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四国・瀬戸内の残したい景色をデザイン。地域の魅力を届けるしごと
島崎 加奈子
2018/10/09 (火) - 08:00

138島もの有人島が存在するという瀬戸内海。気候も海も年間を通して穏やかで、浮かぶ島々の暮らしはどこも気持ちが良さそうです。坂口祐(ゆう)さんは神奈川県茅ヶ崎市で育ち、イギリスへ留学した後、2010年四国へ移住。足掛け8年、四国と瀬戸内の美しい景色を巡り、人の営みと知恵を次の世代に繋ぎ、残すことを生業にしています。

中学時代に得た、考え方の原点

自分の子どもや孫に、「知ってる? 日本ってこんな素敵な〇〇があるんだよ」と聞かせるとしたら、〇〇に何を入れますか? 何を見せるのか、何を食べさせるのか…改めてそんなことを考えると、なかなか埋まらないという方も少なくないのでは。

坂口さんは大学時代、ランドスケープや都市計画を学び、東京の河川の研究をしていました。東京のあらゆる街を歩いて、河川をはじめ、街の風景の歴史や成り立ちを探る。それはそれで興味深いものの、小さい頃に体験した出来事が頭の隅でもやもやしていたといいます。

さかのぼること中学生の夏休み。単身ロンドンに赴任していた父親と、車でコッツウォルズ地方を訪れたときのこと。ピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターの生まれ故郷としても有名なこの地域には、絵本の世界そのままの風景が残っています。

「お年寄りのおじいちゃんが、中学生の僕に『この黄土色の建物のレンガのことを“ハニーブリック”というんだよ』とにこにこしながら教えてくれました。英語もよくわからなかったのですが、自慢げに嬉しそうに話している光景がずーっと記憶に残っていました」

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レンガでつくられた家が連なる美しい風景が広がるコッツウォルズの町並み

坂口さんには黄土色のレンガにしか見えなかったのに、“はちみつ色”というその詩的な表現に惹かれ、同じものでも表現の仕方によって、こんなに見え方や感じ方が変わることに衝撃を受けたという坂口さん。このエピソードは現在の仕事や、デザイン、写真にも通じる考え方の原点にもなっています。

「東京は東京で面白くて、未だに東京の街を歩いて河の跡とかを見つけるとニヤニヤしてしまいます。ですが、この東京の景色や日本地域の風景も含めて、自分の子どもや孫に対して『これはハニーブリックだ』といえるような何かがあるのか、当時はわからなかったんですよね。それがもやもやしてイギリスへ留学することにしました。留学中は、自分で足を伸ばして郊外の村や、ヨーロッパ各国の地域を見たりして、ずっと歩いて話を聞いたりしていました。これはいまの仕事でもやっていることは変わりませんね」

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渋谷ヒカリエの前にも、暗渠(あんきょ)といって地下に見えないところに川が流れている

ツイッターで呼ばれた、四国への移住の機会

3年間の留学生活が終わり、2009年の秋に帰国。就職を視野に色々と情報収集するなか、四国経済産業局(以下、四経局)で人を募集していることをツイッターで発見。これがいまの坂口さんにつながるターニングポイントでした。

「働き方研究家の西村佳哲さんのツイッターで、四経局で四国4県回りながら、そこで活躍する若者やお年寄り、暮らしの営みの情報発信をする仕事の募集があることを知りました。写真撮影や文章が書けて、英語も喋れる人が対象で、さらに調べたらその背景に出てくる登場人物がほとんど知っている人ばかり。これは何か面白いことが四国で起こっているのではないかと思いました。『自分が呼ばれている!』と、勝手に運命を感じましたね(笑)」

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実際の西村佳哲さんのブログ(ツイッターのリンク先のページ)。留学時代に一番困ったのが言葉の壁。日本語が通じればどこでもいいと思い、移住そのものは全く問題がなかったという

四経局では、広報情報システム室で「四国びと」という四国にかかわる人をインタビューして発信するサイトを運営。留学時代にヨーロッパ中を歩き回って、写真を撮り、人の話を聞いていた経験が、そのまま仕事になったようです。他にも、局内常駐のデザイナーとして、ポスターをつくったり、インタビューもデザインもHPの改修も、なんでもするという役回り。誰も知り合いがいなかった、縁もゆかりもない土地だと思っていた四国に、こうして色々な繋がりが生まれ、広がっていきました。

不思議な縁で広がっていく仕事

四経局の仕事は非常勤職員として働いていたので副業も可能で、のびのびと好きなことができる恵まれた環境だったといいます。坂口さんはその後独立しますが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

「不満はなにもありませんでしたが、いずれは独立をと考えていました。気がついたら4年も過ぎていましたが、そのころ、食べ物が届く情報誌として、東北で先に刊行されていた『東北食べる通信』の四国版、『四国食べる通信』立ち上げの話が持ち上がり、仲間と共に起業したのがきっかけです」

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「四国食べる通信」とは、隔月で冊子と一緒に毎月食べ物が送られてくる“食べる情報誌

坂口さんは「四国食べる通信」の仕事を通して、4年間で四国中を取材。50くらいの農家さんを訪ね、ときにはカツオ漁船に乗り、養蜂家、養豚農家、柑橘農家など四国で一次産業に従事するさまざまな人との繋がりができていきました。

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「四国たべる通信」を通して、遠くに暮らす家族や、知人に四国の美味しい食べ物と風景を届けることが嬉しかったという。こちらは休刊前最後の表紙

「食べる通信は4年間続けて、いまはお休みに入っています。今度はそのお休みのタイミングで、徳島県佐那河内村に移住していた徳島大学の田口太郎先生という方から『佐那河内村で情報発信やデザインができる人を探しているから顔を出さない?』って声を掛けてもらいました。これをきっかけに現在、一般財団法人さなごうちの理事として、いまは村の中の人に向けて発行する情報誌をつくる仕事もしています」

坂口さんと田口先生は、以前にイベントで知り合っていたそうなのですが、実は地元の茅ヶ崎の家が近所で、小学校も一緒という縁があり、田口先生は坂口さんのことを気にかけてくれていたようです。

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佐那河内村役場からみえる山の上の風力発電。山上の大川原高原は標高およそ1000mで、夏でも涼しく、その気候をいかして肉牛の放牧がされている

四国に移住するときも、村での仕事を始めたことも、何だか不思議な縁で繋がっていて、声をかけてもらって仕事が始まるということが多いという坂口さん。現在は、主に香川県高松市に住みながら、徳島県佐那河内村に、片道2時間かけて、年間100往復して通っているそう。

縁もゆかりもなかった土地が、こうして不思議な縁でつながっていく…“ご縁があって”と聞くと、偶然にとか、ラッキーと思ってしまいますが、意外と人はいろんな人とすれ違っていて、実はいろんな奇跡が起きているのかもしれません。

内向きの地方創生とは?

一般的に地方創生というと、東京や都心部に向けて自分たちの地域をPRして、来てもらいお金を落としてもらうということを目的にしているイメージがありますが、坂口さんの提案する地域創生は少し視点を変えたものだそうです。

「佐那河内村は徳島県で一番農業就業率が高い地域で、47の集落があるのですが、自分たちの集落のこと以外は知らなくて、身近な“価値あること”に気づいていないことがあるのです。僕はその価値を“よそ者”目線で『地域でこんなものをつくっている人がいる』ということを紹介する、村内向けの情報誌をつくっています。これを“内向きの地方創生”といういい方をしているのですが、住んでいる人に自分の地域の魅力に目を向けてもらうきっかけをつくっています」

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B4版、6ページの冊子「さなのごちそう便り」は、地元の特産品や農民のくらしぶりなどを紹介。坂口さんは写真とデザインを担当

住んでいる人には当たり前のことも、坂口さんからしてみたらキラキラして見えるその土地の魅力。また、その地域でつくられている作物をブランドとして名前を付け直して売り出したり、ふるさと納税で販売することもしているそう。魅力の掘り起こしから広報、流通までを行うのが坂口さんの役目なのです。

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こちらの牛の絵は、絵画ではなく佐那河内村で育てられている「大川原高原牛」の包み紙。元々「阿波牛」として徳島の牛として売られていたものを、村役場と財団でブランド化して販売。ふるさと納税で購入できる

「四国食べる通信」から始まり、一般財団法人さなごうちの理事まで広がりを見せる仕事内容。そのなかで見つけた地域の魅力を、自身のウェブサイト「物語を届けるしごと」で英訳つきで発信することが坂口さんの生業となっています。紹介する内容は食べ物だけでなく、景色やお祭りまで。いまでは世界160カ国からアクセスがあり、ブログを見た人が実際にその土地を訪れるなど、実際に観光客が増えることもあるそう。こうして“よそ者”目線での地域の魅力の発掘は、ジャンルを問わず波及効果が出るようになってきています。

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同じ場所に何度訪れても、見える景色は違う。いつもカメラをもって、ブログにアップ。リアルタイムな更新は生きた情報が詰まっている

美しい風景をこの先も守るためにできること

香川に移住して8年目の現在、四国・瀬戸内を飛び回って色々な方の話を聞いていくと、写真には見えない地元の声を聞くことも少なくないといいます。

「ずっとブログで、棚田とかを“きれいですね”と発信していたんですけど、その風景が“きれいですね”とは発信できても、“目の前の棚田でお米をつくることを残しましょう”という発信は自分にはできないと思っていて。特に棚田というのは耕すのがとても大変。昇り降りも機械は入れないですし、大抵そういう地域でお米をつくっている人は、もともとそこしか土地がなかったから仕方なくという理由です。それをよそ者の僕らがきれいですねというのは、ちょっと身勝手なことかと思うんですよね」

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実は四国は米どころ。「お米日本一コンテスト」では、高知県本山町の「土佐天空の郷(品種:にこまる)」が過去2回の日本一を獲得。そのお米はこの棚田でもつくられている

傍から見たら美しい棚田の景色の裏側には、その土地に住む人の歯がゆい想いがありました。この風景を次の世代に繋いでいくのに何か手伝いができるとしたら、情報発信だけでなく、目の前の食材を流通させて、後継者を見つけるまでを仕事にしないといけない…。それは棚田に限らず、あらゆる一次産業の課題でもあるといいます。

独立して立ち上げた「食べる通信」では、情報発信だけでなく、食べ物を購入したり、食材をブランディングして流通させるという内容に加え、実際に足を運んでもらえるように生産者と読者を結ぶ機会も設けました。いまはお休みしている「食べる通信」ですが、後継者育成という地方の課題は、今後も取り組んで行きたい目標の一つだそうです。

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佐那河内村の山の上にある柚子農家さん。まだまだ元気ですが、傾斜での収穫は大変な作業

四経局をやめた当初、周りには「いつか東京に帰るだろう」と思われていたそうですが、今後も実家や東京に帰る予定はないとう坂口さん。たまたま見かけたツイッターから始まった移住生活でしたが、知り合いもいなかった土地も、過ごし方次第で故郷になっていくようです。

坂口さんのように“よそ者”目線で地域に対してできることは、日本全国どこにでもあるはず。それまで縁のなかった場所や仕事でも、自分の勘を信じて突き進むことで次につながることがある。まずは自分のお気に入りの風景や食べ物を見つけて、自分にできることを考えてみることが、地域の美しい景色や暮らしを次の世代につなぐことへの第一歩になるのかもしれません。

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坂口 祐(さかぐち ゆう)さん

1980年東京生まれ、神奈川県茅ヶ崎市で育つ。慶應義塾大学SFCにて、坂茂/石川幹子研究室に所属し、都市河川の研究と景観設計を学ぶ。英国に留学しロンドン大学で建築設計を学んだ後、帰国。2010年に四国に移住し、経済産業省 四国経済産業局にてウェブマガジン「四国びと」を担当。2014年に独立し、島の雑誌「せとうち暮らし」や食材が届く情報誌「四国食べる通信」に関わる。自身のウェブサイト「物語を届けるしごと」は世界160カ国以上からアクセスがあり、四国や瀬戸内の魅力を四国外や海外に発信している。一般財団法人さなごうち理事。日本人間力大賞2015農林水産大臣奨励賞受賞。
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