8016_main.jpg
人生はつながっている。アパレル業界からキャンプ場スタッフへの転身
TINY GARDEN 蓼科 企画・地域コーディネーター 粟野 龍亮さん
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2019/08/28 (水) - 08:00

東京で育ち、東京でアパレル企業に勤めたものの、地方の暮らしを求め20代にして脱東京。以来、「人の価値観を動かす体験を提供したい」と地方の旅行業界に身を投じ、たどり着いたのは古巣のアパレルブランドが立ち上げたキャンプ場だった。一見関係のないようなキャリアに見えても、どこかでつながっていく。そんなキャリアにおける俗説を体現していっている粟野龍亮さん(30歳)の変遷を聞いた。

価値観の礎は、大学時代にホームステイしたカレン族の暮らしに

東京都大田区出身。サッカー三昧だったと振り返る高校は、部員が120人もいるサッカーの名門校で、毎週チーム編成が発表されるほど熾烈なレギュラー争いの日々だったという。卒業後はサッカーの強豪国であるドイツから学びたいと、上智大学の外国語学部ドイツ語学科へ進学。そして大学時代に得た経験が、その後の粟野さんにとっての価値観の礎を築くことになる。

「ドイツとは全く関係ないのですが、大学1年のとき、クラスの有志でタイのカレン族の村に1か月間ホームステイしたんです。そこでの彼らの暮らしは、一つひとつの暮らしの道具を自分たちでつくり、ていねいに使い続けていました。都会でゆるく生きてきた自分にとって、彼らの暮らしぶりに衝撃を受けたんです」

以来、自分の身の回りのものに興味を持つようになった粟野さんは、「繊維研究会」というインカレのサークルで活動。大量生産、大量消費社会の日本においても、身に着ける洋服などから、その先の自然や環境、未来について考えることはできないか。そんな研究に真面目に打ち込んでいたんだそう。

その流れで就職先は、アパレル業界へ。国内生産にこだわるアパレル企業で、それまで机上の空論で研究していたものづくりを、実際に現場で学ばせてもらったという。しかし不運なことに、就職した年は3.11の直後。商売どころじゃないと感じた粟野さんは、初任給片手に気仙沼にボランティアに出ていた。

「商売が大切なことは重々承知のうえだったのですが、商売よりももっと大切なことがあるんじゃないかと。今、考えると若くて甘い考え方だったなと思うのですが、社会や環境に対してもっと深く関わる仕事がしたいと思ったんです」

そんな折、大手アパレルブランド「アーバンリサーチ」が『かぐれ』というブランドを展開していることを知る。当時のコンセプトは“トラッドとモードと、地球”。洗練されたシルエットと着心地の良さを追求しながら、ファッションと地球の新たな共生の形を提案するブランドだった。まさに大学時代から追及していたテーマに共鳴した粟野さんは、縁あってかぐれに転職。その時、まだ若干の25歳だった。

自分たちの暮らしを自分たちの手でつくる地方暮らしへ

かぐれでは表参道と丸の内の店舗を行き来しながら、しばしば地方の作り手の元を訪ね歩いた。そこで垣間見た作り手の暮らしは、ゆったりとした時間の流れのなか、道具も食も自分たちの手でていねいに作られたものだった。さながらタイのカレン族の暮らしにシンパシーを感じたように、粟野さん自身も地方での暮らしを求めるようになっていったのは、この頃からだったという。

「自分たちで作った道具や食に囲まれた暮らしがとても豊かに感じたんです。ゆくゆくは自分も地方で自分の空間を持ちたいと思うようになりました」

8016_01.jpg

仕事面ではこうした作り手の生産背景や想いを使い手に伝えたいと、店舗でのWSや展示会を企画。モノを売るだけならず、モノの背景にあるコトを伝えることに尽力した。

そんななか、プライベートでも同じ価値観を共にする伴侶に巡り合う。同じかぐれの店舗スタッフで、かつては夏を山小屋で過ごすほどの山ガール。彼女もまた地方での暮らしを求めていた。

8016_02.jpg

その共通の想いは、ほどなくして具現化していくこととなる。二人の間に新たな命が誕生したのだ。

「子育てを考えたとき、より開放的な環境に身を置きたいと思ったんです。時間の流れやそこから見える景色が、感覚的に気持ちの良いところ。そんな環境で、野菜や身の回りのものも極力、自分たちの手でつくりながら、自分たちの暮らしを形作っていきたいなと」

そうなると自ずと居場所は東京ではなかった。お互い山好きだったため、移住先は山の近くも考えたようだが、そこは新天地での生活。子育てを考えたとき、少なからず頼る先があった方が良いということで、奥さんの実家のある三重県に決めた。伊勢神宮の神宮林が続いている森のふもと、柿畑に囲まれた神秘的な場所だったという。

初めての地方暮らし、そして異業界への転職

移住先が決まったら、先立つものは仕事探し。モノを販売するだけでなく、その背景にあるストーリーを伝えていきたいと考えていた粟野さんは、それまでのキャリアとは異なる旅行業界へと身を投じる。自身がそうだったように、実際に現地で体感してもらうことこそが、人の価値観を動かしやすいと考えるようになっていたのだ。

転職先は、大手宿泊予約サイトの法人営業。自宅を構えた伊勢に支店があったことも大きかった。ちょうど伊勢志摩サミットが開催された頃ということもあって、地域の旅行業界も活況を迎えたタイミング。そこで3年弱、地域の旅館・ホテル・観光協会にみっちり向き合い、顧客の課題解決に向き合った。

8016_03.jpg

その結果、マーケットの見方、顧客への伝え方、数字の大切さなど、学べたことは数知れなかったが、一方で自分の関われるフィールドの限界を感じたことも事実だった。

「土地柄のせいか、昔ながらの老舗事業者が力を持っていて、新参者の個のプレーヤーなどが活躍できる余地が少ないと感じたんです。それは僕が力不足だったせいもあるのですが…。あと、僕の実家のある東京からの距離も少し遠すぎました。車で6時間、電車でも4時間半かかりますからね」

しかし、子育ての一番大変な時期を、妻の実家近くで過ごせたことは良かったと話す。プライベートでも畑を借りて、自分たちで食べる野菜を自分たちでつくるという暮らしを実践していたそうだ。

日本版DMOの立ち上げに一役買いたい

Glocal Mission Jobsこの記事に関連する地方求人

同じカテゴリーの記事

同じエリアの記事

気になるエリアの記事を検索