【近江八幡】たねや4代目が説く、100年後を見据える商いとは
GLOCAL MISSION Times 編集部
2017/12/07 (木) - 08:00

戦後、東京への一極集中が加速した日本。しかし最近では、東京で働き続けることよりも、地方でよりダイナミックに活躍する選択肢を視野に入れるビジネスパーソンが増えている。「脱・東京、Localが放つ可能性」シリーズ第2回は、1872年創業、滋賀県近江八幡市に本社を置く、老舗の菓子製造企業・たねやグループにフォーカス。近江商人の魂を受け継ぐたねやの、商売人としての生き方・考え方とは。

たねやグループは、和菓子店「たねや」と洋菓子店「クラブハリエ」を展開する老舗菓子屋だ。
長らく和菓子を作ってきたたねやだが、1979年には洋菓子部門として「クラブハリエ」(当初:ボン・ハリエ)を設立し、日本人向けにふんわりしっとりと焼き上げた、国内の先駆けと言える「バームクーヘン」を展開。
そして、1984年には、日本橋三越に出店し、県外へ初進出。
その出店に際し、職人だけが知る、できたての最中のおいしさを再現した、最中の種とあんを食べる直前にあわせる手作り最中「ふくみ天平」を開発・発売したところ、たちまち大ヒットとなり、その名を全国にとどろかせるようになる。

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菓子の価格は相場より高価だが、その質の高さと本物のおいしさが評価され、手土産などで重宝されている。現在、滋賀や大阪を中心に東京から福岡まで出店し、海外からの引き合いもあるという。
2015年、たねやグループのフラッグシップ店「ラ コリーナ近江八幡」をオープン。ここは、新幹線の米原駅もしくは京都駅から在来線で約30分、そこからタクシーで約10分と、決して便利な場所ではないものの、土日は行列で入場制限がかかるほどの、一大観光拠点へと成長している。
いまや、たねやは正社員1000人を超える滋賀県の優良企業だ。4代目社長・山本昌仁氏に、たねやの強さの秘訣と、菓子屋として歩む「道」について伺った。

目先の売り上げでなく、100年後を見据える

お菓子屋としてのたねやの創業は、1872年(明治5年)。江戸の末期は木材や種を扱う商売をしていたので、地域の方から「お菓子屋さんだけど、種屋」と命名され、ありがたく今日まで使わせていただいています。
3代目である父(会長)の代で、たねやは次々と全国各地へ出店するなど拡大したのですが、それまでは従業員数人で商う小さな和菓子屋でした。私が跡を継いだのは2011年、41歳のときです。

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たねやは145年続いている企業ですが、人類や地球の長い歴史で考えると、たったの145年しか商売をさせていただいていません。この短い145年の間に、近江八幡を衰退させるわけにも、地球を破壊してしまうわけにもいきません。
だからこそ、儲けることに舵を切ってしまうと本末転倒です。目先の売り上げや数字ばかりを見るのではなく、次世代に引き継ぐために何をすべきか。
地道に、一歩ずつ、前に進んでいった結果、いまの近江八幡の姿があるのと同じように、たねやも100年、200年後を見据えないといけない。

自分の生きた証しや成果というのは、現世で自ら見せびらかすものではないと思っています。100年後、200年後に、「あのとき先代がやってくれたことが、いまにつながっている」と言われないと意味がないでしょう。
こうした考えが、近江商人であるたねやに、空気や水のごとく代々受け継がれています。

「近江八幡」を未来につなげるために

たねやの本店は代々近江八幡市にあり、現在は近江八幡駅から車で約10分、2015年に竣工した「ラ コリーナ近江八幡」の中に本社も置いています。

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もともとこの地は、バブル期に厚生年金施設としてプールやホテルなどが建てられていました。だけど、時代の流れと共に経営が厳しくなり、父親が2008年にこの甲子園球場3つ分ある広大な土地を落札。厚生年金施設は2009年に営業を終了しました。
ラ コリーナをつくるにあたって設けたテーマは「自然に学ぶ」です。
人類の長い歴史の中で、人は自然を利用して生きてきましたが、これからは自然をお師匠さんとして学んでいかなければならない。それはこれからも変わらないですし、次世代はもっと重要なテーマになると思います。
だからこそ、東京にも大阪にも京都にもない、そんな空間を近江八幡につくりたい。緩やかな丘と田園が広がる近江の風景、近江八幡の原風景をよみがえらせるだけでなく、10年、20年後に、「これこそが近江八幡だ」と言われるような、新たな価値を見いだしたい。
そんな思いで、たねやの生き方を示せるような施設をつくるべく、数年にわたる構想が始まりました。

敷地の中央に田んぼ。風や四季を感じる施設

国内外、数多くの建築家にお会いしてプレゼンしてもらい、何度もご破算になりながら、最終的にお願いしたのは、東京大学で名誉教授をされている建築家・建築史家の藤森照信先生でした。

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私たちがこだわったのは、屋内型テーマパークのような施設の中に入って事足りる場所ではなく、近江八幡の風や四季を感じてもらえる場所にすること。藤森先生が描いてくださった絵こそ、たねやがイメージする生き方そのものでした。
それからは、藤森先生と山に入って栗の木を一本一本選ぶなどし、施設づくりに着手しました。従業員も手伝いながら、2015年にようやく、焼きたてバームクーヘンを食べられるカフェを併設したメインショップを竣工。
その後、敷地内に田んぼや農藝(のうげい)、カフェ、フードガレージ、本社移転などを重ねて、今の形を作ってきました。

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「ラ コリーナ」とは、イタリア語で「丘」を意味します。その名の通り、屋根一面が芝に覆われ、四季ごとに違う表情を見せる丘のようなメインショップを抜けると、八幡山を背景に田んぼや棚田の景色が広がります。
田んぼがあるのは、敷地の中央。一般的に、一等地をたっぷり使って田んぼをつくる企業はないと思いますが、この風景こそが、たねやが表現したい近江八幡の姿。
オープン時の年間来客数は約150万人、昨年は200万人を超え、滋賀県一の観光地になりました。国内外からたくさんの方がラ コリーナの施設に来ていただけていることを、本当にありがたく思っています。

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産学連携と農業にも取り組む理由

たねやはお菓子屋ですが、お菓子とは一見関係ないことをたくさんやっています。たとえば、京都大学とコラボした「森里海」産学連携。分校がラ コリーナの敷地内にあり、琵琶湖やその周辺の自然環境を研究するプロジェクトを進めています。
お菓子には、いい土で育つ食材ときれいな水が必要で、「森里海」の海にあたる琵琶湖の水が汚染されているのなら、森から見直していこうとしているわけです。

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また、敷地内にはたねや農藝(農業部門)があり、約80人がスタッフとして働いています。そもそもたねやが最初に農園をはじめたのは、今から20年前でした。農家さんから「商売人が農家に対して口を出すな、知りもせんのに」と言われたことにハッとしたんです。
北海道の小豆、九州の栗など、各地でこだわりを持つ農家さんと契約していますが、もし、農家さんがやめてしまったら、私たちは商売ができなくなります。
だから、自分たちも滋賀県でできることをやり、農家さんの気持ちを学ぶべきと考え、20年前に隣町で無農薬のヨモギ栽培をはじめました。
ただ、農薬を使わない農業は虫がたくさん来るんですよね。農園外の田んぼにも虫が来るようになったため、町の方に強く反対されました。
それでも、自分の家族に自信を持って食べさせられる作物を作ろう、自然を未来に残していこうと何度も話した結果、今では、地域の方も、無農薬でヨモギを作る農家になっていただくまでになりました。

働き方改革を体現した、創造力を増すオフィス

現在、ラ コリーナ内にある本社には、約80人の社員が働いています。社員に対して私が大切に考えていることは、自分で感じたこと・考えたことをお客様や仲間に表現してもらうことです。

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たとえば、「これは100人の総意です」などと新規事業のアイデアを提案しに来られても困る。100人だろうが1000人だろうが、いろんな人の話を聞いた上で自分はこう考えますと言えなければ、何度でもやり直してもらいます。
逆に、パッとひらめいたことでも自分の言葉でしっかりと提案してきたら、それを事業に取り入れるケースは多くありますね。
本社をあえてお客様が集まる空間につくったのも、自分で考えて行動してもらうためです。
今までの仕事はオフィスの自分の机でやっていることがすべてでしたが、今はたくさんのお客様がいらっしゃったら、駐車場整備なり案内なり、みんなで手伝わざるをえません。
この副産物として得られたのは、社員の無駄な仕事がどんどん減ったこと。自ら、不要なデスクワークをなくし、効率化を図ることで、その時間をメインショップのお手伝いに充てたり、ラ コリーナをぐるりと歩いて新しいアイデアを生み出したりするようになりました。
本社は単なるオフィスではなく、いろんなものが集まってくる「創造力を増せる場」です。
季節の移り変わりを肌で感じ、田植えや収穫などの農作業を通じて自然に学び、お客様と触れ合う。社内に設けた図書館で知識を補い、それに、毎週ガチャガチャで出た席に座る究極のフリーアドレスで刺激を受けるなど、創造力を増す工夫はたくさん仕掛けています。

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未来永劫、近江八幡を選ばれる場所に

近江八幡の自然に学びながら、歴史や文化をひもといていくと、「もっとこの地でやらないといけないことがある」と気付き、私はまちづくり会社の社長も兼務しています。
かつて、近江八幡はラ コリーナのある周辺を含む、豊臣秀吉が築いた八幡山城下が市街地でしたが、現在は駅前の商業施設がまちの中心部です。それが悪いのではなく、歴史を紡いできた先代たちが残してくれた近江八幡はこの地域であり、そこを守り、つなげないといけない。
次の世代、その次の世代の子どもたちが「近江八幡に住みたい、働きたい」と思える場所になるよう、私は生きている間にできる精いっぱいのことを、この近江八幡でやりたいと考えています。
どの地方にも受け継がれている歴史や文化があり、その上での商いがあると思います。地域に根差した企業であればあるほど、経営者も従業員も、もっと地域を知り、好きになることが、地方企業存続のひとつの鍵になると、私は考えます。
目先の利益ではなく未来を見据えた行動を愚直に重ねていけば、きっと、その地域になくてはならない存在になるはず。今日のたねやが存在するのは、そうした行動を重ねた先代のおかげであり、私たちを生かしてくれている地域の方、近江八幡、そして自然のおかげであると思っています。

 

 

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