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成功の秘訣は「人」にあり。ホテル事業再生の物語
株式会社サン・クレア
藤井 香織
2018/06/07 (木) - 08:00

「一休」接客口コミランキング西日本1位、楽天トラベルお客様の声朝食部門91施設中第1位、じゃらんお客様の声ホテル部門福山尾道エリア総合2位、APAベストパートナーホテルオブザイヤー連続金賞獲得殿堂入り、そして稼働率95%を叩き出す「福山オリエンタルホテル」をご存知でしょうか? 福山を訪れる旅行客やビジネスマンに絶大な人気を誇るこのホテル、実は負債50億円から再出発した会社が経営しています。その会社とは株式会社サン・クレア。過去の負債は整理完済し、現在は年商5億円に。代表取締役CEOを務める細羽雅之さんに、事業再生の道のりと成功の要因、そして、これからについて聞いてみました。

実家が事実上の倒産。想定外の人生が始まった

細羽さんのご実家は日本でいち早くデニム製造販売に乗り出した老舗会社でした。まだデニムの文化がなかった日本で商品は売れに売れ、会社は急成長。北海道から沖縄まで全国に支社・営業所・小売店を展開し、1989年にはグループの多角化としてホテル事業にも進出。ピーク時は年商100億円、従業員数800名を超える企業でした。

将来は家業を継ぐ予定で、東京の大学に進学していた細羽さん。しかし、順調だったはずの会社は、1992年頃から赤字に転落。1996年には二度目の不渡りを出し、事実上の倒産に。当時大学生だった細羽さんは実家からかかってきた1本の電話を今も覚えているといいます。

「『お前、もう戻ってくるところはないから自分で就職口を探せ』と。離れて暮らしていたので、倒産という現実はピンと来ませんでした。それよりも困ったのは就職先。すでに3年生の冬だったので、就職活動をするには遅すぎます。たまたま研究室の先輩が当時のIBMの社長で、急遽入社させていただきました」

卒業後、システムエンジニアとして企業に勤めた細羽さん。その頃、細羽さんの父親は民事再生や破産申請といった法的倒産ではなく、任意整理による倒産処理を選択し、借入返済の猶予や示談を求めてあちこちに頭を下げて回っていたそうです。

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父親が心労で倒れたのを機に、会社を退職。家業の再生に乗り出す

東京で就職して3年目、父親が心労で倒れたことをきっかけに、細羽さんは実家に戻ることを決断。社会人経験もまだまだ浅い、25歳のときでした。

「私は末っ子の一人息子なので、『お前しかいないから!』と周りに言われて。今思えば、状況をあまり知らなかったから戻れたんでしょうね。なんとかなるだろう、くらいの考えで。不安を感じたのは、帰郷して初めて厳しい現実を目の当たりにしてからです」

ここから経営者人生を歩むようになった細羽さん。実家に戻って初めて、負債総額が約50億円あり、返済の目処が全く立っていない事実を知ったそうです。来る日も来る日も続く厳しい債務の取り立て、親族役員の自殺、残った社員の人生を背負う重責、家族の病気…、次々と細羽さんを厳しい現実が襲いました。

再起の望みをかけたホテル事業。しかし、一番大事なものが欠落していた

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しかし、立ち止まっている暇もなく、細羽さんは事業整理を始めます。まずは、土地や工場も含め、デニム関連の事業を全て手放しました。

「苦渋の決断でした。デニム、ホテルと両方を見ていましたが、1人でできることは限られているので、どちらかに絞らないといけない。自分の能力、現在の危機的な財務状況、そして全く先の見えない将来を考えたとき、デニム事業は手放さなきゃいけないと」

一方、ホテル事業だけは売上が3億円あり、赤字ながらもなんとか継続できていたそうです。もちろん銀行債務の抵当に入っていましたが、細羽さんは「ホテルだけは残して欲しい」と銀行に必死で頼み込んだそうです。

「ホテルまで取られたら、本当に何もなくなってしまう。じゃあ、そもそも何のために会社を辞めてまで帰ってきたのかと。必死に頭を下げ、負債を引き受ける条件でホテルは残してもらいました」

ホテル事業を選んだ理由は当時のインターネットの普及の背景にもありました。

「当時は、ちょうどインターネットでホテルのホームページが出始めた頃。私は早速ホテルのホームページをつくり、自社でインターネット予約を始めました。するとそこから予約がひと月目に1件、次の月に5件、更に次の月には20件くらいと見る見るうちに増えて行きました。最初は半信半疑だった従業員も『これはいけるんじゃない?!』と前向きに変わり始めました。当時まだ立ち上がったばかりの予約サイト『旅の窓口(現:楽天トラベル)』などにもいち早く登録しました。そのチャネルを作れたことがホテル事業に未来を託そうと判断した理由になったことは間違いないですね」

いずれ本格的に訪れるであろうインターネットの時代を見越して継承したホテル事業でしたが、現実は稼働率50%以下、施設はボロボロ、社員の士気は皆無…。当時のネットのクチコミにはこんな辛辣な意見が投稿されていました。「壁紙はめくれ、天井はシミだらけ。いい気持ちではありませんでした」、「スタッフはクレームがあっても悪びれた様子もなくマイペース。不愉快でした」「過去にも同じクレームが書き込まれているのに改善されないのは安い価格を理由にしたホテルの甘えでしかありません」。中でも細羽さんの胸に刺さったのは、「ホテルに対して“愛”が感じられません」という厳しい言葉だったといいます。

「この言葉だけは絶対に忘れてはいけないと今でも思い続けています。まさにホテルに対して誰も “愛”が感じられない状態。これが私のホテル再生事業のスタート地点でした」

ホテルへの痛烈な批判を受け、細羽さんが真っ先に着手したのは「人」でした。しかし、この「人」集めに細羽さんは最も苦しんだといいます。求人するのは初めてのことで、どんな基準で誰を採用し、どう指導したらいいのかさえもわからない状態。いい人材を集めることに相当な苦労をしたそうです。

「ただ頭数をそろえてもうまくいかない。チームを作らないと。どうやったらみんなの心が一つになるのかなって。私は器用なタイプではないので、本当に手探りの日々でした」

そんな危機的な状態を脱するために、細羽さんはどんな苦境に至ってもV字回復を成し遂げてきた日本の名経営者たちの著書をとにかく読み漁ったそうです。松下幸之助、渋沢栄一、小林一三、井深大、盛田昭夫、本田宗一郎、土光敏夫、早川徳次、稲盛和夫、堀場雅夫…。これらを読み進めるうちに、表現する言葉は違うものの、書いてあることは全て同じだという事に気づいたといいます。

「どの本にもあるのが、志、感謝、努力、利他の精神、思いやり、素直な心。言ってしまえばそれだけのことかもしれません。しかし、自身の経験上、とても腑に落ちるものがありました。そして、それらはまさに当時の私たちに欠けているものでした。取り組むべきものがわかり、だんだんと視界が開けてきたんです」

細羽さんのオフィスの本棚には、これまでに読まれた大量の本が現在もずらりと並んでいます。

「ホテル事業の再生には、まずは志を一つにできる人、つまり仲間が必要でした。たくさんの従業員が離れていき、残ってくださった方の中でも、共感してもらえない方はまたやがて去っていき、自然と淘汰されていきました。現在の中心メンバーは、当時から私と一緒に歩んでくれた仲間たちです」

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建物の改修も、サービスの改善も、自分たちができることを少しずつ

細羽さんと志を一緒にした仲間たちは、剥がれた壁紙や天井についたシミなど、可能なものは自分たちで改修していったそうです。すると不思議なことに、どんどんホテルに愛着が湧いてきたのだといいます。

「自ら手をかけることで自然と愛しくなるもので、それは一緒に働いてくれる仲間たちも同じだったようです。ますます絆が強固になりました」

「ホテルに“愛”を感じるとはこういうことなのか」という思いを仲間とシェアするようになったところ、だんだんと業績はよくなり、実績もついてきました。そして2014年には稼働率が90%を超え、様々な評価ランキングで1位を獲得するように。さらに、過去の負債も整理・完済。事実上の倒産から15年の月日が経っていました。

「ある意味、ものすごく遠回りだったと思います。倒産時に手っ取り早く法的整理を選んでいれば、もっと簡単にリスタートきれたかも知れません。けれども、たとえ時間がかかっても地道な道を選びコツコツと改善を進め、最後には『福山オリエンタルホテルは日本一!』というネットの書き込みを初めて見たときは、まさに奇跡を感じて体が打ち震え、涙が溢れ出ました。しかも各地のホテルを年間100泊程度する方に言われた事が嬉しかったですね。まさに奇跡だとスタッフみんなで喜びました」

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[楽天トラベル2013年10月]

父の会社が掲げていた「創造・和・誠実」の精神に改めて立ち返る

事業再生を進めるうちに、細羽さんは父が創業した会社の社是「創造・和・誠実」の精神に立ち返るようになりました。「創造=常にクリエイティブに新たな発想を大切にする」、「和=仲間に思いやりを持ち、利他の精神を大切にする」、「誠実=常に正直、素直な心を大切にする」。細羽さんは、この中でも特に「創造」の部分に光をあて、2015年にその名を「サン・クレア」として会社を設立、新たなスタートを切りました。

「とはいえ、自分は今まで本当に真の経営ができていたのか?、と原点を問い直したときに、『改めて経営学を学ぶべきだ』と思い、神戸大学でMBAを取得する決意をしました。」

負債の完済、現在の年商5億円に甘んじることなく、細羽さんの挑戦は続きます。現在、サン・クレアは、2025年に年商100億円を目標に掲げているそうです。

「経営理念は、『地域に愛されるホテル』。それは、お客様にだけ愛されるのではなく、従業員たちからも愛され、その従業員の家族のみなさんにも愛され、そして、地域の業者さんや近隣の住民の方々にも愛されるホテルです。『福山に行くなら福山オリエンタルホテルにぜひ泊まってほしい』と地元の皆さんに言ってもらえるにはどうしたらいいか、それを創造しようという考えでやっています」

事業が軌道に乗った現在でも、人を大切にし、育て続ける

現在は、2つのホテルを経営するほか、ホテルマネジメントやホテル事業再生、コンサルティング、M&Aも手がけるサン・クレア。自らが体験したからこそできる事業を強みに、確実に成長しています。しかし、成長の中でも変わらない真実があります。それは「人」を重んじる考え方です。

「サン・クレアでは社員からアルバイトに至るまで常に日々の自己分析を行い、毎月発表する場を設けています。また、毎日の朝礼では日々徳を積むためのチャレンジを共有し、従業員の士気を高めています。5〜6年前からは社員自らによるカイゼン活動プログラムも導入し、優秀な改善に対して表彰を行うなどを行なっています。サン・クレアでは、常に自らが考え、行動し、結果を出す「自律型人間」が溢れる社風を目指しています。例えば、長年客室清掃を続けておられるパートの方が表彰を受け、喜びの涙を流されたこともあります。『泣ける職場』っていいですよね。そんな時、従業員のホテルへの“愛”を感じます」

年商5億円規模の企業が、これほど人材教育に大幅な時間とコストを費やすケースは珍しく、サン・クレアがいかに「人」を重視しているのかがわかります。従業員との架け橋にもなっている「13の徳目」や「カイゼンシート」に、細羽さんは必ず直筆でコメントを書き入れるそうです。

「さらに規模が大きくなったとき、このままこの取り組みを続けられるかが課題ですね。でも、できるだけスタッフたちとコミュニケーションを取りたいです。私たちはチームですから。志を一つにすることがいかに大切か、身をもって体験していますので」

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夢はできるだけ大きく。日本の良さ、日本人の良さを世界に伝えたい

「宿泊業界を変えたい」と語ってくれた細羽さん。それは国内だけでなく、国外をも見据えた夢でした。

「サン・クレアは目標として2025年までに年商100億円を掲げています。達成させるためには、新しい宿泊業態にもチャレンジしたいですね。例えば、もっとターゲットやコンセプトを絞り込んだホテルや、IOTの導入によりさらに快適に過ごせるホテル。もっといえばホテルの施設内だけでなく、近隣のお店や施設など地域をも巻き込んだホテルとか。いわば、『世の中の役に立つホテル』です」

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さらなる飛躍を目指すサン・クレア。11月にはマンションのコンバージョンを利用した、これまでにない新しいスタイルのホテル開業が迫っている。

「日本はいわゆる人口減少先進国とも言えます。しかしいずれは世界中の先進国が現在の日本のような状況になるのでは?と思います。 言ってみれば日本は先を行くモデルで、この先どうなるのかを世界は注目しています。だからこそ、世界に日本の底力を示すべきだ、逆にチャンスになるはずだと私は考えています。そして、メンタリティやDNAの部分における日本の、日本人の良さ、それを一番わかりやすく示せるのはきっと宿泊や観光業なんですよね」

負債50億円から息を吹き返したサン・クレアは、今や世界を視野に入れる企業へと成長を遂げています。自らの経験を土台に成長したその強さを武器に、宿泊・観光業界でいかに力を発揮し、影響を与えていくのか、これからを追い続けたい企業です。

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株式会社サン・クレア 代表取締役CEO

細羽 雅之(ほそば まさゆき)さん

1974年、岡山県生まれ。広島大学附属福山高校卒業後、慶應義塾大学へ進学。1997年、日本アイ・ビー・エムに入社。1999年、25歳の時に破綻した実家の会社整理・再生のために同社を退職し、帰郷。負債50億円を抱えた事業再生に挑む。事業整理、サービス向上、人材育成などに尽力し、15年で負債を完済後、株式会社サン・クレアを設立。現在は、ホテル直営に加え、ホテルマネジメント、ホテル事業再生、コンサルティング、M&Aを要とし事業を展開。イノベーティブな宿泊業態の開発を日本、海外に展開し、2025年までに年商100億円を目指す。

株式会社サン・クレア

広島、愛媛でホテル2棟(240室)を所有、運営するホテル運営会社です。
社名「サン・クレア」=太陽と創造。
その名の通り、太陽のように明るく前向きに、ワクワクするイノベーティブな会社を目指して、日々奮闘しています。

住所
広島県福山市城見町1丁目1番6号
設立
2015年
従業員数
60名
資本金
35,000,000円

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