人とまちに魅了され、とどまる覚悟をした福岡で自らの足跡残す仕事を
空気株式会社 小澤 利男さん
亀和田 俊明
2019/07/24 (水) - 08:00

国内の移住地として人気が高く、ビジネスマンの希望赴任先としても北海道札幌市と双璧の都市が福岡県福岡市だ。特に福岡市はインバウンドも数多く訪れるとともに、起業する人たちにとっても行政の支援などを手厚く受けられるメリットの多い土地でもある。大手広告代理店の九州支社長として赴任した小澤利男さん(60歳)が、福岡の人とまちに魅了され、永住を決意するなかで映像制作会社の副社長へ転職を果たした経緯や移住、転職について聞いた。

小学校6年生の時に大阪万博で出合った広告の世界

愛知県名古屋市で、自動車の設計に携わっていたエンジニアを父に持つ家庭の長男として生まれた小澤さんは、小学校6年生だった1970年に後の人生を決めることになる国家的なイベントを体験するとともに、運命の仕事と出合っている。

「1970年、小学6年の時に、『こんにちは~』の唄に踊らされて千里の丘に大阪万博を見に行きました。当時の万博には日本中の人が熱狂する高揚感がありましたが、その熱狂を目の当たりにして『凄げえな』と思ったんですよ。動員力とか。誰がやっているのか、通産省(当時)かなと思ったら、実は電通だって教えられて。これだけの人の心を動かして素直に素敵だと思った。そんな仕事があるのを初めて知って、こんな仕事をできたらなと思いました」

小学校6年生の時に出合った広告の世界(大阪万博会場の太陽の塔の前で)

それから迷うことなく、広告会社や広告の仕事を目指すことになる。自分で何かを発信して、行っていくことが魅力だと思うとともに、父親とは違い、プロダクトではなく、コミュニケーションが自分には向いているのではと感じ、自らの進む道を定めた。

1970年の万博との出合いは、折に触れて、周囲の人にも話していることから、2025年の大阪万博を控え、「小澤さんのキャリアは、1970年の万博で始まり、2025年の万博で終わる。万博で始まって万博で終わる人生ですね」と指摘されるという。

この夢を中学、高校と持ち続け、大学は北海道大学と信州大学を受験した。バンカラに憧れた第1志望の北大は落ちたが、父から浪人を許されなかったことから信州大に進学。この時の受験の失敗は、「生まれて初めての挫折経験だったんだけど、失敗して、落ちて、折れて、そこから立ち直っていくっていう経験。当時はお先真っ暗でしたが、そんな経験もやっぱり糧になっている。つまずいたというのは、きっと良かったんだなと思いますね」と振り返る。

信州大学人文学部経済学科を卒業後は、ためらうことなく、広告会社に狙いを定め、電通や博報堂をはじめ5社を受験し、最も相性が良かった旭通信社に1981年に就職した。

「合格した会社の中で、実際に行ってみたら一番フィットしていたのが旭通信社でした。旭通信社の魅力は圧倒的に人ですね。哲学がユニークでした。新入社員のころから一人一人が会社の代表者で、自分が全て判断するという経営者の意識を植え付けられました。営業主体の会社でしたが、エネルギーが満ち溢れていましたね。社屋はボロボロでしたけど」

当時、旭通信社は広告業界では10位だったが、1999年には第一企画と合併して株式会社アサツーディ・ケイが発足し、業界3位まで上り詰めることになるものの、業界では派手と見られていた第一企画と地味な旭通信社とでは水と油の部分もあったようだ。

広告会社の九州支社長として地縁血縁ない福岡に赴任

東京本社で営業職を30年勤めることになるが、メディアビジネスとコンテンツビジネスの両方を経験できたことが良かったという。そのなかでプロデューサーとしての経験を積む。

「東京本社に30年、営業一筋でした。プロデューサーとしてお客さまから予算を預かり、どんなクリエイターを充てるか、自分の会社のリソースの何が強みかというのは把握していないといけないし、ベストな布陣で臨まなければならない。後は人を動かすということですね。プロジェクトを動かしていくには何が大事かということを、その時、その時、自分で工夫していくことを学びました。この時の経験がプロデューサー修行になりました」

その後、同社は広告世界最大手のWPPの傘下に入ったが、横槍が入ったり、理にかなわないことが多くあって迷走していたという。自分としてはモヤモヤ感があり、このままであれば、「やっていられない」と辞めようと思っていた時に、九州支社長の辞令が下りることになる。

営業一筋の東京本社ではプロデューサーを経験し最後には営業本部長を務めていた

「半分辞めてしまおうかと気持ちが芽生えていた時に今の社長に呼ばれて、九州支社長だけれども行ってくれないか、と言われました。飛びつきましたね。東京の本社から離れているし、自分の裁量でできるというので、喜んで行くことに決めました。九州、博多には地縁も血縁も、もちろん知己も全くいなかったけれど」

2011年1月に営業総括・九州支社長として福岡へ赴任。「福岡に着任したのが年末で、正月に独り新しい自宅のテレビで箱根駅伝を観戦していると、青空が広がった関東とは違う、どんよりと雲が垂れた博多の空を眺めて日本海側の街に来たんだと強く感じました」

九州支社の強みはダイレクトマーケティングといわれているように通販3社がメインクライアントだったが、当初、赴任の挨拶で地元企業を回ると経営者たちから受ける、東京とは違う圧の強さに驚くことに。また、スタッフは60人ほどだが、地元代理店からの転職組が要職を務めており、戸惑う場面も多かったという。

「会社のトップは東京にいて、僕は支社のリーダーに過ぎません。支社長として組織を引っ張っていくには、一個一個の小さな決断を、いろいろな局面で、どう栽いていくかということで、部下の信頼を勝ち得ていくしかないんですね。楽しかったですけど、きつい部分もありました。一方で、支社長は、自分の裁量で経営でき、携われる部分があるので、九州支社ではマネジメントを勉強させてもらったと思っています」

2013年以降は広島や愛媛のトップも兼ねることになり、結局、九州支社で5年間勤務することになる。

住みたい、暮らし続けたいと願った福岡での永住を決意

福岡での仕事や生活にも慣れていくなか、福岡の人やまちに魅了されていくことになる。「自分独りだから食べ歩きや飲み歩きもできますし、近隣の素敵な場所に足を延ばすこともできますし、恵まれた環境のなかで満喫できました。皆さんがよくいうように福岡は安い、旨い、近い。そこらの居酒屋のクオリティが高いですし、飲み食いに関わるコスパが非常にいいですね」

そうしたなか、前々任の支社長から地元の財界的なところに入ったほうがいいといわれ、地元経営者の集まりだった博多21の会にブランチのトップということで入会を許され、参加するようになる。

「参加している皆さんはクライアントではないし、結果的に後からクライアントになるケースもありましたが、肩書を外した付き合いができるので、気の置けない場所でした。僕にとってはサードプレイスな場所になり、福岡に住みたい、ここで暮らし続けたいと思うようになりました」

人口増加率が高い福岡市は、極めて空港からのアクセスが良く、しかも自然が豊かな上に都市機能が凝縮しているコンパクトシティだからビジネスもプライベートも充実させることのできる街でもある。

5年間のアサツーディ・ケイの九州支社勤務では九州と広島・四国の支社長を兼務

「福岡にはいい塩梅がそこにある。適量なので福岡だったら全部味わえる。大抵のものはあるし、手に入る。過不足なく丁度良い街ですかね。おらが街という人たちが集合した街で、自分たちの街を誇らしく思っていて、プライドがあって、それは惹きつけますよね。そういう人たちが街をつくっているという気が満ちています。福岡人は面倒くさくて暑苦しいですけど、僕にとっては面白かった」

そんな充実した福岡での暮らし、九州支社での5年が経過するなかで、本社に異動になる話が持ち上がる。「5年経って本社に戻ってこいという話になって。本社に戻ってどうなるんだって感じがありました。もう56でしたから。福岡が気に入ってしまったので、ここで暮らしたい。本社に戻らずに福岡にいるためには会社を辞めるしかないと思いました」

自身は辞める選択肢しかなかったという。2015年末に会社を辞める意向を周囲に話すと、いくつか地元の会社から誘いがあり、その中に「空気」があった。

「声をかけてもらって有難かったですけど、サラリーマンをやるつもりはなく、自分の人生を生きたいなと思っていたんです。何らかのフリーランスになることを考えていたが、声をかけていただけるうちが花かなと思って最終的に『空気』を選んだ」

出身地で実家のある名古屋には高齢の両親が健在なものの、自身は長男ということもあり、今後のことは分からないものの、ここで一歩新しい道に踏み出した。

2016年3月、映像クリエイターが所属し、TVCMやドラマ、映画などを扱う空気株式会社の副社長に就任。同社の業務やクライアントの幅が広がるなかで営業力、企業規模の拡大に伴う経営基盤、マネジメント体制の強化を目的とし、大手広告会社で営業職、マネジメント職に携わり、九州トップの経験を持つ小澤氏の手腕を評価したものだったようだ。

映像制作会社の空気では副社長としてマネジメントとプロデュースを担っている

「基本的にはプロデューサーなんですけども、空気らしさを大切にしながら事務作業の効率化など管理体制の整備と新たなクライアントや企画を生み出す営業面に取り組んでいます。映像制作の会社ですが、最近は映画や展示会の仕事にも広がっている。新しいジャンルの取り組みは勉強ばかりですが、どうやって広めるか、どうやってマネタイズするか、プロデューサーとして幅広く関わっていきたい」

同社の取締役会長を務める江口カン氏は、福岡で誕生した競輪を扱った『ガチ星』や辛子明太子の元祖「ふくや」の創業者夫婦をモデルに描かれた『めんたいぴりり』、大人気コミックを岡田准一主演で実写化した『ザ・ファブル』の監督でもある。

また、映画以外にも、最近ではさまざまな生物や物の中身を『スケる(透ける)』を通じて紹介する特別展「スケスケ展」というイベントの仕事にも携わる。ネーミングも小澤氏で、自分たちが持っている価値を広めていくために巡回展にも取り組んでいる。

ボランティア活動や趣味でオフをエンジョイ

福岡で映像制作の仕事に従事しながら福岡の経営者や文化人による一般社団法人博多21の会で活動する一方、福岡大学では、『人生をデザインする』というテーマで講義しているほか、地元のボランティア活動に参加したり、写真撮影などの趣味も楽しんでいる。

「『博多21の会』では、教育関係の委員会に所属しています。福岡大が中心になっている事業にアドバイスを求められるなかで、学校の先生方に講義をしたり、福岡大で毎年、ゲスト講師として話をしていますが、これは、『空気』へのリクルートの意味合いもあったりしますね。九州大学芸術工学部でも年に1回は講義をしています」

自身にとってサードプレイスでもあった「博多21の会」では教育関係の委員会に所属

さらに、3年前からは、プライベートな時間を利用して福岡でのトライアスロンの大会の運営にも関わるようになり、多忙を極めることになる。

「『福岡トライアスロン』は2017年に1回目が行われましたが、それを手伝っていた博多21の会のメンバーから運営などがどうにもならず小澤さん手伝ってよと言われ、大会実行委員であり役員として加わりました。個人のボランティアとして関わっているので、負荷ばかり多くて大変ですが、会社に迷惑をかけられないので、主に休みとか夜の時間を使っています」

健康が心配される小澤さんだが、「今年、還暦を迎えたんですけども、意外と元気だなって。最近はハード系のジムにも通っています。残された時間をやはり意識しますね。大事に生きていかなければならない。おろそかにできないな。有限なものを噛みしめる。そういう年ごろになったんでしょうね。できることなら、自分の足跡を残す仕事をやりたい。世の中に残っていくものを。あれって小澤さんが始めたんだよって。まぁ、そんなに時間がないですけど」

現在、福岡では創業が活発で、ベンチャー企業、スタートアップには最適な環境ともいわれ、クリエイターやエンジニアなどの職種の移住者が多い街だ。

東京からひとり九州の福岡に赴任し、永住することを決めて会社を退社し、これまでの仕事の経験やスキルを生かせる会社に転職を果たした小澤さんに、最後に移住についてうかがった。

「会社を辞めて福岡に残りますというと、やっぱり地元の方たちの態度が変わりましたね。お前もハマッたかって。覚悟みたいなものがあった時に移住先の方たちとの関わりが変化する。本当に勇気を持って飛び込む。勇気をもって住みましょう。住んでみて、やってみて、うまくいかない時に、そこで考える」

周囲から「小澤さんは恵まれていますよね」とよくいわれるという。独身(バツイチ)なだけに子どもや家庭のことを考えたりしなくてもいい身軽さはあるが、地縁、血縁のない地でも一から人間関係を築き、ネットワークを広げ、永住を決意するほどの環境を整えた源泉は、子どものころに感じた自分にはコミュケーションが合っているという思いだろうか。

「環境に左右されて動くんじゃなくて、自分の気持ちで動く。楽しんでいる人に人は寄ってくる。自分の信条でもあるけれど、楽しんでいる、喜んでいる、エネルギーがある時に、そこに人は集まってくる。楽しんでいる人、笑顔の人の吸引力ですかね」

人とまちの魅力が溢れている、好きになった福岡のまちで、小澤さんの足跡を残すような仕事が期待される。

空気株式会社 副社長

小澤 利男(おざわ としお)さん

1959年生まれ、愛知県名古屋市出身。信州大学人文学部経済学科卒業後に1981年4月株式会社旭通信社入社、2011年1月営業総括・九州支社長、2013年1月営業統括・西日本ネットワーク本部長、九州支社長、2014年1月営業統括・西日本ネットワーク本部長、九州支社長兼中国支社長、2016年1月九州支社チーフディレクター。2016年3月に空気株式会社に転職し副社長に就任。映像制作会社のマネジメントとプロデュースを担当。プライベートでは、一般社団法人博多21の会の委員、福岡大学の講師、福岡トライアスロン実行委員などを務めている。

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