【木下斉】「成熟化時代の地方発サービス産業の可能性」/ポストものづくりの地方成長戦略・第1回
木下 斉
2017/08/11 (金) - 08:00

近年、ふたたび「ものづくり大国」として日本を元気にしようとする施策も多い中、一方で、ものづくりなどで培った技術育成体系をサービス産業に転用して成功してきた地方都市も存在します。シリーズ「ポストものづくりの地方」。今回はヨーロッパの地方都市の繁栄と衰退から学ぶ地方都市の発展のヒントを紹介します。

「明治維新以前の地域文化性と現代の技術で稼ぐ」/ポストものづくりの地方成長戦略・第2回

イノベーション産業集積が作り出す、職住接近型都市の時代/ポストものづくりの地方成長戦略・第3回

地域の発展を「工業」だけに依存してはいけない

明治維新以降、日本の地域での活力の多くは工業に依存してきました。工業が発展し、工場が作られると大きな雇用が発生し、そこに全国から人が集まり、集まった人を相手にした生活産業である商業などが伸びていきました。自治体も工場から得られる膨大な固定資産税収入、そこで働く人達の住民税・所得税、さらに商業などからも副次的に税収を得ることができ、結果として公共投資も活発化して発展していきました。このパターンが未だに日本の地域発展モデルとして認識されています。

もちろん工業が全部ダメとはいわないものの、先端的な工業はそもそも現代においてはオートメーション化が進んで雇用をそれほど必要とせず、むしろ生産性の低い作業で雇用を産めば長時間低収入の罠にかかり、雇用調整の浮き沈みも大きく、かつてのような地域の発展にはつながらないという問題があります。

一方で、今日本の地方で元気だと言われる地域はどこでしょうか。 わかりやすいところでは、九州の福岡市があります。九州でも人口増加率、増加数ともに政令市1位、成長可能性都市ランクでも国内1位になったり、開業率もまた国内1位であったり、国内のみならず、イギリスのグローバル情報誌『MONOCLE(モノクル)』で発表された「世界の住みやすい都市ランキング2016年版」で堂々の7位入りをしたり、国際空港から都心までのアクセスがアジア13都市中1位であったり、様々な切り口で評価をしても上位に位置する日本を代表する地方都市です。

しかし、福岡市にはこれといった工業はありません。むしろ役所や支社などの業務拠点が集積し、大学も多数所在、さらに空港や新幹線などの交通結束点がコンパクトに福岡市中心部にしっかりと存在するなど、むしろ工業とは全く異なる都市構造です。もともと一級河川が存在しないため、水資源が豊かではないため、大量の水を活用する工場などは立地条件が合わず、港湾施設を整備したり工業団地を一時期整備するも、先行する北九州エリアや大分エリアなどに工業は先行されたまま失敗に終わった歴史があります。だからこそ、中心部において人が集まる業務拠点、交通結束などインフラへ注力し、さらに商業開発を展開し、九州管内から多数の人口流入を受け止めることで発展してきました。

しかし結果として、旧来型の大きな工場と大量雇用という形式の工業が衰退スパンに入った現在においては、むしろそのような工業モデルに依存していなかった福岡市はぐいぐいと伸びています。一方、工業で反映してきた北九州市や大分市は今は大変厳しい状況にあります。

都市の競争力は時代と共に変化をし、今地方都市をみるうえでも「今がよいから強い」のではなく、「過去に他の都市と異なる戦略をとったからこそ成長した」理由があったり、「技術革新や経済変化によって優位性が高まった」理由があることを忘れてはいけません。福岡市も今が強いから強い、という話しではなく、過去100年ほどの中で、今につながる決定的な意思決定や、決定的な失敗をした上での転換があったからこそ、優位性を築いているといえます。

他が工業と言っているときに、いち早くサービス産業中心での消費中心型都市に注力した福岡市が今優位性を形成できている点からも、日本の今後の方向性はその先を目指したサービス産業のあり方を模索する必要があります。それではそのようなヒントはどこにあるでしょうか。

工業による繁栄と衰退を乗り越えたヨーロッパの地方都市

工業による優位性を失い、その後都市が衰退しながら、また再び再生をしていく流れは、視野を海外にまで広げるとよくわかります。特に、産業革命などで先行し、世界の工業をリードし、その後アメリカに追い抜かれ、そして日本にも攻められ一時期ボロボロになったヨーロッパの多くの地方都市から学ぶことが多数あります。

わかりやすいケースの一つは、スペインのバスク自治州に位置する、ビルバオ、そしてビルバオ都市圏に位置するサン・セバスティアンです。かつてビルバオ都市圏は19世紀から工業化によって一気に発展し、鉄鉱石輸出など含めてバルセロナに次ぐスペイン第二の工業地域となっていました。しかしながら、その後その工業地域としての優位性は失われ、大きく衰退をします。

しかしながら、今日、ビルバオはビルバオ・グッゲンハイム美術館の開発や交通網の再整備により、旧市街地を観光、宿泊、商業などで再生。さらにビルバオから1時間ほどの郊外に位置するサン・セバスティアンは世界一人口あたりの星付きレストランが多い都市として世界に知られる、美食のまちとして再生しました。

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工業からサービス産業へと軸足をシフトさせ、一気に稼ぐ方法を観光と飲食へと転換することで、都市の新たな経済構造を作り出しているのです。このような事例はヨーロッパ各国の地方都市に数多く存在しています。実は日本地方都市は、今ふたたび「ものづくり大国」、とかではなく、そのような工業からの転換を果たして、成熟化を遂げたヨーロッパの地方都市から学ぶべきことが多数あると思うのです。

サン・セバスティアンにおいては調理専門の大学院があります。日本においては工学部が大学にあるのはわかりますが、調理は専門学校でいいだろうという考えが未だにあります。しかし、世界で勝ち抜く調理技術を作り出すためには、もっとその内容を深め、基礎を学ぶだけでなく、学際的に「人はなぜおいしいと感じるのか」という本質的問いに踏み込む必要があるわけです。半導体を作ることも、おいしい料理を作ることも、実は違うようで「その道を極める」という意味では同じことであったりすると思うのです。レストランの多くは一年のうち一定期間を閉店させて、新メニュー開発のために世界中を旅したり、ラボでメニュー開発に没頭することもあります。

ものづくりなどの研究開発をサービス産業に転用する

実は日本も「ものづくり」で培った技術育成体系を、単に製品などに固執するだけでなく、サービス分野において転用できれば極めて有望です。過去の日本における職人技術もとても貴重ですが、研究開発による技術改善を進めていくことができれば、より一層確実な発展を遂げられるものと思います。工業でできるのだから、食の分野においても十分に可能でしょう。サン・セバスティアンの星付きレストランにいくと日本人の料理人を招いた勉強会をやったサインなどが調理場に残されていて、いかに彼らが研究熱心であるかがわかります。研究されるだけでなく、日本人もどんどん研究しなくてはならないと強く思うところです。

地方の可能性を少し過去の価値観から変えるだけで、また過去培った日本の研究開発などの方法論を他分野に転用しようと考えるだけでも、まだまだ伸びしろがあることがわかります。

そのような視点の転換が図られれば、日本において工業などが発展せずにこれまでは「僻地」扱いをされてきた多くの地域も可能性ばかりを感じるようになります。逆に海や山川が工業によって汚染されずに済んだという点からすると、今後のサービス産業中心での都市発展を考える上では大変有望な立地だったりします。景観が美しく、さらには素晴らしい土壌で育てた食材を活かした料理が可能になるからです。

次回はこのような流れで参考になる、ローカル・ガストロノミー(地域の美食)に取り組む実例、新潟県越後湯沢のはずれにある「里山十帖」の取り組みなどを紹介します。

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