【デニム】広島生まれ・世界基準。トップメーカー、カイハラの挑戦
GLOCAL MISSION Times 編集部
2018/03/15 (木) - 08:00

ブルーデニム生地で国内シェアの50%以上を占め、世界約20カ国に輸出するカイハラ。EDWINやリーバイス、ユニクロ、GAPなどグローバルブランドへ素材を提供する世界トップメーカーだ。広島県福山市、福山駅から車で約1時間。とても交通の便が良いとはいえない立地に拠点を構える同社の特徴は、世界的にもまれな「生地の一貫生産体制」を確立し、世界中の名だたるブランドから信頼される高品質を保っていること。1893年の創業から徹底された品質へのこだわりや、積極的な海外展開、カイハラブルーを支える経営哲学について、会長・貝原良治氏に伺った。

デニム生地を手に、世界各国を駆け回る

現在、当社では社員一人ひとりのアイデアによって、1年間に約1000種類ものデニム生地の試作品をつくっては、世界各国の取引先にプレゼンして回っています。
当社のような小さなメーカーでは、「定番商品をいかに安価に量産するか」というフィールドで世界に挑むことはできません。しかし、高品質な新しい生地を作り続けることが画期的な製品につながり、カイハラデニムに付加価値をつけると考えています。
その結果、広島県福山市の田舎にある小さな会社だったカイハラが、世界中のトップブランドに素材を提供する、デニム生地のグローバルニッチトップへと成長しました。そもそも、なぜカイハラはデニム生地をつくって国内外の高いシェアを誇っているのか。その軌跡をお話しいたします。

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リーバイスに認められた技術

さかのぼること約50年、私がカイハラに入社した1970年、27歳のときです。当社は1893年から伝統産業である「藍染かすり」を生業に、代々受け継いできた小さな会社でしたが、入社当初から、繊維業界が将来先細っていくことを見据え、「世界を相手にしないと生き残れない」という強い思いを持っていました。
そこで、藍染めの技術を駆使して自社開発したデニム生地を手に、72年には香港の縫製メーカーへ、73年にはアメリカのジーンズブランドなど、さまざまなメーカーやブランドへ行き、自らプレゼンテーションをして回りました。
すると、デニム生地をアメリカやメキシコ、フィリピンから輸入していたリーバイスが、「生地が足りないから取引したい」と言ってきたのです。
最初は「(不足している以上)日本製でも仕方ない」というニュアンスが多分に含まれていましたが、実際にジーンズが出来上がると「すごくいい製品ができた」「カイハラの生地がいい」と言っていただけるように。
名も無い企業が1973年にリーバイスという有名なメーカーからの信頼を得たことで、取引先は国内外で一気に拡大することとなったのです。

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始まりは、手織りの藍染かすりをつくる、小さな「はたや」

そもそも、備後(びんご)かすりの産地・広島県福山市で1893年に創業した当社は、長く、手織りの藍染かすりを製造する小さな機屋(はたや)でした。
戦後の日本に洋装が入ってくるまで、かすりは衣服のもっとも一般的な素材だったため、物資不足にさいなまれる中でも、事業は順調に拡大していました。しかし、1941年に始まった太平洋戦争で糸の配給は止められ、1950年代後半ごろから、かすりの需要は急激に冷え込むことに。一気に経営難に陥りました。
そこで「カイハラの歴史をこのまま終わらせない」と奮起したのが、3代目社長の貝原定治。新たな活路を見いだそうと、洋服生地として使える幅広のかすり作りに挑戦したのです。
従来のかすりの幅は約38センチ。着物は背中で2枚を縫い合わせて作りますが、洋服は広い幅にしないと作れません。そこで、広幅のかすりをつくるために、自分たちの手で機械を改造。手探りでの研究開発に取り組み、世界で初めて71センチの広幅かすりの試作品を完成させました。

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すると、「広島の田舎にこんなにすごい製品を生み出す会社があるのか」と、国内大手紡績会社や大手商社から絶賛を受けることに。
この開発は、日本の服飾業界にも大きなインパクトを与えました。

反戦運動や学生運動の象徴だった、ジーンズ

その完成からほどなくして、イスラム教徒が着用するサロンという衣服の需要があるとわかり、広幅かすりの技術を詰め込んだサロンの量産をスタート。福山市の工場から、中近東の人々に「最高級品」として愛される製品が輸出されるようになったのです。
しかし、ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間、主要輸出先だったイエメンのアデンを占領していた英国が撤退したことで、英国ポンドの価値が急落。輸出量も激減し、収益も3分の2減という危機に陥りました。285名いた社員も半分以下になり、「もういよいよか」と思った矢先、当社にとってもっとも大きな転機が訪れます。
地元の問屋さんや衣料品メーカーさんから「カイハラの藍染めの技術力で、国産デニム生地を作れないだろうか」という相談が、舞い込んできたのです。
当時は、私がちょうど入社した1970年ごろ。ベトナム戦争をめぐって世界各国で大規模な反戦運動が起こっていた時期で、デニム素材のジーンズは若者たちの象徴でありました。
日本でも反戦運動や学生運動は活発化し、地面に座って抗議活動をする上で、破けることのない丈夫なジーンズは、反体制の匂いに満ちた先進的で使い勝手のいい服だったのです。
そこで、「ジーンズはこれからの新しい服飾文化になる」と考え、ここに社運を賭けようとカイハラは大きく舵を切ったのです。

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生地メーカーとして、国内初の一貫生産体制を確立

デニム生地の魅力は、穿(は)けば穿くほど色落ちして味わいが増すところにあります。しかし、その味わいを出すには、デニム用の糸を芯まで染まらない程度に染色する必要があります。
しかし、当時の日本にはその技術はなく、1870年からワークウェアとして広く親しまれていた本場アメリカの品質に追いつくには、染色技術の開発が不可欠でした。
そこで、創業時から藍染めの製造で培ってきた知識と技術を総動員させ、ロープ染色機という独自の機械を自社開発。経営的にもギリギリの状態でしたが、7カ月の試行錯誤を経て、日本の伝統産業である藍染め技術を生かした染色技術のデニムが日本で初めて誕生しました。

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色落ちしながら味わいを増す高品質な国産デニムは、大手生地メーカーや紡績会社からのオーダーが殺到。そして、先に述べた1973年のリーバイスとの取引開始を皮切りに、一気に国内外からの注目を浴びることとなりました。
その後、78年にデニムを織る高性能の革新織機で製造を開始。80年に最終仕上げを行う整理加工、91年には紡績の設備を造り上げ、デニムづくりの全工程を一貫生産できる体制を国内で初めて確立しました。

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自分たちで修理できるよう、機械はすべて自社開発

機械をすべて自社で開発したのには、工場が広島県福山市の山奥にあるという立地的な背景があります。機械を外注すれば、運ぶコストがかかりますし、故障するたびに外から専門家を呼ばなければいけません。
今のように交通網が発達していなかった時代にそれをやると、機械が一度止まったら数日間は復旧できず、安定した提供ができなくなってしまう。だから、自分たちの手で修理・改良できる機械づくりが、長期的な利益につながるだろうと考えたのです。
また、一貫生産体制を築くために、本社工場の他に広島県内に3つの工場を新設。生産時の振動公害で地域の方に迷惑をかけてはいけないと、山を買っては自分たちで敷地を切り開き、生産拠点を確立させました。
工場を増やし、取引先を増やしていくことで、地域の雇用創出にも貢献できているのではないかなと思っています。

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試作品は年間約1000個、大量の失敗が価値を生む

現在、1年間に約1000種類もの試作品をつくっては、世界各国の取引先にプレゼンして回っている当社。
商品開発のヒントを得るために、取引先のジーンズメーカーから、店舗での裾直しで出た生地の端切れを大量に送ってもらったこともありました。デスクの上に、端切れを一つひとつ並べて社員と売れ筋を分析するなど、地道に手を動かす積み重ねがあって今があります。
紡績、染色、織布、整理加工の全工程を社内で行っているからこそ、色目や風合いの異なるあらゆる組み合わせの製品を生み出せますし、私たちほど、大量に試作品を作っては失敗しているデニムメーカーは世界にないでしょう。
毎年試作品をプレゼンするカイハラ社員を楽しみに待ってくださる取引先は世界中にあり、だからこそ、社員も臆することなく新しいことへの挑戦をし続けられているのだと思います。

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広島から世界へ、新たな価値を発信し続ける

創業以来125年のカイハラの挑戦と成長を支えてきたのは、デニムを構成する3つのF「ファブリック(生地)、フィット(体に合ったライン)、フィニッシュ(洗い加工)」のあり方を新しく作っては壊していく、スクラップ&ビルドの繰り返しにあります。
近い未来を見据えた挑戦は、徹底した機械化による海外拠点工場の規模拡大、それによる海外ブランドへの安定した生地供給です。現在タイにある工場のほか、どんな海外展開を進めるべきかが、カイハラのこれからの挑戦となるでしょう。
一方で、「広島から世界に発信していく」という思いは変わらずにあります。広島県や近隣県出身の方が、「地元近辺におもしろい仕事があるから帰ろう」と思えるような受け皿でありたいですし、そのためにも、利益はきちんと社員に還元し続けています。
アメリカで生まれ、広島県福山市で進化を遂げたデニムは、世界中で愛され、いまなおニーズは拡大しています。現在、カイハラからデニム生地を輸出している国は約20カ国。Made in Japanの高品質と新商品開発を武器に、カイハラはこれからも挑戦し続けます。 「広島からこんなに新しい製品が生まれている」「広島の企業が世界をフィールドに挑戦し続けている」という驚きを、これからも世の中に発信し続けたいですね。

 

 

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