【木下斉】イノベーション産業集積が作り出す、職住接近型都市の時代
木下 斉
2018/01/01 (月) - 08:00

従来の工業化による都市発展は、いつか田舎町であった地域に数万、数十万という人口増加をもたらしました。一方で、三次産業中心の経済構造にシフトすると、かつては「遅れている」と思われた非工業地域が、むしろその自然環境や保全された地域文化によって観光業などで競争力を増していくことに触れてきました。

地方というとどうしても農山村漁村のイメージがつきまといますが、一方で、日本の地方にも多数の都市が存在しています。そして、今回は地方都市における職住接近という強みと都市型サービス産業の可能性について触れていきたいと思います。

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人口増加、工業化から人口減少、サービス産業へのシフトでもたらすもの

従来工業化の時代には、大量の水資源があり、なおかつ必要物資の海運輸送に便利な大規模河川河口といった周辺に、大型の工場群が整備されていきました。工場群もコンビナートなどによって集積され、競争力を高めるようになりました。しかし高度に集積した近代的な工場集積のなかで環境汚染などの問題が発生。そのような流れで、工場が集積する工業地域と、人が生活する住宅地域などを区分するゾーニングが進むことで、多くの地域では「通勤」という方式で人々は時間をかけて職場まで移動するということが一般化しました。その後業務地域、商業地域などそれぞれ役割に分けて人は生活し、常に移動するということから、市街地面積は拡大して、その間を自動車や公共交通で移動するようになっていきます。

その典型であり、戦後日本はまさにそれを手本としてさまざまな道路整備を行い、市街地面積の拡大を遂げていきました。これが人口減少を迎えたいま、使いもしない広大な郊外部の市街地を維持するために、多大なるコストを、残された少人数の人口で負担しなくてはならなくなっています。さらに、工業の製造工場はアジアなどに分散して国内地方部からは撤退し、稼ぐ拠点さえ失っています。

工業が求めた都市、新産業が求めた都市の違い

このような傾向は1970年代?1980年代のアメリカ地方都市部でも発生していたことです。

かつては工業で栄え、広大な市街地を開発し、車社会を基本とした生活スタイルにシフトしたものの、工業の衰退にともなって人口減少に悩み、より希薄化してしまった都市部は公共交通も商業も維持が困難となり、さらに衰退を余儀なくされていきました。工業でかつて栄えた都市部が著しく荒廃し、人さえも住まなくなってしまった姿は、近年自治体破産したデトロイトを舞台に描かれたロボコップなどの映画にも現れています。あの映画は1987年公開ですから、そのころから都市中心部は悲惨なまでに荒廃していたことが分かります。

その後、工業が新たな新産業、イノベーション産業と呼ばれる分野へのシフトを果たしたアメリカの一部の都市やダウンタウンは再生し、過去最高の繁栄を築いています。それらの都市に共通しているのは、市街地面積が比較的狭く、人口密度が高く、公共交通が利用できるという集積のロジックが働いているところです。イノベーション産業は工場群の集積ではなく、「人」の集積を果たして、新たな技術やサービスをつくり出していきます。そのため、人が高い密度で働いたり、生活できる都心部の優位性が高まったといえます。そしてそれに適合する都市が成長する。

たとえば、マイクロソフト、アマゾン、スターバックスなどがあるシアトル。戦後はボーイング社を中心とした航空産業を中心に発展したものの、1970年代にボーイング社の業績が低迷、財政にまで致命的な影響が起こりました。その後に1980年代以降は産業集積の多角化を図ろうとしていたところにマイクロソフトを筆頭格とするIT関連企業がシアトル周辺に続々と集積、ノードストロームやコストコなどの流通企業も続きます。また、サンフランシスコもIT関連企業が既存ビルや倉庫を大規模にリノベーションして集積、ボストンも港湾部の再生事業の一貫でR&Dセンターの誘致などを積極的に付加価値の高い新産業集積が進んでいます。ニューヨークのマンハッタンも同様にさらに企業集積が進み、公共交通の再生、道路の車両交通を制限してオープンカフェ化などを果たし、1990年代の荒廃からの再生を遂げ、不動産価格はうなぎのぼりです。

職住接近というライフスタイルニーズの変化

オフィスのみならず、働く人々もまちなかにアクセス可能な範囲に職住接近で居住するようになっていることも、不動産価格も上昇の一因です。この変化に大きく作用しているのは、若手労働者たちが希望するライフスタイルに関するニーズの変化です。

従来のように郊外に大きなガレージ付きの住居に住み、マイカーで通勤するというのではなく、職住接近で住宅から徒歩や自転車、公共交通でオフィスまで通いたいという人が増加。特にイノベーション産業の主力労働層である1980年以降に生まれた世代は強烈にこれを支持しているといわれています。

職住接近を望む若い労働者が多いのは、日本でも同様でしょう。たとえば、東京都23区への強烈な都心回帰も郊外に居住し長時間通勤することを嫌う若い世代が増加し、都心部の容積率緩和によって付加価値の高い企業群のオフィスが都市部のビル群に再編されて集積されるとともに、適度なマンションが都心部で供給されるようになったことが挙げられます。

もちろん未だアメリカでも日本でもマイカー生活が必須な地域がほとんどですが、確実に都市生活が再評価され、自動車に依存しないライフスタイルが支持され、イノベーション産業が求める立地も都市となったことで、都市部の発展につながっています。

ナイトタイムエコノミーを含めた都市型サービス産業への影響

都市にとって職住接近とイノベーション産業集積による高所得階層の居住は、従来であれば通勤に費やしていた時間が自由になり、そして家と職場の間にさまざまな都市型サービス産業が集積していきます。特にマイカー移動で、夕方以降のさまざまな娯楽、多様な飲食集積が進み、ナイトタイム・エコノミーが発展していきます。結果、エンリコ・モレッティは「年収は住むところで決まる」などで、これらイノベーション産業が位置し、職住近接で生活する高所得住民が多い都市部の飲食店といったようなサービス産業従事者のほうが、伝統的な工業都市の労働者よりも所得が高いと指摘するに至っています。つまりイノベーション産業に直接従事しない人にとっても、恵まれた雇用機会が都市部に発生しているのです。

工業から次世代のイノベーション産業へとシフトしたことで工場のような公害もなく、都市中心部にオフィスが集積し、さらに労働者が職住接近を希望することによって新たな「人の集積」が発生し、そこに付加価値の高いサービス産業需要が発生する好循環が生まれているといえます。

国内の地方都市中心部で起きている変化

日本においては、地方都市において人口密度が低いにもかかわらず、活性化事業と銘打ってさらなる需要なき都市開発を進めてしまったことで、さらに人口密度が希薄化したことで、より衰退が加速しているともいえます。

しかし、例外もあり、その一つが福岡市です。
同市は地方都市の中では近年人口増加、特に若年人口数などでも全国1位になるなど注目を集めています。そもそも戦後一貫して市街地面積の拡大を目指した地方都市が多いなか、水資源不足の背景から市街地面積、居住エリアを制御した都市が福岡市です。結果として、地方都市にしては人口密度が極めて高い都市となり、公共交通も高度に発展しています。また、福岡市は工業発展の時代には、一級河川がないことによって工場誘致ができず、北九州市などをはじめとする周辺都市の急速な発展のようなことは起きず、業務機能、サービス産業中心の都市経済形成を遂げてきました。結果として、現在は少しずつイノベーション産業集積も進んでいます。

一方で、日本においてもかつて繁栄していた工業中心に成長した北九州市、浜松市などは政令指定都市にも関わらず、急激な人口減少が続いており、工業の相対的な地位低下に伴う求められる都市像の変化は国に関係なく発生するものと思います。都市のカタチを新たな産業時代に適応していくためには、従来の急激な膨張を遂げることが都市の発展であるといった価値観を根本から変えなくてはならないといえます。

それでは、イノベーション産業など新産業が密度の高い地方経済圏の中心都市とその周辺だけが勝ち残るのかといえば、決してそうとも限りません。次回は「ライフスタイル産業」による地方成長の可能性について取り上げます。

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