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地方をかき回す奴が、地方を伸ばす。インフラ界の異端児は福岡を変え、国をも変えた
木下 斉
2018/08/24 (金) - 08:00

今日の福岡市の経済成長を支える九州電力、西部ガス、西日本鉄道。福岡から全国を制覇し、これら企業の基礎をつくった人物、松永安左エ門をご存知でしょうか。長崎県出身であり、いわゆる“よそ者”である松永安左エ門が、いかにして福岡市発展における軸となり成功をおさめたのか。その軌跡を辿ります。

福岡市産業力の一つは、九州インフラ企業の集積

福岡市が九州エリアにおける中心都市である特徴の一つが、九州広域をカバーするインフラ企業の本社が集積していることがいえます。インフラ産業は内需を対象にして生活に必ず必要な分野のため業績の上げ下げも比較的小さく、さらに初期投資や維持すべき設備などが多岐にわたり、かつ様々な規制も存在しているため新規参入の困難な産業でもあります。そのため、地域においては安定的かつ相対的な経済の核となるほか、良好な雇用が生み出されるために優秀な若い人材が集まります。特に人口増加社会では、インフラ関連産業の業績の伸びは堅調に推移するため、九州の成長がそのまま福岡市の経済成長に繋がる重要な機能を果たしたといえます。

今、福岡市に本店を置く、代表的なインフラ企業は、九州一円をカバーする電力会社・九州電力、九州本部を中心に展開するガス会社・西部瓦斯(ガス)、日本一ともいわれるバス網を持つ私鉄・西日本鉄道、そして九州一円をカバーしなおかつ近年では不動産事業で伸びる旧国鉄・九州旅客鉄道(JR九州)の4つの本社があります。実は、このうち九州電力、西部瓦斯、西日本鉄道の3社の設立や発展に大きく関与した人物がいます。

それが、松永安左エ門、その人です。

電気軌道と電力会社を立ち上げ、五大電力会社にまで成長

もともと松永安左エ門は、長崎県壱岐の出身。壱岐は長崎県に属しながらも、経済圏としては福岡や半島・大陸との交易が古くから多く、今でも福岡市から高速船で約1時間。福岡経済圏に属する離島といえます。松永は若かりし頃、福沢諭吉の「学問のススメ」を読んで感銘を受けて、上京して慶應義塾の門を叩きます。父の死など様々なことを乗り越え、家業も整理して不動産のみ手元に残したところ、これが大成功。その後に、再び義塾に戻るものの、すでに学問への情熱は冷め、卒業することなく義塾を去ることを決断します。その際に福沢から「月給取りにだけはなるな。銀行員、公務員は駄目だ。何でもいいから実業で身を立てろ」といわれます。

その後、福沢諭吉の養子である福沢桃介と合同して、関西で商社業を営むものの、勝負師であることが裏目にでて、なかなか経営が安定しません。そのような中、福岡市で第十三回九州沖縄八県連合共進会が開催されるに際して、電気軌道、いわゆる路面電車が走らせる計画があるものの、福岡市などだけでは実行が難しいということで、松永安左エ門・福沢桃介への投資要請がありました。

事業に行き詰まっていた松永は関西の事業を整理し、福岡市に拠点を移動、新たな電気軌道事業のため設立した「福博電気軌道」に賭け、共進会開催に間に合うように電気軌道を開業。これが市民から大好評、事業的にも大成功を収めます。

その後には路線を拡充するだけでなく、発電事業にも力を入れていきます。
家電や電気で動かす工業用機械なども少ない当時の電力需要の多くは、ガス灯やロウソクなどの代替としての夜間電灯。しかし、それだけでは発電事業は日中は開店休業状態となり経営が成り立ちません。日中の大きな電力需要である電気軌道会社は、発電事業者にとっては大口需要家となるためより安く電力を卸してもらえるように交渉力を強めつつ、さらに路線を拡充するのであれば独自に発電事業を開発し、夜間電灯事業も併せて展開するのが経営的に合理的でした。

松永は精力的に北部九州の電力会社のM&Aに動きながら、さらに独自に発電事業にも精力的に乗り出します。しかし、よそ者たる松永たちだけに地元産業基盤となる新たなエネルギーや交通インフラ事業を渡すまい、と地元産業界も黙ってみていません。松永たちとは別で渡辺与八郎らは電気軌道会社を設立したり、北九州一円の炭鉱業者たちなどが発電事業を進めるなど競争は激化していきます。

それでも粘り強い交渉、敵対的な買収などを行いながら、松永は路面電車企業群と電力企業群を統合し、「九州電灯鉄道」を設立。さらに福岡経済圏に留まらず名古屋・関西地域をテリトリーとしていた関西電気との合併を進め、戦前の五大電力会社の一角を占める「東邦電力」を設立します。彼はこの段階で、事業の拠点を福岡から関西へと移動させます。東邦電力成立後に鉄道事業は他鉄道事業と合併して西日本鉄道となり、さらにガス部門も同様に別会社と合併と共に西部瓦斯となり、それぞれが成長を果たし、福岡市における大きな経済基盤となります。

さらにその後も活発な事業展開を繰り広げ、東邦電力に子会社・東京電力を設立し、当時東京エリアを牛耳って暴利を貪っていた電力会社・東京電灯に真っ向勝負を挑み、当時にして電柱ではなく地下配線かつ東京電灯よりも安い電力を売りにして中小工場経営者などの支持を集めて急成長。あまりの勢いに、東京電灯が折れて合併し、新・東京電力が発足。松永は結果として東京電力株の多くを持つ大株主となり、取締役にまで就きます。このような挑戦する姿が世間でも大評判となり、彼は「電力の鬼」と呼ばれるようになります。

頑なに拘った「民業」としての独立

この他にも、松永には様々な逸話があります。インフラは人々の生活に密接に関わる仕事だからこそ、適切な競争環境のもと、産業人が常に合理的かつ効率的な経営をし、より安く、よりよいサービスを提供する義務があると考えていました。

そのため戦時下における電力統制にも真っ向正面から反対を表明し、政府による全国の電力会社を統合・管理するための電力国家管理法が成立すると、「産業の振興は、産業人自らの努力で成し遂げるべきで、官庁に頼るなどはもってのほかである。軍部のいいなりとなった官僚は『人間のクズ』だ」とまで述べて、電力界から引退します。

しかし戦後、GHQによって戦時下においても産業効率にこだわった姿勢が評価されて、戦後の電力供給体制についての意見が求められ、電力界に復帰。5人のうち4人の委員は戦時統制でできた「日本発送電」を温存することを進言していたにも関わらず、松永は断固として日本発送電の分割を進言します。戦前のようにあまりに中小電力会社が乱立して経営が非効率になる状況と、戦士統制のように国家による計画主義的経営の限界の間をとり、9ブロック体制を採用。そして、九州エリアを統括する九州電力が発足、福岡市にはその本社が置かれたのです。

よそ者を潰さない地域は発展する

こうしてよそ者である松永安左エ門が軸となり、福岡市経済に大きな影響を与えるインフラ企業群である九州電力、西部ガス、西日本鉄道という形で残されたのです。

他の地域では大抵は地元の名士がインフラ事業を興すことがあっても、よそ者が地方で暴れて地域における次なる産業を作り出すことはなかなかありません。彼のように一癖も二癖もある「よそ者」を完全に潰したり、排除しなかった当時の福岡産業界の開放性を多くの地域は学ぶべきといえるでしょう。

とはいえ、今後続く人口減少社会においては、これらインフラ企業群は広域における需要縮小の煽りを全面で受けていくことになります。次なる時代に向けて、福岡市に所在するインフラ企業は九州という枠にとどまらない新たな発展が期待されています。

本コラムを読んでより詳しく福岡市の近現代について知りたい方は「福岡市が地方最強の都市になった理由」をぜひお読みください。

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