広めていくというフェーズで、若い力を必要としていました。すぐさま共鳴した小林さんは、そのまま転職を希望し、入社が決定。伝統企業の新規事業という、特異なポジションへの転職を果たしたのです。

「移住しない限り、間違いなく出会うことはなかったですね。ある種の誇りのようなものを胸に働けているのも、地元に根差した伝統企業というのもあると思います」

現に同じ部署に勤める7名の同僚の内、半数以上が一度は県外に出たUターン組という点からも、タケヤリが地元民に愛されている企業だということを感じます。しかも、全員30~35歳というメンバー構成。一人一人に課せられる任務は大きいですが、その分、やり甲斐を強く感じるようになったと小林さんはいいます。

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「東京や大阪では人が多く、その分“比較対象”や“代わり”も多かったですが、ここでは自分自身の存在意義を強く感じられるようになりました。その分がんばらなくてはならないのですが」

移住をきっかけに自分の使命にたどり着いた小林さんは、現在ではリテールディビジョンのサブマネージャーとして、帆布を生かした新商品開発、ブランド展開、他業種とのコラボレーションに邁進しています。

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小林さんが手がけるブランドTAKEYARI since 1888

移住したことで驚いたこと

仕事では天職に巡り合えた小林さんですが、暮らし面でまず驚いたことは、車がないと生活できないということでした。そもそも免許を持っていなかった小林さんは、まず免許を取得するところからスタート。車移動が基本となると、「ちょっと一杯やってく?」というのが日常茶飯事だった東京、大阪での暮らしと比べて、格段に飲みに行く回数は減ったそうです。

「それは少し寂しいですが、その分、家食、家飲みが当たり前になったので、健全ですよね」

趣味は買い物という奥さんも、「買い物といっても洋服じゃありません。日々の食材をスーパーで調達する買い物が楽しいんです」と続きます。瀬戸内海が近いため、毎日、売り場にあがる魚の種類も異なるため、何を作るか想像しながら買い物をするのがワクワクするんだそうです。

週2~3回は魚料理という食卓も、瀬戸内ならではの暮らしを象徴しているようです。

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また、日本のしきたりを重んじるのも地方の暮らしならではないかと話します。
「法事や妊娠・出産時のしきたりなんかは、都心部よりも重んじているように思います。自分自身、気づかされることも多いです」

戌の日のお参りや帯祝いなど、今でこそ都心部でも、こうした日本の伝統行事が見直されつつありますが、地方では当たり前のように脈々と続いてきている伝統行事だそうです。法要の回数も多いので、法事で会社を休むなんてこともしばしば。

さらに、医療機関の多さにも驚いたと話します。
「岡山は“医療県”と呼ばれるほど、医療施設が多いんです。その分、都心の病院のように待ちくたびれることもありません。浅口市は中学生まで医療費無料ですし、子供がいる世帯にとってはありがたい限りです」

子供が生まれる2か月前の移住だったそうですが、希望の産院で出産することができたそうで、東京のように妊娠が確定したらすぐに予約しないと、希望の産院で産めないなんてことも少ないそうです。そして今、奥さまのお腹の中には第2子の命が宿っていました。

自身の幼い頃の遊び場が山だったと話す奥さんですが、「大人になって、その山を見てみると、危険もいっぱいだなって。だから、まだ子供は遊ばせていませんが、やっぱりこの緑豊かで海の近い環境で子育てしていきたい」と朗らかな笑顔で話してくれました。

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岡山での暮らしの充足度は?

岡山へ移住したことで、公私ともに充実した暮らしを手にした小林さん。年収は東京、大阪時代よりも減ったそうですが、家賃などを考えると可処分所得にそう変わりはなく、むしろ暮らしの満足度は、東京での暮らしを5とすると、大阪での暮らしは6、岡山での暮らしは8~9、「残り1~2は伸び代です」と話します。

「人ごみのストレスって、そこにいると当たり前になってしまうんですが、想像以上にあると思うんです。地方は圧倒的に人が少ないので、本当にゆったりできるんですよね。子供にもこの環境でのびのびと育ってほしいです」

今もたまの出張で東京や大阪へ行くと、人の多さに癖々するそうです。人が多いとその歯車の一つのように感じますが、地方は人が少ない分、人間らしく生きられている気がすると。
そして、地方には仕事がないというイメージがつきものですが、そんなことはないと話します。

「岡山には帆布以外にも、学校制服などの被服メーカーや児島のデニムなど、様々な地場産業があるんです。思っていた以上に仕事はあって、若い力でやれることも多い。移住に対するハードルは下げて考えても良いと思います」

実際に移住してから天職を見つけられた小林さんの言葉には説得力があります。

これからはせっかくの“晴れの国おかやま”なので、子供とキャンプなどアウトドアにももっと足を運びたいと話す小林さん。地に足ついた暮らしというのは、まさにこういうことを言うのかもしれません。

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小林 翔太(こばやし しょうた)さん

1988年生まれ、千葉県柏市出身。新卒で東京のコールセンターに勤めるも、1.5年で退社。その後、友人の誘いで大阪の貴金属の買い取り商へ転職。がむしゃらに3年勤務した後、結婚を機に妻の実家、岡山県浅口市へ移住。130年の歴史を誇る帆布の老舗メーカー(株)タケヤリに転職を果たし、伝統の技術を現代に生かした商品開発や新ブランドの展開に邁進する。プライベートでものびのびした環境での子育てを楽しんでいる。

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